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緊急事態宣言、緩すぎるか? 「人は感染対策だけでは幸せになれない。生活にも目配りを」

緊急事態宣言が出てから、「遅過ぎた」「期間が短過ぎる」「緩すぎる」「医療体制が非効率的」など様々な批判が相次いでいます。感染対策の専門家はどう見るか。岡部先生に再び聞きました。

「遅過ぎた」「期間が短過ぎる」「緩すぎる」「(飲食店などの)補償が足りない」「医療体制が非効率的」

2度目の緊急事態宣言が発令され、様々な批判が巻き起こっている。

感染症対策の専門家はどう見るのか。

新型コロナウイルス感染症対策分科会構成員で、内閣官房参与も務める川崎市健康安全研究所所長の岡部信彦さんにお話を聞いた。

※インタビューは1月10日午前中にZoomで行われ、その時点の情報に基づいています。

2通りの選択 的を絞って長引く方を選んだ

ーー2回めの緊急事態宣言が出ました。改めて、今のタイミング、この制限の内容、1ヶ月という期間について、どのように評価されていますか?

前の宣言の時とは条件が違ってきているので、考え方が2通りあると思います。

先日もお話したように、大きいハンマーを持ち出すのか、ある程度、焦点が絞られてきているので小さめのハンマーを持ち出すのか。

4~5月の時のハンマー(対策)も欧米に比べたら小さいハンマーです。でもさらに、絞めるべきところの見当がついているのだとしたら、さらに小さいハンマーの方が全体が受けるダメージが少ない。

でもそれについても考え方は2通りあります。

一つは、一気にドカンと打ち下ろした方が制限期間は早く終わるだろうという考え方です。しかし、これはその瞬間のダメージが大きいやり方です。そのダメージに耐えてでも、ドカンと打つのか。

もう一つ、的を絞った場合は、いわゆる目こぼしの部分は出てきます。そこでの感染が長続きしてしまうと、結果的に制限の時間は長引く。迷惑や我慢の時間も長引いてしまいます。

一気にダメージを受けるのと、ズルズルと長引くダメージを受けるのとどちらがいいかというのは、選択の問題です。どちらがベストな選択かは予知できない。

いずれも良いところもあり、悪いところもある。

もう一つ別の考え方から見ると、新型コロナウイルスは病気の問題なので、病気、特に重症者を診ることができる医療体制を立て直す、少なくとも体制を維持する、ということがまず第一の命題です。

仮に欧米のような状態だったら幅広くハンマーを打ち下ろさないと、にっちもさっちもいかない状態になると思います。

そもそもこの病気の重症度をどの程度に捉えて対策を打つべきかということも遅からず議論しなければいけません。僕はエボラが大流行したかのようにこのコロナウイルス感染症を見る必要はないと思っています。

ーー今は重症度を非常に高く見る動きと、「インフルエンザ並みだ。ただの風邪だ」と見る動きと分かれていますね。

かかりやすさ、つまり感染の広がりははインフルエンザほどではないですが、高齢者にとってのリスクの高さ、生命的な危険性はインフルエンザよりも高い。

ただ、若者にとっていえば、多少の後遺症の問題はあるけれど、リスクは非常に低い。

高齢者と若者を同じ傘の下、ひとまとめの制度でいつまでも対策をしていくのはよくないのではないか、というのが今の僕の考えです。

でもそれは根本的な議論であることと、変異株の動向を見極める必要もあり、いま直ちにできることではないので、とりあえず今やるべきことをやる。それをやったというのが、2度目の緊急事態宣言に対する僕の捉え方です。

飲食店はむしろ被害者 被害者を支える対策を

ーー分科会がイメージしている制限よりも、政府の打ち出した制限内容、期間は狭まっていると思います。これについてはどう考えますか?

