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なぜ知的障害がある青年が「精神錯乱」として取り押さえられ、命を失わなければならなかったのか? 支援団体が警職法の改正を提言へ

14年前、知的障害がある青年が仕事からの帰り道、警察官に組み伏せられ、命を失う事件がありました。再発防止のため、遺族や支援団体は警察の職務を定める「警察官職務執行法」の改正を求め、提言をまとめました。

知的障害のある青年が仕事からの帰り道、不審者と間違われ、警察官5人に地面に組み伏せられ死亡する事件があった。警察官の行為は職務として正当性が認められ無罪にーー。

そんな「安永健太さん事件」から14年。

事件を風化させまいと作られた「安永健太さん事件に学び 共生社会を実現する会(健太さんの会)」が、警察を無罪とした根拠となる法律「警察官職務執行法」を改正しようと意見書をまとめ、事件が起きた9月25日にシンポジウムを開く。

BuzzFeed Japan Medicalは、登壇する健太さんの父、孝行さん(60)や、健太さんの会世話人の弁護士、藤岡毅さんに取材した。

仕事からの帰り道 警察官に組み伏せられ、死亡

事件が起きたのは2007年9月25日夕方だった。

健太さんは、仕事から家に自転車で帰宅途中、佐賀市内のバイパス道路で、パトカーに乗った警察官に不審者と勘違いされた。

後ろからパトカーの大音量のマイクで注意され、サイレンまで鳴らされ、停止を求められた。

健太さんはびっくりしたのか、スピードをあげて走り、赤信号で停車中の原付バイクに追突。自転車から投げ出されて道路に転倒した。

警察官二人が駆けつけ、「ウー、アー」としか言葉を発することができない健太さんを歩道に組み伏せた。応援を受けて後から駆けつけた警察官一緒に5人がかりで健太さんをうつ伏せにして押さえ込み、後ろ手に手錠をかけた。

健太さんは心臓が停止し、救急搬送された病院で死亡が確認された。

これが事件の概要だ。

「錯乱状態になっていたから保護した」という説明

あの日、健太さんと二人暮らしだった父の孝行さん(60)は、夕飯を作りながら帰宅を待っている時、警察から電話で「息子さんが救急車で病院に運ばれたので行ってください」と連絡を受けた。

病院に駆けつけたら、既に息子は亡くなっていた。顔からは血が流れ、体中は擦り傷だらけ。頭が真っ白になったまま、病院で警察官の説明を受けた。

「『信号待ちで止まっているバイクにぶつかって、走って逃げたから取り押さえました』と言われて、逮捕されたと思ったんです。家から800mも離れていない場所だったので、私のところに走って言いに来よったのかな、それを警察はわからないで取り押さえたのかな、とその晩はずっと考えていました」

ところが翌朝のニュースを見ると、「警察が保護した」という言葉が飛び込んできた。

(逮捕じゃないのか?保護?)

自分が受けた説明と違うので、混乱した。ショックで動けなくなっていた孝行さんは、兄夫婦に警察に事情を聞きに行ってもらうと、全く違う説明がなされたのに驚いた。

「『錯乱状態になっていたので保護しました』と言われたのです。結局、その警察側の説明が裁判所でも通り、裁判も負けてしまいました」

つまり、警察の停止要請に従わず「アー、ウー」などの言葉しか発しない状態が「精神錯乱」と認定され、警察官が後ろ手に手錠をかけて取り押さえ死亡までいたらしめた行為は正当な公務執行として認められたのだ。

「目撃者の話によると、車道から歩道に投げ飛ばされるような取り押さえ劇があったようです」

「いきなり取り押さえられたら言葉も出ずに、アーとかウーとか悲鳴しか上げられなかったのでしょう。落ち着いて話したら、ポツン、ポツンと話す子です」

健太さんは文章ですらすらと会話はできない。普段は単語を重ねてコミュニケーションしていた。

小さい頃から友達が多かった。学校の時は友達が何人も自宅に集まって遊び、大人になってからも近所の小中学生とキャッチボールをしては遊ぶ穏やかな性格の人気者だった。近所の人も「健太君」と呼んで温かく見守ってくれていた。

