矛盾を抱えながらも、報道の使命に恥じない仕事をする記者たちを描いた、清武英利さん(71)の新連載『記者は天国に行けない』(文藝春秋で連載中)。
魅力の一つは、1975年に読売新聞に入社した清武さん自身が記者としてどんな風に取材し、何に悩んできたのか、豊富なエピソードと共に織り込まれていることだ。
偉大な先人の足跡だけでなく、自分自身の記者としての歩みと、現代の記者たちの直面する課題を絡み合わせるこの連載で、後輩記者たちに伝えたかったことは何なのだろう?
かみしもを取った自分の記者体験
——清武さんの新人時代からの歩みも読めるのがまた面白いのですが、こういう話は、先輩記者に居酒屋に連れていってもらって断片的に自慢話と共に聞く話ですね。今は「飲みにケーション」もやりづらい時代ですが、ご自分の新人からの話を描こうと思ったのはなぜですか?
毎回高いレベルの、自分が到達できなかったような先輩たちの話を続けると、嫌になるでしょう?
戦後はみんな読み物に飢えていたので、『酔いどれ記者』とか『泣き虫記者』『えんぴつ軍記』『特ダネ選手』といった記者ものの本が雨後の筍のように出たんですよ。焼け跡の中を新聞記者が闊歩してイキイキとしていた時代があった。でもそればっかり書いていたら思い出話です。しかも伝聞でしょう。
やはり直接自分が体験した話、当時の記者生活を入れたりして、今と違うと思ったり、今と変わっていないと思ってもらったり、自分に置き換えてもらえるような話を書きたかった。
最初、現代の記者十数人に話を聞き続けたのです。でも僕の聞き方が悪いので、本音に迫れないところがある。「かみしもを脱いで話して」と言っても無理で、本当の話を聞くには3回は取材して嫌がられるくらいでないとダメでしょう。
それに、たまにはみんながニヤッと笑えたりするものにしたかった。自分の経験は今振り返ると失敗の連続だった気がするわけです。そういう失敗談や先輩の無茶苦茶な話を交えながら、でも流されないように書かないといけないと思いました。
——流されないようにとは?
例えば地方に新人記者が赴任すると、方言がわからなくてメモが取れなかったりする。それは記者の昔話の定番なわけだ。面白いけど、僕は入れない。
例えば自分が赴任してすぐ「原稿取って(電話で読む原稿を原稿用紙に書き写して)」と八戸通信部の古手の先輩記者に言われて、最初は訛りが強くて聞き取れない。「は?」と何度も聞き返す。「黙って聞け!」と怒声を浴びて、相手が電話を切った後、原稿用紙を見ると原稿が穴ぼこだらけ。これはよくある話です。
それを成長期として書くこともできるのですが、連載と趣旨が違う。なるべく「記者とは何か」というテーマから脱線しないように書いています。
北海道新聞の記者逮捕 捕まっても必要ならやる
——新人記者時代の話で、原稿を徹底的に直してくる支局長に腹を立てているんですが、私の上司だった頃は「真実はディテールに宿る」など、その支局長と同じことを部下に言ってたなと思ってクスクス笑いながら読みました。
人間は矛盾の塊だと言っとるやないか(笑)。
——原稿をズタズタに直されて腹は立っても、そういう人たちに記者の基本を教えられて、また自分の後輩に引き継いでいくのだ、という縦のつながりを書いているわけですね。
そうそう。でもその頃一緒に仕事をしていた後輩が僕の記事を読んで、「俺はそんな風には教えてもらえなかった。自分も支局長宅で缶詰にされて教えてもらいたかった」と言ってましたよ。
