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「コロナ憎んで人を憎まず」福島差別を知る男が、感染者バッシングや医療者への偏見を嘆く理由

なすびさんは22年前、人気番組『電波少年』の「懸賞生活」で1年3ヶ月にわたって部屋に閉じこもって暮らした。コロナ自粛下でかつての特異な経験が改めて注目を集める彼に、東日本大震災後のふるさと福島への思いや、被災地を勇気づけるために挑戦したエベレスト登頂について聞いた。

新型コロナウイルスの感染者に対するバッシングが広がり、医療従事者に対する差別も問題化している。

福島出身の俳優・タレント、なすびさん(44)は、東日本大震災後の福島への差別や風評被害を振り返りつつ、「コロナ憎んで人を憎まず」「敵はコロナウイルス。いまこそ一丸で助け合おう」と呼びかける。

かつて1年3ヶ月にわたって懸賞品だけで生活する「懸賞生活」をやり遂げ、コロナ自粛下でその特異な実体験が改めて注目を集めているなすびさん。

被災地を勇気づけるために挑んだエベレスト登頂や、コロナに苦しむ福島の事業者の商品を集めた通販サイトへの思いなどを語った。

避難者いじめ、宿泊拒否…福島が受けた差別

――新型コロナウイルス感染者へのバッシングや、医療従事者に対する差別が起こっています。東日本大震災の後、福島に住む人への差別感情や風評被害が広がったことを思い出しました。

医療従事者の方への偏見だったり、コロナに感染した方への差別だったりが横行してきているというのは、本当に悲しい話です。

おっしゃるように福島の皆さんは、東日本大震災の時に原発事故の影響で差別や区別を受けてきました。

福島から避難してきた子が学校でいじめを受ける。福島ナンバーの車に石が投げられる。ホテルへの宿泊を拒否されてしまう…。

あってはならないことですが、多かれ少なかれ、直接間接に皆さんが見聞きしているはずです。

「お前、責任とれるのか?」

僕自身も経験があります。震災直後、東京で復興支援のイベントがあって、福島の人たちが農産物を持ち込んで売っていた。

「福島のものです。皆さん買ってください」と応援していたら、「なすび! お前、福島のものを売って責任とれるのか?」と声を掛けてくる方もいたんですね。

もちろん、ちゃんと検査して、安心安全なものを持っていっているんですけど、それでもやっぱり福島というだけで「放射線に汚染されてる」「危険なんじゃないか」と思われてしまう。

そういうことを間近で経験してきたので、今回の医療従事者への偏見なんかも絶対あってはならないことだと思います。

感染者の方だって、別に感染したくてしたわけじゃない。

クラスターが発生しているところにあえて行ってしまったことで、良識を問われるケースもなかにはあるのかもしれません。

でも、それよりは「コロナ憎んで人を憎まず」。そういう思いで心をひとつにしないと、コロナは撃退できないんじゃないかなと。

痛みを知るからこそ

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なすびのギモン / Via youtu.be

なすびのギモン パート7 第2回『除染後の放射線の不安にはどんなことをしているの?』

――コロナの流行とともに、社会の分断が加速しているようにも見えます。

敵はコロナウイルス。いまこそ皆さん一丸で助け合いましょう、という時だと思うんです。

東日本大震災で東北の皆さんがつらい思いをなさっていたなかで、被災者の方から「俺らよりも大変な状況でつらい思いをしている人たちがいる。そっちを助けてあげて」というお話をたくさん聞きました。

そういう我慢強さ、忍耐強さが日本中、世界中から称賛されていました。東日本大震災から丸9年が経ち、10年目に入りましたが、あの時の助け合いの精神が忘れられてしまっているとしたら、ちょっと悲しい。

特に福島県民の方々は、東日本大震災で差別のつらさを痛いほど思い知った。だからこそ、先陣を切って「そういうことは絶対、二度と起こしてはいけないんだ」と発信していけたら、説得力があると思うんです。

エベレスト挑戦の理由

――2013〜2016年にかけて4度にわたってエベレスト登頂に挑戦された時にも、胸には福島への思いがあったそうですね。

福島や東北の皆さんも含めて、被災地に向けて、元気と勇気、夢と希望を届けたかった。福島や被災地で頑張っている皆さんに笑顔になってもらいたい、という思いが一番ですね。

まったく登山未経験の僕がもしエベレストに登れたら、先の見えない復興への歩みのなかで闘っている皆さんにも「なすびができるなら、僕らも新しいことに挑戦しよう」と思ってもらえるかもしれない。そんなきっかけづくりになったらいいなと。

福島県の皆さんには「なすび頑張れ」「命がけで福島・東北を応援してくれてありがとう」といろんな形で僕のことをサポートしていただきました。

「三度目の正直」のハズが…

――3回失敗して、4度目での成功。心が折れそうになることはありませんでしたか。

3回失敗して、しかも3回目の2015年4月25日にはネパール大地震が起きて9千人もの方が亡くなる大きな被害が出ました。

僕らはエベレストのベースキャンプにいたんですけど、ヒマラヤ史上最大規模の雪崩事故が起きて、巻き込まれて死にかけました。

僕らのテントから20〜30メートル離れた外国の方は、テントごと吹き飛ばされてお亡くなりになった。本当に間一髪でした。

東日本大震災で被災した福島を応援しようと思って行ったネパールで、まさか地震に遭うなんて…。

「三度目の正直」という覚悟で挑んでいたのに「二度あることは三度ある」という結果になってしまった。

これは山の神様に「お前はもう来るな」と言われてるのかな、とも思いました。

懸賞生活とエベレスト、どっちがつらい?

