【更新あり】ロシアとウクライナの間で行われた交渉で、包囲された市民が脱出できる「人道回廊」の創設で両者が合意した。人道回廊とは何か。全面停戦につながるのか。そして、なぜすぐに機能しないのか。
回廊の設置を巡るロシア側の言動には、単純ではない思惑が見え隠れしている。ロシアが関与したシリアでの「人道回廊」の例などから、実態を探る。

親ロ派の地での交渉で「回廊」合意
両国の2度目の交渉は3月4日、ベラルーシ西部のポーランド国境付近で行われた。なお、ベラルーシのルカシェンコ政権はプーチン大統領支持を鮮明にしている。ロシア軍はベラルーシ経由でもウクライナに侵攻しており、そもそも「中立国」とは言い難い。
ロイター通信によると、交渉では市民が避難するための「人道回廊」の設置と、戦闘が激しい地域に医薬品や食料を届けることで一致したという。一方、即時停戦という合意は得られなかった。
会談後、ウクライナのポドリャク大統領府長官顧問は「回廊がつくられれば、その周辺では一時的に戦闘が止まる可能性がある」と語った。

「人道回廊」とは
「人道回廊」とは、紛争の現場で包囲された地域に対し、人道支援物資の搬入や取り残された市民の脱出を支えるために設けられるものだ。特定の道路や地区を「安全地帯」と設定し、そこでは双方が攻撃を控えるというやり方が多い。
ジュネーブ条約は、文民(非戦闘員の市民)に対する攻撃を禁じ、戦闘員でも負傷者や捕虜などは保護しなければならないと定めており、人道回廊の根拠の一つとなっている。
「人道回廊」の設置が提案されるのは、これが初めてではない。
1990年代のボスニア紛争やシリア内戦など各地の紛争で提案されたり、実際に設置されたりしてきた。また、2014年にウクライナ東部でロシア軍が「分離独立派」の蜂起を促し、今回につながる紛争が始まった際も、「回廊」が設置された。
今回のように当事者間の直接交渉で合意に至る例も、国連が仲介して実現する例もある。しかし、市民の保護につながったとは必ずしも言い難いケースもあるのが実態だ。
また、これは「停戦」に直結する動きではなく、一時的に回廊を設けて市民の脱出を認めたあとは、市街地に対するさらに激しい無差別攻撃が加えられたこともある。
ロシアは人道回廊にどういう態度を取ったのか。ロシアが軍事介入したシリア内戦の例を見てみよう。
2016年、シリア・アレッポの「人道回廊」
シリアでは、2011年に若者たちが始めた民主化要求デモに、アサド政権が激しい弾圧を加えことから、次第に内戦に転落した。アサド大統領は市民の声に耳を貸さず、自らの統治に異議の声を上げる人々を「テロリスト」と呼んで攻撃の対象とした。
シリアに軍事基地を持ち、旧ソ連時代から関係が深いロシアはアサド政権を支持し、軍事介入。戦闘機やミサイルなどによる市街地攻撃を続け、北部の第2の都市アレッポの反体制派掌握地域を包囲した。
この地域には当時、25万人の市民がいると推定されていた。市民に被害をもたらす攻撃が続くことへの国際的な非難の高まりに、ロシアは2016年7月28日、アサド政権とともに「人道回廊」の創設を発表。「テロリストに包囲された地域」の市民の脱出を許すとした。
一方、国連の提案した「人道停戦」も、人道回廊への国連の関与も拒否した。
無人だったシリアの人道回廊

