7月10日に投開票を行う参議院議員選挙。
「私が1票入れても何も変わらないじゃん」
そう思って、投票の意義を感じられない人もいるかもしれません。
なんで投票には行ったほうがいいの? 何も書かない「白票」は意味があるの?
選挙取材歴20年以上のベテランライター、畠山理仁さん(49)にそのわけを聞きました。
ロックが好きなのに、演歌を聴き続けていいの?
——「自分の1票では変えることができない」と考える人が多いですね。何で投票には行ったほうがいいの?と聞かれたら、どう答えますか?
日本では所得の48%を税金や社会保険料として納めています(国民負担率と言います)。国政への参加費を既に払っているのですから、有効に活用してほしいですよね。
選挙は、自分が納めた税金や社会保障費の使い道を、私たちの代わりに決める政治家を選ぶ行為です。
1万円お小遣いがあるとして、既に4800円取られてしまっています。その4800円は必ず行われるイベントに使われると考えてみてください。
コンサートに例えると、演歌にするのか、ロックにするのか、アイドルにするのかを決める政治家を選ぶのが選挙です。そこで自分が意思表示をしないと、任期中、6年間、ロックが好きでもずっと演歌のコンサートを聞き続けなければならなくなるかもしれません。
でも「私はロックが好きなんだ」と意思表示をすれば、演歌歌手が1曲でもロックを歌ってくれるかもしれません。その意思表示を票数で表すのが選挙です。
棄権するということは、4800円を支払っているのに、必ず選挙に行く人の言うことに黙って従うことになります。ものすごくもったいないです。
1票の価値は640万円 捨てるの惜しくないですか?
また、自分の1票にどれぐらいの価値があるのか考えてみましょう。国の年間予算は110兆円です。議員の任期は参議院だと6年なので、それを有権者の数で割ると、だいたい640万円ぐらいです。
つまり、年間予算6年分の640万円の行方を決める選挙です。自分の1票によって640万円の行き先が決まることを考えると、ちょっと捨てるのはもったいなくないですか?と言いたいです。
604億の大規模フェス 参加しなくていいの?
さらに、今回の参院選だけでかかる経費は604億円です。超大規模イベントじゃないですか? 全国でやっている大規模フェスです。
野外でみんなゲリラライブをやっているわけです。お祭りですよ。
私たちは野外フェスを開くためのお金を払っているのですから、やっぱり楽しんだほうがいいです。
「棄権」「白票」は投票する人の意思決定に従うこと
——『コロナ時代の選挙漫遊記』では、棄権する人に対して厳しい言葉も投げかけています。「選挙に行かないことで、あなたの力はどんどん無力化される」「選挙に行かないことは、自分から遠い存在の誰かを当選させる強烈な政治行動である」などです。
有権者に厳しい本なんです。
棄権することを否定するわけではなくて、そもそもみなさんの1票をどうするかは権利ですから、100万円を持っている人が100万円をポイっと捨ててもその人の自由です。そこは否定しないし、白票を投じることも勧めはしないですが、その人の決定なので文句を言うつもりもありません。
でももったいなくないですか?とは言いたい。
だから「行かない、というのは実はこういうことなんですよ」と伝えているのです。選挙に必ず行く人たちの意思決定に何も言わずに従うということですし、その人たちの1票の力を力強く支えることになりますよ。そう伝えるために強い言葉で言っています。
それでも捨てたい人はどうぞ捨ててください。
——「白票」は意味がないですか? 「入れたい人がいないのだ」という意思表示だという声もあります。
まったく意味がないわけではないですが、正直あまり意味はありません。
僕は選択を最初から放棄するよりは、「よりマシな地獄の選択」をする方が自分の目指す社会には近づくと思います。たとえ1ミリしか近づかないにしても。
【畠山理仁(はたけやま・みちよし)】選挙取材20年以上のフリーライター
1973年、愛知県生まれ。早稲田大学第一文学部在学中より、取材・執筆活動を開始。日本のみならず、アメリカ、ロシア、台湾など世界中の選挙の現場を20年以上取材している。
『黙殺 報じられない”無頼系独立候補”たちの戦い』(集英社)で第15回開高健ノンフィクション賞を受賞。『記者会見ゲリラ戦記』(扶桑社)、『領土問題、私はこう考える!』(集英社)、『コロナ時代の選挙漫遊記』(同)。