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「HIV感染を理由に歯科診療拒否は不法行為」東京地裁が判決 歯科クリニック側に賠償命令

HIV感染を理由に歯科治療を拒否するのは不法行為に当たるとして、歯科医院側に損害賠償を命じる判決が出されました。

HIV(ヒト免疫不全ウイルス※)感染を理由に歯科クリニックが男性患者(49)の診療を拒否したのは不当だとして男性が歯科クリニック側に慰謝料などを求めて訴えた裁判で、東京地裁の武笠圭志裁判長は3月5日、このクリニックを経営する医療法人社団スタデンと理事長に対し、慰謝料など22万円を支払うよう命じる判決を言い渡した。

武笠裁判長は「被告の診療の拒絶は正当な理由がないものであって、不法行為を構成する」として、HIV診療を理由とした診療拒否は違法だと認定した。

HIVは感染力の低いウイルスで、標準的な感染対策をしていれば十分歯科診療ができることが明らかになっている。また、自身が感染していることを知らずに受診する人もいるので、感染者をことさら別扱いする意味はない。

医療法人スタデンと理事長の代理人弁護士、荒川香遥氏は、BuzzFeed Japan Medicalの取材に対し、「HIVを理由として診療を拒否したことはこれまでもないし、今回もそういうわけではなくボタンの掛け違えがあって非常に残念。誤解を与えたことは真摯に受け止め、今後の診療に活かしたい」とコメントし、控訴はしない方針。

男性は「大きな前進であり、HIVに限らず様々な感染症の人たちが差別を受けずに治療できる社会になってほしい」と話している。

※HIV(ヒト免疫不全ウイルス) 現時点ではウイルスを排除することはできないが、治療薬を飲み続ければウイルスの増殖を抑えられ、寿命を全うできる。ウイルスが増殖し、免疫が落ちることでニューモシスチス肺炎など23の病気を発症した状態をエイズ(後天性免疫不全症候群)という。

矯正治療中にHIV感染が発覚 問い合わせると...拒否

判決によると、男性は2017年4月に前歯のすき間を塞ごうと、同法人が経営する「九段下スターデンタルクリニック」で歯科矯正治療の契約(約76万円)を結び、治療を始めた。

ところが、同年8月下旬、男性は自身がHIVに感染していることを知り、9月にクリニックにHIV感染の事実を電話で伝え、治療を継続できるかどうか問い合わせた。

電話を受けた職員は、クリニック院長でもある理事長に男性からの問い合わせ内容を伝え、指示を仰いだ。理事長はクリニックでの治療は不可能と職員に伝え、この職員は翌日、男性に治療ができないことを伝えた。他の医療機関への紹介もなかった。

クリニック側は解約手続きを進めようとしたが、男性はHIV感染を理由として診療を拒絶することは不法行為に当たるなどとして調停を申し立てた。スタデン側はこれに応じず、調停は不成立となり、男性は提訴した。

HIV感染を理由に治療拒絶は不法行為

裁判の最大の争点は、HIV感染を理由に、歯科クリニックが診療を拒絶することは法律に違反しているかということだ。

男性側は「HIVは感染力が非常に低く、標準感染予防策をしている限り、歯科診療は続けられる。よってHIVに感染しただけで治療を拒絶することには、歯科医師法19条1項の『応召義務(治療を拒んではならないという義務)』に定める正当な理由はない」と主張した。

第十九条 診療に従事する歯科医師は、診察治療の求があつた場合には、正当な事由がなければ、これを拒んではならない。(歯科医師法より)

一方、スタデン側は、

  • 治療は美容のための治療なので中止によって生命や身体に影響があるわけではない
  • 小規模なクリニックのため、全ての属性の患者を受け入れるには限界があり、針刺し事故などによってHIVにさらされる懸念がある
  • 美容のための矯正歯科医院はほかにも多くあり、他院での治療継続は可能


などの理由をあげて、治療を拒否したのは正当な理由があった、と主張した。

武笠裁判長は、理事長がHIV感染の事実のみを聞いて治療を拒否したと認定。

その上で、国の通知「医療機関等におけるエイズウイルス感染の予防について」では、HIV感染者という理由だけで医療関係者が診療を拒否したり、消極的になったりせずに診療に応じ、より専門的な治療が必要と判断した場合は適切な医療機関を紹介する対応を行うべきだとされていることに言及した。

