「死ぬ時はDJブースか、調理場で」。岩室純子さんは冗談めかして言う。
1935年生まれの83歳。東京・高田馬場で老舗中華料理店「餃子荘ムロ」を営むかたわら、夜が深まるとクラブイベントでDJをしてダンスフロアを沸かせる。
「最高齢のプロフェッショナル・クラブDJ」として、今年ギネス世界記録にも認定された。
何かを始めるのに、遅すぎることなんてない――。変化を恐れない超遅咲きDJの生き方は、そう教えてくれる。
DJも料理も一緒
本名の「純」と「岩」からとって、DJネームはSUMIROCK。エプロンを脱ぎ、サングラスとキャップをつければ、「餃子店のおかみさん」から「異色のDJ」へ様変わりする。
フランス人の友人の誘いで、70代でクラブイベントに顔を出すようになった。「DJもやってみたら?」と勧められ、DJスクールに通い始めたのは77歳を過ぎてからだ。
「DJも調理も、結果が出るのが早い。お客さんの顔を見ればわかります。おいしい料理を出せばニコッとしてくださるし、音楽がよければ踊ってくださる」
SUMIROCKとしての活動は国内外のメディアで報じられ、いくつかのCMにも出演した。が、当人は至ってマイペース。ギネス認定を受けても、舞い上がることはない。
「ギネスはとってもありがたい。でも、年齢ですからね。お客さまから『DJ良かったよ』って言われるとうれしいですけど、年だからかな?と思っちゃう。DJの先生にも、年で有名になるんじゃなくて、プレイで評判になりたいって言ってるんです」
最初は必ずあの曲
ナット・キング・コールのジャズ、セルジュ・ゲンズブールのシャンソン、ダフト・パンクのダンスミュージック…。
世代もジャンルも関係ない。変幻自在な選曲で、孫ほども年の離れた若者たちを熱狂させる。ただ、冒頭でかける曲だけは「鉄腕アトム」と決めている。
アトムは高田馬場で生まれた設定で、手塚プロダクションも本社を置く。この地に生まれ、父の代から店を構えてきた純子さんにとって、親しみ深い存在だ。
「高田馬場に敬意を表して。私が生まれたところだし、たぶん死ぬところだし」
父はジャズメン
父親はジャズドラマー。ダンスホールや映画の劇伴などで演奏し、羽振りは良かった。
ところが太平洋戦争が始まると、ジャズは一転「敵性音楽」に。松竹歌劇団の仕事に携わり、戦地への慰問に赴く一方、大日本飛行協会でも働いた。
「特攻隊の募集をかける仕事もしていて、後にずっと悩んでいました。妻子を養うために懸命だったんだと思います」
子ども心にも、戦時下の空気の変化を肌身に感じていた。祖母は百貨店の外商が来るたび、おしゃれな洋服を買い与えてくれたが、「ぜいたくは敵だ」のご時世にはそうもいかない。
「前は綿のボイルだとかウールだとか、いい生地のワンピースを買ってくれてたんです。でも、ボテボテのスフ(ステープルファイバー)の服とかしか手に入らなくなっちゃって…。それが一番嫌でしたね」
焼けてしまった宝箱
空襲を受け、当時住んでいた東中野の家は全焼した。父は曽祖母を大八車に乗せ、病気の祖母らとともに命からがら避難させた。
米や布団は、焼けないように防空壕に埋める。10歳の純子さんも米にトタンをかぶせ、土をかけるのを手伝った。
けれど、トタンの下に退避できたのは最低限の生活必需品だけ。家に置いてあった「宝箱」は焼けてしまった。
「おばあさんにもらった香水の瓶だとか、かわいいものを入れてあった手箱が全部燃えちゃったの。洋服の時と一緒で悲しかった。私って物欲が強いのかな」
生きてさえいれば
空襲後、転居した下井草で祖母と曽祖母が相次いで亡くなった。父も肺炎でげっそりと痩せこけてしまった。
玉音放送を聴き、母は泣いていた。終戦を喜ぶ大人もいたが、純子さんは死を覚悟したという。
「日本は戦争に負けた。負けたらみんな殺される。どうすれば一番楽に死ねるかな」
