昭和から平成へ元号が変わった29年前、「セクシュアル・ハラスメント」という言葉が流行語大賞(新語部門)になった。
この年の夏、日本で初めてセクハラ被害をめぐって法廷で争った裁判が起こされ、一気に世間の注目を集めたためだ。
いま、平成は終わりを迎えようとしている。セクハラは馴染みのない新しい言葉ではなくなり、ハリウッドに端を発した「#MeToo」ムーブメントが熱を帯びる。
社会は変わったのか。1989年の裁判で代理人を務めた角田由紀子弁護士は「セクハラという言葉は広まったけれど、その中身はどれだけ理解されているのか」と疑問を呈す。
初めての「セクハラ訴訟」
日本におけるセクハラ訴訟の第1号となった1989年の裁判は、福岡の出版社に勤めていた女性が男性編集長から「男遊びが激しい」「取引先と不倫している」などと私生活に関する悪評を流され、のちに解雇された事件だった。
提訴した当時はまだ「セクハラ」という言葉が日本で使われ始めて間もない頃。
弁護団はアメリカの事例を参考にしつつ、既存の法律でセクハラの根底にある性差別を指摘する方法を模索した。
当時は前例もセクハラに関する法理論もなかったから、民法709条の「不法行為」を使ったの。他人の権利や利益を侵害した人は、それによって生じた損害を賠償する責任があるというもの。
性的な悪評を流すことも、人格権を侵害する不法行為だと主張した。セクハラを禁止する法律がない中で、ある意味苦肉の策でした。
弁護士仲間には「どうやって立証するんだ」と訝しがられました。アドバイスをもらっていたアメリカの弁護士にも「言葉のハラスメントは一番難しい。セクハラ訴訟の第1号になるんだから、勝てる事件を選べ」と言われましたね。
でも、来た事件で勝つというのが私たちだから。同様の被害を受けた元社員らの証言を集め、尋問を通じて、加害者の男性や会社が女性を性的な対象として見下していたことを明らかにしました。
この事件に限らず、性的な言葉で貶めるセクハラの根底にあるのは、性差別だと訴えたんです。
1992年4月に出た判決は、ほぼ完全勝訴。裁判所は私たちがあげた15の事実のうち12を認め、男性と出版社に165万円の損害賠償を命じました。
重要なのは、加害者個人だけでなく、使用者である会社の責任もちゃんと認定されたことなの。この判決が、日本におけるセクハラ対策の方向性を定めるものになったから。
「お尻も触れないなんて」
初めてのセクハラ訴訟は、世間やメディアからも大きな注目を集めた。
「ある意味、そんなことを主張する女の顔が見てみたいという関心もあったんじゃないかしら」と角田弁護士はいう。
今でも覚えているのが、夜のニュース番組で裁判について報じられた時に、取材班が新橋あたりに出て行って「この裁判どう思います?」と街の声をとっていました。
すると、サラリーマンが「そんな、会社で女の子のお尻も触れないなんて、人間関係がぎくしゃくしてどうしてくれるんだ」って真面目な顔で言うのよ。
当時は普通の人がそう思っていたし、両論併記の一部としてテレビで報じてもいい内容だと考えられていたってことよね。あの頃はそんな時代でした。
でも、私たちが提訴した10年後に大阪府の横山ノック元知事が、強制わいせつやセクハラ問題で辞職した時は、彼を批難する声がほとんどだった。
きっと「お尻も触れなくてどうしてくれるんだ」と言っていた人はまだいただろうけど、もうそういう声をテレビで放送することはできないと判断されたのではないかと思います。
少しずつだけど、セクハラはいけないことだという漠たる認識が共有された。公に肯定するのはまずいという雰囲気になっていったということですよね。
30年かけて築いたもの
セクハラ問題に関する社会の認識が変わるとともに、法律ができ、さまざまな判例も積み上げられた。
1992年に最初のセクハラ訴訟の判決が確定すると、労働省(現厚生労働省)がセクハラ防止に関するガイドライン作成へ向けて動き出した。
1997年には男女雇用機会均等法に、企業はセクハラの防止や対策に努める義務があるという規定が盛り込まれた。
