子宮頸がんや肛門がんの原因となるヒトパピローマウイルス(HPV)への感染を防ぐワクチン。
無料でうてる定期接種でありながら、厚生労働省が2013年6月に積極的勧奨を差し控えてから、接種率は1%未満に激減。先進国で唯一、ワクチンで守れる命を守れない特殊な国となっている。
子宮頸がんは毎年1万人が新たにかかり、約3000人が死亡している。なんとか接種率を回復しようと、県独自に様々な対策を打ち出してきた伊原木隆太・岡山県知事に、BuzzFeed Japan Medicalは話を聞いた。
知事の驚き 「なぜこんな大きな課題が残っている?」
ーー厚労省のHPVワクチンの積極的勧奨差し控えが8年以上も長引く中、岡山県は独自の啓発リーフレットも含めて、独自にHPVワクチンの推進をしてきましたね。何がきっかけだったのですか?
私自身、そんなにすごいきっかけがあったわけではありません。例えば妻が子宮頸がんにかかった経験などがあったわけではなく、担当者から説明してもらったな、というぐらいなんです。
ーー地元の産婦人科医の団体から働きかけがあったというわけでもないですか?
政治的なプレッシャーは一切ありませんでした。
これだけ、人生これからという年代の人たちの命が関わっていて、他の国ではほぼほぼ解決に向かって日々進んでいる。日本でいろんな経緯があるのは知っていますけれども、そんな良いワクチンがあるのに決断できていない。
知事という立場にいるのに動いていない方がおかしいです。
私からすると、なぜ他の知事や市長が私と同じぐらいギャーギャー言っていないのかがよくわからない。命を守るために人を幸せにするために、どこの県庁も日々頑張っているわけですが、だいたいやれることはやり尽くしています。
予算制約の範囲でできることをやっているのですが、こんな大きな課題が残っているというのがびっくりです。
これ以外に私は交通事故を減らすことも気合を入れてやってきました。
岡山県は190万人ぐらいの人口ですが、地下鉄などがあまりないこともあって、毎年110人ぐらい交通事故死するのは仕方ないと説明を聞いていました。
でも110人は結構すごい数です。これを1割減らせる道路改良とか、いろんなことができたら、毎年10人ずつ減らせるのは大きいよね、ということで、それまでとは違うプレッシャーをいろんな部署にかけました。
その結果、今は死者数が70人を切るぐらいまで減っています。
リーフレット、知事も顔写真入りでメッセージ
ーー岡山県独自のリーフレットは科学的根拠に基づく安全性や有効性の最新データを紹介し、「国は積極的勧奨をしていません」など読んだ人を惑わせる言葉もない。赤ちゃんと子宮を同時に失った女性の体験談も入れ、感情にも訴える内容になっています。よくできたリーフレットだなと感心するのですが、何か指示はしたのですか?
とにかく、これだけ世界中で使われている良いワクチンなのに、当時の国のパンフレットは、副反応がこれだけあるとか、読めば読むほど怖くなるような内容で誠実に作れていませんでした。
当然ながら、推奨側に立った場合は、反対している人たちの攻撃の的になりますが、薬害の確率は非常に低い。なので、推奨側に振り切って、思い切って我々のスタンスを打ち出すことを考えました。
とにかくHPVワクチンの問題は「責任者不在」の状況です。厚労省が責任を取らないと言っているからみんな怖がっているわけです。
どれぐらい皆さんが私のことを信用しているのかわからないですが、厚労省の代わりに私が名前と顔を出して、厚労省の代わりに推奨する。
退任後にどれだけ岡山を住みやすく良くするかを考えて、かなり気合を入れてリスクを取ったリーフレットになります。訴訟を起こすならこれを見て起こしてくれ、ぐらいの感じです。
かなり身構えていたのですが、今のところ何も訴訟は起こされていません。
私は知事になった時に、そういうことに巻き込まれることはかなり覚悟しました。
3年前の水害の時も超法規的な指示を出しているのです。例えば、道路に転がった車や救急車や自衛隊の通行の邪魔になっているので、所有者に連絡して自分でレッカー移動するのを待たずに、我々の方で撤去するなどです。
ーーただ、知事のスタンスと市町村長のスタンスは違うこともあると思います。市町村にはどのように働きかけていますか?
市町村にちゃんと県のパンフレットを配ってくださいとお願いをしています。しかし、この問題は多くの市町村長にとって、関わるとトラブルになる、関わりたくない案件と捉えられていると感じながら働きかけを続けてきました。
ところが、厚労省が昨年10月に「個別にお知らせをしてくださいね」と通知をしてから、ガラッと変わりました。やはり厚労省の、国の威光をひしひしと感じているところです。
ーー予防接種を担当する市町村に与える影響という意味でも積極的勧奨の再開は効くと見ていらっしゃるのですね。
まさにその通りです。知事の言葉よりも、100倍国の勧奨の方が効きます。
VTuberを使った啓発動画も 接種率0.6%→23.4%に
ーーHPVワクチンに関してはリーフレット以外には何をやってきたのでしょう?