この回廊は、反体制派地域の市民が、政権軍側地域に脱出できるというものだ。反体制派地域の市民から見れば、「我々に投降するか、テロリストと一緒に死ぬか」という選択を突きつけられたことになった。
2016年7月30日、ロシアは「数十世帯が回廊を通って避難した」と発表したが、反体制派側は「避難できる状況にはなく、事実ではない」と反発した。
ロシア軍はアレッポ市街地への攻撃を続けた。同年10月には国連安保理で空爆停止を求める国連決議案の採決が行われたが、ロシアの拒否権発動で葬られた。
最終的に同年12月、政権軍とロシア軍の攻撃でアレッポの反体制派は撤退。政権側が瓦礫となった市街を再掌握した。ロシア軍の攻撃そのものは、同市の占領という軍事目的が果たされるまで、止まることはなかったのだ。
住民の多くは、アレッポからさらに北の反体制派地域に逃れた。

ウクライナでの最悪のシナリオ
アレッポの例から、人道回廊の創設には
・停戦とは無関係で、攻撃は止まらない
・国連や赤十字国際委員会(ICRC)など第三者の関与がなければ、その実態が分からない
・「逃げなかった者はテロリスト」という、市民攻撃を正当化する口実を与えかねない
・ロシアは国連安保理常任理事国として拒否権を持っており、国連で実効性のある決議が通る可能性は低い。
という問題があることが分かる。市民を守るためには、即時の停戦が一番有効なのだ。
今回のウクライナでの開設合意では、ICRCの関与を巡る協議が続いている模様だ。
ロシアは、今回の侵略の目的の一つに「ウクライナの非ナチ化」を掲げている。ゼレンスキー政権を一方的に「ファシスト」とみなし、「ファシストから解放する正義の闘い」と位置づけて侵略を正当化しているのだ。
となると今後、回廊の設置で「逃げたい市民はすでに逃げたのだから、残っているのはナチに自発的に協力するファシスト」、「ウクライナ側が市民を人間の盾にしているから攻撃して市民を解放する」と、ロシアが市街地攻撃を正当化する方便としてつかってくる危険性がある。
ウクライナで「回廊」は機能するか
人道回廊が、どの方角に向けて設置されるのかも重要な焦点だ。
例えば、ある都市で、親ロシアのベラルーシやロシア軍がすでに占領した地域に向けたルートが設定されるならば、これを通って逃れようとするウクライナ人の数は少なくなることが想定できる。
このまま攻撃されるか、敵軍が占領する地に向かうか、という究極の選択を迫られることになるからだ。
ロシアの狙いは、すでに透けて見えている。
ロシアのインタファクス通信は5日、ロシア軍が包囲したウクライナ東部の港湾都市マリウポリとなどの住民に向け、「5日午前10時(モスクワ時間)から人道回廊を開設し、ウクライナ側も同意した」という、ロシア国防省の発表を伝えた。
話が複雑になるのは、ここからだ。
両国の合意に基づいて5日、マリウポリから内陸のザポリージャに向かうルートが「回廊」として設定された。ウクライナ政府の掌握地域に避難するルートだ。
一方、ロシア軍は両国の回廊設置合意に先立つ3月2日、「マリウポリの市民は、東のシロキネに向かう街道を通って避難できる」と発表している。
シロキネはすでにロシア軍の占領下にあり、これはロシア軍占領地に向けて避難するルートだ。両国合意の前にロシアが一方的に設定した。このため、このルートに関する報道は、ロシア以外では少ない。
マリウポリに人道回廊は2つある
整理すると、マリウポリからの避難ルートは
・両国間合意に基づいてマリウポリの行政当局が発表した、北西のウクライナ政府掌握地域に向かうルート
・ロシア軍が一方的に設定した、東のロシア軍占領地域方面に向かうルート
の2つが存在する。
国際社会が注目しているのは、前者の北西ルートだ。

