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偏見を強める動きに抵抗するために 熊谷晋一郎氏インタビュー(4)

熊谷晋一郎さんインタビュー最終回は、スティグマを強め、互いに強化する社会から脱し、当事者の等身大の経験や思いに耳を傾ける必要性を語ります。

自民党の杉田水脈・衆院議員が雑誌「新潮45」(休刊が決定)に寄稿し、当事者団体だけでなく、障害者団体ら他のマイノリティからも批判を浴びた論考「『LGBT』支援の度が過ぎる」。

障害者の差別問題に長年取り組んできた東京大学先端科学技術研究センター当事者研究野准教授の熊谷晋一郎さんに寄稿を読んでいただいた上でのインタビュー。最終回の第4弾は、スティグマに抵抗するために、当事者の等身大の思いに耳を傾ける必要性にたどり着きます。

「家族主義」に時代を戻してはいけない

ーー初回、杉田議員の寄稿が、同性愛をめぐる様々な困難を個人や家族で解決すべき問題なのだと矮小化したことも問題だと指摘されていました。介助を誰が担うのかなど、「家族内で解決しなさい」と家族に過剰な負担を負わせることは、障害を持つ人の世界ではよく問題となっています。

「私は、生まれつき脳性まひという障害をもっています。入浴、着替え、トイレなど、自分一人では身の回りのことができないので、ほぼ常に、家族以外の介助者に、サポートをしてもらって生活しています」

「しかし、18歳までは、ほとんど両親に介助をしてもらっていました。私は親の愛情には恵まれていたと思います。しかし、小学校低学年の頃、ふと、『親が先に死んでしまったら、自分はどうなってしまうんだろう。介助してくれる人を失い、そのまま野垂れ死んでしまうんだろうか』という不安に襲われました」

「また、日常生活の中でも、主に私の介助をしながら、リハビリ、そして家事全般をこなさなくてはならない母親は、常に忙しそうでした。忙しそうにしている母親の手が空いた一瞬のタイミングを見て、『トイレに行きたい』『飲み物が欲しい』など、自分の必要性を伝えなくてはなりませんでした」

「気を遣ってトイレを我慢しすぎ、間に合わなくなって漏らしてしまうこともありました。すると、私の体をきれいに洗い、汚れ物の洗濯をして、着替えさせるという介助が必要になるので、かえって母親の忙しさを増してしまう自分がみじめでなりませんでした」

――介助を家族化すると、介助を担う家族だけに負担があるわけでなく、介助を受ける本人も精神的な負担を負うことになるのですね。

「私にとって、介助が家族化されるというのは、『親亡き後の不安』をもたらすだけでなく、仮に親に愛情があったとしても、常に親の顔色を見ながら、自分の生理的欲求を抑え、気を遣い続ける生活を強いられることでもありました」

「生きていくのに他者の介助が必要な私のような障害者の場合、介助を頼める人が、親など、少数の人に独占されていると、どうしても介助者の意向に自分を合わせざるを得なくなりがちです」

依存先を増やす 弱いまま支配されずに生きるには

「家族化された介助生活に未来はないと感じた私は、先輩の重度障害者の背中を追いかけるように、18歳で親元から離れ、一人暮らしを始めました。一人暮らしを始めたころ、先輩は私に、『介助者は、最低でも30人くらいはキープしろ』とアドバイスしました」

「介助者も人間だから、不機嫌な時もあれば、暴力的な言動をすることもある。そんな時、介助者がその人ひとりだと、明日も生きていくためにその介助者との関係を我慢しながら継続するしかない。そうすると、暴力が常態化することもある」

「でももし、介助者が30人いれば、一人の介助者が暴力的に接したときに、他にも29人の介助者がいるんだから、その人との関係を解消することができる。先輩はそのように教えてくれたのです」

「介助者と重度障害者との関係は、決して対等なものではありません。腕っぷしの強さで言えば、介助者にはかなわないという現実の中で、私たちが弱いままで、安全に、支配されずに生きていくには、介助者の数を増やすしかないということを、障害者運動は見出してきました」

「つまり、家族や、一部の介助者にしか頼れない状況は、障害者の尊厳と安全、主体性を損なうものであるということです。障害の領域における『ケアの家族化』への批判は、こうした現実を背景として行われてきました。でも、家族から公へと移行するだけでは十分ではありませんでした」

