• covid19jp badge
  • medicaljp badge

妊娠中のコロナワクチンの発信で炎上を経験して SNSでもよく見られる「いじめの手法」の数々とは?

アメリカの小児精神科医、内田舞さんが社会やSNSで現れる対立を分析し、分断を乗り越える方法を提案する初の単著『ソーシャルジャスティス』を出版しました。どんな思いを込めたのか、インタビューしました。

小児精神科医で、ハーバード大学准教授の内田舞さんが、初の単著『ソーシャルジャスティス 小児精神科医、社会を診る』(文春新書)を出版しました。

幼い頃の海外暮らしで経験してきた差別、日本における女性の立場に息苦しさを感じて米国に飛び出した決断、そしてコロナ禍の医療発信に浴びせかけられた心無い声の数々——。

そんな豊富な経験や日々のニュースの数々を考察し、社会の分断を乗り越えるには何ができるのか「ソーシャルジャスティス(社会的正義)」の観点で示しています。

BuzzFeed Japan Medicalは、一時帰国した内田さんにインタビューしました。

内なる声と社会の声に耳を澄ませて、声をあげる

——子ども時代から今までずっと経験した差別や分断から考えてきたことが書かれていますが、「ソーシャルジャスティス(社会的正義)」という言葉で今、まとめようと思ったきっかけは何ですか?

色々なテーマの中で共通するのは、自分の内なる声にどう向き合うか、社会の声に耳を澄ませてどう向き合うか、そこで相手に共感できるところやそうでないところを見つけて声に出してみることです。

それによって自分自身も前に進めるし、社会としても前進できる。SNSでの炎上に関しても、ワクチンをめぐる分断に関しても、人種差別に関しても、女性差別や育児に関する問題でも全てにつながる部分だと思いました。

それをどういう言葉で表すかは難しいのですが、対話や社会に向けた眼差し、前進を望むプロセス自体が「ソーシャルジャスティス」なのではないかと思いました。そこでこの言葉をタイトルにしました。

コロナ禍でのワクチン発信で受けた誹謗中傷

——3人目のお子さんの妊娠中に新型コロナワクチンを接種した姿が本の表紙にもなっていますが、この時のワクチンに関する発信が内田先生の”日本デビュー”だったと思います。日本人のための発信だったはずなのに、「最悪の母親」「幼児虐待」「発達障害を作り出す母親」などと、攻撃もたくさん受けました。改めてどんな経験でしたか?

たまたま私が妊娠していた時期に、アメリカの医療者として新型コロナワクチンの順番が回ってきました。世界でも最初の方です。

私としては科学的に自信を持てる判断で、私が所属するマサチューセッツ総合病院の発信を担当する部署が、私の写真とどうしてその決断をしたのか私が説明した内容を発信しました。

アメリカの中では「こんな発信をしてくれてありがとう」という反応がたくさんありました。それがなぜか日本でも拡散され、日本のメディアからの注目も集めました。

それは第一に日本人がワクチンへの忌避感を満遍なく持っていたのが大きかったと思います。

それに加えておそらく、日本人で、女性で、子どもを3人産んでいる人がハーバード大学の当時は助教授という立場にいること自体がショッキングだったのではないでしょうか。

そんな立場と、妊娠中にワクチンを接種したことで注目が集まりました。2021年1月から4月までは毎日のように欠かさず取材がきました。

ほとんどの人は「こういう発信をしてくれてありがとう。参考になった」と声をかけてくれたのですが、その中で受けた誹謗中傷はなかなか忘れられないような棘のあるものでした。

一番嫌だったのはあなたの子どもは死ぬという「死産報告書」を送られたことです。妊娠中にそんなことを言われていい気分の妊婦はいません。すごく悲しかったし、科学的にそんなことで死産にならないことはわかっていても、泣きたくなるような気持ちでした。

その時、感じたのは科学的な誤情報や偽情報が原因となって日本のパンデミックが収まらなかったらどうしようという不安でした。かからなくてもいい人がコロナにかかったり、重症化する必要がなかった人が重症化する状況が出てきたりしたらどうするのか。

科学が蔑ろにされて誰かが苦しむのは見ていられなかったのです。

損な立場に置かれている日本の母親

また、私が受けた誹謗中傷を考えると、日本の母親は損な立場に置かれているのだろうなという思いも大きかった。

母親は自分の家族や将来の家族に対して責任を持った対応をしなければならない場面がたくさんあります。でもその場面で責任を果たすための情報がなかなか手に入らない。

またどんな判断をしても批判の対象になるのが母親の損な立場です。それが象徴されたのが、妊婦としてワクチンを接種した私への誹謗中傷だったのではないかと感じました。

その時に、日本の妊婦さんがこのような状況で放っておかれるのは見ていられないと思いました。

もし私が女性としてハーバード大学で医師をして、3人子どもがいるということでびっくりされるなら、そういう人間がいるということを日本社会に対して示し続ける。それが、私が人生の中でできることの一つなのではないかと思いました。

誹謗中傷を受けるたびに「もう発信を止めよう」と思うことは何度もあったのですが、そこでやめなかったのはそういう強い思いが理由かなと思います。

なぜ日本で炎上したのか?女性差別が顕著な国

——アメリカでは先生の発信が広く賞賛されたのに、一部とはいえ日本では誹謗中傷を受けたのはなぜだと思いますか?

