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新型コロナ外出自粛の呼びかけ 刺さるのは、専門家でも知事でもなく「現場の医師」のメッセージ

新型コロナウイルスの緊急事態宣言下で盛んに呼びかけられた「外出自粛」のメッセージ。人の心を動かしたのは、知事でも専門家でもなく、コロナ病棟で必死に患者を救っている医師たちの言葉であることがわかりました。

新型コロナウイルスの流行中、感染拡大を抑えるのに最も効果があるのは人と人との接触を減らすことだ。

各国で最終手段としてロックダウン(都市封鎖)が行われてきたが、緊急事態宣言下の日本で行われたのは強制力のない外出自粛の呼びかけだった。

知事や専門家、現場の医師、感染した患者ら様々な人が、命を守るために必死になるべく家にいるように呼びかけたが、結局のところ、私たちの心に一番刺さったのは、誰の言葉だったのだろうか?

ヘルスコミュニケーションを専門とする東京大学大学院医学系研究科医療コミュニケーション学准教授の奥原剛さんが調査したところ、コロナ病棟で患者を診ていた医師の呼びかけが、人の心を最も動かしたことがわかった。

奥原さんは「『教える』ことは専門家の『知の呪縛』の一種であり、知識を教えるだけのコミュニケーションでは人は動きません。感情を動かすコミュニケーションを取るべきです」と訴える。

この研究は、医学雑誌「Patient Education and Counseling」に掲載された。

知事、専門家、医師、患者、住民のメッセージを比較

奥原さんは、緊急事態宣言が出ていた5月9日〜11日、全国の成人1980人を対象に、 「知事」「専門家」「コロナ病棟で働く医師」「コロナに感染した患者」「感染拡大地域の住民」それぞれによる典型的な外出自粛の呼びかけのメッセージ(記事末尾に抜粋を紹介)を読んでもらった。

メッセージを読む前後に外出自粛をしようという気持ちがどの程度あるかを答えてもらい、それぞれのメッセージでどれほどその気持ちが強まったかを比較した。

その結果、コロナ病棟で患者を診ている医師が、「医療崩壊によって治療を提供できなくなる危機と、医療従事者の使命感」を訴えたメッセージが、「外出自粛をしよう」という気持ちを最も強めていたことがわかった。

奥原さんはこう分析する。

「知識と指示を与えられるだけで人は動くわけではないのに、公衆衛生の情報提供はしばしばこの要点を見過ごしています。現場の医師によるメッセージは知識も指示も与えませんが、危機感と使命感で感情に訴える内容です。感情に訴える情報は記憶に残り行動を促します」

だが、感情に訴えると言えば、患者や既に感染拡大している地域の住民の辛さや危機感も届きそうだ。なぜそれよりも現場の医師の方が効果があったのだろう。

「日本の医療にはパターナリズム(父権主義)の名残があり、『医師が言っていることは確実』という信頼感が強い。患者や感染爆発地域の住民と比較すると、語り手自身に対する信頼性が上積みされたと考えられます」

さらに、自由を制限された時に生まれる「心理的抵抗」を減らす要素が、現場の医師のメッセージにはあったことを奥原さんは指摘する。

「心理的抵抗を減らすメッセージ要素は何かという研究で、『感覚的覚醒』が示されています。つまり、リスクを引き受けながらミッションに身を捧げる専門職への畏敬の念や共感が、自由の制限に対する私たちの心理的抵抗を減らしたと考えられます」

「医師のメッセージは、『もう医療現場は限界に達しているが、それでも踏みとどまって私たちは治療を続ける。だから、あなたたちは自宅に留まって力を貸してほしい』というものでした。崇高な使命を果たしている人への尊敬や、私たちも頑張る、という共感を強める内容で、それは患者や住民のメッセージにはないものでした」

「一人の死は悲劇だが、100万人の死は統計である」

奥原さんがこの研究を思いついたのは、緊急事態宣言が出る前後、専門家や知事らのメッセージを見たことがきっかけだ。必死にメッセージを送っている人たちを、ヘルスコミュニケーションの研究者として手助けしたかった。

「日夜、流行を食い止めるために働いている専門家会議の方達に本当に頭が下がる思いでしたが、人を説得するコミュニケーションの『基本』が理解されていないと歯がゆさも感じていました」