そのほかには、専門のホームページ「HPVワクチンの接種を検討されている皆様へ」を2019年に開設しました。
また、VTuberを使った若者向けの啓発動画をYouTubeで公開し、学校現場の啓発でも活用しています。
県内の市町村で開催された成人式では、HPVワクチンのリーフレットや啓発グッズも配布しています。
インターネットによる意識調査では「子宮頸がんの予防法について正しく知っている者の割合」を把握し、中学・高校の養護教諭研修会、中学校校長会、町村長会議等で説明したり、 市町村職員研修会やがん征圧大会での特別講演、岡山県立大学大学祭での啓発なども行ってきました。
自民党の「HPVワクチンの積極的勧奨再開を目指す議員連盟」でも、私が岡山県の取り組みを講演しました。
今後は、妻を子宮頸がんで亡くした男性らを招いた県民公開講座も計画しています。
ーー効果はデータで出ていますか?
13歳の女子数で接種者数を割った接種率を出しています。
2016年は0.6%だったところから少しずつ上がって、
2017年は0.9%
2018年は2.6%
2019年は10.2%
2020年は23.4%になりました。
これを見ると、ギャーギャー言った甲斐が少しずつ出てきたかなという感じがします。ただこれは1回目の接種者数で計算しており、3回目まで全員がたどり着けているわけではありません。少し高めに出る数字です。
富山県もすごく頑張って数字を上げていますね。
全国の底上げが進むのが非常に大事です。
メディアへの注文
ーーこの8年間を見てきて、メディアへの注文は何かありますか?
定期接種になり、積極的勧奨を始めて、副反応疑いで困っている患者さんが出ている時に、それを記事に取り上げることは正しいことだと思います。
「なんか変なことが起きているよ」と誰かが言い、みんなが注目して調べて、「早く気づいて良かった」ということもあるわけです。最初にみんながワーッと報道したことに関しては、報道機関の務めを果たしたわけで、これについてどうこう言うわけではありません。
でもその後、色々調べていく過程で、「これはおかしい。辻褄が合わないね。他の国で順調に進んでいるのに、なぜ日本だけこうだったのだろうか?人種的な違いなのか。日本で認可された時のデータはどうなっているのだろう」とか、それぐらいの取材はなされるべきでした。
例えば、名古屋スタディ(※)は、河村たかし市長が薬害ではないかと疑い、科学的な大規模な調査をすればワクチン接種をした人に有意に副反応が出るのではないかと考えて行った調査だと思います。
※名古屋市3万人の女子を解析した研究で、HPVワクチンを接種していない人にも接種後に訴えられた症状が出ていることがわかり、ワクチンと症状は関係ないことが示唆された研究。HPVワクチンの安全性を示す重要な研究の一つ。
データの出方によっては、うってはいけないワクチンの可能性もあるわけですから、結果をきちんと皆さんにお伝えするのは、政治的スタンスもあるのでしょうけれども、善意に基づいた行動だと思います。
ただ、その後がびっくりする展開になりました。接種を受けた人、受けなかった人で出る症状に差がなかった。他の先進国でのいろんな調査と同じく、この症状はHPVワクチンとは関係ない、思春期の影響とかなのでしょうねーーという結論が、統計学の常識から言って当たり前に見えます。
しかし名古屋市長は自分の政治的スタンスと相入れないということで、その結果を封印してしまったわけです。いまだにきちんとデータの開示もしていない。
自分に都合のいいデータであればどんどん出して宣伝するし、都合が悪いなとなればなかったことにする。そういった現代ではあり得ないような恣意的なデータの取り扱いに対して、主要メディアが文句を言っていません。
これは、果たして現代日本で起きていることなのだろうかと、不思議に思います。
メディア各社が最初の頃に反ワクチンで動いたことはしょうがない。自分たちがポジションをとってしまったと考えて、メンツを重視したのか知りません。
しかし、それぞれの時で永遠の真実がわかるわけではありません。今の時点でこう見える、こういうデータが出てきた、こういう可能性が強くなってきた、ということを、メディアはこれまでのスタンスに捉われずに発信していただきたいと思います。
副反応への不安 症状がある人には支援を、これから検討する人には事実を
いろんな理由で、ワクチンはうちたくないんだ、怖いんだという人にまでうってもらうつもりはないのです。
HPVワクチンは色々あるワクチンの中ではかなり良いワクチンだと思っています。それをぜひきちんとお勧めして、判断を委ねたいということです。
ーー副反応に不安な方は今もいらっしゃると思います。その人たちに対して、どういうことを呼びかけたいですか?