さらに、厚生労働科学研究班の「HIV感染者の歯科治療ガイドブック」でも、ほとんどの患者でウイルスを検出限界未満にコントロールすることが可能となり、歯科治療時の特別な感染対策が必要でないことが指摘されていることなどに触れ、以下のように歯科医療機関が負うべき義務について認定した。

患者からHIVに感染している旨の報告があり、治療の継続を相談された場合にあっては、まず患者から、その症状や専門医療機関における診断の状況等を聴取した上で、自己の病院ないし診療所における治療態勢を検討し、場合によっては、エイズの診療協力病院に相談したり、都道府県単位のネットワークを利用したりするなどした上で、自己の病院等で引き続き治療を継続するか否かを判断し、治療の継続が困難であれば、他の医療機関を紹介するなどして、患者の症状を踏まえた治療に向けて適切に対応する注意義務を負っているというべきであって、HIVに感染していることを理由に直ちに診療を拒絶することは許されないと解するのが相当である。

その上でこうスタデン側の違法性を判断した。

「診療の拒絶は正当な理由がない者であって、被告スタデンの行為は原告に対する不法行為を構成するということができる」

一方、男性が精神的苦痛でうつになったという主張については、診療を受ける前から通院歴があるということで退けられた。

どんな感染症があっても安心して受けられる社会に

男性は今回の勝訴判決についてこう話す。

「医師や歯科医師は人を助ける職業のはずです。HIVを診てくれる医療機関では『薬さえ飲み続けていれば普通に生きられます』と言われたのに、日常生活を送るのに必要な歯科治療でこんなことがまかり通っているのはおかしい」

男性は、当初、治療を受け始めた時には、感染症の有無は問診票などで聞かれていなかった。

HIV感染症の治療を受けている拠点病院の主治医に、「通院している歯科には感染を伝えてくださいね」と指導され、スタデンに伝えたら診療継続を拒否された。

男性は、提訴後、通える地区の歯科医師会に「HIV陽性者でも治療を受けられる歯科医院」を紹介してほしいと問い合わせたが、紹介してもらえなかった。

今は治療を諦めている。

「どんな感染症があろうが、安心して治療を受けられる社会になるよう、国がある程度の強制力を持って整備してほしいです」

HIV感染者の歯科医療、現状はどうなっている?

HIVはHBV(B型肝炎ウイルス)、HCV(C型肝炎ウイルス)に比べてはるかに感染力が低く、さらに、これらのウイルスに感染していることを知らずに受診する人もいると考えられる。

厚生労働科学研究班の「HIV感染者の歯科治療ガイドブック」にも書かれているように、HIV感染者の歯科治療は、標準的な院内感染対策(スタンダードプリコーション)を行っていれば問題なく、ことさら特別な対策は必要ない。

血液や唾液のついた器具の消毒、滅菌や適切な廃棄を徹底し、直接、血液や唾液にさらされないように手袋や保護用眼鏡、フェイスガード、マスクなどをつける。

HIVに限らず、すべての感染症について、歯科医療従事者だけでなく患者を感染から守るために、歯科医療者が当たり前に行っていなければならない対策だ。

万が一、針刺し事故など、感染者の血液にさらされた場合は、抗ウイルス薬の予防的な服用で感染を抑えることができる。

さらに、国も、2018年度の診療報酬改定で、歯科医療の院内感染対策の強化に乗り出した。

HIVに限らないが、院内感染防止のために必要な滅菌機器を備え、院内感染防止対策の研修を4年に1回以上、定期的に受講している常勤の歯科医師が1名以上いる歯科医療機関に対し、初診料や再診料が上乗せされることになったのだ。

HIV感染者を積極的に受け入れている歯科医院

積極的にHIV感染者を受け入れている歯科医院もある。鈴木歯科クリニック(東京都品川区)の鈴木治仁院長は、1994年からHIV感染者の患者の歯科診療を始め、これまで113人の患者を診てきた。

HIV感染者に対して、ことさら特別な対応をしているわけではない。

「当院では、全ての患者が何らかの感染症があると考えて、患者ごとに器具を交換することはもちろん、薬剤滅菌と高圧蒸気滅菌を併用した感染対策システムを徹底しています。誰に対しても行う通常の感染対策です」