自助努力、企業の福利厚生、家族福祉に頼ってきた国

「日本には、子ども、障害者、高齢者が生きていくために必要なケアサービスを、家族、とりわけ女性の不払い労働で賄ってきた歴史があります。先進国の中でも、必要原則に基づく再分配が相対的に手薄で、上記のような人の再生産過程を、『公』ではなく『私』が担ってきた国です」

「『私』とは、個人の自助努力と、企業の福利厚生と、家族福祉の3つです」

「重度障害者の場合、労働者として企業の福利厚生にあずかることにも限界があり、1960年代までは、もっぱら家族福祉にのみ依存する状況でした。社会資源もなく、過度なケア負担を課せられた親が、障害を持つ我が子を殺したり、心中したりするという事件が社会問題化したのもその頃です」

「親に同情的な世論が後押しし、隔離収容型の大規模施設の設立という形で、国は重度障害者のケアサービスを、私から公へと移行させました」

「しかし、地域から隔絶された施設という密室の中では、とかく障害者と介助者の人数比は前者の方が多く、尊厳と安全、主体性の保障とは程遠い状況でした。相模原事件の背景にも、こうした歴史的経緯が存在していることを忘れてはなりません」

「その後、『施設から地域へ』をスローガンに、障害者運動が展開していきます。私から公へ、といっても、家族から施設へ、では意味がない。一人の重度障害者が、たくさんの介助者に支えられながら、健常者と平等にあらゆる社会資源にアクセスできる暮らしが目指され、今日に至ります」

家族制度について 平等なアクセスとより良い制度を作る努力

ーー複雑なのは、今、婚姻制度や相続など公的な家族制度から排除されている性的マイノリティは、制度の枠組みに入ることを求める運動も同時にしていることですね。

「LGBTと自認する人々の間でも、様々な立場があると思います。家父長制や性別二元制、性別役割分業を温存させる家族制度そのものを批判する立場もあれば、家族制度の拡張によるアクセスの平等を訴える立場もあるでしょう」

「すでに述べてきたように、『少しでも潜在能力を開花させ、生産性を高めていく自由と機会を平等に保障せよ』という、それ自体は否定できない障害者運動の主張が、一方で優生思想を追認してしまっているという状況と同様、家族制度への平等なアクセスを求める運動は、家族制度の負の側面を追認してしまう、という側面があることは否定できないかもしれません」

「しかし、ここで、選択の強制ではなく、選択肢の確保が重要であるという前回の議論を思い出すべきでしょう。現に私たちの社会に深く組み込まれている家族制度に対し、選択肢の一つとして、一部の非異性愛の人々が平等なアクセスを求めるのは、至極もっともなことです」

「そしてそのことと、家族制度の負の側面を批判し、より良い制度(もはやそれは、家族制度と呼ぶことのできるものかどうかはわかりませんが)を別の選択肢として生み出していくという運動は、どちらも選択肢を増やすという点において、矛盾するものではないと思います」

「家族化を批判した重度障害者たちも、当然自ら家族を形成することはあり、私もその一人です。でも私の場合は、籍を入れない選択をしました」

「それは、離婚調停の勉強をしていた際に、『婚姻契約というものは携帯電話の契約に似て、契約時は契約書の小さい字は読まずにテンション高めで詳細不明のまま印鑑を押すが、解約時は自分が結構重大な契約を取り交わしていた事を突きつけられるのだなあ』と知ったからです」

「そしてその契約の中には、『母よ、殺すな』の世界と地続きな、家族が一義的に障害者のケア責任を負うことを前提とする、依存先を狭めかねない内容が一部含まれていると感じました。ですから、小さい字を読むのは大変ですが、パッケージで契約するのではなく、契約内容を一つ一つ吟味して、双方の納得がいくカスタマイズされた契約内容を取り交わすという選択をしたのです」

「婚姻制度に限らず、多くの制度はマジョリティ向けにできています。しかし、制度なしにはマイノリティとて生きていかれません。ゆえにマイノリティは、パッケージ化されたそれら制度や契約をばらして、一つ一つ自分の必要性に合ったものかどうかを吟味し、必要な項目がなければ要求していくという作業を、大なり小なり行わないと、生きていかれない状況にあります」

スティグマを付与する社会が生むマイノリティの対立 

ーー今回の杉田議員の言葉に対して、LGBTの当事者からも「特別な配慮は必要ない」と、抗議すること自体に抵抗感を示している人もいます。これについてはどのようにご覧になりましたか?

