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「今でも男だと思っている」という父の言葉。彼女が “すっぴんの自分”で伝えたかったこと

設計事務所で働きながら、トランスジェンダー女性として講演活動などをしているサリー楓さん。ドキュメンタリー映画の撮影のために、父と初めて自身のジェンダーについて話した瞬間を振り返った。

設計事務所で働きながら、トランスジェンダー女性として講演活動などをしているサリー楓さんの生活を記録したドキュメンタリー「You Decide.(邦題:息子のままで、女子になる)」が8月29日、ロサンゼルス・ダイバーシティ・フィルムフェスティバルでベストドキュメンタリー賞を受賞した。

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小学生の頃から自分の性別に違和感を感じていた楓さんは、大学在学中に「これからの人生は女性として生きていく」と決断した。

映画は、彼女が就職して社会に出る前の最後の数カ月に密着。「誰かのロールモデルになりたい」と国際的なビューティーコンテストに挑戦したり、これまで避けてきた家族との対話に臨んだりしながら、「自分らしく生きる」ためにもがく楓さんの姿を追いかける。

特に「今でも男だと思っている」と語る父親との対面シーンは、あまりの緊張感にひりひりと痛みを感じるほど。「こんなに見ているのが苦痛な映画もなかなかありませんよね」と笑う楓さんに、映画を通じて伝えたい思いを聞いた。

両親に出演を頼むシーンから

「私は女性であるよりも、男性であるよりも、トランスジェンダーであるよりも、何よりも、自分なので」 20歳ごろまで男性として生活し、大学在学中に女性として生活を始めたサリー楓さん。「トランスジェンダー」という言葉が持つイメージを超えて、一人ひとりの多様さに目を向けてほしいと語ります。

ーー映画は、楓さんがお母さんに電話をかけて、ドキュメンタリーを撮影しているので、ご両親にも出演してほしいと頼む場面から始まります。

出てくれると聞いて、私もびっくりしました。絶対やだって言われると思っていたので(笑)

それまで父とはあまり話せていなかったんですよ。用事があるときは、なんとなく母を通して話していたくらいで。

でも、この映画を撮ることが決まった時に、映画では等身大の自分でなんでもやるしかないなと思っていたので、初めて父とジェンダーに関する話もしました。

ーー映画の中でも「最初は親が死ぬまでは(性別に違和感を感じていることを)隠し通そうと思っていた」と話していましたね。実際にカメラの前で話してみてどうでしたか?

「今でも男だと思っている」と言われたその言葉自体は、少しショックでした。

でもカメラの前だからって「娘だもんね」「うちはオープンマインドだから」と体裁を繕われるよりは、はっきり父の意見を言われてホッとしました。

初めて話すので、すぐに理解し合えるわけではないし、私も父の考えが初めてわかった瞬間でもありました。

映画に出ないという選択肢もあった中、父が堂々と出てきて、自分にはちょっと理解できない部分もあると話してくれたのはすごいことだと思っています。

こうした家族に対するカミングアウトの瞬間の緊張感って、当事者の人の多くが経験していると思うんですが、その瞬間がちょうどカメラに収められていてたというのが奇跡的だなと思っていて。

映画を通じて、視聴者もその瞬間に立ち会うことができると思います。

薬を飲むのも飲まないのも怖かった

ーー楓さんは大学在学中に、男性から女性へ性別移行を始めたんですよね。どのような過程を経て、女性として生活を始めたのでしょうか?

順当に行くんだったら、まずは専門の医療機関に通院して、GID(性同一性障害)の診断書をもらい、ホルモン治療を始めることになります。

すると、段々体つきが変わってくるので、それに合わせて服装を変えたり、人によっては手術を受けて、戸籍上の性別も変更したりする流れになるかと思います。

でも私の場合は、もう手当たり次第にやったので、そこらへんの順番がぐちゃぐちゃで。

診断書をもらうのに数カ月~1年ほどかかると言われているのですが、その時間も待てなかったんです。だから、自分でホルモン剤を個人輸入して飲み始めました。

でも診断書もないのに、薬を飲んでることが怖くなって、やめて。やめたらやめたでヒゲがまた生えてくるのが怖くなって、また飲んで…ということをしばらく繰り返していました。

