「朝起きたら世界が変わってしまっていたら…」
ウクライナで生まれ、幼い頃に家族で日本へ移住した会社員のハリナさん(仮名)の日常は、ロシアが軍事攻撃を始めた2月24日以降、一変した。
BuzzFeed Newsの取材に現在の心境を語ったとき、その顔には疲労の跡が色濃く刻まれていた。
「朝起きた時に世界が変わってしまっていたらと思うと怖くて、あまり眠れない日々が続いています。夜中に目が覚めたら、すぐにウクライナ政府が発表している情報やニュースをチェックして、現地の状況を確認しているような状況です」
ハリナさんは祖父母や従兄弟などの親戚がウクライナに住んでおり、自身も2、3年に一度は帰省していた。首都キエフに暮らしていた親族は、攻撃が始まったその日に、車で何十時間もかけて郊外へ避難した。
「今回の攻撃が始まるまで、月に1回は親戚と話していましたが、今は状況も状況なので、日本で暮らす親族の代表者がウクライナにいる家族とやりとりしています」
「現地で暮らす家族は、昨年12月頃からロシアの攻撃に備えて準備をしていました。それでもやはりパニック状態で、『本当に軍事侵攻が起きるのだろうか』『この21世紀に本当にやるのだろうか』という感覚でした」
「世界中の多くの人々が、同じように感じていたと思います」
ハリナさんの知るウクライナは、平和で、安全で、人が優しい国。いま、爆撃や銃撃戦が繰り広げられている市街地は、彼女がよく知る故郷だ。
「いま攻撃を受けているのは、まさに自分が歩いていた街。このコロナ禍に、多くの市民が地下鉄やシェルターに避難して、寝泊りしている様子を見ると、私自身は温かいベッドで眠れることが申し訳なくて…」
「私にも幼い子どもが2人いますが、自分の子どもと同じくらいの年頃の子が病院に搬送されているのを見ると、もう、言葉にできないです」
「忘れられた紛争」とは
ウクライナとロシアの紛争が始まったのは、8年前のことだ。
2014年にウクライナ東部でロシアが分離運動を煽り、国土は分裂して紛争となった。ロシアはさらに南部クリミア半島も占領。小規模な交戦はその後もずっと続いており、この8年で1万4千人が犠牲となってきた。
しかし、ウクライナの問題は今年に入るまで国際的な注目を失い、「忘れられた紛争」とまで呼ばれていたのだ。
ウクライナではいま、国民総動員令が発令され、ウクライナ軍の兵士以外も協力を求められている。
18−60歳の男性は出国を禁じられた。政府は、ロシア軍の位置情報の提供をはじめとするウクライナ軍支援のための協力も、国民に求めている。
「いまウクライナでは、市民の一人ひとりが最大限できることをやらなければならないと感じています」。そう語るハリナさんも、日本からできることを模索している。
2月20日には自身のFacebookで、今回の軍事侵攻に至るまでの歴史的な背景について発信。2014年の「クリミア危機」にも触れ、「ウクライナとロシアの戦争は、すでに8年前に始まっています」と強調した。
ウクライナ発の情報を日本語でも読むことができるよう、日本で暮らすウクライナ人の知人らとともに、情報サイトも開設した。
「この戦争は、日本をはじめ、国際社会のサポートがなければ、終わらせることはできません。在日ウクライナ人にできることは限られているので、日本人の方々が直接、日本政府に声を届けてくれることを願って、日本語でも情報発信をしていきたいと思っています」
「故郷ではなくなるかもしれない」
この戦争の行き着く先には、何が待っているのか。ハリナさんは「ウクライナが負けた場合、銃を手に取って戦うこと以上につらいことが待っていると思います」と語る。
「自分の国の中で自分の国の言葉を話したり、政府に対して文句を言ったり、自由にメディアで発信することもできなくなるかもしれない。個人の権利が奪われ、今まで通り食べられて、働きに出ていけるのかも、わからないですよね」
「最後にウクライナに帰ったのは2015年。娘と帰ったのも1度きりです。もうウクライナに帰れないかもしれない、帰ったとしてもそこが故郷ではなくなるかもしれない、私の知っているウクライナがなくなるかもしれないと思うのは、すごく怖いです」
もう一つ、ハリナさんが恐れていることがある。それは、再び「忘れられる」ことだ。
「今は国際的な関心がとても高まっていますが、戦争が長引けば長引くほど、紛争が続いている世界の他の地域のように、忘れられてしまうのではないかと思うと怖いです」
「戦争が終わったとしても、復興には長い時間がかかります。今、この注目が集まっているうちに問題を解決できなければ、復興できなくなってしまうのではないかということを、恐れています」