新型コロナウイルスの新規感染者がじわじわと増加する中、職場での感染も増えていることが報告されている。
働く人の健康管理に専門家として役割を果たす産業医は、どのように動いているのだろうか?
東京大学環境安全部助教で、同大学だけでなく、4つの企業や団体での嘱託産業医も務める黒田玲子さんに、本格的な冬に向けて重要になる職場での新型コロナ対策について伺った。
産業医とは?
ーーそもそも産業医というのはどんな仕事をしている人なんですか?
会社の数だけ産業医のあり方はあるのでイメージするのが難しいかもしれないですね。一言で言うと、会社で働いている人が幸せに、健康に働き続けるために支援をする専門職です。
かつ、いくら働く人が健康で幸せに働いていても、会社の経営が成り立たなければ事業に持続性がなくなります。リスク管理という意味で、労働安全衛生や産業保健の面で会社の経営も支えていきます。
ーー法的な裏付けは?
労働安全衛生法です。ただし、産業医を選任する義務があるのは、雇用形態にかかわらず常時50人以上の人が働いている会社です。
なかなか従業員が50人以上の会社はない (2014年経済センサスでは、従業員50人以上の会社は全体の3.3%、従業員規模50人以上の会社に勤務している被雇用者は40.3%)ので、産業医がいる会社は限られています。
ーー産業医が常勤することが必要なのは従業員が1000人以上でしたね。
そうです。ただ、有害業務と言われるような色々な危ない物質を扱っている業態の会社だと500人以上の従業員で常勤の産業医(専属産業医)が必要になります。産業医の他にも、産業保健を担う人として衛生管理者や産業保健師などの看護職や心理職がいますね。
働く環境に対する新型コロナの影響は? カメラで監視する企業も
ーー新型コロナは就業環境にはどのような影響を与えているのでしょうか?
私は製造業や、病院・介護施設や公共サービスを提供している、いわゆるエッセンシャルワーカーのいる会社は担当していないので、その分野の会社のことはコメントできないのですが、全般的にものすごく大きな変化がありました。
とにかく就業環境の弱いところがあぶり出されました。産業医や公衆衛生の専門家の間では、新型コロナを「ストレステスト」と呼んでいる人もいるほどです。
それぞれの企業の弱みが如実にあぶり出された印象です。
例えば、今は会社が持続するためには多様性が大事だと言われています。
しかし、より長くより多くの成果を出せる働き方が良く評価されがちで、一様な働き方を求める風土が日本の企業にはありました。
ところが新型コロナが起きてからは、目まぐるしい環境変化により迅速に、より柔軟に対応できることが重要になります。個々の従業員の多様性を考慮した働き方の調整が重要だということが改めて明らかになりました。
特にそれが会社の執行部や管理者など、偉い(主に)男性の方々に認識されたのは大きかった。管理者側は今までの成功体験が役立たない事態に置かれていると思います。
ーー具体的にはどういう変化が起きていますか?