エイズを発症した患者も診たことがある。血液がたくさん出る抜髄、いわゆる「神経を抜く」処置を初めてした時は緊張した。治療を終える時「誰も診てくれなかったのに、本当にありがとう」と言ってくれたその言葉を胸にずっと続けてきた。

「拒否しないのは感染対策が十分できているという自信があるからです。感染を知らない患者もいるので、感染対策をしないクリニックは無責任。拒否する先生は逆に自信がないわけですから、患者はHIV患者を診るところを選んだ方が安全です」と話す。

1995年には、HIVに感染した患者を診る仲間を増やそうと「東京HIVデンタルネットワーク」を設立し、情報交換や啓発活動を続けてきた。以前、患者に無記名のアンケートをした時は、92%がHIV診療を「良いことだと思う」と答えてくれた。風評被害はない。

その上で、今でも診療拒否があることについてこう述べる。

「『HIV感染症の事を分かってはいるけれど...なんか嫌だな』という心理的な拒否も多いです。医療従事者として冷静に対処することが必要だと思います。歯科医師法によって診療に応じる義務が課せられており、心理的に嫌だというのはそれに反することだと思っています」

そして、拒否したとしても、実際には診ているはずだと強調する。

「感染してからエイズ発症まで5年以上、無症状の期間が続くと言われており、その間、HIVに感染している事を知らずに生活している陽性者がたくさんいます。歯が痛くなったりして歯科医院に来院される陽性者も多いはずで、歯科医も陽性者であることを知らずに治療をしていることもあるはずです」

「そもそもHIVの感染確率は針刺し事故で血液が体内に入っても0.3%と低いのです。診療拒否はナンセンスな話で、スタンダードプリコーションの考え方を取り入れた感染対策をしていれば受け入れに問題はないという論理的な思考が必要です」

HIV感染症を診る医師たちはどう指導している?

HIV感染者を診ている医師たちは、患者が歯科医療を必要とする時、どうしているのだろう。

男性は利用できなかったようだが、東京都では、歯科医師会と協力した「東京都エイズ協力歯科医療機関紹介事業」があり、約100件のクリニックが登録されている。

本人から希望があれば、主治医はそこを紹介する。統一された紹介状もあり、本人も窓口でHIVに関して話す必要もないよう整備されている。

東海地区のブロック拠点病院としてHIV感染者を診る名古屋医療センターのエイズ総合診療部長、横幕能行さんは、まず基本的な考え方としてこう話す。

「現在、HIVの感染対策としては標準予防策で十分ということがわかっています。したがって、医科および歯科の医療者は、患者がHIVに感染しているかどうか、治療中かそうでないかにかかわらず、診療に対応するスキルは持っていることになります。他の感染症についても同様の扱いであるべきです」

「歯科施設の院内感染対策を強化する診療報酬については、ほとんどの施設が届出をしています。これらの施設では、感染症の有無に関わらず、標準予防策を実践する体制が確保されていることになっています」

ただ、感染管理について診療報酬上の加算が認められているにも関わらず、十分対応できていない現実についてはこう説明する。

「歯科医はほぼ開業医さんです。歯科診療施設には、歯科衛生士や法的な保証のない歯科助手などを含む様々な従事者がいます。医科にもあてはまりますが、従事者の診療技術や施設の設備、また、卒業後の研修内容には差があります」

「これらの様々な要因を考えると、歯科診療施設の診療内容の質に差があることはやむを得ないのが現実だと思います」

そして、歯科医院で働く様々なスタッフに感染対策のための十分な知識や技術を医療側からも提供することが大事だと訴える。

「医科からは患者さんの定期的な口腔ケアを依頼することもありますが、その際に歯科衛生士さんが担当することが多い歯石除去も、血液が混じった飛沫が発生しますから、感染リスクをあなどることはできません。歯科診療の理解をはかりながら協力していくことが大切だと思います」