「『おはよう』『こんにちは』と声をかけられた人は誰でも『友達』と言っていました。逆に、怒られた人間には絶対近寄らない子でした」

「警察のパトカーや消防車はむしろ好きで、自分から近寄っていっていたくらいなんです。普通に接してもらえば逃げるはずがない。サイレンも鳴らされてびっくりしたのかもしれません」

警察が最初から威圧的に向かってきたのを見て、離れようとしただけではないかと孝行さんは考えている。同じ日の午前中、息子が取り押さえられた場所の近くで、別の不審者が警察官を振り切って逃げていたことも後から知った。

「その不審者を探して警察官が見回っていたようです。『人相・風体からしてアルコール中毒者か麻薬中毒者としか思えなかった。普通じゃなかった』とも当初は言われたのですが、息子はジャージ姿で、髪もボサボサで顔も日焼けしている。それで不審者に間違われたのでしょう」

犯罪者のように扱われ、「恥」さえ感じさせられた

後ろ手に手錠をかけられたことも、1ヶ月以上経った後に知った。

「怒りしかなかです。よっぽど制圧が酷かったのだと思いました。息子は普通に話せば穏やかに話せるのです」

そんな息子をなぜ警察は「精神錯乱」とみなしたのか。

警察は「車道を蛇行運転していた」と主張したが、防犯カメラに映った姿を見てみたが、確かに車道は走っていたが蛇行運転はしていなかった。

「それなのに『錯乱状態だったので保護しました』の一点張りでした。私から言わせたら、警察官の方が錯乱状態だったとですよ」

事件当初、孝行さんは警察に息子の名前を出すか問われ、名前を出さないよう求めた。

「大暴れして取り押さえられたと犯罪人のように死んだことを知られなくなかった。『恥を晒すようだから名前は隠しとってくれ』と警察に言ったとですよ」

「健太君はそういうことをする人間じゃない」 警察との戦いを決める

警察の責任は問われないまま、孝行さんはこの流れを受け入れるつもりだったが、事件のあと、健太さんの知り合いからは連絡が相次いだ。

高校総体に出た時に、施設を回ってパンフレットを送付する作業などを手伝った施設の関係者や、知的障害者の競技大会「スペシャルオリンピックス」に2000年に日本代表として出た時の全国の仲間たちだった。

「葬式後に施設長さんたちが集まって、うちにきてくれて『健太くんはそういうことをする人間じゃない』と言ってくれました。そして『知的障害がある人がしょっちゅう警察官から取り押さえられたり、拘束されたりしている』と聞いたのです」

「『夜に散歩しているだけで通報され、パトカーに手錠をかけられて乗せられて家まで送ってこられるとか、1件、2件どころじゃないですよ』と聞きました。警察を訴えることを初めて考えました」

弁護士に相談すると、相手が警察というだけでことごとく断られた。息子が手伝いに行っていた施設の弁護士がやっと引き受けてくれて、戦いに踏み出した。

刑事でも民事でも負け...「健太さんの会」を設立

警察官は不起訴になり、遺族として5人の警察官を起訴すべきとする付審判請求をした。佐賀地裁は一人の警察官を起訴すべきとする決定をしたが、それも結局無罪となった。

警察に責任を認めさせたくて、その後、民事裁判も起こした。署名活動では11万人の人が賛同してくれたが、裁判所は、警察官の行為に違法性はないとして遺族側の請求を棄却した。

ただし、二審の福岡高裁は、知的障害者に対し、ゆっくりと穏やかに話しかけて近くで見守るなど、その特性を踏まえた適切な対応をすべき注意義務があることは明らかであるとして、警察職員の一般的な注意義務を認めた。

「それでも警察官に取り押さえられるような事件はいまだによくある。やはりこういう問題を放置しちゃいけない。ずっと伝えていかないと、またこんな事件が起こるんです。うちの健太だけじゃない。ほとんど泣き寝入りですよ」

孝行さんや支援者は、健太さん事件を風化させず、障害への社会の理解を広げていくために、2017年7 月、「安永健太さん事件に学び 共生社会を実現する会(略称:健太さんの会)を設立した。

「再発防止じゃないけれど、こういうことをずっと口に出していけば、地域の警察官も変わっていく。その動きが大きくならんかなと思って、息子の名前を継いで活動を続けているんですね」