「特別な配慮が必要ない当事者もいれば、必要な当事者もいるでしょう。そこには、何の謎も問題もありません。問題があるとすれば、配慮を必要としない当事者が、配慮を必要とする当事者の抗議や異議申し立てに抵抗感を感じるメカニズムだろうと思います」

「この抵抗感は、配慮を必要とする当事者としない当事者が、どちらも『LGBT』というカテゴリー名を共有しているために、周囲から同一視され、集団としてスティグマ(差別や偏見)を貼られかねない状況を背景にして生じていると考えられます」

「これは、相対的にはマジョリティに生じにくい現象かもしれません。マジョリティのうちの一人の言動が周囲に不快感を与えたときに、『まったく、これだからマジョリティは』と、マジョリティ一般にスティグマが付与されるということは、マイノリティが多数派を占めるローカルコミュニティを除き、あまり起きないでしょう」

「マイノリティは、自分と同じカテゴリー名を持つ他者の振る舞いが、スティグマを媒介にして自分にも影響を与える、という潜在的なリスクを常に持って生きています。そのことが、マイノリティ同士の緊張関係をもたらすことも、珍しくはありません」

「注意しなくてはならないのは、このマイノリティ間の緊張関係の原因は、マイノリティの側にのみ帰属はできないということです。初回に詳しく述べた、マイノリティ属性にステレオタイプや偏見といったスティグマを容易に付与してしまう、マジョリティを含めた社会全体に帰属させるべき問題なのです」

スティグマに抵抗するために

ーー簡単にマイノリティにスティグマを与えてしまう社会は、マジョリティも含めた全ての人に不安や対立のストレスをもたらすことがよくわかりました。我々は、これをどう変えていくべきでしょうか?

「それは本当にチャレンジですね。私も含めて、世界中の人々が、どのようにしたらスティグマを減らすことができるのかについて、研究や実践を行っています。まだまだ分からないことが多く、試行錯誤の段階にありますが、いくつかのことは見えてきました」

「例えば、コリガンやマルチネス・ヒダルゴら(※)は、精神障害や薬物依存症に対するスティグマ低減効果を検討した結果、最も有効な介入法のひとつは、「異議申し立て」や「教育」ではなく、当事者が正直かつ等身大の経験や思いを語る「contact-based learning(交流に基づく学習)」だと述べています」

「スティグマ拡散に大きく寄与するのは、政治家や著名人だけでなく、医療者、教育者、科学者、メディアなど、特定の属性に関するイメージや知識、価値観を発信したときの影響力が大きい人々です。まずは彼らと当事者が一緒に、contact-based learningを行うことが重要な第一歩でしょう」

「例えば先進的な取り組みとして、すでに、「依存症問題の正しい報道を求めるネットワーク」は、メディアに対して薬物依存症へのスティグマを増強させるような報道しないよう、当事者視点に立った薬物報道ガイドラインを作成されています」

ただし、スティグマに対して声をあげるのは慎重に

ーー今回、自民党本部前の抗議行動の中で、カミングアウトしながら声をあげた人がいました。ただ、それを各社報道したところ、書かれた内容に傷つかれたということもありました。スティグマを払おうとして立ち上がったら、スティグマを深めることもあって、声をあげるのは大変なことなのだと改めて感じました。

「依存症の自助グループや当事者研究は、長年、スティグマに配慮した安全な語りの場の構築に取り組んできました。したがって、彼らの豊かな蓄積から、スティグマを貼られやすい他の属性を持つ人々が安全に語れる場を作るためのヒントが得られるだろうと思います」

「依存症は、スティグマを貼られやすい属性の一つで、長年、彼らの自助グループでは、匿名で語ること、ミーティングで語った内容は、グループの外に持ち出さないことなどのルールを大切にしてきました」

「しかし近年、依存症の自助グループの中に、女性、LGBT、重複障害、エスニックマイノリティなど、多重なスティグマや、依存症以外の社会的排除を受けているメンバーが増え、グループの外に広がる社会に対して発信や要望を行わなくては依存症の問題も解決しないという問題意識が高まってきたといいます」