アメリカは分断の国なので、住んでいる州によって反応は違ったかもしれないと思います。

私が住んでいるマサチューセッツ州はアメリカの中で最もリベラルな州で、自宅のあるボストン郊外の街はワクチン接種率もかなり早い段階から99%でした。小学生ですら9割以上の接種率です。

科学に対する敬意や科学リテラシー(情報を読み解く力)が高い地域だったから、そんな好意的な反応だったとも思います。

それとは別に、日本の中でどうしてこれだけの誹謗中傷があったかと言えば、

  1. 女性差別が顕著
  2. 日常の中で自分の意見を言えない人が多い
  3. 科学的な報道の底が浅い


の3つが思い浮かぶところです。

まず第一に、私が女性だったということは大きかったと思います。

日本の中で、女性医師で子どもが3人いて、妊娠中にワクチンを接種しました、と専門家として声を上げる姿を日常的に見ることがありません。私の発信を奇異なものとしてネガティブに感じる人がいたのだろうと思います。

応援メッセージでさえも、思いを伝えて下さったのは嬉しいのですが、「最初はいわゆる『勝ち組女性』の意見だと疑っていましたが、真剣さが伝わってきました」という棘のあるものがありました。

「マイクロアグレッション(日常の言動に現れる偏見や差別に基づく見下しや侮辱、否定的な態度のこと)」の一つだと思います。

権利を剥奪するような差別でなくても、女性という属性であるだけで疑いの目を向ける。それは非常に残念なことだと思います。

男性の発信だったら「勝ち組男性」と言われていたでしょうか?そして疑いの目を向けられたでしょうか?

また、妊婦として、女性の生殖器が神々しい存在とされているからなのか、「妊娠中には何も介入してはいけない」という偏見もあると思います。

実際、つわりを軽減する薬もほとんど知られていません。鎮痛分娩もアメリカでは一般化していますが、日本の中では「大丈夫なのか?」という目が向けられます。

妊娠中は心身ともに辛いことがたくさんあるのに、「それを我慢しなければならない」という偏見がある。それは女性の自己決定権が奪われ、我慢を押し付けられている現象なのではないかと思います。

本当は我慢しなくても大丈夫で、苦痛の軽減を求めてもいいと思います。生理中の痛みだってそうです。

——ピルも日本ではなかなか普及しません。

それも同じですよね。妊娠中のワクチンも、接種せずに感染すると重症化リスクが一般女性よりも高いし、死亡につながるリスクも2倍ぐらい高く、お腹の中の赤ちゃんへ悪影響を与える恐れが高いという科学的データがある。

それにもかかわらず、妊婦さんに介入してはならないという印象が行き渡っている。それは残念なことだと思います。

「論破」や「喧嘩」はできても「議論」ができない日本

——2つ目のなかなか意見を表明できないということに関して、本の中でもアメリカでは根付いている「アドボカシー」(望む変化にむけて社会や個人に対して働きかけること)が、日本ではあまりないと触れられていますね。

私は日本社会の中で必要な議論は「論破」とか「喧嘩」ではないと思っているのです。

特にSNS上の「論破」で社会が大きく前進することはなく、色々な人の「議論」が世代を超えて起こることによって大きな良い変化が起きるものです。

日本の中ではとにかく「自分の意見を表明してはいけない」という空気があります。「周りの人と同じようなことをなんとなく言わなければならない」という無言の圧力がある。

そういった前提がある中で、私がみんなの考えていることと違う意見を表明したことが、好意的に受け取られなかったのかもしれません。

また、日常会話の中で「自分は違う意見を持っている」と言えていない人が、SNSだと顔も名前も見えないので、今まで持ってきた悶々とした思いをぶつけてしまう。SNSはそうしやすい場所だったのではないかと思います。

本来なら、日常会話の中で「自分はこう思うよ」と表明できて、相手も自分とは違う意見でも「そうなんだね」と受け入れられるような環境があったほうがいい。

「同意」について書いた章で触れましたが、答えは「YES」であっても「NO」であっても良くて、相手はそれを受け入れて進まなければいけない。その判断をみんなが敬意を払う環境であれば、YESでもNOでも堂々と言えるようになります。

日本の中では「NOを言えるようになりなさい」とたまに言われますが、せっかくNOと言っても、それが受け入れられなかったり、無視されたり、反発を招いたりする環境では、NOなんて言えるわけがありません。

意見を表明し、相手が自分と意見が違っても受け入れる環境は、みんなで作っていかなければなりません。自分と違う意見を受け入れるのは、許容することでも諦めることでもありません。相手に同意するということでもない。