自分は苦痛で仕方なかった。連載をやれと指示されて、その連載中は日曜、祝日もずっと支局長宅に行って指導を受けなければならないのだから。奥さんのラブレターを添削するような支局長でしたからね。
——地方の「サツ回り(警察署担当)」時代の話を書いて、現代の北海道新聞の新人記者が旭川医大の学長選考会議を取材していて大学当局に私人逮捕された件にも触れています。当時、「こんなことは自分もやっていた」とTwitterで呟いたら、「そんなルール破りは問題だ」と批判を匿名記者アカウントからたくさん投げられました。逆にびっくりしました。
実名で語れ、ですよ。だいたい批判をするのに匿名で叩くなんて記者の風上にも置けない。卑怯です。
実名でやり合う習慣が以前はあったと思うんだよ。手紙が匿名の場合、多くは捨てられていた。逆に批判を受ける側は労力の無駄だと思ったらそれまでだけど、相手が実名なら堂々と批判を受けなければダメだよね。匿名の批判は、自分の不満の解消の手段として行うことが多いじゃないか。
同じようなトラブルは私のいた青森でもあった。この大学当局のやり方が通用するならば、私や同僚も含めて何百人、何千人という記者が捕まっているだろう。(中略)
では、お前ならどうするんだ、と問われたら、私はこう言うだろう。
——それが必要なら行って、立ち聞きでもしますよ。たとえ捕まっても同情は不要です。私もアパッチ記者の一人だし、警察署に貰い下げに来てくれる仲間が何人かいますから。(『記者は天国に行けない』第二回「アパッチ魂」文藝春秋2022年3月特別号より)
そういう時に、相手の決めた不当なルールに唯々諾々と従って取材するのか。回り道でも内部に取材源を作るべきだとは思いますが、自分ならその取材が本当に必要ならやる。批判を受けてもいいし、捕まえられてもいい。堂々と取材のために必要だったと言えばいい。
そもそもあの記者の行為は逮捕されるべきことなのか。何をそんなに隠すことがあるのか。見つかったとしても、相手から叱責され、こちらは笑い飛ばすことじゃないか。新聞記者ならば。その取材によって見えてくるものがあるわけでしょう?
捕まることがいいとは思わないけれど、それでへこんじゃダメだ。新人記者もキャップの女性記者も当然ながら不起訴になりましたけれども。
——北海道新聞が自社の新人記者の逮捕を実名で報じたことについてはどう思いましたか?
他の案件では匿名にしているのに、なぜこの時だけ実名にするのか。実名で書くならばそれでいいけれど、その基準は他にも当てはめてくださいねと願う。結局、記者個人を切り捨てて会社を守ろうとしたように見えました。どんなときも、新聞社ならば記者を守らなければいけないです。
報道や権力の検証のためにも必要な実名
——連載3回目では、実名報道や顔写真の必要性について、土石流災害が起きた時、被害者の顔写真を集めた経験と共に書いています。これは今も新人記者の仕事の一つで、「こんなの何の意味があるのか」と記者は悩む。実名報道については、最近でも相模原事件や京都アニメーション放火殺人事件などで議論になっています。この連載でも取り上げたのは、報道で大事な要素だからですか?
新聞社は実名報道の看板を下げたのですか? 下げていないでしょう。実名報道の意味については再三、僕らが現役の頃から言ってきたわけです。
今は事件が起きる度に、読者の実名報道批判にはきちんと対応せざるを得ないと思う。それが面倒くさいから「匿名にしちゃえ」というところも出てくるでしょう。
でも原則として実名報道から撤退するならば、記録性が損なわれるし、それに基づく論評も違うものになってくると思います。
——どういうふうに変わるのだと思いますか?