――そこからよく4度目の挑戦に踏み切れましたね。

よく言われます。

標高7000〜8000メートルの世界は「デスゾーン」と呼ばれています。地上と比べて酸素の量は3分の1。酸素マスクをつけていても、一歩歩くごとに全力疾走したみたいに疲れます。

一歩、また一歩と歩きながら、「もうこれ以上続けられない」「もうやめよう」と何度も考えました。

そんな時にふと「懸賞生活」のことを思い出して、「あの時の方がもっとつらかったから頑張れる」と思えたんです。

「懸賞生活とエベレスト登山、どっちがつらかったですか」と聞かれると、だいたい僕はこう答えます。「もう1回懸賞生活やるぐらいだったら、エベレスト100回登ります」って(笑)

――エベレストより過酷な懸賞生活(笑)

どっちも無理っていう意味のたとえではあるんですけど、でも大変さをたとえるならそれぐらい。懸賞生活の方がエベレストよりも100倍大変でした。

孤独との闘い

――家からは一歩も出ないけれど、ある種の「冒険」と言えるかもしれないですね。

そうですね、自分との闘いという意味で言うと。懸賞生活は精神修行のためにやっていたわけではないんですけど、当時の苦労やノウハウがエベレスト登山の時に活きました。

エベレスト登山も最終的には孤独との闘い。つらいからって誰かに引っ張り上げてもらえるわけでもない。もちろん体力も技術も必要ですが、国際山岳ガイドの方には「一番必要なのは精神力だ」と言われました。

「懸賞生活でハガキを一枚一枚コツコツ書き続ける努力をやり続けられた、なすびさんならもしかしたらエベレスト登頂できるかもしれない」と言っていただいて。そこから登頂へのトレーニングをスタートしたんです。

懸賞生活の経験がエベレストで活きるなんて思ってもみなかったし、まさかコロナの感染拡大でまた懸賞生活が取り沙汰されるなんて夢にも思いませんでした。偶然かもしれませんが、すべてつながっているのかなと。

にじみ出る説得力

――新型コロナに関しても「明けない夜はない」と外出自粛を呼びかけています。大した苦労もしていない人に言われると、正直うるさいなと思ってしまいますが、数々の過酷な体験を乗り越えてきた、なすびさんに訴えられるとスッと心に入ってきます。

そう思っていただけたら。別に僕も説得力を増すために、あえて苦難の道を歩いているわけではないんですけどね(笑)

東日本大震災以降は特にそうですが、僕がちょっとでも役に立てることって何かな?と思いながら積極的にボランティア活動などに取り組んでいます。

コロナに困る事業者を応援

――新型コロナの影響で出荷が止まってしまうなど、困っている福島県の事業者の商品を集めた通販サイト「ふくしま!浜・中・会津の困った市」も応援されていますね。

新型コロナの影響で出荷先を失ったり、ゴールデンウィークに向けて仕入れてたものがまったく流通できなくなってしまったり。社会のインフラが急に滞り、商売が立ち行かなくなっている方も多いようです。

これは全国的、全世界的なことだと思いますが、僕のふるさとは福島なので、まずは福島で困っている方がいたら少しでも力になれればと。

「困った市」はエベレスト登頂の時に支えてくれた仲間が立ち上げたプロジェクトでもあり、「僕に協力できることはありませんか?」と手を挙げました。苦しんでいる事業者さん、頑張っている福島の方々への応援団のような形で関わらせていただいています。

これまで福島のことをよく知らなかった人にも、「福島ってこんなおいしいものがあるんだ。こんな素敵なものがあるんだ」と気づいていただけるきっかけになったら、ありがたいなと思います。

(※インタビューは4月23日に実施しました)

〈なすび〉 1975年、8月3日生まれ。福島市出身。日本テレビ系『進ぬ!電波少年』の企画「懸賞生活」で1998〜1999年の1年3ヶ月間、日韓を舞台に懸賞のみで生活した。ブレイク後は俳優としての活動も本格化させ、2002年に劇団「なす我儘」を旗揚げ。2011年の東日本大震災後、故郷・福島の復興を祈念してエベレスト登頂に挑戦。雪崩や大地震などで3度の断念を余儀なくされるも、2016年、4度目の正直で登頂に成功した。「あったかふくしま観光交流大使」「安達太良山観光大使」などを歴任。新型コロナで深刻な影響を受けた福島企業の産品を扱う通販サイト「ふくしま!浜・中・会津の困った市」も応援している。