ただ、違う意見の人がいるという事実を受け入れるだけです。その感覚が、相手と自分に対する敬意を持つことにつながるし、それが必要だと思っています。

それがない中で、SNSは普段言いたかった意見や感情を露呈するのに絶好の場だったのだろうと思います。

科学報道の弱さ 両極端の中間地点が正しいわけではない

——3つ目は医療記者として耳が痛いことですが、日本の科学報道の底の浅さがこうした炎上を招いていると考えるわけですね。

本の中では「Middle Ground Fallacy(両極論の中間地点が正しいわけではない)」に触れた章で書いたのですが、論理のねじれの中で両極端な意見があった場合、中間地点が正しいわけではないのです。

もちろんお互いの意見を言って、歩み寄って、これぐらいの交渉をしましょうという状況もあります。

しかし、特に科学において、重力があるかないか、などの議論では、中間地点の「重力はあるかもしれないし、ないかもしれない」で終わることはなく、重力はある、が結論です。

科学では、科学的な事実として存在するかしないかがはっきり分かれることの方が多いものです。それは、実験と根拠の検証を重ねて確立します。

そういった検証を重ねて、安全性が高く、効果の高いワクチンができ、パンデミックの中で推奨される。

その過程がありながら、なぜか日本のメディアの中ではそういった「推奨する人」がいたら、「推奨しない人」の意見も聞かなくてはいけないという動きがある。視聴者から「反対意見も聞きたいです」と言われたりすることもある。

でも科学的な事実は、そんな議論で決まりません。

しかし、日本ではどんなに科学的根拠を示したとしても、両極端な意見や専門家ではない人たちのスタジオ内でのコメントのようなものが、科学的事実以上に視聴者に対してインパクトを持つ番組が作られます。

その背景にはワクチンへの忌避感が広く共有されていて、今まで社会として科学とどのように向き合ってきたかという経験が影響していると思います。そういったメディアのあり方も無視できない問題だったと思います。

——HPVワクチンの報道でも同じようなことを経験しました。科学的な事実よりも「両論併記」をするメディアが目立ち、読者や視聴者を迷わせました。

本当にそうなんです。

分断を超えるためにメディアは何ができる?

——ソーシャルジャスティスに関わる問題があった時に、アメリカでは大きなメディアがそれを積極的に発信していると書かれています。日本のメディアについてはどう思いますか?

特にトランプ政権下で、アメリカの分断は両極端に振れました。トランプ大統領がいわゆる白人至上主義の意見を言ったり、障害者を揶揄する発言をしたり、女性蔑視の発言をしたりする状況だったので、「このような態度を自分たちの子供に残す社会であってはならない」と思った人がたくさんいました。

私は「分断を超える」という言葉を使っていますが、分断はなくなるわけではありません。しかも様々な濃淡がある。その中で反対側にいるように見える人とも共感して、作りたい世の中への変化について一致する部分が出てきます。

それが分断を超えることだと思います。そのように分断を超える動きが「トランプのアメリカ」からスタートしたと思います。

それに関するメディアのスタンスも、今までのように「トランプはこう言っている。一方、ヒラリーはこう言っている」という両論併記のあり方ではトランプが勝つようなことが起きるんだという反省がある。もっとメディア自体が特定のスタンスを打ち出していいと姿勢が変わってきたように思います。

——日本のメディアはそこまで意識的に動いていないように見えますか?

それはメディアに出てくる「表象」にも現れていると思います。どのような人間がお茶の間に対して映し出されるかは、社会の中に共有されている無意識の偏見が投影されるものです。それを見続けることによって、さらにお茶の間の固定観念が増強されます。

アメリカのメディアでは、社会の中で議論されていることや大切だとされていることをメッセージとしてお茶の間に届けるために「こういう人を映し出さなければならない」という動きが、ここ数年意識的に増えています。

その点、日本のメディアで映し出される人はそこまで大きな変化が見られない印象です。

例えばLGBTQのような、日本の中で同等の権利を得ていない人たちが一人の人間として現れるメディアはまだ少ないです。「LGBTQ役」として扱われることはあっても、お笑いを取る役であったりして、普通の人生を送る一人の人間として描かれることは少ない。

そういう点でも日本のメディアはもう少しスタンスを持ってもいいのではないかと思います。

(続く)

【内田舞(うちだ・まい)】小児精神科医、ハーバード大学医学部准教授、マサチューセッツ総合病院小児うつ病センター長

2007年、北海道大学医学部卒。2011年、Yale大学精神科研修修了、2013年、ハーバード大学・マサチューセッツ総合病院小児精神科研修修了。日本の医学部在学中に、米国医師国家試験に合格・研修医として採用され、日本の医学部卒業者として史上最年少の米国臨床医となった。

3児の母。趣味は絵画、裁縫、料理、フィギュアスケート。子供の心や脳の科学、また一般の科学リテラシー向上に向けて、三男を妊娠中に新型コロナワクチンを接種した体験などを発信している。

共著に『天才たちの未来予測図』(マガジンハウス新書)。『ソーシャルジャスティス 小児精神科医、社会を診る』(文春新書)が初の単著となる。

Instagram: @maimaiuchida  Twitter: @mai_uchida