表現の問題もあると思います。メディアの取り上げ方も、飲食店と営業時間の短縮に集中していました。一番わかりやすいし話題にもなりやすいからでしょう。

実際は、営業時間の短縮だけではなく人の行動を変え、感染に対する適度な注意深さを持ってもらう、そして人の流れを少しでも少なくしたいという戦略です。

人の動きを抑える、これは感染症対策の基本的な、素朴な方法です。人から人にうつる感染症で、人と人の距離が離れている方がうつりにくいのは、エビデンスが見つかっている見つかっていないということではなく、真理です。

ただ、それをどの程度まで徹底するかは、社会生活・人間生活を営みながらのことなのでバランスが難しい。

感染症予防だけを考えるなら、一番いい方法はどんどん制限をきつくして人の動きを止めることです。でもそれはできないので、制限の程度をどうするかを決めなければいけません。

例えば飲食店の制限は注目を浴びますが、当然、飲食店全てが悪いわけではない。どちらかというと、ほとんどの飲食店は迷惑を被る側です。食中毒などと違って飲食店は被害者であって、加害者である場合は少ない。ほとんどの店は善良に営んでいるはずです。

ですから、「被害者を支える」という気持ちで対策を打たなければいけません。

誰が加害者かというと、行く人が加害者になり得るということです。

「店がうつす」のではなく、「店でうつる」。行く人の節度が求められるわけですが、一人一人がみんな色々と配慮して行動するわけではない。残念ですが、その中である程度の注意や規制が出てくるのは止むを得ないことだと思うのです。

さらに重要なのは、医療のパンク状態をなんとかしないといけない。

パンク状態になれば、新型コロナの患者さんだけが困るわけではなく、全ての病の人、怪我の人への影響があり、だれがいつどこでかかるかわからないので、他人事では済まなくなります。

医療体制は非効率的か? 「コロナ専門病院」の集約化は?

ーー欧米よりも患者数は非常に少ないのに、医療が逼迫していることに主に経済系の論者から批判が出てきています。「医療体制が非効率に運営されていることが問題ではないか」として、コロナ患者を診る病院を集約化して、効率化したらもつのではないかという問いかけですが、これについてはどう考えますか?

医療体制そのものに問題があることは、分科会でもずっと指摘している点です。公衆衛生体制にも色々と欠点があるのは事実だと思います。

こういう感染症が発生すると、社会の欠点をついて、そこにウイルスが潜り込んで隙間を広げているような気がします。日本の医療がパーフェクトにうまく動いていれば、今こんなことにはなっていないでしょう。しかしそれはあり得ないことで、どこにでも隙や欠点はある。

欧米と比べてという議論ならば、欧米の医療の現状は実際のところを自分の目で見ていないのでよくわかりません。欧米の医療は耐えているという意見も耳にしますが、一般の医療がどの程度もち堪えているのかは、それに関する資料は手元になくわからない。

日本の2020年の全死亡数は2019年同期より少ない。肺炎も少ない。インフルエンザによる死亡も少ない。肺炎やインフルエンザで亡くなる人が減っていることで、新型コロナでの死亡者数と相殺されているとも言えます。

ただ、今の状況からさらに悪化し、通常の診療、一般医療が潰れてしまうと、新型コロナのダメージに加えて多くの身の回りの疾患によるダメージが同時に来るのでダメージは倍になってしまう。

そうならないように一般医療も支えなければいけない。欧米では両方のバランスがどのような状況になっているかわからないのですが、欧米の医療のやり方がかならずしもいいとも限りません。

例えば、欧米では少し前には医療関係者のストライキがありました。日本ではありません。大変な状況でも、医療者がなんとか支えてくれているわけです。

ーー「コロナ病院」を作るべきだという集約化の提案についてはどう考えますか?

臨時的にはいい処置だと思いますが、例えば100床の専門病床を作ったのであれば、それに見合う医者や看護師を集めなくてはならないし、検査もできなければいけない。調剤も必要だということになります。

そこに新人を集めるわけにもいかないし、感染対策の素人を集めるわけにはいかない。リタイアしている人もそんなにいるわけではありません。現役のプロが必要です。その人たちをどこかから連れて来なくてはいけない。

確かに、今、「患者さんが来ない」と暇になっている医療分野はあります。一方、忙しくて耐えきれない程になっているところもある。これを平坦化しようというのは、本当に緊急性が高まればやらざるを得なくなるかもしれません。

でもそれをやることによって、通常医療のひずみも強くなることは予想されます。まさに災害時の医療というような非常時の医療になると思います。

そもそも欧米とは医療体制が違う

ーー緊急事態宣言は医療の逼迫をどうにかしようということで出されたわけですが、それに対して、医療体制を効率的にしたら、もう少し余裕ができるはずではないかという声が出るのは何が理由だと思いますか?

