世田谷一家殺人事件 事件現場となった家屋内を遺族が一部メディアに公開

    警察から取り壊し要請を受けて、遺族が一部メディアに事件現場となった家屋の中を公開しました。「証拠の保全も十分できたかどうか判断できない状態で、このままここを無くしてしまっていいのか、メディアを通じて皆さんにも見てもらいたいと思いました」

    2000年の大みそか、東京世田谷区の住宅で、宮澤みきおさん(当時44)と妻の泰子さん(同41)、長女にいなちゃん(同8)、長男、礼君(同6)の一家4人が何者かに殺害されて未解決の「世田谷一家殺人事件」。

    遺族の入江杏さんは、1月18日、事件現場となった宮澤家の中を、一部の報道陣に事件後、初めて公開した。

    この家屋は事件前に東京都に公園用地として売却していたが、事件解決のための重要な証拠として、警察からの依頼を受けて、遺族が保存のための手続きを19年間取っていた。

    しかし、今年になって、犯人逮捕や立証に必要な証拠の保存が済んだとして、警察から取り壊しの要請を受け、遺族は戸惑っている状況だ。

    入江さんは、「証拠保全は十分だと警察は言いますが、事件が未解決のままこのまま無くしてしまっていいものなのか。メディアを通じて皆さんにも4人が一生懸命生きていたことや現場の状況を肌で感じていただき、事件解決につなげることができれば」と公開した理由を語った。

    その後、入江さんは捜査本部の置かれている警視庁成城警察署に弁護士と赴き、早期取り壊しとならないように求める要望書を署長あてに提出した。

    にいなちゃんが遊んだフラフープ、礼君が発見された二段ベッド

    この日は、これまで入江さんの取材を続けてきたテレビ2社、新聞数社、BuzzFeed Japan Medicalが声をかけられた。

    雪の降る中、錆びついてきしむドアの鍵を開けて入江さんや弁護士が中に入ると、カメラや照明を抱えた報道陣約15人が続いて中に入った。

    どの部屋も、警視庁が室内に置かれたものをつめた段ボール箱が積み重ねられていた。

    玄関を開けてすぐにあるのは、みきおさんが書斎として使っていた部屋だ。本好きのみきおさんが蔵書や趣味のカメラを並べていたという作り付けの壁一面の本棚がある。

    入江さんはこの本棚を見ても、胸が痛む。

    「本棚が防音の役割も果たしていて、それで私たちが犯行に気づかなかった可能性もあるんです。隣に住んでいたのになぜ気づいてあげられなかったのかと、事件以来、私はずっと自分を責め続けてきました」

    すぐそばには、にいなちゃんが遊んだ紅白のフラフープがかけられていた。

    部屋を通り抜けて2階に続く階段の下で、みきおさんは倒れていたという。

    大人二人ではすれ違えないほど狭い階段を登ると、子ども部屋の前の2階の踊り場が泰子さんとにいなちゃんが倒れていた場所だ。

    そこに立った入江さんは、「やっちゃん(泰子さん)が一番傷を多く受けていたのですが、子どもたちを守りたかったのだと思います。にいなちゃんも勇敢な子でしたから、最後まで諦めずに戦ったのでしょう」と涙をぬぐった。

