「ガチで泣くやつ」「刺さった」「文学でした」――。

暴力とも子さんの漫画『VRおじさんの初恋』はTwitterを中心に大きな反響を呼び、メディアプラットフォームのnoteが4つのウェブメディアと共同開催したコンテストで「BuzzFeed賞」を受賞した。
ロストジェネレーション世代の暴力さんは、兼業で細々と漫画を描き続けてきた自身を「負けた側の人間」と評し、「元気のない話」をやりたかったと語る。
暴力さんが物語に託した、ロスジェネの「悲しみ」と「プライド」とは。
ロスジェネの話を描きたい

――作者とキャラクターを重ね合わせるのは安直で無粋だと承知のうえで、あえてお伺いしますが、暴力さん自身のペルソナが主人公の直樹に投影されている部分はありますか?
あると思います。イコールではないですが。どこか寂しい場所を探したがるところは、自分も割とありますね。
あとはやっぱりロスジェネの話を描きたいという部分で、自分がそれぐらいの世代だということが強く働いた気がします。社会に対しての諦念が非常に強いので。
自分はその中でギリギリなんとかやろうという気持ちがありますけど、直樹はさらに絶望が深い。自分の思考の延長線上にいるキャラという感じはしています。
コメディーを面白がれるか

――そもそもなぜ、ロスジェネを描きたいと考えたのでしょうか。
ひとつには、そういう作品が市場にあまりないな、という感覚がありました。「面白い話になりようがないからないんだよ」って言われたら、そうなんですけど。
ロスジェネってすごく漫画を読んできたし、ゲームもやってきた世代なのに、ロスジェネ自体を題材にはしづらい面がある。されたとしても、どうしてもギャグになるんですよね。
それ自体はダメなことではないし、コメディーの力を借りてみんなが楽しめるような作品になっているドラマなどもあります。
ただ、自分の人生をあきらめてしまうような感覚がカケラでもある人にとって、そういうものを面白がれるか?っていうと微妙だと思うんですよ。
「元気のない話」をやりたかった

――ロスジェネの人自身があまり感情移入できないと。
少なくとも自分の世代みたいに「ハズレくじだよな」と考えている人にとっては、コメディーに乗せたロスジェネの描き方っていうのは、基本的に全部「他人事」なんです。
もっと嫌な言い方をすると、「道具」「舞台装置」として使われているだけ、みたいな感じもあって。その状況自体があまりにも寂し過ぎるなと。
世代の本質をそのまま描くことが、必ずしも娯楽として正しいわけではない。けれども、ロスジェネの感じている悲しさを描いた作品が見当たらないな、という思いはありました。
ちょっと言い方が変かもしれないですけど、「元気のない話」をやりたかったんですよ。
――というと?
本当に元気がない時に元気がある人を見るとすげえ疲れる、みたいなことってあると思うんです。
「みっともなくても、あがいていけばいいことあるんだ!」というポジティブなメッセージを聞いて、ロスジェネ世代が「よし、頑張ろう」となるかっていうと、多分ならないんじゃないか。
だから元気のないものを見て、ちょっと癒やされてほしいなと。
「めでたし、めでたし」ではない

――確かに、わかりやすいハッピーエンドではないですよね。
ないです。
読んだ方を嫌な気持ちにさせたい作品ではないし、残るものがありつつも、いい気持ちで終われるようにしようとは考えていました。
とはいえ別に、「めでたし、めでたし」っていう話ではないし。現実に戻ったらいいことがあるよ、みたいなことは一言も言ってないつもりです。
――何なら直樹とホナミがVR世界で心中してしまった…という読み方だって、できなくはないし。
そうですね。VRの世界の2人が心中っぽく見えるっていうのは、本当にそういう狙いもちょっとあって。
どう読んでもいいようなお話にはしたつもりなんですけど、世界に過剰な期待をしている作品ではまったくない。すごく冷めたところがある作品だと思っています。
「失敗」扱いのつらさ