しばらくは恐怖が消えなかった。だからこそ、平和への思いはひとしおだ。
何があっても怖くない。生きてさえいれば、なんだってできる。戦火に翻弄された少女は、そんな思いを強く抱いた。
あっという間の64年
父の療養も兼ね、戦後2年ほどは母の実家の北海道で過ごした。
体調が回復し、再び高田馬場に戻った父は芸能事務所を開業、進駐軍相手の仕事を始める。ムッシュかまやつの父・ティーブ釜萢や、森山良子の父・森山久、平原綾香の祖父・平原勉とも交流があったという。
それなりに儲かってはいたが、次第に米兵が減り、ほかの芸能事務所も勃興してくるなかで、「日本一になれないから」と父は事務所をたたむことを決める。
そして1954年に開店したのが、「餃子荘ムロ」だ。
高校を卒業した純子さんは英会話やタイピングなどを学び、商社に就職した。昼間は会社で働き、夜はムロを手伝う日々。繁盛してきたこともあり、やがてムロの方に専念するようになった。今年で営業64年を迎える。
「60何年なんてあっという間。DJよりもずっと長くやってますから、ムロの仕事の方にギネスがほしいぐらいです(笑)」
縁談をはねつけた理由
「いいお話があるうちにお嫁に行った方がいいわよ」
「結婚しないもん!」
若いころ、母親から度々縁談を持ちかけられたが、全部つっぱねた。
純子さんの念頭にあったのが、石川達三の小説『幸福の限界』に出てくる「(結婚は)性生活を伴う女中生活」という言葉だ。
「そんなの絶対嫌だ。恋人はいた方がいいけど、結婚はしないって決めました」
25歳上の中国人男性と長く交際。手続き上の必要に迫られて50歳前に籍を入れたが、それまでは「恋人」としての関係を貫き通した。
何をやってもいい
夫は子どもを望んだが、これも断った。9歳下の弟の面倒を見た経験から、子育ての大変さを骨身に染みて知っていたからだ。
ライフスタイルが多様化し、結婚しないことも、子どもを持たないことも、いまでは珍しくなくなった。だが、当時は違う。
「女は就職なんかするな。行儀見習いで花嫁修行して嫁に行け、という時代でしたからね。私はそんなのフン!と思ってましたけど」
「いまの世の中、すごく生きやすくなったと思います。人に迷惑掛けなければ、何やってもいいじゃないですか。若い女性の方には特に、思い切って行動してほしいですね」
「人間は何歳になっても変われる」
夫は20年以上前にこの世を去った。葬儀の翌日から店に立ち、中華鍋をふるう。
運転免許をとったり、ひとり海外旅行へ出かけたり。以前にも増してフットワーク軽く動き回るようになった。クラブ通いやDJへの挑戦もその一つだ。
パリやニュージーランドでも公演し、目標だったニューヨークのクラブでのDJデビューへ向けて、一歩一歩、階段をのぼっている。
「人間は、何歳になっても変われるんです」
4年半ほど前に取材した時、純子さんはこう言っていた。いまの彼女は、どんな未来を見据えているのだろうか。
「DJの前にチェロを習っていたのですが、長らく中断しているのでもう一回やりたいなと。あとは体が動くうちに乗馬もやってみたいです」
柔らかでしたたかな83歳は、いつでも、何度でも、生まれ変わり続ける。
DJ SUMIROCKは10月20日深夜、東京のXEX 日本橋で開催される「TokyoDecadance DX Halloween 2018」への出演を予定している。
BuzzFeed Japanは10月11日の国際ガールズ・デー(International Day of the Girl Child)にちなんで、2018年10月1日から12日まで、ジェンダーについて考え、自分らしく生きる人を応援する記事を集中的に発信します。「男らしさ」や「女らしさ」を超えて、誰もがなりたい自分をめざせるように、勇気づけるコンテンツを届けます。