例えば、比較的ホワイトなデスクワークの企業では、在宅勤務、オンラインでの仕事に変わったところが増えています。
しかし、オンラインでのコミュニケーションは、今までのやり方の踏襲ではかなり難しいです。同じ空間を共有していなくても、チームとして成果を出していくことが必要になります。
それまでのコミュニケーションスタイルがきめ細かだとオンラインに移行しても比較的スムーズに行くのですが、「上司が背中で語る」というタイプだとうまくいかない。察する文化がある企業だと、オンラインではコミュニケーションがうまくいかなくなっています。
それで疲れてしまう。ノンバーバル(非言語的)なコミュニケーションがなくなり、チャットやメールがコミュニケーションの中心になると、お互いに何を考えているのかわからなくなり、疑心暗鬼になるんですね。
逆にきめ細か過ぎても困る。私が行っている会社ではないのですが、業務中ずっとパソコンのカメラをオンにするように言われていて、従業員がサボっていないか監視している企業もあります。離席が多いと注意されたりしている、という話も聞いています。
ーーそれはもう人権侵害のレベルのような...。
監視です。でもそういうシステムがコロナ以降、結構売れたそうです。元々の信頼関係がないのですね。
一斉休校の深刻な影響 親、特に母親に負担
学校の一斉休校が決まったのは2月末でした。私にも小学生の子どもがいるのですが、膝から崩れ落ちるような衝撃でした。
家で働いていると、子どもが横からヤイヤイ言ってくる上に、昼ごはんも作らなければいけない。常に次のご飯をいつ作るか、何を作るか、考える生活です。子どもがいる家庭は阿鼻叫喚でしたね。
オンラインで、今あまり具合が良くない従業員の人と働き方の調整をするために産業医面談をしている時に、子どもが踊りながら部屋に入ってきたりする。守秘義務もあるので通常なら防音の効いた個室でやるのですが、在宅勤務だとできない。
仕事として成立しているのかなと自分でも不安になりました。
従業員の方も、小さいお子さんがいると「正直、日中は集中して仕事ができない」と訴えるのです。夫婦で代わりばんこに面倒を見るけれども、結局、仕事をするのが夜中になってしまって、睡眠が圧迫されて体調を崩した方もいました。
夫婦で分担できていればいいのですが、どちらかの会社に理解がないと、だいたい妻の方にしわ寄せがきます。妻の方が真夜中に仕事をしていつ寝ているのだろうという状態になる。
ーー性別での役割意識が強い日本の家庭ではありそうな話ですね。
容易に想像がつくのですが、そういう想像力がない人が会社の執行部や直属の上司にいたりする場合は、追い詰められますよね。
コロナに伴う差別を社内でも許さない
ーー他にもありますか?
新型コロナが発生してからまだ1年も経っていなくて、まだ怖い病気のままです。
そのような感染症は、差別を引き起こすのですね。日本ではハンセン病の歴史という負の歴史があります。そうした謂れなき差別を助長しない、許容しないということをきちんと会社が示すべきで、そこも産業医が助言をしています。
それぞれが「怖いな」「あの人が感染に影響したのだろう」と考えてしまうのは仕方ないでしょう。
だからと言って、「なんであいつは感染したんだ」「迷惑かけやがって」ということを口に出して、会社の中でそういう空気を作るのは絶対に許容しない。その方針をトップが出すべきです。
2月の段階からどの会社でも繰り返し言っています。「許容しないメッセージを一度だけでなく、定期的に発してください」と。言わないとわからないからです。
ーー先生の担当する企業でも感染者は出ましたか?
はい、複数の会社で発生しています。
新型コロナは100年に1度と言われるような感染症の流行ですが、そもそも職場では麻疹や風疹などコロナに限らず様々な感染症の流行対策が非常に重要です。
企業のグローバル化も進んでいるので、色々なところから色々な感染症を持ち帰る時代になっています。さらに感染症を輸出する側にもなっています。
そのあたりのことに企業は非常に無頓着で、いくらこれまで風疹や麻疹対策が大事だと言っていても、「ふーん」と危機感を抱いていなかったのです。
風疹の第5期の予防接種(これまで接種機会がなく、流行の中心となっている中年男性が対象)についてもずっと重要性を伝えていますが、多くの会社は「自分には関係ない」という意識でいます。特に当事者で、会社経営の中心を占める中年男性がそうなのです。
若い世代がどんどん入ってくるので、異なる世代や属性の従業員同士でお互いにケアし合い、それぞれができる健康対策をちょっとずつやろうといくら言っても、「多少熱があっても仕事に来る者が偉い」という意識のままです。
だんだん変化しつつありますが、日本社会では喉元を過ぎれば「なんとかなったよね」と忘れてしまいがちです。コロナはそうしてはいけないなと思います。
職場の感染 仕事の最中というよりも合間の時間
ーーその新型コロナですが、東京都のモニタリング調査でも職場での感染が増えていることが報告されています。飲食店も引き続き多いのですが、この時期、職場での感染が増えた理由は何が考えられるのでしょう。
公衆衛生の専門家が答えるべきかもしれませんが、産業医の観点から言うと、みんないい加減、新型コロナ対策に疲れてきているんですね。日常生活の変化に疲れてしまったところがあります。
職場での感染は、向かい合って仕事をしている時の感染ではなく、基本的に飲み会や休憩室、昼ごはん中などが多いのですね。無言で食べて、食後はマスクをして話しなさいと言われているけれど、ご飯を食べながらも話したい。
他には移動中に車に乗り合わせる、喫煙所などでの感染ですね。マスクしながらたばこは吸えませんから。
どれも、同じ職場やいろんな会社の人と密着して会話する機会です。厚労省や東京都の分析事例ではそのような典型的な事例がわかってきていますね。もちろんコンコン咳をしながら働いていたら感染しやすくなるでしょうけれども、そういう事例は少ないです。
ーー体調が悪いと会社は休みやすくなっていますか?