でも体つきが変わっても、服装を女性ものにしても、診断書がないとトイレに入るのが怖いんですよ。自分は女性用トイレを使う必要があるんだということを示せるものがないので。

「誰でもトイレ」がない場所も結構あるので、その不便さや怖さが限界になって結局、診断書を取得して、病院でのホルモン治療を始めることにしました。

「名前はなんて呼べばいいの?」

初めて女性として学校に行ったのは、20歳か21歳のころだったかなと思います。それまでは服装を変える勇気がなくて、悟られないようにわざとジャケットを買って着たりしていました。

でも、その時はもう、夏休みが明けたらいきなり女子で行ってみたいなと思って、休み中にメイクとか練習して行ったんです。

何も知らない人からしたら、それって「女装」じゃないですか。だから、面白がられるかなとか思ってたんですけど、意外となんか普通で。

「おっ、今日はかわい子ちゃんなんだね」って先生に言われて終わりました(笑)

周りの学生も特に驚きもせず、すぐに「名前はなんて呼べばいいの?」と言われて、なんて話が早いんだ!と思いました。

世代ごとに役割がある

ーー映画では、楓さんが挑戦した「ミス・インターナショナル・クイーン」でグランプリに輝いた経験のあるはるな愛さんや、女性的な所作や発声法などを教える「乙女塾」を運営している西原さつきさんも登場しています。

初めてメイクしてくれたのが、さつきさんだったんです。その時はまだ、見た目は全然男子だった中、「気持ちから女の子にならないと!」と言ってくれたり、とても影響を受けました。

はるなさんのすごいところは、まだ女性として生きる男性が「怖い」「不気味で危険な存在」だというイメージが強かった時代に、いわゆる「おかまちゃん」キャラで世間に出ていき、自分たちは無害だよということを、自分をちょっと下げながらも達成したことだと思っています。

はるなさんは、「ニューハーフ」の人は危害を与えないという価値観を作った人だと思うんです。

そうしたキャラは必ずしも、他の当事者が自分を重ねられるようなロールモデルではなかったかもしれません。でも、当時は世間の信頼を得ることが全てで、「気持ち悪がられない」ということがミッションだったと思うんですよね。

さつきさんも「乙女塾」でご自身の価値観を作って、トランスジェンダーも女性と同じように生きていくんだ、そのために努力をするということを発信されてきたと思います。

そんな風に世代ごとになんとなく「役割」があって、面白おかしくて親しみやすい「おかまちゃん」の像と、女性に馴染んでいく憧れの「読者モデル」みたいな像があったなか、今は「生活者」としてのトランスジェンダーの像が必要とされているんじゃないかなと思っています。

普通に山手線に乗っていたり、そこらへんの居酒屋で上司の悪口を言っていたりする、会社に一人はいそうな存在として、感じてもらう必要があるんじゃないかなと。

トランスジェンダーはみなさんの生活の中に遍在しているし、どこにでもいます。会社の中にもいるし、クラスの中にもいるし、電車の中にもいる。

勉強が好きな人もいれば、嫌いな人もいるし、寝坊する人もいれば、寝坊しない人もいるし、私みたいに時には成功して、時には失敗して、普通に泣いて、普通に笑って、毎日ご飯食べて、仕事して、意外とそこらへんにいる人です。

すっぴんの自分だからこそ

ーー映画でも、楓さんがパジャマ姿で友だちと喋っている様子や、就職してから働いている風景など、言ってみれば「たわいもない」日常も多く映っていますね。

結局、日常を映すということはそういうことで、私の鈍くさいところも全部映っていますよね。

普段ニュース番組や講演会に出ている時は、ちゃんとスーツを着て、メイクもバッチリして、“ちゃんとした人間”っぽくして出ているんですよ。

でもこの映画は、すっぴんとかパジャマで仕事している姿ばっかり写っているので、自分からしたら見るに耐えないです(笑)自分が装いたい自分とは違いますよね。

でも、それでよかったんじゃないかなって思っています。メイクバッチリでキメている自分ではなく、すっぴんの自分じゃなかったら、私が伝えたいメッセージも伝わらなかったと思います。それは自信がありますね。


サリー楓 1993年京都生まれ。8歳から建築家を目指し、慶應義塾大学大学院を修了後、日建設計でコンサル業務などを手がける。20歳ごろまで男性として生活していたが、現在は女性として講演活動やモデル活動を行なっている。