――やはり暴力さん自身に、現実への強い諦念がある?
感情としては間違いなくあります。そう思うに至る理由として一番大きかったのが、国がロスジェネ世代を「人生再設計第一世代」と呼び始めたこと。
そう言われた時に、ああ私たちは国的に「失敗」扱いなのかと。「再設計」ということは一度、失敗してるってことなわけで。
前向きさのある「再設計」という言葉を選んだのは、戦略としてはうまいのかもしれない。でも正直、ただただ社会のマイナスを押し付けられたように感じられて…あまりにつらすぎるなって。
IT企業に勤めていたこともあるのですが、IT系って会社によっては体育会系のところもあって。「私たちがやらなきゃ誰がやるんだ!」みたいな。あるいは、すごくブラックだったり。
――納期死守の「デスマーチ」とか。
そうです。私自身はまあまあ、それをくぐってきた側の人間なので、「言うても自己責任だし、やらなきゃ死ぬし」っていう、割り切った考えを持ってはいたんです。
だけど、「人生再設計第一世代」の話が出てきた時に、国にまでそう言われるとちょっと…と思ってしまった。「えっ、ええ?」みたいな。我々の世代って何なんだろうと。
くすぶり続けた日々

――noteに公開された文章で、ご自身のことを「マスに届かない、メジャーを作れない、そういうしんどさと戦いつつ、負けた側の人間です」と書かれていたのが印象的でした。
長年、漫画を描いてきましたが、くすぶり続けたまま、とうとうメジャーな感覚を得られなかった。そういう思いが強くあります。
過去に描いた作品も、自分でもやや奇をてらい過ぎだと思いますし。何をもって敗北かって主観でしかないんですけど、強いて言うなら、いったん「負けた」と言ってもいいだろうと。
仕事をしながら、二足のわらじで合間に漫画を描いて。自分も含めて漫画を描くような人たちは夢やロマンを求める人が多いと思うんですけど、私はそうはなれなかった。
ギリギリの救い

――直樹も「負け」を抱えて生きてきたキャラクターとして造形されています。
そうですね。でも、最終的には「別にあきらめてない」っていうところが、ギリギリ救いかなと思ってるんですね。
自分の境遇に関しても、確かに「成功した」っていう話でもなければ、「これからいいことあるよ」っていう話でもないんですけど、「死ぬしかない」とも言ってないっていう。
ロスジェネが絶望して死ぬ話っていうのは、マイナー作品とかでもちょこちょこあるシチュエーションです。
ひどい目に遭うところを見て、ちょっと気持ちがリセットされる。露悪的な意味での救いはあるのかもしれないし、娯楽としてはひとつの正しい形だと思います。
意外と滅亡しない

世界の滅亡後を描くポスト・アポカリプス系の作品とかも、第三者として見る分にはすごく好きなんですけど、個人的にはあんまり納得できなくて。
どこかで「そんなことない」と思ってるんですよ。意外と滅亡しないっていうか。
ロスジェネの絶望ってそういうことじゃなくて、社会はまあまあ何とかやってるのに、自分たちだけが違う――。そういう悲しさだよって。
「負けた側の人間」って自分で言ってますけど、「負けた」って言えることがギリギリのプライドというか。
状況的に「負けてない」とは言えないんですよ。ただ、少なくとも「負けた」っていうことを認識して、ギリ生きてるぞと。
いいことがある、とは言わないが

――諦念や絶望を飼い慣らす、首の皮一枚のプライド。いいですね。
さらに作品に重ね合わせるなら、直樹はあんな感じだし、ホナミも結構重めの病気を患っている。
この先どのくらい生きられるか、あえてボカしてはいますが、めちゃくちゃ長生きするという感じではないでしょう。
『VRおじさんの初恋』は、そこをきちんと見てるからなっていうのを、ギリギリの落としどころにしています。
「いいことがある」とは言わないけれど、「悪いことがある」とも言わない。そこを死守することに、プライドを置いているというか。
男女逆転版に意欲

――入り口は「ロスジェネ」でも、作品の持つメッセージ自体は世代にかかわらず普遍的なものがあると感じました。
初めから狙っていたわけではないですが、そういう風におっしゃってくださる読者さんもいて、すごくありがたいです。
掘っていくうちに、結果的に「生き方とは」みたいなところにつながっていく。そう受け取ってもらえたなら、よかったなって。
――今後、描いてみたい作品は。
VRを使った話をもう一度やりたいですね。今度はできれば、女性を主人公にしたい。
『VRおじさんの初恋』は、男性が女性の見た目を借りることで弱音を吐き出せるようになる、という要素がひとつありました。
それは、自分とは別の性を手に入れることで、ちょっと違う感情のアウトプットができるようになる、ということなんですけど。
では女性が男性の姿を借りた時に、それがどう変化するのか? 今回と真逆のアプローチで形にできればと。
恐らく、かなり雰囲気の違う話になるんじゃないかなと思っています。