だって、誰が何をしたのかがわからなければ、取材も論評もできないじゃないですか。
1982年刊行の『支店長はなぜ死んだか』(上前淳一郎)という名著がありました。銀行の支店長が障害のある娘を餓死させたとして殺人罪で逮捕された事件なのですが、世間の批判に耐えきれず支店長は自殺したのです。
警察の発表も子どもを餓死させたという内容で、朝日新聞の警察記者は「警察によると」という発表に沿って、エリート銀行員を冷血かつ残忍な父親として報道した。他紙の第一報も記事の骨格は同じでした。
だが、朝日の疋田桂一郎編集委員は、銀行員が自殺した続報記事を読んで、どこかおかしい、と感じた。同じ新聞社にいながら、裁判を傍聴したり、丹念に周辺取材をしたりして、重度の知的障害がある子どもを抱えて苦悩する父親像を見出した。
報道そのものは警察発表から外れていたわけではない。泊りの記者は警察署の次長から明け方に渡って3時間にわたって取材している。だが、その「警察的真実」に基づいた、客観報道という名の下に自分たちはこんな表層報道を続けていいのだろうか、と疋田編集委員は社内検証をしてそれを批判したわけです。朝日の偉いところですよね。
その朝日の社内レポート「ある事件記事の間違い」を入手したノンフィクションライターの上前さんが論稿を加えたのがこの本です。
もしこの事件が警察から匿名で発表されたとすると、「冷血なエリート銀行員」に何があったのか、全く追及できない。なぜ彼が自殺したのかも理解できない。客観報道上は記事に瑕疵はない。しかし、その報道は結果的に誤りだったわけです。事実とは非常に複雑で、多面体の代物です。
もし匿名なら、報道を検証することもできないし、次の報道の教訓とすることもできない。だから警察発表だけに頼らず、周辺を取材したり、弁護士や入院中だった夫人に取材を重ねたり、丁寧に作業をしなければ同じような罠に陥るよと言っているわけです。
「支店長はなぜ死んだか」の事例は古いけれど、それに類する事例は今も、そして官庁や企業でもいっぱいある。ニュースがビジネスの一つである以上、報道の中身やニュース製作現場の姿勢、権力追及の本気度は常に検証されなければならず、そのためにも実名報道は必要です。
どんな条件でも書くことが仕事 甘ったれているんじゃない
元法務大臣の河井克行、河井案里夫妻が選挙違反事件は、週刊文春のスクープから始まっていて、それに抗して地元の中国新聞が詳細な報道で挽回しましたね。昔だったらあり得ないことですが、文春はそのために12人の記者を現場に投入しています。
買収まがいの金をもらった関係者に張り付いて、口裏を合わせないように同じ時間に当たらせています。
——新聞社がやってきた事件取材の手法ですね。
そうそう。そういう余力があるのは新聞社と文春、新潮しかなくなっていますよね。悲しいことです。
——今は新聞社も今は記者減らしが進んでいます。昔は1つの県で1つの地方版の紙面を作っていたのですが、今は複数の県の支局が合同で地方版を作ったり、輪番でひとりの記者が複数の県の夜間の事件記事を担当したりするようになっています。取材に投入する人員も経費も減らされ、現場の記者は不満や不安を持ち、昔のような取材もできなくなっていると聞きます。
そうなっていても、ここぞという時はそこに大量動員するなどの決断をしなくちゃダメですよね。
以前よりも支局長やデスクの役割はもっと強まっていると思う。支局長もデスクも前線記者であれと思うわけです。みんな管理者になってしまうのですよね。僕は「書かざる大記者」は嫌いです。
少し前まで、現代の記者たちの境遇に同情的でした。でも連載に当たって、新聞記者だけでなく、雑誌、デジタル、政党新聞などいろんな現場の記者たちに話を聞き歩くうちに考えが変わりました。
記者の意欲が落ちているかというとそうでもない。「特ダネを書く現場にいたい」と文春に飛び込んだ大新聞の記者もいれば、新聞社に転じた週刊誌の記者もいる。彼らは電車やバスの取材を別にハンデと思っているわけでもない。読売や朝日の事件記者はいまもハイヤーを使うけれど、記者の数が多くて、ハイヤー取材が許されていれば、特ダネを取れるか、といえばそうではない。