ロシア軍占領地に向けたルートで少数が避難
ロシア軍は5日、「84人のマリウポリ市民が、ドネツク人民共和国(DNR)に避難した」と発表した。
これは、ロシア軍が設定した東ルート経由での避難だ。
「84」という数は、マリウポリの人口(約40万人)を考えれば、異様なほど少ない。
DNRとは、ロシアが分離主義者を扇動してウクライナ領内を切り取って作ったロシア軍占領地域。ロシアは2月、DNRの独立を一方的に認め、「ドネツクの住民を守るため、地元の要請に基づいて平和維持活動に出兵した」と主張している。
「敵陣」に自ら入っていくことになるため、ほとんどの市民は東に向かおうとしなかったとみられる。
ウクライナ側には連日、避難できず
では、世界が注目する北西ルートはどうか。
このルートは3月5日には機能せず、避難者はいなかった。
ウクライナ側は「ロシアが停戦を守らないため、避難できない」のが理由としている。
ロシアも避難者がいないことは認めているが、理由は正反対だ。
ロシア・タス通信によると、ロシア国防省報道官は同日、「(ウクライナの)民族主義者が人間の盾として利用するため市民に脱出を許さなかった。マリウポリから脱出した市民は1人もいなかった。このため、攻撃を5日18時から再開した」と発表した。
さらに6日も、北西向け回廊は機能せず、マリウポリの人々は避難できなかった。
両国を赤十字国際委員会(ICRC)が仲介しているが、「相手が攻撃を止めないのが悪い」という非難の応酬が止まっておらず、本当の原因が何なのかは確認できない状況が続いている。
3月6日も回廊が機能しなかったことを発表する赤十字のツイート
People are living in terror in Mariupol, desperate for safety. Today’s attempt to start evacuating an estimated 200,000 people has failed. The failed attempts underscore the absence of a detailed and functioning agreement between parties to the conflict. #Ukraine Thread 👇
「マリウポリで人々は恐怖の中で暮らし、安全を求めている。推定20万人を救出する今日の試みは失敗した。それは紛争当事者間で詳細で機能する協定がないことを示している」
一方、3月6日の東ルートについては、ロシアのインタファックス通信が、ロシア軍占領地域に150人が避難したと伝えた。さらに、東に逃げる避難者2人が「民族主義者(ウクライナ政府)の手で射殺された」ともしている。
いずれも事実関係は確認できない。ロシアは政府と軍の意向に反する報道を禁じており、もし政府や軍が虚偽の発表をしても、それをロシアの報道機関が独自に検証することはできないからだ。
さらに、この記事は、これが両国間で合意したものとは別の避難ルートだということを説明していない。一読すると「(ウクライナ側への)回廊は開いているが、逃げたのは少数」「逃げる市民をウクライナ側が撃って阻止した」とも受け取れる、ミスリーディングな書き方になっている。
回廊は機能していない
マリウポリで3月5日と6日に起きたのは
・ごく少数が東ルートでロシア軍占領地に逃れたとロシア側報道
・西行きルートは機能せず、市民はウクライナ側に避難できない
・ロシア軍の攻撃は続いている
ということだ。
人道回廊は機能していない。2016年のアレッポと同じような状況だ。
「人道回廊の設置で合意」という報道を世界中で行わせて期待感を抱かせ、次に「ウクライナ側が原因で回廊が機能しない」と主張する。一方、ロシア国内向けには、ロシア軍占領地に逃れた人々の存在を報じ、「この戦争は侵略ではなく解放」というプロパガンダに利用するーー。
ロシアが、侵略を正当化するため続けている情報戦の道具として、回廊を使っている可能性すら出てくる。
本当の焦点は「即時停戦の実現」
「人道回廊」の設置は、確かに一筋の希望ではあるものの、本当に必要なのは即時の全面停戦とロシア軍の撤退だ。
それさえ実現すれば、これ以上の流血は避けられ、回廊そのものが不要となる。
今回の合意は、小さなステップに過ぎない。
いま必要なのは両国が交渉を続けること。国際社会が対話を促し、支え、停戦に向けて外交などあらゆる手を尽くすことだ。
アップデート
記事アップ後の事態の進展に合わせ、記事内容を更新しました。
残念ながら3月5日に続いて6日も、マリウポリの市民は避難できないままとなっています。