そうですね。比較的休みやすくなっていますし、体調が悪ければ在宅勤務に切り替えやすくもなっています。仕事はするけど出勤はしないという自己隔離はやりやすくなっていると思います。
各職場では何を確認するのか?
ーー具体的にどんな対策を取るかは企業ごとに違うということですが、まずはどのような調査をして、何を確認しているのでしょうか?
「特別に緊急コロナ調査をします」というようなことはしていません。ただ、会社の中には普段から色々な調査があります。人事がやる調査、健康管理のための調査など、元々ルーチンで行なっている調査がある。
そこにプラスして、新型コロナ感染症をどれぐらい怖いと感じているのかを尋ねています。従業員の背景によって全然違ってくるところです。若くて一人暮らしなのか、小さいお子さんがいるのか、高齢のご両親を介護しながら働いているのか。またはご自身が病気を持っているか。個々の背景によって、コロナへの不安はかなり違ってきます。
また、コロナも怖いのですが、対策をたてるとどうしてもそれに伴う副作用が生じてきますから、その影響も合わせて調べます。今まで重要だったことができなくなった。そのような働き方の変化、それによってどのような不具合が生じているのか、生活にどう変化があったかなどです。
頻繁な手洗いもそうですし、人の集まるところに行けなくなっている。人によっては、「推し」に会うために働いてお金を稼いでいたのに、その生きがいがなくなって、精神的な支えを失ったりしているわけです。
そこまで細かいことは聞きませんが、仕事というより私生活で大事にしていたことが、このコロナ禍のせいでできなくなっている。そういうことはお聞きしています。
ーーそこまで聞いているんですね。
職場でどんな影響があるかは重要なのですが、人間がストレスを感じるのは職場だけではありません。私生活の変化が仕事に与える影響は大きいのですね。変化そのものがストレス、体調変化の元になります。
あとはお酒の量がどう変わったかなどです。飲み会の機会が減ってお酒も減った人もいれば、自宅飲みでベロベロになるまで飲むという人もいます。たばこの量、運動量も増えた・減ったがあり、体重も増えた人が多いですね。
健康診断のデータとそうした調査の関連を見ます。そこで会社として打ち出せる対策はあるのか、会社として介入はできないとしても、背景を上司に知ってもらったり人事に知ってもらったりはできる。もちろん本人の許可を得た上でです。
産業医として個人の健康を優先する
ーーそこまで把握するのは、プライベートでのストレスが会社での成果に影響するという観点からなのですね。
会社としては仕事に影響するかもしれないからですね。でも産業医は、どうしても健康最重視です。会社とは少し視点が違います。
もちろん産業医も会社に雇われているので、会社のパフォーマンスを上げるために労働安全衛生や産業保健の側面からサポートするのが大事な役割です。
でも、会社の業績と個人の健康はどちらも大事ですが、どちらがより大事かと究極の2択を迫られたら、個人の健康を選びます。
ーーそういう感覚なのですね。両方に軸足を置いているけど、個人の健康の方を優先するのが産業医だと。
適度なバランスを保つのが一番いいとされています。個々のケースによって比重は変わります。個人の健康をいかに重視すると言っても、そのために講じる対策の負担や負の影響が大きすぎれば、会社の倒産につながり、結局個人も不健康になるかもしれません。
でも産業医によってもスタンスは違うかもしれませんが、究極の選択を迫られたら個人の健康を私は選びます。よく「産業医は経営陣の犬だ」と言われるのですが。
ーー確かに産業医は経営者側、雇用主側に立つ人だという印象を持っていました。イメージが変わりました。
産業保健活動を続ける上で会社の理解を得ることは重要ですし、執行部や人事とパートナーシップを築くことは重要です。対立ばかりしていたら会社の理解は得られませんし、結果として解任されてしまい、長期的には従業員個人の健康は守れませんからね。
しかし、それによって、今までサポートさせていただいていた社員/従業員の健康サポートをできなくなってしまうことは避けたいので、できるだけ解任されないように、執行部や人事とのパートナーシップを大事にしています。
新型コロナの指導
ーー新型コロナに関しては、企業や従業員にどのような指導をなさっていますか?