判例で角田弁護士が引き合いに出すのは、2015年に最高裁まで行った「海遊館事件」。
海遊館を運営する会社の男性管理職2人が女性社員に卑猥な発言を繰り返して懲戒処分などを受けたものの、「発言は日常的な会話の範囲内で、体に触るセクハラをしたわけではない」と言い、会社の対応は不当だと訴えた。
一審は「処分は妥当」と認定。二審は女性が明確な拒否の姿勢を示しておらず、男性たちがセクハラ行為のような言動も許容されると勘違いしていたため、処分は重すぎると判断した。
だが、最高裁は男性たちの主張を退け、一審の判決を支持した。
相手がギャーギャー言わなかったらセクハラ行為も受け入れられるという認識は間違いだ、と最高裁がはっきり言ったわけです。
加害者の男性たちは管理職でしょ、と。他の従業員を指導してセクハラが起きない職場を作るのがあなたたちの仕事でしょ、と。
身体的な接触がない事案でも、懲戒処分が妥当だと最高裁が判断したことは大きかった。
他にもたくさんの事例を積み上げ、30年かけて延々と築いてきたものを実感していました。ジグザグであっても、社会は前に進んできたのだと。
財務省には届かなかったのか
そんな手応えを感じていたからこそ、福田淳一・元財務事務次官のセクハラ発言問題と、それに対する財務省の対応には愕然とした。抗議する署名運動の呼びかけ人にも名を連ねた。
国家公務員によるセクハラには、男女雇用機会均等法ではなく、人事院が定める人事院規則が適用される。
そこには、各省庁の責任者にはセクハラを防ぐために必要な措置を講じる責務があると書かれているだけでなく、職員間に限らず、職員が業務を通じて接する「職員以外の人」へのハラスメントも許されないとも明記されている。
それこそ事務次官は、省内でセクハラ対策をする元締めのような立場。一連の問題については政治的責任の観点が言われていますが、事実関係が認定されれば、法的にもアウトだと思います。
被害女性に名乗り出ろと言った省の調査方法も、麻生太郎大臣らの発言も、財務省のトップがセクハラに対してあの程度の認識しか持たずにこの国を動かしていたのかと愕然としました。
少しずつ変わってきたと思っていたものが、こういうところに生き残っていたのかと。私たちが30年かけて築いてきた変化は、財務省には届かなかったのでしょうか。
被害者の痛みを知らない社会
1989年の訴訟を起こした女性が角田弁護士に連絡したのは、たまたま美容室で手にした女性誌で、セクハラという言葉を日本で広める活動をしていた団体の特集を読んだことがきっかけだった。
それまで彼女は、被害を訴えるたびに批判にさらされていた。
会社の経営陣に相談したら、「男を立てることも覚えなさい」と逆に退職を強いられた。簡易裁判所に調停を申し立てた時も「女は男のことでとやかく言われるうちが花よ」と言われたという。
被害を受けた当事者が、声をあげる難しさとリスク。それは「#MeToo」ムーブメントが問題提起し、連帯することで乗り越えようとした現代の課題でもある。
「セクハラ」という言葉を得て、社会の認識は大きく変わった。だが言葉が広まった一方で、被害を受けた人の痛みに対する理解は深まったのか。そう角田弁護士は問う。
性的な被害を受けることや声を上げた時の二次被害がどういうことかということが、まだ社会的に見えていないのも確かなの。
被害を訴えるとバッシングされる。だから誰も言わない。だから実際にどんな被害が起きているかも、当事者の痛みも社会に共有されず、「強姦神話」がどんどん広がっていく。
私たちはそんな悪循環の中にある。
セクハラが流行語大賞をとったことは、言いにくかったこと、言い表せなかったことに名前がついたという点で大切だった。「この行為はセクハラで問題です」と文句を言えるようになったから。
でも言葉の中身はどこまで理解されているのか。それがいまある問題の底辺にあると思います。
この社会がこれまで性的な被害を受けた人にどれだけ冷たかったか。貶めて、排除してきた。それでも前に進んできた。
ここからまた、一つひとつ積み上げていく。そうやって社会は少しずつ変わっていくんです。