その基本は、「一人の死は悲劇だけれども100万人の死は統計である」ということだ。

「専門家会議の先生方が発信していたメッセージはほとんどが『統計』でした」と指摘する奥原さんが、特に印象に残る場面がある。

緊急事態宣言発出後、日本の感染の予測データを出していた西浦博さんが会見し、「このまま何も対策を打たなかったら、42万人の死者が出る」と訴えたことがあった。

「西浦先生は科学者としての使命感から、本当に大きな覚悟を持って発信されたのだと思います。私のような弱い人間には到底できない仕事だと、畏敬の念で拝見していました。と同時に、ヘルスコミュニケーションの研究者として『そうじゃないんだよー!』と痛切な思いもありました。42万人の死は統計だからです。統計は必ずしも人の心を動かしません」

「専門家会議や厚労省クラスター班の皆さんはTwitterやブログで、データの理論的な背景を伝える試みを盛んに行なっていました。しかし、それも統計です。統計よりも具体的エピソードが人を動かすことも多いのです。学問ではナラティブ(物語)と言いますが、それが専門家の方々のメッセージには欠けていました」

なぜ統計は人の心を動かさない? 

では、なぜ統計は人の心を動かさないのだろうか。

奥原さんは、進化生物学や進化心理学の分野では、1万年前から人間の脳は変わっていないとされていることを紹介する。そして人間はそのほとんどの期間を、150人以下の集団の中で生きてきた。このひとりの人間が関係を結べる人数の限界を、研究者の名をとって「ダンバー数」という。

「150人以下という数は、人間の脳の容量として認知できて、人間が実際に付き合うことができる上限の人数と言われています。オンラインのSNSでも現実の友人関係でも一人の人が付き合えるこの人数はだいたい変わらず、150人を超える数になるとよくわからなくなる。ましてや万という単位になれば理解を超えた数字になります」

「人間が進化の歴史の長きにわたり現実世界で扱ってきた数字は、『5回に1回』といった自然頻度です。それに対し、『20%』『0.2』などで表す相対頻度や確率は、進化史上ではつい最近になって使い始めた新しい表現ですから、ほとんどの人は直感的に理解することができません」

「人間は進化の歴史のほとんどの期間を、万や確率の数字ではなく、『誰かの信用できそうな体験談』をもとに意思決定し生き延びてきたと考えられます」

だから、我々が被害の大きさを把握するために用いる、「何%の確率で何十万人に被害が及ぶ」というような数字はなかなか心に響かない。そして、それを根拠に動くことができないのだという。

「ヘルスコミュニケーションをする時も、できるだけ100人以下、できれば数十人や数人の単位で、自然頻度で語らなければ、人は直感的に正しく判断することができません」

「分析的な心」より行動に繋がりやすい「動物的な心」

さらに認知心理学をはじめとする多様な分野で、人は2つの心をもつという「二重過程理論」が唱えられている。生存や競争、繁殖に関わり、原始的で瞬時に働く「動物的な心」と、進化的に新しく理性的に対処しようとする人間独自の「分析的な心」だ。

分析的な心は、動物的な心の反応をコントロールして、より適切な判断や行動をめざす。そして、個人差がある。

「注意しなければならないのは、『分析的な心』より、『動物的な心』のほうが、人の判断や行動に与える影響が大きいということです」

「たとえば、人は口の中の唾液を飲み込みますが、コップにためた自分の唾液を飲み込むのは嫌ですよね。動物的な心にとって、コップの唾液は赤の他人の分泌液かもしれず、感染症を防ぐために忌避するのが生存のために適切な反応だからでしょう」

「分析的な心が『自分の唾液だから汚くないよ』と、動物的な心の反応を抑えようとしても、抑えきれない。それほど動物的な心の影響は大きいので、人を動かしたいときは動物的で原始的な心に訴える必要があります」

「研究で比較した知事や専門家のコミュニケーションは、万や確率の数字を用い、人間の理性に向けて、知識と指示を与えている。これは『分析的な心』に向けられたコミュニケーションです。効果の大きさも、効果のある対象者も限定されます」

「それに対し、現場の医師の談話は、体験をもとに差し迫った危機をリアルに伝え、人間の感情に訴えています。これは『動物的な心』に向けられたコミュニケーションなので、多くの人に効果があると分析できます」

原始人に届くメッセージを

今回の研究結果を、私たちは新型コロナのコミュニケーションにどう活かせばいいだろうか?

