専門家からも安全対策を不安視する声が上がる中、開催に向かって突き進む東京五輪。
ワクチン接種も加速するものの、新たな変異ウイルスの脅威も無視できず、安全に開催できるのかは未だにわからない状況だ。
感染症専門医として、この状況をどう見るのか。今何を議論すべきなのか。神戸大学感染症内科教授の岩田健太郎さんに聞いた。
※インタビューは6月9日朝にZoomで行い、その時点の情報に基づいている。
開催の是非や対策は、医学的な議論をすべき
ーー先生は感染症の専門家は東京五輪について見解を示すべきだとおっしゃっています。東京五輪の開催の是非や、対策についてどのように考えていますか?
オリンピックが開催できるかどうかは、新型コロナウイルス感染症の様相次第です。つまり、他の要素は一切、オリンピック開催是非の根拠にならないと考えます。例えばお金の問題などです。
これは純粋に医学的な問題で、公衆衛生学、感染症学の視点からオリンピックを開催することができるかどうかを議論すべきだと思います。
経済学者や政治家ができるできないを議論するのではなく、可能か可能でないか、専門家が純粋に科学的に論じるべきだと思います。
日本の場合は、できるできないを判断する根拠がそもそも示されていません。典型的なのは菅義偉首相で、「一丸となってやります」と言っているだけです。
何を根拠にできると言うのか、そもそも開催できるとはどういうことなのかが全く説明されていません。
丸川珠代・五輪担当相もそうですし、JOCもIOCもそうです。根拠がない上滑りの言葉ばかりで、そもそも議論の仕方が間違っています。
ーーお金の問題やIOCとの駆け引きが、なんとなく開催の理由とされていますが、それを根拠とすべきでないと考えるのはなぜですか?
今の緊急事態宣言は、完全にオリンピック開催を前提としていると思います。東京ではかなり感染者が減っており、従来なら「もう解除していいのではないか」という声が上がるはずです。それをしないのは、明らかに五輪開催を計算に入れているからです。
お金の問題で言えば、野村総合研究所の試算によると、オリンピックを中止するコストよりも、緊急事態宣言のコストの方が膨大だと示されています。
五輪を中止する損失はあると思いますが、五輪を開くために続ける緊急事態宣言の方が経済的損失が大きい以上、お金の問題は議論のポイントにはなりません。
また、お金の議論にすると、誰の財布が痛むのかが問題になります。営業を中止させられている飲食店の損失なのか、IOCのお金なのか、放映権を持つテレビ局のお金なのか。
誰のお金の議論をしているのかという意味で、議論が散らかってくる可能性が高い。単なる利益の取り合いの議論にならざるを得ず、建設的ではないと思います。
盛り上げない五輪なら開催できるが...延期がいい
ーー医学をベースに議論すべきだというのは、人の命がかかっているからですか?
もちろん人の命は重要です。
今、オリンピックを止めるべきだという意見は、コロナウイルスだけがポイントでしょう。それ以外の議論はあまり出ていないので、感染症が議論のポイントになるべきだということです。
ーー新型コロナ分科会の尾身茂会長が国会で東京五輪の安全性について懐疑的な発言をし始め、近々、有志で専門家としての意見をまとめて公表すると言っています。支持しますか?
専門家が自分たちはこう考えるという見解を明確にするべきだと思います。尾身先生がそうおっしゃるのは当然です。
逆に言えば、公衆衛生や感染症の学会が立場を明確にしないのはずるい。「こういう風にやれば安全に開催できます」でもいいのです。五輪開催の方針を示す「プレイブック」はあくまで会場の中での感染対策です。国全体の対策には全く言及していませんね。
ただ、ここ1週間ぐらいで少し議論が具体的になってきたのはいいことです。メディアの行動をGPSで監視するとか、行動制限をするなど、具体策がだんだん出てきました。
今まではとにかく「安全・安心にやる」だけだったのが、どうやったら安全にできるかという議論に移ってきたのは良いことです。壊れたレコードのように「安全・安心」を繰り返すだけでは不安は増すだけです。
ーー先生ご自身は今出ているデータを見て、東京五輪はどうするべきだと考えますか?
できるかできないかというよりも、やるとすればどういう条件かを考えて議論すべきだと思います。
つまり、最初から「やる」と決めている人と、「やるな」と決めている人が議論すると、自分の意見に議論を引っ張ろうとする利益誘導の議論になります。水掛け論になってもの別れです。
どちらも「開催できる根拠はどこにあるのか」「できない根拠はどこにあるのか」という議論をすべきだと思います。やりたくない人も「こういう条件ならやってもいい」という意見を持つべきだし、やりたい人も「この条件ではさすがにできないよね」という意見を持つべきです。
そういう条件があって初めて理性的な議論ができる。最初から結論ありきの議論では、単なる信念論争になって不毛です。
議論が平行線になると、時間がいたずらに過ぎてしまいます。大学の教授会なんかが典型的だと思いますが、最後は時間切れになって「えいや!」と決めてしまう。みんな疲れて、重大な案件ほど雑に物事が決まる「日本の会議あるある」の事態になります。
ーー今の感染状況で、7月23日スタートというスケジュールは可能だと思いますか?
