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一橋大学が迎えた「4度目の命日」

同級生にゲイだと暴露された一橋大ロースクールの学生が、転落死した「一橋大アウティング事件」から4年。事件の記憶を繋ぎとめようと、今年も花が手向けられている。

一橋大学国立キャンパスに、「マーキュリータワー」という建物がある。

木々に囲まれ、院生の研究室やロースクールの教室などが集うこの建物の外、西側の側壁に、8月24日から献花台が設けられている。

8月24日は「一橋大アウティング事件」で亡くなった学生の命日。

ここは、事件が起きた現場だ。

同級生がゲイだと暴露

事件が起きたのは4年前。一橋大学のロースクールに通っていた学生(当時25)が、同級生にゲイだと暴露されたことで心身に不調を来し、マーキュリータワーの6階から転落死した。

学生は事件前から、教授や大学のハラスメント相談室に被害やその後の症状について相談をしていた。だが、事件は起きた。

遺族はアウティング(本人の同意を得ずに、他人のセクシュアリティを暴露する行為)の重大性を理解せずに、適切な対応を怠ったとして、2016年3月に大学側を提訴。

一審の東京地裁(鈴木正紀裁判長)は今年2月、原告側の請求を棄却したが、遺族が控訴し、係争が続いている。

8月24日に花を

事件後、命日が近づくたびに、有志の学生が大学で献花を呼びかけてきた。

今年その役目を引き継いだのは、この春、同大院に入学した本田恒平さん(24)だ。

本田さんは、国立市で生まれ育った。

事件が起きたときは、大学2年生。別の大学に通っていたが、中学生の頃から公園のように遊びに行く場所だった一橋での出来事とあって、もちろん事件のことは知っていた。

だが、事件が自分の生活から切り離せない身近な問題となったのは、一橋を修士課程の進学先として考え始めた大学4年のときだ。

高校時代から親しくしていた友人に進路相談をした際に、「あの事件で亡くなったの、実はうちの兄なんだよね」と打ち明けられた。

それまでは、この友人に兄がいたことも知らなかった。

友人は、本田さんが普段から性的マイノリティに関する情報をSNSなどに投稿しているのを見て、「きっと偏見なく話を聞いてくれるだろうと思った」という。

「彼女からしたら、自分の兄が亡くなった大学に知り合いが進学するのは、複雑な心境だったと思うんですけど、それでも頑張ってと言ってくれて」

「僕は、であればなおさら自分が一橋に進学して、何かできることを探さないといけないと思うようになりました。使命感のような。彼女も『そうしてくれたら嬉しい』と」

献花台は、その最初の一歩でもある。

事件を「忘れ去りたい」のか

一橋アウティング事件は、セクシュアリティを暴露する行為の重大性を広く知らしめ、国立市が全国で初めて「アウティング禁止」を盛り込んだ条例を制定する契機にもなった。

だが、4度目の命日を迎えたいま、事件が起きたキャンパスでも、その記憶は薄れつつある。

その背景には、事件における責任を否定し、事件を「忘れ去りたいもの」と考えているかのような大学側の姿勢があると、本田さんは言う。

本田さんは当初、献花台をマーキュリータワーのエントランス内に設けていた。

学生支援課に設置を届け出る際も、場所は「マーキュリータワーの前」とのみ記載した。より多くの学生の目に止まることが重要だからだ。

ところが、設置3日目に同課の職員に呼び出され、「建物内にあると大学主催のものだと誤解される」と、外へ移動するよう指示されたという。

せめてエントランス外の屋根がある場所で、と交渉してみたものの、「そこだとちょっと人目につくので…」と言われ、建物西側へ移すことになった。

移動後の献花台の場所を知らせる張り紙も、「密やかな献花という趣旨を踏まえて」撤去された。

大学広報はBuzzFeed Newsの取材に、昨年と一昨年の献花が、建物西側の屋外で行われていたことから、「今年も同じ場所でやるという認識の上で、届け出を受けていた」と話す。

「移動後の場所でなければ、届け出を受理しなかったというわけではないが、お互いの認識に齟齬があったため移動をお願いした」と説明した。

本田さんは「側から見れば、献花台の場所をめぐるやり取りは、些細で稚拙なものに見えるかもしれませんが、大学の体質を象徴するものだと思います」と話す。

「本来は、大学に所属している人が一丸となって、この問題を忘れずに、議論を継続させるよう努力しなきゃいけないはず。それを人目につかないところに追いやったり、腫れ物に触るかのように取り扱ったりしている」

「学生の人権を優先するよりも、大学の不利益にならないように、各々が暗黙の了解で動いているんです。このままでは、事件のようなことが、もう一度起こりかねない状況だと感じます。今の一橋大学は」

忘れられることが、一番悲しい

命日の当日には、事件で亡くなった学生の両親も、献花台を訪れている。

息子を失った悲しみで、これまではキャンパスに足を踏み入れることができなかった。今年は行けるところまで行ってみようと、卒業生らとともに一橋の門をくぐった。

献花台を前に泣き崩れた母親はその時、「忘れられることが一番悲しい」と言った。だから、できればずっと献花を続けてほしい、と。

本田さんは言う。

「事件が起きた時、一年生だった人はすでに卒業しています。ほとんどの学生が大学で事件があったことを、直接的には知らない状態です。その中で、今後どうやって忘却されずに、考え続けることができるかが問われています」

「人権問題であることはもちろん、大学での生活は一人ひとりの等身大の生活に関わることですよね。いざとなった時に大学が守ってくれない。そういう場所でいいのかと、問い直したいと思っています」

献花台は9月1日の朝に撤去する。寄せられた手紙やメッセージは、本田さんが遺族へ届けるという。