HIV歯科診療ネットワークの整備は都道府県によってバラバラ

その上で、横幕さんは医療者が適切な医療を提供し、医療者・受診者の双方が安全を守れるよう、病名を伝えた方がいいと考えている。

「歯科医師会などが中心となって、HIVに感染していても安心して受診できる歯科医療施設のリストを都道府県ごとに作成し、紹介する際の連絡窓口を作っています。まだ設置されていない自治体もありますが、病名を知らせずに受診するのではなく、紹介状を介して確実に情報のやりとりを行うことで、必要かつ適切な医療が受けられるようにしています」

2018年の段階の各都道府県のHIV歯科診療ネットワークの整備状況

ただし、こうした関係者の情報ネットワークが作られつつあるものの、病名を知らせずに受診している感染者は少なくない。

「新たな歯科診療施設に受診する場合はしっかり伝えたいという人が多いですが、感染がわかる前からかかっていたところには今さら言えないという人もいます。実家や職場のご近所さん、家族ぐるみ、といった理由からです。今もプライバシーには格段の配慮が必要という社会の現状が背景にあります」

厚生労働科学研究のエイズ対策研究事業でHIV感染者で歯科医を探したい時の連絡リストはこちら

裏リストを作っている自治体も

拠点病院の神戸大学感染症内科教授の岩田健太郎さんも「患者さんには感染の事実は伝えたほうが良いと伝えています」と話す。

なぜなら、歯科医院の中には、標準感染予防策が徹底されておらず、歯を削る治療機器などを消毒せずに使いまわしている例があるからだ。

国立感染症研究所などの研究班が2014年1月までに3152の歯科治療施設に調査し、891施設から回答を得た結果によると、患者ごとに必ず交換していると回答したのは34%に過ぎなかった。

「交換していない」が17%おり、約66%で標準的な感染予防策を取っていなかったことになる。

岩田さんはこう指摘する。

「HIVに感染していると告げて対応してくれる歯科医ならちゃんと感染対策ができているということでよいスクリーニングになります。慌てふためく歯科医なら、標準予防策出来てない可能性が高い。消毒すらちゃんとしてない歯科医もまれにいて、その場合は他の患者の二次感染リスクになります」

「本来は歯科医師会でHIV感染者を見てくれる歯科医リストを作るべきなのですが、それをすると風評被害で開業医は大変だったりします。本当に残酷なのは患者さんだったりするのです。神戸では『裏リスト』を作って、我々で共有しています」

ぷれいす東京代表・生島嗣さん 「HIV申告によらない感染症対策の推進は誰の健康にとっても有益」

HIV陽性者の支援をしている「認定NPO法人ぷれいす東京」代表の生島嗣さんが判決についてコメントを寄せてくれた。

歯科診療における「院内感染防止対策の推進」は、近年の診療報酬の改定にも位置付けられている。しかし、実際には歯科医師に感染の事実を告げたら、診療が拒否されたというHIV陽性者たちからの相談が、残念ながら存在している。

その理由としては、「院内の感染症対策が十分でないから」「スタッフの理解が得られないから」というものだ。その背景に感染症対策への自信のなさが透けて見える。HIV陽性者が感染の事実を歯科医師に告げるべきかどうかは、日本の現状では、個別に判断せざるを得ない。

HIVというウイルスの感染力は弱く、適切な予防策を講じることで、他者への感染を防ぐことができる。この事実を踏まえて考えてみると、事前に伝えることで診療拒否されることは、HIV陽性者にとり、納得できるものではない。

HIV陽性者から歯科の受診について相談を受けた際には、「HIV陽性者を受け入れる歯科は感染症対策に自信があるところが多く、新たに感染症をもらわないために、お勧めします」と伝えている。

感染症への対応に自信のない、感染防止策の推進を棚上げにしている歯科医療機関がHIV陽性者を拒否している状況がある。

実はこれ、誰にとっても、重要な意味を持つ。HIV陽性者の歯科診療は、ある意味、炭鉱のカナリヤ的な存在だと感じている。歯科医療機関がHIV陽性者にどのように振る舞うのかで、感染対策の脆弱さが見えてくる。

日本においては、実際にHIVに感染している人の8割がその事実に自分で気づき、2割はその事実を知らないでいると推定されている。他の感染症、未知の疾患でも同様のことが起こりうる。

個人の申告に依存しない、感染症対策の推進は、誰の健康にとっても有益なのだ。