やり方によっては可能だと思います。無観客で、選手を呼んできて、メディアも制限して、静かにやる。パブリックビューイングなんて論外です。
そして、できるだけ盛り上がらないようにする。人が外に出たり、金メダルを取ったからといって祝勝会やパーティーをやったりすることがないようにする。純粋に競技をする、という形なら安全にできると思います。
ただ、そんなオリンピックはつまらない。だから僕は延期する方がいいと思います。そうしたらみんなで盛り上がることもできます。
このまま無理やり開催すると、何がなんでもやりたい人とやりたくない人、もっと言えば自民党が大好きな人と大嫌いな人の二派に分断されて、完全に真っ二つに分かれた形で開催されるでしょう。
史上最も盛り上がらないオリンピックになると思います。
ーー「感染症を克服した証として開催する」感動の五輪にはならなそうですね。
僕の記憶では、例えば(SARS後に開催された)2008年北京オリンピックは、かなり盛り上がって、日本選手の活躍を寿ぐことができました。
でも、おそらく今回は、選手も含めて大騒ぎできないと思います。
金メダルを取ったというニュースの後に、「東京は何人感染し、何人死亡しました」というニュースが流れる。選手たちも笑顔で大騒ぎしにくくなるでしょう。それでもやりたいというならやってもいいと思います。
ワクチン接種の効果はどう見るか?
ーーワクチン接種の効果はどうでしょう。
ワクチンを十分に普及させれば、かなり安全に、大はしゃぎできるオリンピックができるでしょう。今、日本は過去に例がないぐらい、スピーディーにワクチン接種を進めています。
このペースで5割ぐらいの国民が接種し、イスラエルやイギリスやアメリカのようにかなり感染を抑え、マスクも付けずに、外食もできて、お酒も飲める状態でオリンピックを開催した方がみんな楽しめるだろうと思います。
ーー今のペースでワクチン接種が進んだとして、いつ頃ならそれが可能になると思いますか?
仮に政府が目標とする1日100万人ほどのペースで接種が進めば、単純計算すると、1〜2ヶ月の間に5000万人ぐらいが接種できるという計算になりますね。そうすると、秋ぐらいにはかなりの人が接種した状態で開催できるという計算は成り立ちます。
ただ、これは順調に進んだ場合のシナリオで考えているだけです。ワクチンをうてばうつほど、副反応で苦しむ人も出てくる可能性があるし、YouTubeやFacebookでワクチンに反対するデマを巻き散らかす人もいます。そういうものに影響される人もいます。
そういう不確定要素がある。日本は同調圧力が強い国なので、「ワクチンうつぞ」モードになって、このまま夏の間、突っ走れば5000万、6000万の人が一気に予防接種を受けるかもしれません。
かなりコロナを抑えられて、どこの病院も余裕ができて、高齢者がビクビクしながら生活しなくていい状態になったら、みんなでオリンピックを楽しむこともできるのではないでしょうか。
秋になればアメリカンフットボールやNBAなどのシーズンとバッティングして、五輪の放映権を持っているアメリカのテレビ局は怒るかもしれません。でも、そんな人たちの意向は相対的には重要性は高くないとぼくは考えます。無視していいと思います。
変異ウイルスの影響は?
ーーイギリス由来の変異ウイルス「アルファ株」の後に、さらに感染力の高いインド由来の「デルタ株」が置き換わることが懸念されています。現場の感覚では、変異ウイルスの影響はどう考えますか?