「警職法」の改正に向けた意見書を作成

健太さんの事件は、ひとりの人が亡くなっているにもかかわらず、大手のメディアの全国版ではほとんど報じられなかった。

この事件の教訓を未来に活かしたい。

そんな思いで健太さんの会は事件を伝えるシンポジウムなどを開く傍ら、遺族らの意見を聞きながら、ある法改正の議論を繰り返してきた。

全国27万人の警察官の職務を規定する「警察官職務執行法(警職法)」(1948年7月12日公布)だ。警察官の行為を正当化する根拠として使われた。

2年以上の月日をかけて完成させた改正案を盛り込んだ意見書では、主に以下の内容を要求している。

  1. 保護対象から「精神錯乱」という侮蔑表現を削除
  2. 救護行為の際の手錠利用の禁止
  3. 保護の際の強制力行使を「必要最小限度」にとどめることを明記
  4. 警察官に障害特性に応じた注意義務を義務付け、障害特性の理解に関する研修を義務付ける
  5. 現行法の「保護」を「応急救護」と表現を変え、保護規定を全面改訂


健太さんは裁判で「精神錯乱」の状態にあったため、警察官が警職法に基づいて「保護」する必要があったと認定され、警察官の行為は違法とは認められなかった。

知的障害と「精神錯乱」は違う

「健太さんの会」世話人の弁護士、藤岡毅さんはこう疑問を投げかける。

「知的障害者のコミュニケーション手段を見間違えて『精神錯乱』と認定し、『保護』と称して後ろ両手錠で組み伏せることで心臓圧迫死で殺してしまった。この元となった警職法の、精神錯乱に基づく保護行為という規定自体がおかしい」

「前後不覚になって正気を失って取り乱すことが精神錯乱というわけですが、それと知的障害は全く別の次元にあります。警職法や司法も含めてそれがごっちゃになって、精神錯乱としか見ていない。この用語自体、削除が必要です」

また、健太さんの事件で、警察官は「保護する上で手錠が必要だった」と主張していた。

これについても藤岡さんはこう話す。

「仮に発達障害の人がパニックを起こしたとして、手錠がなければその人を守れないのだとしたら、特別支援学校の教室にも精神科病院にも手錠がたくさんあるはず。そうでなくても支援ができるのは当たり前です。知的・発達障害者は自宅でも手錠がなければ生活ができないなんて、そんなバカな話はない」

刑事事件であっても、人権抑制に関わる手錠の使用は厳格に規定されている。

「助けが必要な人を救護活動したという認定なのに、後ろ両手錠かけるなんてことが許されること自体、明らかにおかしい。保護行為で手錠を使うのは絶対禁止すると明記すべきです」

また、不審者と見分けるためには、知的障害、発達障害を理解することが必要だ。

「警察官や司法が無理解なので理解を促進するために、研修を義務付けなければならない。知的障害だと推認される場合はゆっくり見守るべきだという判例はこの事件で得られたので、知的障害に限らず、認知症の人も何百万人もいるなかで、配慮義務を法制化することが必要です」

25日のシンポジウムで意見書を公表 法改正を呼びかけへ

「知的障害にかかわらず、色々な障害で警職法の問題は認識され、警察に拘束されたケースもたくさんある。表に出ないケースがほとんどなので、これまで放置されてきた。根本にメスを入れて変えていきたい」と藤岡さんは言う。

この意見書は25日のシンポジウムで発表した後、障害者団体の全国組織「日本障害フォーラム(JDF)」で議論し、この意見書をベースに全国の障害者団体の案として国に法改正を持ちかけていくことを同会は期待している。

25日のシンポジウムにも登壇する健太さんの父、孝行さんはこの意見書について、こう話す。

「知的障害だけでなく精神障害を抱えた人はたくさんいるのに、警察官が犯罪者のように扱うのをなくしていかないと。警察学校でも警察官になってからでもいいけれど、施設関係を回って当事者の相手をする研修をしてほしい」

「2度と健太のような事件を起こさないように。願うのはそれだけです」

9月25日(土)に開かれるシンポジウム「警察官職務執行法の『精神錯乱者』は国際的に恥ずかしくないのか?~ 安永健太さんの悲劇を繰り返さないための提言 ~」(参加無料)の申し込みはこちらから