私の中では不安な方は2種類いらして、「副反応疑い」を経験した方は、国がぜひしっかり支援をするべきなのだと思います。人数がそんなに多いわけでもなく、つらい思いをしているのは事実なのですから。
その方々は「本当に痛いのです」「苦しいのです」と言っても、どこも悪くないということで仮病や詐病扱いされて、非常につらい思いをされてきました。
そこはきちんと公費で救済をしてほしい。だからといって、その人たちはこれからワクチンを受けるか受けないかを考えている人に、受けさせないような働きかけはしないでほしい。
また、今からワクチンを受けようかどうか考えている人には、とにかく事実を伝えたい。
他の先進国で非常にうまくいっている、命を救う可能性があるワクチンなんですよとお伝えする。こんなことがあったのですよとも伝えて、最後は自分で判断してもらいたいと思っています。
国は積極的勧奨再開を、あとはフォローアップする
ーー今後、HPVワクチン問題にどう取り組んでいきたいと思っていますか?
私自身、HPVワクチン問題でこんなにギャーギャー言うことになるとは思っていませんでした。
国が積極的勧奨を再開していただくと、元々(接種率は)7割あったわけですから、私は7割から8割の接種率が回復されると期待をしています。
国の方でそういう風にきちんと元どおりの段取りをしていただければ、我々は1都道府県としてきちんとフォローアップをしていきます。
未来に向けては積極的勧奨が再開されたら「良かった」となるのですが、この8年間、受けるべきだった人が受けられていない。そのフォローアップをどうするのだという問題もあります。
また、そもそも定期接種になる前の人はワクチンを受けていないわけです。
以前だったら子宮頸がんはお年を召した方の病気だったのが、かなり若い人も発症して亡くなられています。ですから、やはり検診も大事です。これも引き続き岡山県として淡々とやっていくことになると思います。
コロナ禍はHPVワクチンにとってチャンス
ーーコロナ禍でこれほどワクチンの重要性が意識されたこともないと思います。HPVワクチンの大事さを伝えるのに良いタイミングとも思いますが、どう考えますか?
コロナウイルスに対するワクチンは5年は出てこないだろうと言われていたのが、mRNAなどの新技術を使って本当に早く出来上がりました。しかも9割の効果があるような非常に出来のいいワクチンです。
やはりワクチンってすごいのだなと思う人が出てくる時がチャンスなので、HPVワクチンの啓発も頑張ろうと中国地方知事会でも話し合っていたところなのです。
日本で言えば、戦争直後は子供もごろごろ死んでいました。でもある特定の病気についてはワクチンで予防できることになりました。
最初の3年で1万人ぐらい死んでいた感染症でほぼ死者がいなくなったことがいくつかの病気で起きて、新生児の死亡率が下がり、科学ってすごいな、これまで救えなかった命が救えるようになったと感激していたと思います。
でもそれが当たり前になってくると、今度は副反応がすごく気になってくる。百日咳は1万人日本で死んでいたのが、ワクチンのおかげで死者がいなくなりました。そのタイミングで副反応疑いが出て、マスコミに取り上げられて大騒ぎになりました。
参考:HPVワクチンで救える命を見殺しにしていいのか? 大手新聞社が握りつぶした幻の記事を再掲
その病気による死者が出ていない時代に、なぜ子供がワクチンの副反応で死ななければならないのだと言われ、2ヶ月ほど接種が止まったことがある。接種率はなかなか回復せずに病気がまた増えて、百日咳にかかって死んだ赤ちゃんがその後5年間で100人を超えたそうです。
こうした歴史を考えると、今回のコロナ禍はワクチンの名誉挽回の大きなチャンスです。
HPVワクチンもネガティブなところにスポットライトが当たりましたが、ポジティブなところもネガティブなところも両方きちんと評価すると、かなりポジティブな部分が大きい。
「被害者団体」の方が言っている被害人数が全てワクチンのせいだとしても、その人数の何倍もワクチンをうたないことで死んでいるわけです。そして死んでいる人の何倍も子宮を取ったりして苦しんでいることを考えると、ワクチンってすごいなと思います。
HPVワクチンにとっては、ある意味でチャンスだと思っています。
(終わり)
【伊原木隆太(いばらぎ・りゅうた)】岡山県知事
1966年生まれ。岡山県出身。1990年3月、東京大学工学部卒業。外資系経営コンサルティング会社で働いた後、1995年6月スタンフォード・ビジネススクールを修了し、MBA取得。岡山県を中心にデパートを経営する株式会社天満屋代表取締役社長を経て、2012年11月、岡山県知事就任。現在、3期目。
訂正
百日咳ワクチンの中止期間を訂正しました