「私たちの脳が、祖先が暮らした環境での生存と繁殖に適したままの石器時代の脳であるとすれば、人に届くコミュニケーションのポイントは、『原始人がその話を聞いて動くか否か』です」

「データも『科学的根拠を持って発信しているメッセージだ』と伝えるために大事ですが、少なくともそれと現場の医師たちのメッセージや体験談を組み合わせるなど工夫する必要があります」

ワイドショーの「自称専門家」の独自の理論が多くの人に受け入れられているのも、敵対構造や生存への危機感を煽り、感情に訴える、『原始人に届く』コミュニケーションに長けているからだ。

そんなコミュニケーションに対し、専門家やメディアは「科学的に間違っている」と苛立ちがちだが、そんなことをしている場合ではないと奥原さんは言う。

「対立構造を作るのはわかりやすいし、感情に訴えるのは届きやすい。誤った人が太鼓を打って人の注目を集めるなら、正確な情報を発信する人も太鼓を打つしかない。物語やたとえ話を使う、100を超えない数字や自然頻度を使う。自覚的に、『原始人の心』に届く手段を使ったコミュニケーションを使うべきです」

調査で使ったメッセージの抜粋はこちら

※報道やSNS、ブログなどで書かれていたそれぞれの典型的なメッセージを組み合わせて研究者が作成。

【知事のメッセージ】

「新型コロナウイルス感染症は、今が、爆発的増加になるかどうかの重大な局面です。(略)生活の維持のため に必要な場合を除き、不要不急の外出を自粛し、ご自宅にとどまっていてください。(略)「3つの密」の場所には 行かないでください。通勤も可能な限り在宅勤務や時差出勤をしていただき、人と会う機会を減らしてください。 新型コロナウイルス感染症の流行を早く終わらせ、この病気に打ち勝つためには、皆様お一人お一人の行動が 最大の特効薬です。(略)」

【感染症対策の専門家のメッセージ】

「新型コロナウイルスの特徴は、自分が感染していることに気づきにくいことです。そのため、自分はまったく元気 なまま、1週間以内に2〜3人にウイルスをうつしてしまう可能性があります。(略)2が4に、4が8に、8が16に、 16が32に...と倍々でひろがっていきます。人と人との接触が減らない場合、国内で約85万人が重篤になり、 約42万人が死亡する恐れがあるという試算があります。しかし、皆さんが外出をやめて、家にいて、人との接触 を8割減らすなら、感染の拡大を抑えることができます。(略)」

【コロナ病棟で患者を診ている医師のメッセージ】

「私の病院では、新型コロナウイルスの患者さんでベッドも集中治療室も埋まっていて、患者さんを新規に受け 入れることができません。(略)医師と看護師が総動員で治療にあたっていますが、マスクも防護服も不足しています。(略)感染の危険と隣り合わせで、もう本当に限界です。(略)同僚の一人でも感染したら、何人もの医 師と看護師が自宅待機となり、治療を続けることができなくなります。もし皆さんの誰かが感染して重症化しても、 治療できなくなるのです。私たちは踏みとどまって病院にいて治療を続けます。ですから、皆さんは家にいてくだ さい。皆さんが務めを果たすことで、私たちも務めを果たすことができます。(略)」

【患者のメッセージ】

「40度の熱と、誰かに踏みつけられているような頭痛で、咳が止まらなくなり、ガラスの破片を吸い込んでいるよ うな苦しさで、もう死ぬのだろうと思いました。私は持病もなく、タバコも吸わず、健康でしたが、今は呼吸用のチ ューブがないと呼吸ができません。(略)これでも最悪の時から10倍回復していて、なんとか今の状況を話せま すが、投薬されても熱が下がらず、もう入院してから何日たったのかもわかりません。(略)自分は若いから、健 康だから大丈夫などと思わないで。ウイルスは人を選ばないから。外出はやめて、家にいてください。(略)」

【感染爆発地域の住民のメッセージ】

「私も最初は「コロナ怖いねー」「気をつけようねー」という程度で、危機感は薄かったと思います。しかし、私の 住む地域では、たった一週間で、感染者数が1,500人から1万5000人へと10倍になりました。(略)病院が一 瞬でパンクしました。ベッドも人工呼吸器も足りていません。医師や看護師にも感染者が出て、病院の人手も足 りていません。医療崩壊のため、コロナに感染しても、検査も治療も受けることができません。もし自分や家族が 感染して重症化したら、死ぬしかないのだろうと思います。(略)皆さんが外出を続けていたら、一瞬で感染者が 数万人になって、この地域と同じ状況になってしまいます。外出はやめて、家にいてください。(略)」

【奥原剛(おくはら・つよし)】東京大学大学院医学系研究科医療コミュニケーション学准教授

東京大学大学院医学系研究科 公共健康医学専攻および社会医学専攻を経て、2019年4月より、医療コミュニケーション学分野准教授。

専門はヘルスコミュニケーション。健康医療にかかわる情報を、より分かりやすく伝え、より良い意思決定を支援するための研究を行っている。

自治体、健康保険組合、医療機関等の保健医療従事者に対し、分かりやすく効果的な健康医療情報を作成するための研修を行っている。