    子ども部屋には末っ子の礼君が窒息死して発見された二段ベッドがあり、にいなちゃんが練習したピアノが置かれていた。

    背比べをした線が残る壁 4人が囲んだテーブルに子どもたちの学習ポスター

    3階の居間を入ったすぐの壁には、にいなちゃんや礼君の背くらべを記録した鉛筆の線が残っている。

    にいなちゃんの「に」の字の脇に、うさぎの絵も描かれていた。

    入江さんは愛おしそうに指でなぞりながら、突然未来を絶たれた二人の子を悼む。

    「この一番下の線に比べたら、こんなに大きくなっていたのに。そしてまだまだ大きくなれたのに。2000年11月が最後になって、もう2度とかけなくなってしまいました」

    この背くらべの記録は、当初、警察が置いた段ボール箱で隠れていたのを、入江さんが箱をどかして再び見えるようにした。

    6畳ほどの居間には一家4人が囲んだテーブルがあり、生前は壁に貼られていたという、数字やカタカナの学習ポスターが置かれていた。

    「礼君は発達障害があったので、やっちゃんは余計、こういうもので追いつかせてあげようと努力していたんですね」

    子ども用のいすの後ろに置かれた食器棚の引き出しは一つ、抜かれた状態のままだった。

    「犯人が抜いたようで、重要な証拠として警察が調べるために持っていったのです」

    12月26日に警察が通知書 「現場を体感する機会が失われるのでは?」

    なぜこの時期に、入江さんは報道陣に公開しようと考えたのだろう。

    2019年3月に、警察は老朽化による破損が進み、周囲に危険が生じる可能性があるとして、遺族に取り壊しの打診をしていた。さらに、同年12月26日、この家屋の保存を遺族に要請していたのを解除すると告げる「要請解除通知書」を成城警察署長名で渡してきたのだ。

    「事件の日の前というのは遺族にとって心がざわつく、とても辛い日です。そんな時に、『これまでのご協力に深謝します』とあるだけで、『建物についての証拠保全措置が完了した』という理由一言で、保存する必要がなくなったと告げてきたのです」

    証拠保全の方法にも疑問を持っていた。3Dで立体的に記録したという映像を見せてもらったが、実際よりもずっと広く感じる画像で、全くリアリティーを感じられなかった。

    「現場を見ていただいたら、とても狭い場所で逃げることも難しかったのだとわかっていただけたと思いますが、そんな現場の実感が伝わらない。証拠は本当に十分保存されているのか、十分な説明も受けていません。未解決事件なのに、憤りを感じました」

    入江さんは1月15日、報道陣の公開の前に中に入って驚いた。

    「5年前に入った時は家の中はほぼそのままで、洗濯物も干されたままになっていましたし、子どもたちやお客さんと食べるために買っておいた鳩サブレが食卓の上の菓子鉢に入ったままになっていたんです。それが今回入ったら、段ボール箱に全ての荷物が入れられていました」

    「引越しの前のような状況になっていて、警察の取り壊しをして片付けるという気持ちは伝わってきましたが、未解決事件を解決に導きたいという意欲は私には感じられませんでした。強い熱意よりは、早くなかったことにしたいという思いが感じられたのが残念でなりません」

    警察からは、2月から家屋全体を覆っている防護用のネットを取り外し、24時間警戒のために家屋前で見張っている警察官も、数時間おきの見回りに変更すると言われている。

    保全を解除すると、30日以内に更地にして東京都に返還する義務がある。

    「もしかして、この機会を逃したら、メディアを通じてみなさんに見ていただく機会が失われると思いました。4人の人生の肌触りを体感して頂きたかったし、本当に証拠として保存しなくていいのか、現場を体感して一緒に考えてほしかったのです」

    入江さんの代理人を務める梓澤和幸弁護士は、「刑事事件においては、立体的な建物の状況、現場が狭い、階段の幅が狭いという違いは現場を保存しなくては伝わらない。今、急いで引越しの準備のようなことをするのは極めて疑問」として、取り壊しを見直すよう訴えた。

    成城署に早期取り壊しがないように求める「要請書」を提出

    入江さんは報道陣への公開後、成城警察署に弁護士3人と共に行き、12月26日に警察が渡してきた「要請解除通知」の撤回を求める要請書を提出した。

    証拠保全にあたり、万全の措置を取られたとのことですが、具体的にどのような措置が取られたのか、万全の措置を取ったにもかかわらず、未解決の現実に、遺族としては不安以外の何もありません。

    どのような理由で証拠保全措置が完了したと判断したのか、未解決の状況で現場家屋を取り壊すことが適切なのか、ということについて、納得する説明を受けていません。

    (中略)

    警察は、取り壊しの決断に際しては「遺族に委ねる」と言明されました。その言葉通り、私は、私個人が負わなければならない判断・決断に対して責任を全うしなくてはならないと感じています。警察から十分な説明がない状況では現場家屋の取り壊しはできないと考えています。(要請書より)

    入江さんは言う。

    「はじめに警察から取り壊し要請を受けた時、『仕方ない』と私も宮澤さんのお母さんも考えていました。でも、未解決の事件なのに『仕方ない』と諦めたら、4人になんて答えていいのか。4人に委ねられた責任をどう果たしたらいいのか」

    そこで、今回、報道陣への公開と早期取り壊しを阻止するための要請書提出に踏み切った。

    「何もしないで終わることはできなかった。何もしないではいられなかったのです」

    訂正

    背比べの最後の日付を訂正しました。