僕らが経済界のことがわからないように、彼らも医療界のことが見えていません。きっと、欠点だけが見えていると思うのですね。

欧米と日本では医療体制も全く違います。

例えば、イギリスの医療体制は中央集権型で、ほとんどの医療体制を国が握っているわけです。地域医療はあらかじめ指名されたGP(家庭医)が定められた地域の一般医療を担っています。

日本のように誰もが自由にどこでも受診できる体制ではありません。

例えば、日本では私が小児科医院を川崎で開こうが、札幌で開こうが自由です。患者さんも自分の努力で集めていい。患者さんも東京からでも大阪でもどこから来ようが構わないわけです。

でもイギリスは、どこの地域に住んでいたらどのGPにかかるかはあらかじめ決められている。病院に行くには、そのGPの紹介状が必須となる。

日本の健康保険証はこれ1枚あれば、どこでもほぼ一定の質の医療が受けられます。

アメリカでは所得によって、入れる医療保険の質・内容が異なってくる。収入の低い人は最低限の医療は受けられますが、より良質な医療は受けられない。その保険にすら入れない人たちもいるのです。

根本的に医療体制が違うのです。そこをどうするかの議論を今始めても、今起きている問題の解決にはなりません。もちろんその課題は、平常時に、日本の医療はどうあるべきかということで検討されるべきだとは思います。

関西3府県にも緊急事態宣言は必要か?

ーー関西3府県も緊急事態宣言を要請しました。これは今のデータなどから見て、必要でしょうか?

関西の医療の細かいところまでは全て把握できているわけではありませんが、要請する側からすれば目に見えて感染者数が下がりそうな方法があるならば、早くやった方がいい、と思うのではないでしょうか。

そこも捉え方の問題で、関西方面の感染者数が一度落ちたのに、またひゅっと上がったところだから、早い段階の今宣言を出すのか、あるいは年始の影響や関東方面への状況を見ながら、宣言をしないでも抑えられるかどうか、見極めることが必要ではないかと思います。

ーー今すぐ必要とは考えないということでしょうか?

僕はどちらかと言えば、短いスパンで見るのではなくて、もう少し長いスパンで見てもいいのではないかと思っています。

ズルズル決断を伸ばすという意味ではないけれど、いますぐ直ちにということではなく、もう少し、様子を見てもいいのではないかということです。

少し前には関東圏で、緊急事態宣言の発出を速やかに検討すべきという、知事の方々からの要望が政府に対してありました。

一方、「緊急事態の発効までに十分な周知期間が必要」ということも記載されており、何か矛盾を感じるところでもあります。関西でも同じことが起きるか気になるところです。

解除の基準は? ステージ3で500人未満とする大臣、ステージ2で100人未満とする8割おじさん

ーー緊急事態宣言の解除の基準ですが、西村康稔経済再生担当相は「ステージ3に下がり、東京で1日あたりの感染者数が500人を下回ること」と明言されています。一方で、西浦博先生のシミュレーションでは、目標値を「ステージ2、100人未満」としています。乖離がありますが、この議論は分科会ではどうなっているのでしょう?

分科会ではステージ3に戻すことを目標としていると言っています。西村大臣も同じように言っていますが、「500人」という数字が強調して捉えられているのではないかと思います。

4〜5月の時もそうですが、西浦さんは大きいハンマーを持ち出さないと、長引かせてはダメージが大きいという考え方だと思います。

お互いがお互いの線を主張しているということだと思います。

分科会ではその目標数値をどのような形で出そうか議論が続けられていますが、目下の目標はステージ3相当という状況です。

ーー西浦先生のシミュレーションはどうご覧になりましたか?

素晴らしい研究者は、当然、自分の考え方を出した方がいいと思います。

ただ、それを公式見解にするかどうかはコンセンサス(合意)を得なければいけません。西浦さんが意見を出し、そのほかにいろんな意見が出て、議論をして、分科会は「私たちの考え方はこうです」と出さなければいけないと思います。

「西浦説を100%支持します」という場合もあるでしょうし、他の視点からの意見も勘案して50%取り入れるという場合もあるでしょう。

ただ、西浦さんが研究者として、「分科会の合意では納得いかない」というならば、「自分の研究者としての意見はこうです」と出すことはあり得るでしょう。研究者個人の考えをそこで束縛してはいけないと思います。

西浦さんのデータでは一番シビアな予想を捉えられます。いくつかシナリオがある中で、どのへんがいいのか。ベストアンサーがないならば、どのへんに決めるかというのがコンセンサスです。

西浦さんも参加しているアドバイザリーボードは医療を中心に考えていますから、分科会で経済界の意見も入り、最終的に政治的な決断がなされていくのだと思います。

ーー西村大臣が発言した「東京で1日500人」という目標値はどう受け止めましたか?

