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「PCR検査論争」が不毛な理由 同調圧力が支配する日本の感染症対策を考える

緊急事態宣言が徐々に解除され、本格的な流行の第1波が収束しようとしている日本。感染症対策の専門家はこれまでの日本の対策をどう見るか。神戸大学感染症内科教授で、積極的に発信も続ける岩田健太郎さんにインタビューしました。

新型コロナウイルスの流行第1波が収まりつつある。

緊急事態宣言も徐々に解除されているが、コロナが消えたわけではない以上、今後も、再流行を警戒しながら、新しい生活様式の模索が始まろうとしている。

感染症対策の専門家は、これまでの対策、現状、今後をどう見ているのか。

精力的な発信を続けている神戸大学感染症内科教授の岩田健太郎さんにお話を伺った。

※インタビューは5月21日午後にスカイプで行い、その時の情報に基づいている。

緊急事態宣言、効果はあったか?

――先生のいる兵庫県など関西でも緊急事態宣言が解除されそうですね(同日、大阪府、京都府、兵庫県で解除)。緊急事態宣言は新型コロナ対策として必要でしたか?

僕は必要だったと思います。出る前から、実質上のロックダウン(都市機能の封鎖)が必要だったと主張しており、なかったらかなり大変なことになっていたと思います。

――新規感染者の数の拡大を防ぐためですか、医療体制の問題ですか?

両方ですね。

――出したタイミングと解除のタイミングについてはどうお考えですか?

出したタイミングについては遅かった、もう少し早くてもよかったと思いました。

また、全国一律でやる必要はあったのかとは思いました。流行状況の地域差が大きいからです。

東京は必要だなと思っていましたが、兵庫県は微妙でした。感染者の数だけを見れば多かったのですが、兵庫県は圧倒的に院内感染が多かった。院内感染は、店を閉じたりすることによって減りはしません。

緊急事態宣言では、道路の封鎖や鉄道の停止はできないので、他の地域に東京から人が流れないようにするための苦肉の策だったのでしょう。

――宣言の意味として医療体制や検査体制の整備も期待していたと聞いています。今流行していなくても、いずれ流行った時に医療体制を整備しておかないと間に合わないのではないかという意味も込めて全国に広げたと専門家会議の先生はおっしゃっています。

それはよく理解できないです。お店が閉まったり学校が閉まったりすることと、医療体制を整備することは話が違う。

医療体制の整備は2月から必要性を訴えていました。

指定医療機関以外でもコロナの患者を診られるように、自治体レベルでもいろんなところが動いたと思います。受け入れ能力の構築はすごく重要で、ギリギリセーフで間に合ったのだと思います。

宿泊施設のようなところを作り、軽症者をちゃんと診る病院を作る。兵庫県は院内感染も起きましたので、看護師が大量に働けなくなった時に、他の病気の患者さんを診る受け入れ先が必要でした。緊急事態宣言とは関係なく、受け入れ先を作ることを死ぬ気でやったわけです。

――宣言なしでも医療体制は整備できたのですね。

それはわかりません。自治体によっても違いますし、準備という意味では2月から準備しておかなければならなかった。

3月までは準備はかなり遅れ気味で、伝え聞くところによると、東京都は相当遅れていた。一部の医療機関にものすごいしわ寄せがきて、他のところとのギャップが激し過ぎたと聞いています。兵庫県は一つの病院でがっちり診る体制を作っていましたから、非常事態宣言とは無関係に体制ができたと思います。

しかし、あのままどんどん感染者が増えていたら、やはり兵庫県も危なかった。こちらもギリギリだったのです。

医療機関が直面していた「限界」 新型コロナは軽症者も重症者も「長い」

――医療体制が逼迫してきたと3月の終わりから危機感が強まりました。感染者が急激に増えたのが大きかったのか、それとも、軽症者はホテルで診るなどの役割分担や医療体制の効率化が進んでいないことが大きかったのでしょうか。

両方です。

新型コロナは重症の方でも軽症の方でも経過が長いのです。病院に来られて、あっという間に治る人もほとんどいないし、あっという間に亡くなる方も比較的少ない。

重症でICU(集中治療室)で診る場合も、挿管(気管内にチューブを入れること)されて、何週間も呼吸器ケアが必要ですし、軽症の方もPCR検査を何回繰り返しても陽性が出て入院し続けます。とにかく長い。