まず、変異ウイルスと言っても色々な種類があるので、一概には言えません。
変異ウイルスの影響については、「現場の感覚」を持ち出してはいけないと思っています。だから今、イギリスの変異株「B.1.1.7」が医療現場に与えた影響を、他の要素を取り除いた形で調べています。
例えば神戸市の場合は、変異ウイルスがやってきて感染のスピードが早まったのは間違いない。どこの地域も同じです。ただ、このウイルスがより重症化させ、死亡率も高めているかどうかは、はっきりわかりません。
現場の肌感覚で言うと、明らかに若年の人が重症化して死亡している。ICU(集中治療室)を見ると、「変異ウイルス怖い」と思いがちです。
でもそれは危うい判断です。
というのは、神戸の場合、あまりにも患者が増えたため、一時期、入院調整中の人が1500人ぐらいいました。入院できない人が増えると、保健所も若い重症な人から優先して入院させます。その人たちも今までより入院が遅れます。
自宅で待機→重症化→連絡→調整→入院という手続きを経て後手後手に回ります。それが症状を悪化させた可能性もあります。ウイルスが悪化させているのか、状況が悪化させているのか区別がつきにくいのです。そのあたりの影響を差し引いた形で影響を見なければいけません。
こういう時に現場の肌感覚で言うのは危うい。近くで見るより、遠くから見た方がより真実が明らかになることがあるのです。
今懸念されているインド由来の株で主なものは3種類ありますが、そのうちの「B.1.617.2 」の株の影響が一番懸念されています。ワクチンが普及したイギリスでは感染者がすごく減ったのに、また一部で増えています。
イギリスの解析によると、1回のワクチンだとこの変異ウイルスには3割ぐらいしか効かない。しかし、2回接種すればかなり防御でき、ワクチンが効かない株ではない。1回の接種だと足りないことが示唆されています。
問題はワクチン接種のスピードなんです。いかに2回接種まで早く、ちゃんとできるかどうか。
インドの株が先に広がるか、ワクチン2回接種をその前にできるかのスピード勝負です。正直、五輪開催を考えると今はギリギリのタイミングです。この2回接種をいかに早められるか。インドの株を抑えられるか。どちらが早いかによって、五輪開始時期の状況は変わります。
変異ウイルスの抑え込み 日本では難しい?
日本は残念なことに変異ウイルスの抑えこみが上手ではありません。イギリスの株も見つかった時に抑えこみができず、日本中にあっという間に広がりました。「監視体制を強化する」というのですが、見ているだけでは広がりは抑えられません。
その人がそもそも誰から感染したかを突き止めないといけない。
2017年に惣菜屋のおかずを食べた子どもが腸管出血性大腸菌(o-157)で亡くなった時も、保健所が入り、現場を調べ、トングの使い回しなどはわかりましたが、そもそもどこからこの菌が惣菜屋に持ち込まれたのは調べられませんでした。
例えばアメリカでは感染経路の上流を徹底的に調べます。末端で起きたことを調べるのではなく、なぜ起きたのかを調べない限りは広がりを抑えられません。
例えば、米国で起きた腸管出血性大腸菌の流行では、汚染された小麦粉の上流を徹底的に調べて、特定の企業の特定の小麦粉工場まで同定させたりしています。
これまでほぼ「ゼロコロナ」を維持できていた台湾に、最近COVID-19感染が入り込みました。日本だと濃厚接触者確認して、PCR検査して......と「下流」を主に調べます。そして、多くの保健所では「PCR全部陰性でした。感染の面的な広がりはありませんでした」で終わりになります。
が、台湾はそうはしない。目指すのはゼロコロナですから。台湾は一気にPCR検査の数を増やして、周辺の感染者をすべて洗い出し、輸入されたコロナアウトブレイクを収束、さらには「ゼロコロナ」状態に戻すことを目指しました。行動制限など他の施策もとりながらです。
現時点では感染者数は減少しているもののまだ「ゼロコロナ」は達成できていない台湾ですが、その手法と今後の顛末は注目しています。
インド株も今のままだと、間違いなくこれからどんどん広がります。日本は上流を抑え込もうとしていないからです。
ーー高齢者は7月末までに2回接種ができそうですが、一般人はまだ見通しがたちません。2回接種によってインド株を防ぐのは難しいのでは?
ですから、7月のオリンピックをワクチンで防御するのは無理だと思いますし、島根の僕の両親は先日接種券が届いて8月に接種だと言っていました。7月末までに高齢者を終わらせるのもおそらく無理なのではないでしょうか。
ーーただ先生は予防接種の加速ぶりを評価されていましたね。
今の日本のスピードはすごく早くなっていますね。高く評価しています。過去に例がないぐらいの出来事です。でもオリンピックには間に合わないと思います。
しかし、高齢者の2回接種をかなり進めれば、少なくとも重症化する人や死亡者の数はかなり減らせるのではないでしょうか。第4波のような悲惨なことが各地で起きる可能性は減らせるかもしれません。
インド株が広がるスピードと、ワクチン2回接種のスピード。どちらが早いかのスピード勝負です。
(続く)
【岩田健太郎(いわた・けんたろう)】神戸大学感染症内科教授
1971年、島根県生まれ。1997年、島根医科大学(現・島根大学医学部)卒業。沖縄県立中部病院研修医、コロンビア大学セントルークス・ルーズベルト病院内科研修医を経て、アルバートアインシュタイン大学ベスイスラエル・メディカルセンター感染症フェローとなる。2003年に中国へ渡り北京インターナショナルSOSクリニックで勤務。2004年に帰国、亀田総合病院で感染症科部長、同総合診療・感染症科部長歴任。2008年より現職。
『感染症パニックを防げ!〜リスク・コミュニケーション入門』『予防接種は「効く」のか』『ぼくが見つけたいじめを克服する方法 日本の空気、体質を変える』(以上、光文社新書)、『新型コロナウイルスの真実』(KKベストセラーズ)、『感染症は実在しない』(集英社インターナショナル)など著書多数。