基準をどこに置くかでしょうね。

最初にお話したように、西浦さんは大きめのハンマーでガーンと打ち下ろした方が早く感染者数を小規模にすることができることができて、経済生活も早く戻せるのではないかと言っています。

西村大臣の方は、そこまでやると周辺のダメージも強いとして、ある程度長引くのも覚悟した上で500人ぐらいならばという線を出してきたのでしょう。

ただし西村大臣も「500人のみ」を目標にしているわけではないことは、彼の言葉の中にあらわれています。

そういうメリット・デメリットに関して、あらかじめ両者が話し合ったわけではなく、それぞれの立場で最善と思われる目標値を出してきていると思います。

ーー心配なのは、500人を切った段階で解除して、そこでまた緩んだらたちまち1000人以上に戻ってしまうのではないかということです。「これだけ我慢したのにまたやり直しか」となれば、「もういいや。もう好きなようにやるさ」という空気が蔓延してしまわないでしょうか。

僕自身はある程度的を絞り、日常生活をある程度維持した上でコロナ対策もできるのではないかと考えています。

極端なことを言うと、今、全ての社会生活を止めるのだとすると、入学試験もやらない方がいいし、必要最低限は維持するとしても流通も制限することになる。そのダメージをどうカバーするかというのも大きな問題です。

ベストアンサーはないわけで、両者とも相手を批判する材料はあります。

人は感染対策だけでは幸せになれない

ーー感染症対策の専門家なのに、先生が感染症を抑え込むことだけを考えるのではなく、日常生活に目配りするのはほっとするところでもあります。

ただ、生活を大事にするためには、どうしても耐え忍ばなければならないところは出てきます。自由を求めるなら、元どおりにいかない部分も受け入れなければならない。

僕は医療側の人間ですから、病人が出てきた時に、その人がどういう状態であるか「受容」することがとても大事だと考えているのです。

現在の状態を受け入れることで、初めてどこを解決しようかと具体的に考えることができるようになります。

病気を持った人のその後の人生や家庭環境のことまで考えると、急激にその人だけを治すことに集中することが果たしていいのかどうかということです。

患者の体調も維持しながら、その人を巡る生活も両方ともいいところに持っていかなければならない。それは考え方の問題になってくると思うのです。それこそ、ポリシーの問題ですよね。

僕の母校では「病気を診ずして病人を診よ」ということをしょっちゅう叩き込まれました。

ーー先生はご自身の診療経験からも、病だけ診るのではなく、様々な生活環境まで目配りしなければならないと考えていらっしゃるのですね。

簡単な例えを言えば、ある人の看病をするならば、家族など親しい人が24時間付き添っていた方が、病のことだけ考えたらいいことはわかっています。

でもそれをやると、その家庭の収入も入ってこなくなるし、看病する家族の生活や人生も成り立たなくなります。

患者さんが仮に寿命が少し延びたとしても、家庭が崩壊したのでは身も蓋もないわけです。患者さん自身も幸せではなくなります。

感染症対策も同じことだと思うのです。生活にも目配りすることが必要です。

(続く)

【岡部信彦(おかべ・のぶひこ)】川崎市健康安全研究所所長

1971年、東京慈恵会医科大学卒業。同大小児科助手などを経て、1978〜80年、米国テネシー州バンダービルト大学小児科感染症研究室研究員。帰国後、国立小児病院感染科、神奈川県衛生看護専門学校付属病院小児科部長として勤務後、1991〜95年にWHO(世界保健機関)西太平洋地域事務局伝染性疾患予防対策課長を務める。1995年、慈恵医大小児科助教授、97年に国立感染症研究所感染症情報センター室長、2000年、同研究所感染症情報センター長を経て、2012年、現職(当時は川崎市衛生研究所長)。

WHOでは、予防接種の安全性に関する国際諮問委員会(GACVS)委員、西太平洋地域事務局ポリオ根絶認定委員会議長などを務める。日本ワクチン学会名誉会員、日本ウイルス学会理事、アジア小児感染症学会会長など。