学校に行きたくない、または行けなくなる理由は、人によって様々だろう。もしかしたら、これという理由もないかもしれない。
不登校や引きこもりの生徒のための学習塾「キズキ共育塾」を立ち上げた安田祐輔さんの場合は、たくさんの要因が重なった。
発達障害、クラスメートからのいじめ、親の暴力。
「人生をやり直したい」「生まれ変わりたい」。そう願い続けた子ども時代だった。
自立を考え始めたのは、11歳のとき
安田さんは1983年、横浜市で生まれた。
大手企業に勤めるサラリーマンの父と、元アナウンサーで専業主婦に転じた母、三つ年の離れた弟の4人家族。
それはどこかありふれた、中流階級の家庭だったのかもしれない。
だが、何十年ものローンを組んで購入したのであろうマンションの一室で、父は母に手をあげた。
安田さんが持っている最も古い記憶は、3歳か4歳くらいの頃、深夜に喧嘩を始めた両親の怒鳴り声だ。
「二人が怒鳴り合い、殴り合う中で、『不倫』や『浮気』という言葉が飛び交っていたことを今でも覚えています。でも言葉の意味がわからず、『女の人と遊ぶことなんだろうな…でもどんな違いがあるんだろう…』と考えていました」
父の暴力は年を重ねるごとにエスカレートした。床に倒れ込んだ母親を何度も踏みつけた足で、まだ幼かった安田さんも蹴られ、殴られていた。
やがて、父も母も家に寄り付かなくなった。
小学校高学年の頃、安田さんは家に帰ってこなくなった母親を、深夜のファミレスまで迎えに行ったことがある。
「お母さん、なんで家に帰ってきてくれないの…?」
そう問いかけた息子に母は一言、「もう、家に帰りたくないの…」と答えた。
両親には、自分が抱えている孤独を埋めることができないと理解した。早く家を出て自立しなければならないと考え始めたのは、11歳の時だった。
「親に見捨てられたからこそ、誰よりも強く生きていきたいという思いがあったのかもしれません。お前なんかいなくても生きていけるから、と抗いたかったんです」
「人生をやり直す」ということ
自分を守るために抗い、戦う姿勢は、学校生活にも持ち込まれた。
発達障害を持って生まれた安田さんは小学3年生の頃、それをきっかけに学校でいじめられるようになった。
何かの作業に熱中すると周りの物音が一切聞こえなくなる性質があるため、自分の名前を呼んだクラスメートを無視したと思われた。それだけのことだった。
家族から独立したいという強い希望で、中学は自分で全寮制の学校を選んで入学した。だがそこでも激しいいじめを受けて、2年で退学。
新しい学校に転校する前、安田さんは原宿まで出かけて髪を茶色に染めた。
「ずっといじめられていたり、学校に馴染めなかったりした子が、新しい学校に行くときに考えること。それは入学を機に『人生をやり直す』ということなんです」
高校でも眉毛を剃り、タバコを吸った。大きめの学ランを着て、「ドカン」と呼ばれる通常の制服の2倍の太さのズボンを履いた。「空気が読めない」ことを悟られないよう、自ら口数を減らした。
不良っぽく見せれば、いじめられない。そうやって自衛した。
学校はほとんど行かなかった。行ってもずっと寝ているか、サボっているか。
「いい大学に行けば、幸せなの?給料の良い仕事に就けば、幸せなの?」
「じゃあ、お父さんとお母さんは、なんで幸せそうじゃないの?」
小学生の頃、そう母に問いかけたこともあった。勉強しても幸せになれないなら、する意味がないと思っていた。
「この世界から抜け出したい」
そんな彼が高校3年の秋から、生まれて初めて本格的に勉強をすることを選ぶ。
分刻みのスケジュールを組んで、1日13時間以上机に向かった。2年間の浪人生活を経て難関大学に合格するまでの間、目標に向かって走り続けた。
その時は、勉強が「生まれ変わる」ための最後の手段になっていたのかもしれない。
「高校時代は地元の暴走族から目をつけられるようになり、いつも逃げ回っていたんです」
「ある日、集団リンチにあった時、通りがかった警官からリーダー格の一人の身の上話をされて。両親が中学時代に蒸発して、妹と二人で暮らしながら、建設現場で働いて生活費を稼いでいることを教えられました」
「本当にアホみたいな世界で生きてるなって思いましたね。弱者同士で喧嘩して、苦しめ合ってることがバカバカしくなってきて。あまりに不条理すぎるだろと。この世界から抜け出したいと思ったんです」
大学に入って、今の環境から抜け出す。小学校から高校までの間、まともに得ることのできなかった勉強の時間を取り戻す。誰よりも人の痛みがわかる人間になる。
それは、家庭や学校での暴力、いじめに翻弄されつづけた彼の「復讐」でもあった。
暗闇でも走る
その後、安田さんは大学でも勉強を続け、イスラエル・パレスチナ問題に取り組む学生団体や、バングラデシュで支援活動を続けるNGOなどに参加。
大学卒業後は商社に就職したが、4カ月でうつ病を患い、休職期間を経て退職。その1年後、自分と同じような境遇にあった子どもたちのための学習塾を2011年に始めた。
そうした経緯を綴った自伝「暗闇でも走る」(講談社)は、その名の通りマラソンのような本だ。
つまづいて、もうこれ以上前に進めないと思っても、何とか走る力を取り戻す。ただひたすら、それを繰り返している。
「本を書くとき、(人生ゲームで)上がったやつのサクセスストーリーにだけはしたくなかったんです。僕は小さい頃、そういう物語じゃ救われなかったから」
もがきながらも、暗闇の中を行ったり来たりしながら前に進む。そういう姿こそ、誰かを救うと思った。
文部科学省が昨年10月に発表した調査によると、全国の小中学校における不登校の児童は13万4398人。高校でも4万8579人にのぼる。
「引きこもり」の15〜39歳は、全国に推計54万1千人いるとする調査結果を、内閣府が2015年に発表している。
「子どもの頃って、生きている世界がすごく狭いんですよね。僕もそうでした」と安田さんは言う。
「大人には、親と合わなかったら接する機会を減らしたり、会社が合わなかったら転職したりする選択肢が認められていますが、子どもたちは『学校へ行かなきゃダメだ』と言われたら、それが絶対であるかのようになってしまう」
「だから、いま続いている苦しみや、自分が生きている世界が永遠に続くものだと思い込んでしまいがちです。でも本当は、自分に合った別の世界に逃げることができるはずなんです」
いま安田さんの塾には毎日、様々な理由で学校に通えなくなったり、外出することもつらいと感じるようになったりした子どもたちが、「やり直す」ために通ってくる。
そして、誰もが何度でもやり直すことができることは、安田さんが知っている。
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