まず、2月の時点で厚労省から「職場における新型コロナウイルス感染症の拡大を防止するためのチェックリスト(8月7日改定バージョン)」というのが出ていたのです。職場でこういうことをチェックすると網羅的に対応できるというリストです。
1月6日に中国で原因不明の肺炎が流行っているという発表が厚労省からあり、その直後から、産業医として企業には注意喚起を始めていました。
特に商社等のアジアに駐在員を出してSARSの経験もある会社では、敏感に反応していました。チェックリストが出る前からこういうリストに書かれているようなことが大事だということを伝え、準備を始めていました。
公衆衛生分野の研究者で産業保健が専門でもある和田耕治先生が2009年の新型インフルエンザを振り返って、会社が色々なことを決めるのにこういう情報が必要だというチェックリストを2012年に作っていたんです。
このチェックリストはプロとして活動している産業医は知っているので、早期にみんな察知して、対応を始めていました。
その後、厚労省からチェックリストが2月に出たので、こちらを使うようになりました。網羅的に対応できているかのチェックから始めたのですね。
重症化リスクが高い場合は? 感染者が出たら?
ーー糖尿病や肥満など重症化リスクの高い人もわかってきていますね。個別に指導をしたりするのでしょうか?
相談があれば受けるという感じです。2月の時点で重症化リスクの高い人の洗い出しはしました。ただ、会社には「これぐらいの割合、ハイリスクの人がいて、措置は講じなくてはいけない。必要があれば勤務を配慮できる仕組みを作ろう」と働きかけています。
ハイリスクな個人に声かけもしますが、その人が配慮を受けたいかどうかは別問題です。全体に対しても重症化リスクの高い人は、不安であれば通勤の配慮を受けられるように調整しますとは伝えています。
ーー感染者が出たら、産業医は関わるのですか?
会社によります。感染者が出た時のフローは事前に決めています。そのフロー作成は産業医が関与しています。
常駐しているところは例外的なケースにも随時、対応できます。
でも月1回しか産業医が来ないところでは、連絡がつきにくい。対応方法のフローをあらかじめ事細かに決めています。
そうは言っても1例目だと、会社の人も不安になるので、会社の人のケアもしなければいけません。つつがなく対応できるか、産業医は人事や保健師などのサポートもします。それにしても事前に決めておくことが一番大事です。
(続く)
【黒田玲子(くろだ・れいこ)】東京大学環境安全本部助教、産業医
2005年、産業医科大学卒業。初期臨床研修及びJFEスチール株式会社 東日本製鉄所/京浜地区産業医を経て、2009年より現職(東京大学環境安全本部 産業医/助教)。大学と企業4社で産業保健活動を行っている。
人が幸せに生きることのサポートに興味があり、一環して1人1人の顔が見える中くらいの集団で、個人と組織の健康づくりのサポートをしている。公衆衛生学修士、 医学博士、産業衛生専門医、 労働衛生コンサルタント(保健衛生)。