同性同士の結婚を認めない現行の制度は「憲法に反している」として、全国各地の同性カップルが一斉に国を訴えた「結婚の自由をすべての人に」訴訟。
提訴から2年が経過し、各地で審理が大詰めを迎えている。
2月24日、東京地裁では第6回期日が開かれた。この日、裁判所に足を運んだ原告や弁護団、支援者たちの多くが、胸の内である一人の男性を思い浮かべていたに違いない。
原告の一人で、今年1月に急逝した佐藤郁夫さんだ。
死ぬまでに「夫夫」に
佐藤さんは15年以上、生活を共にしてきたパートナー、よしさんと一緒に原告団に加わった。
自分がゲイだと気づいたのは、中学生の頃。38歳のときにHIVに感染していることを知り、HIV陽性者を支援するNPO法人「ぷれいす東京」で、当事者の悩みに答える活動を支えてきた。
2019年4月の第1回口頭弁論で意見陳述した際には、こんな願いを口にしていた。
「私はHIV以外にも病気を抱えており、寿命はあと10年あるかどうかだろうと覚悟しています。死ぬまでの間に、パートナーと法律的にきちんと結婚し、本当の意味での夫夫(ふうふ)になれれば、これに過ぎる喜びはありません」
その願いはついぞ、叶わなかった。
同じく原告の、ただしさんは「これから先も一緒に乗り越えていって、若い世代に選択肢を勝ち取ろうという話をしていたので、いまだにちょっと信じられない」と話す。
最期の瞬間を共に
ぷれいす東京の発表によると、佐藤さんは1月4日、帰宅途中に倒れ、脳出血との診断を受けて入院した。その後、18日に容体が急変し、その日のうちに息を引き取った。
入院する際、パートナーのよしさんは病院から「血縁者にしか病状は説明できない」と言われ、容体が急変した時も、佐藤さんの肉親にしか連絡が行かなかった。
日本では同性カップルの結婚が認められていないため、同性パートナーと法律上の家族になることができない。命に関わる重要な局面で、医療機関に「家族」として扱ってもらえないケースも少なくない。
よしさんの場合も、佐藤さんの妹が連絡していなければ、人生を共に歩んできたパートナーの最期の瞬間に立ち会うこともできなかったかもしれない。
「佐藤さんは人前結婚式を挙げ、家族にもパートナーを紹介して、繋がりを築いていた。彼はあらゆる手を尽くしていたんですよね」と、ぷれいす東京代表の生島嗣さんは言う。
「でも、もしその繋がりがなかったら。やはり社会が変わって、制度が変わらないと、守られない人権があると実感しました。だからこそ、この裁判が道を切り開くと切に願っています」
「本人尋問」の機会を奪わないで
今後、各地で裁判は大詰めを迎えることとなる。3月17日には札幌地裁で、全国初の判決が開かれる。
東京地裁では、原告の思いを直接、法廷で聞く「本人尋問」を実施する必要はないという方針を裁判所が示し、原告側が抗議を続けている。
2月24日の期日に先立ち、原告側は「『本人尋問』の機会を奪わないでください」と訴える約1万8千筆の署名と、支援者などから裁判長に宛てた手紙を東京地裁に提出した。
「改めて、私たちはみな限りある人生を、本当に一瞬一瞬が大切なはずの人生を生きていて、それがどんどん過ぎているということを思い知らされた」。弁護団の中川重徳弁護士はそう語る。
「国会では、首相が『(同性婚は)我が国の家族のあり方の根幹に関わることなので、極めて慎重な検討をする必要がある』と言っていました。でも、本当に一瞬一瞬の大切な時間が過ぎているんだということを、考えていただきたいと強く思っています」
佐藤さん亡き後も、パートナーのよしさんはその遺志を継いで、原告を続ける方針だという。