「熊谷研究室も、そうした実践家と連携をし、一緒に当事者研究を行ってきました。その中で、自助グループの語りと当事者研究の語りの違いをよく議論するのですが、一つには、公開性の有無が違うという点が挙げられます」

「自助グループの語りは、クローズドで門外不出です。安全性が優先されるビギナーはそこから入ります。初めて人前で自分の弱さを開示する時というのは、批判に対して危機に陥りやすいですから、まずは、自助グループに何年も通って、安心できる安全な場所で仲間と等身大の自分を分かち合うことを繰り返していくわけです」

「一方、ある程度仲間との信頼関係ができ始めたメンバーが参加する当事者研究では、グループの外に公開することを前提に語ります。外に出すことで、初めてスティグマ低減効果が発揮されるからです」

「仲間内だけだと、自己スティグマ(当事者が自分の属性に対してもつスティグマ)の解消にはつながるのですが、一歩そこから出るとまた公的スティグマ(非当事者がもつスティグマ)や構造的スティグマに晒されますから、また振り出しに戻ってしまいます」

「ですから、自助グループの限界を超えるために、慎重に声をあげる取り組みとして、依存症のグループが当事者研究を取り入れ始めたのです」

「デモの熱気の中で、初めてカミングアウトしてしまったというのは、一般論としてはとてもリスキーなことです。私たちが、配慮した場所で何年も前から準備してゆっくりと公開していく過程を大事にしているのは、そういう理由です」

語りよりも聴くことを優先する姿勢

――今回の騒動でマイノリティのスティグマを強化させるようなことがあってはならないと思います。私たちはこれをどのように糧に変えていけばいいのでしょうか?

「私の尊敬する当事者研究の先輩の一人は、『聴くことを怠った語りではダメだよね』と言っていました。口下手な身体の声に耳をそばだたせて、等身大の自分を正直に語ること。そして、自分とは一見異なる他者の声に耳をそばだたせて、自分と同じ部分と違う部分を発見すること」

「自分の身体や他者の声を聴く姿勢は、マイノリティとマジョリティ、リベラルと反リベラル、見えやすい困難と見えにくい困難、すべての垣根を越えて、今もっとも必要なものかもしれません。そしてそれは、スティグマを低減させるための『交流に基づく学習』の骨子といえるでしょう」

「さらに言えば、語りよりも聴くことを優先する、言い換えれば、アウトプットよりもインプットを優先する姿勢は、生産性、いわば身体のアウトプットよりも必要性、つまり身体の声のインプットを優先する姿勢とつながっているように、私には感じられます」

「それらの先に、過度な貢献原則と優生思想にNOと言える社会への合意形成が成し遂げられることを祈りながら、少しずつ、できることを行っていければと思います」

【参考】

Corrigan et al. (2001). Three strategies for changing attributions about severe mental illness. Schizophrenia Bulletin. 27, 187-195.

Martínez-Hidalgo et al. (2017). Social contact as a strategy for self-stigma reduction in young adults and adolescents with mental health problems. Psychiatry Res. 260, 443-450.

杉田水脈議員の言葉がもつ差別的効果 熊谷晋一郎氏インタビュー(1)

「生産性」とは何か? 杉田議員の語ることと、障害者運動の求めてきたこと 熊谷晋一郎氏インタビュー(2)

「見えやすい困難」と「見えにくい困難」が対立する日本 熊谷晋一郎氏インタビュー(3)

【熊谷晋一郎(くまがや・しんいちろう)】東京大学先端科学技術研究センター准教授、小児科医

新生児仮死の後遺症で、脳性マヒに。以後車いす生活となる。大学時代は全国障害学生支援センタースタッフとして、障害をもつ人々の高等教育支援に関わる。東京大学医学部医学科卒業後、千葉西病院小児科、埼玉医科大学小児心臓科での勤務、東京大学大学院医学系研究科博士課程での研究生活を経て、現職。専門は小児科学、当事者研究。

主な著作に、『リハビリの夜』(医学書院、2009年)、『発達障害当事者研究』(共著、医学書院、2008年)、『つながりの作法』(共著、NHK出版、2010年)、『痛みの哲学』(共著、青土社、2013年)、『みんなの当事者研究』(編著、金剛出版、2017年)、『当事者研究と専門知』(編著、金剛出版、2018年)など。


訂正

薬物報道ガイドラインを作ったのは「依存症問題の正しい報道を求めるネットワーク」でした。