「関西電力役員らの金品受領問題」で2019年度新聞協会賞を受賞した共同通信の長谷川智一記者は「僕は電車取材が好きです」と笑っていました。
少人数の赤旗日曜版編集部は、2019年に安倍晋三首相(当時)の「桜を見る会」疑惑をスクープし、翌年には、当時の菅義偉首相による日本学術会議への人事介入を特報して、2年連続でJCJ(日本ジャーナリスト会議)賞を受賞しています。
これらのスクープの端緒は、ツイッターの投稿や任命拒否された学者のSNSの発信です。どのメディアも知ることができた。時代は大きく変わって、取材の手法も多様になりました。ハイヤーでぐるぐる回って、頑張ったという自己満足で記者クラブに戻る時代ではないようです。
警視庁や司法クラブの記者はハイヤー利用も制限されて、「取材が難しくなった」という嘆きをよく聞かされるのですが、転職した記者や、長谷川記者、山本豊彦赤旗日曜版編集長らの頭と足で稼ぐ話を聞いていると、大新聞の記者は何を言っているんだ、と思えますよ。そういえばそうだな、電車でコツコツ通っていても、特ダネは取れる。工夫次第ですよ。
給料も安くなったと言うけれど、そんなに安いのかと言いたい。「書くために」というけれど、「どれだけ書いてるの?何書いた?」と聞きたい。特ダネを書くのは商売でしょう?あなた方記者のビジネスじゃないか。甘いこと言ってるんじゃねえよと思いますよ。
——耳に痛いです。
「メディアは大変だ、大変だ」と言うことが日常化しているのに、それでも新聞記者になりたい人はいっぱいいる。愚痴のための愚痴を言ってても始まりません。現地に行けないなら、取材手法は多様化しているのだから、その工夫をすればいい。精一杯できることをやればいい。
「オープンソース・インベスティゲーション(公開情報調査)」の話は連載3回目でも触れましたが、このあたりの話はこれからの連載で書くつもりです。
特ダネだって色々あります。秘事を抱える権力者たちにそれを墓場に持って行かせないように、晩年であっても秘密を聞き出して記録するのも特ダネです。関電元副社長の歴代首相への献金報道だって、90歳の時の取材なんですから。亡くなる4年前です。
「特ダネを書こうにもネタがない」なんて思うのは間違っていて、30年前の埋もれた金脈や腐敗もあるし、岩盤の奥深い真相をコツコツ掘り起こすのも特ダネです。チャレンジすることをせずに、「昔に比べたら大変だ」と嘆くのは意味がない。だいたい昔を知らないでしょう? 昔も昔で苦労しましたよ。
——ネットも携帯もなかったですものね。
そうそう。地方で腐っている人も、地方の方がむしろ知らせるべき情報は転がっていると思いますよ。掘り起こすには歴史を知らなければダメで、自分の地元が何で成り立っているのか興味を持つ。現場を見に行く。
作家の立松和平さんは栃木県佐野市郷土博物館の田中正造元衆院議員の陳列ケースの前に立って、涙を流したそうです。足尾銅山鉱毒事件の救済を天皇に直訴し、野に倒れた正造が残した遺品は頭陀袋一つで、その中には石ころ3個と、マタイ伝と帝国憲法の合本が入っていた。
それを見て、立松さんは「この人は何もかもを捨てるまで闘ったのだ」と感動する。そんな地元でしか受け止められない感慨や事実が山のようにあるはずです。
——この連載は誰に向けて書いているつもりですか?
僕は記者だけに書いているつもりはないんです。新聞記者になりたかった人、フリーの人、業界紙の人、辞めた人、記者を志す人、色々な人に向けて書いています。
清武さんは天国に行けるか?
——なぜ「記者は天国に行けない」というタイトルにしたのですか? 1回目の最後に、天国の門の前で記者に突きつけられる問いについて書かれていますが。
記者は、特に社会部の記者は、時に取材相手を傷付ける世界にいる。そんな記事を書くことを生業としている。それでお金をもらっているわけです。
そういう人が天国に行くというのはおこがましくない? 図々しくない?
