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「兄が生きたかもしれない世の中」が見たいから。社会を動かしたある事件の遺族が、きょう願うこと

一橋大学アウティング事件の控訴審判決が11月25日、東京高裁で言い渡される。事件から5年あまり。遺族はどのような思いでこの日を迎えるのか。

毎年、兄の命日がめぐってくると、妹は「あの日」に戻ったような心地になる。

「兄を亡くした日、自分の心に空いた穴を、再確認するんです」

兄とは、ゲイであることを同級生にアウティング(暴露)され、キャンパス内の建物から転落死した一橋大学法科大学院の学生(当時25)だ。

学生が受けたアウティング被害について把握していながら、その重大性を認識せず、適切な対応を怠ったとして、遺族が一橋大学を訴えた裁判の控訴審判決が11月25日、東京高裁で言い渡される。

事件から5年あまり。遺族はどのような思いでこの日を迎えるのか。BuzzFeed Newsは、亡くなった学生の両親と妹にこれまでの思いを聞いた。

アウティングは「人間関係を破壊する行為」

事件が起きたのは、2015年8月24日。裁判資料などによると、一橋大学のロースクールに通っていた学生は、キャンパス内の建物から転落し、搬送先の病院で亡くなった。

その2カ月前、学生は同級生約10人が参加していたLINEグループで、ゲイであることを暴露された。「おれもうおまえがゲイであることを隠しておくのムリだ。ごめん」と送信したのは、学生が以前に好意を寄せ、気持ちを告白した相手だった。

一部の限られた人にしか自身のセクシュアリティを伝えていなかった学生は、アウティングを機に心身に不調を来し、心療内科への通院を始めた。一橋大学のハラスメント相談室や教授などにも、被害を相談していた。

「性的指向という非常にデリケートなことを暴露するアウティングは、本人にとっては周囲との人間関係を破壊する行為になる」と、遺族側代理人の南和行弁護士は指摘する。

何を、誰を、信じればいいのか。

「自分を支える石垣が崩れて、立つ場所がなくなってしまったような状況だったと思うんです」。学生の父親は、当時の息子の心境に、そう思いを巡らせる。

性的指向を「攻撃の武器」に

学生は生前、家族にもカミングアウトしていなかった。

母親は、息子が小さい頃から「つらいことがあったら言いなさいね、そしたらつらいことが半分になるから。楽しいことも言ってね、楽しいことが倍になるから」と言い聞かせてきた。

「でも、やっぱり性的指向というナイーブなところでは、そんな単純な問題じゃなかったんだろうな、と。親には言えなかったんだな、と思います」

もしも話してくれていたら。母親の胸にはそんな後悔が重くのしかかる。

一方で、学生は「同性愛を苦にして」死を選んだわけではないと、母親は信じている。

学生のパソコンに残されていた遺書には「僕はなにも恥ずかしいこと・行動をしていません。SNSで暴露されるようなことなのか疑問で仕方ありません」と書かれていた。

高校時代にも好きな男性に想いを告白した経験があった。その相手とは、その後も親友として深い友情を築き、事件後も悲しみに打ちひしがれる家族のことを気にかけてくれた。

「息子はあの時、友達の中に性的マイノリティの人をよく思っていない、『生理的に受け付けない』と言う人がいたので、自分のタイミングでカミングアウトしたかったんだと思うんですよね」と母親は言う。

「それが、急に自分のタイミングでないところで暴露されてしまって、本当にショックだっただろうし、自分の性的指向を『攻撃のための武器』にされて、大変傷ついたんだと思います」

「兄が生きたかもしれない世の中」を目指して

一橋大学を相手取った裁判では、大学側がアウティング行為の重大性を理解せず、安全配慮義務を怠ったと主張した。大学側は、対応に不備はなく、学生の行動を事前に予測して防止することはできなかったと反論した。

一審の東京地裁(鈴木正紀裁判長)で、遺族側の訴えは棄却された。

控訴審の和解協議では、大学側からの謝罪や解決金は求めずに、学生や教職員を対象とした「性的少数者の人権尊重に関する啓発や研修などの取り組みに努め」ることや、具体的な再発防止策を講じることだけを求める和解案を提案した。

しかし、学生の家族と代理人弁護士によると、一橋大学側はこの和解案を受け入れなかったという。

BuzzFeed Newsは一橋大学に、和解に応じなかった理由や、学内におけるLGBTQに関する研修や再発防止策の実施状況などを問い合わせたが、期限までに回答はなかった。

学生の妹は「この裁判で最終的に何を求めたいか考えたとき、それは二度と同じような悲劇が起こらないことでした。兄が生きたかもしれない世の中に近づくことでした」と話す。

社会の変化を、生きて、確かめてほしかった

事実、事件から5年の月日が経つなか、社会は少しずつ前進してきた。

2018年には、一橋大学のキャンパスがある国立市で、アウティング禁止を盛り込んだ条例が施行された。

筑波大学は、2018年に改訂したガイドラインにこう明記した。

「(アウティングは)本人の尊厳を深く傷つけるだけでなく、意識的な・無意識的な差別を背景として当事者に大きな精神的苦痛を与えます」

「こうしたアウティングは、自死(自殺)といった最悪の結果を招きかねません。故意や悪意によるアウティングに対して、本学はハラスメントとして対処します」

2020年6月に施行された改正労働施策総合推進法、通称「パワハラ防止法」でも、アウティング防止策を講じることが事業者に義務付けられた。

学生の死がこうした社会変革のきっかけになったことは、家族にとって唯一の救いだ。しかし、そうやって社会が変わっていく様を、生きて、自分自身で確かめてほしかったと母親は語る。

「今までの裁判は、いつも息子に『これはあなたの裁判だよ』と声をかけてきました。でも、本当だったら自分で闘って、こうして世の中がこんなにも変わってきているのを自分の目で、耳て、身体で確かめてほしかったな、と」

「見ず知らずの人が行動に移して、セクシュアルマイノリティの人が生きやすい社会にするように、色々活動してくださっているのを、生きて、見てほしかったな、と」

彼は、人懐こく、誰に対しても親身だった。とにかく好奇心旺盛で、文化祭や体育祭などのイベントごとが大好きな「お祭り男」。遺影には、スカイダイビングをしたり、アメリカの壮大な自然を背景に笑ってみせたりする姿が焼き付けられている。

何でも率先して挑戦していた息子は、もしかしたら、生き急いでいたのかもしれない。母親はいま、そんな思いを胸に抱く。

「その人の知られたくないようなことを、その人のタイミングではなく暴露してしまうこと。アウティングは、人ひとりを殺してしまうほどの恐ろしいことです。それを踏まえて、発言、行動してほしいなと思っています」

判決は11月25日午後、東京高裁で言い渡される。