「あなたは立派だった」とほかの人が仕事を讃えるのはいいですが、自分で自慢する記者がいますよね。恥ずかしいです。もし俺が自慢するようなことがあったら、笑ってください。
そんな人間が天国に行けるわけないと思った時、時流に抗し、冤罪事件の救済を続けた弁護士、正木ひろしの文章を読んで、こういうことだなと思ったのです。迷った末にこれで行きたい、と編集者の人にタイトルを示したんですよね。「えー?」という反応の後、「面白いじゃないですか」と変わった。
人々よ、現代に憤慨することなかれ
貴君等は何の権利があって憤慨するや
貴君等は、現代を良くするために
如何なる犠牲を払って来たか
貴君等は世界の文化に対し、どれだけの研究を遂げたか
貴君等は過去の日本に対し、どれだけの批判を為し
どれだけ実行に移したか
貴君等は自家の享楽生活に没頭し
公共には無関心ではなかったか
貴君等は、ただ漫然と良き時代の来ることを待っていたのではなかったか
貴君等はただ長い物には巻かれろ主義で
公共的のことには成るべく深入りしないように
ズルく構えていたのではなかったか
世の中に不公平が公然と行われていた時
貴君らは自分さえ損をしなければいいとは思わなかったか
公共の利益のために闘っている人達を
見殺しにはしなかったか
貴君等の身辺に人権蹂躙があっても
人のことだと考えてはいなかったか
それらの総決算が今日現れて来たとて
貴君等に何の憤慨の権利があろうぞ。
(『近きより』1944年4月号より。『記者は天国に行けない』第1回「源流の記者」文藝春秋2022年2月特別号で引用)
きっと彼はその門の入り口あたりにいて、記者がやってくると、「君は長いものに巻かれなかったか、闘っている人たちを見殺しにはしなかったか」と気概を問うに違いない。その時、自分のなかに答えを持つ者だけが、彼らの待つ天国の門をくぐることができる。(『記者は天国に行けない』第1回「源流の記者」より)
ではお前は天国に行けるのか?と問われたら、「行けないと思いますよ」と言うしかない。
俺は天国と地獄の門の前で待っていて、その秘密を墓場に持っていこうという人がいたら追い返してやりたい。「もう1回生き返って、この世で告白してきなさい。そうじゃないと天国には入れてあげない」という役目を務めたい。三途の川のほとりで待っていてね。
僕らは、秘密を墓場に持っていこうとする人を、説得したり励ましたりだましたりして、本当のことを暴露させることを生業としているわけです。しかもそれに意義を感じているわけでしょう? 確信犯ですよね。
——天国には行けるはずないですね。
自分なりの正義に筋が通っていないと、地獄に行きますよ。ましてや、そんなことも考えずに提灯を持って走り回っているような記者、迎合することに何の疑いもないような記者が、先輩の待つ天国に行けるはずがないよと、俺は思う。「お前こそ行けないよ」と言われそうだけど(笑)。
——閻魔代理のような仕事が終わったら、清武さんは天国に行くつもりなんですか?
いやいやずっと秘密を抱えた人は来ますから。永遠に。天国には行けないけれど、その役割を持ってずっとそこに居座り続けますよ(笑)。
(終わり)前編はこちら
【清武英利(きよたけ・ひでとし)】ノンフィクション作家
1950年、宮崎県生まれ。立命館大学経済学部卒業後、75年に読売新聞社入社。青森支局を振り出しに、警視庁、国税庁などを担当し、次長時代には特別取材班「社会部清武班」を作って第一勧業銀行や四大証券の不正融資、接待汚職、山一證券や日本長期信用銀行などの不良債権飛ばしなどの調査報道に当たった。中部本社社会部長、東京本社編集委員、運動部長を経て、2004年8月から読売巨人軍球団代表兼編成本部長。2011年11月、コーチ人事を巡り、球団会長だった渡辺恒雄氏から不当に介入されたと告発し、専務取締役球団代表兼GM・編成本部長・オーナー代行を解任されて係争となった。
その後はノンフィクション作家として活動し、著書『しんがり 山一證券 最後の12人』(講談社)で講談社ノンフィクション賞を、『石つぶて 警視庁二課刑事の残したもの(同)』で第2回大宅壮一メモリアル日本ノンフィクション大賞読者賞を受賞。『プライベートバンカー カネ守りと新富裕層』『奪われざるもの SONY「リストラ部屋」で見た夢』『空あかり 山一證券”しんがり”百人の言葉』(いずれも講談社)、『特攻を見送った男の契り』(WAC)、『トッカイ』(講談社)、『後列の人』(文藝春秋)など著書多数。