長いとすぐに病室がいっぱいになってしまうのです。

今日は陽性者が20 人出ましたというと、大したことがないように聞こえるかもしれません。でもそれが毎日蓄積していくとあっという間に病院はいっぱいになります。退院しないということは、医療機関としてはものすごい負担なわけです。

どんどん増えていく患者さんを、フルにPPE(個人用感染防護具)を着て診なければならない。自分も感染するかもしれないというストレスや恐怖心とも戦わないといけない。重症の患者さんの場合は人手がかかるECMO(人工心肺)を回さないといけない。

加えて、保健所とはPCR検査をするかしないか電話での交渉を続け、受け入れ先の病院を探す調整作業にも時間が取られます。

調整作業が効率化されたのはだいぶん後の話で、保健所を介さないでPCR検査ができるようになってからです。そこまでなるのにとても時間がかかりました。

そうしたいくつかの要素が重なって、緊急事態宣言が出て3週間目ぐらいからふと楽になった。それまでは結構ギリギリで、これ以上患者さんが増えていったらおしまいなんじゃないかと思う瞬間は多くの医療者が共有していたと思います。

第一波の収束は何が効いたか?

――一般の人が外出制限を徹底しないと医療体制が逼迫すると強調されてきました。一般の人が感染しないように気をつけるのはもちろん大事ですが、患者を受け入れられるような医療体制の準備が遅れた問題もある。

そうです。ただ、それは医療機関単体では決められないことです。

厚労省は当初、PCR検査で2回陰性にならなければ退院させるなというルールを維持して、医療機関は患者を退院させられませんでした。医療機関ではなく、医療体制の問題です。

2月の段階から、症状がない人や元気な人は、PCR検査の陰性を退院の基準にせずに、元気なんだからすぐに帰せばいいとずっと主張していました。

それでも、退院の基準を12時間おきの検査から24時間おきに変えるというような小手先のことしかしなかった。だから、無症状の患者さんがいつまでたっても退院できませんでした。

退院できなければ、たとえ新規感染者の数が減っていても、院内の感染者は積み上がっていくわけですから、医療機関の負担は加重していきます。

一方、一般の方たちが全く外に出なければ新規の感染は出ないわけですから、クラスター班の西浦博先生が予測したように、宣言を出してから2週間ほど経つとガクッと感染者が減るはずでした。

それでも、ガクッとは減らなかった。

これをどう評価するのかは微妙です。つまり、狙ったほどは減らなかったけれど、ドーンと増える最悪の事態も起きなかった。それはよかったと思います。

宣言を出す前から、一人が周りに感染させる平均人数である「実効再生産数」が減っていたのではないかという声もあります。

でも、実行再生産数は、ある施策の有効性を現在進行形で吟味するものではなく、後ろ向きに、そういう状況が起きていたということを振り返る指標に過ぎません。

その時点での実効再生産数はリアルタイムでは出てこない。特に、報告の遅れを加味したような西浦先生のモデルは相当あとにならないとできてこなかった。

多分、いろんな要素が重なってで少しずつ下がっていく現象はあったのですが、もっと下げることはできたかもしれない。

それでも、緊急事態宣言が意味がなかったかというとそうではないと思います。もっとひどい展開は当然あり得たわけです。肌感覚で言うと、兵庫県では宣言が出たことで人の出入りが2週間過ぎたあたりからガクッと減りました。

そうすると感染者も検査を受けに来る人も減り、検査で陽性になる人も減り、最後の方になるとほとんど患者さんはいないという印象を持てるぐらいになっていました。そこまで来てようやく楽になったのが現実だと思います。

――様々な要素の中でも、第一波が収束しそうな要因で何が一番大きかったと思われますか?

やっぱり一般の方が外出しなかったことじゃないでしょうか。感染が減るか減らないかに関して言うと、医療機関はほとんど何もできないのです。感染が減ったのは、一般の方が感染を減らす行動をしたことに尽きると思います。これ以外に予防法はないですから。

日本人の行動変容の決め手は「空気」と「同調圧力」

――専門家会議や政府の政策はある程度、功を奏したと評価されていますか?

それはわからないです。

専門家会議と政府の目指しているものが必ずしも同じだとは考えていません。多分専門家会議はこうしたいと目指すものがあった。でも政府はそのまま額面通りには進めたくないと考えていたように見えます。

結果的には専門家会議や政府が狙っていた以上の行動変容がもたらせて、最終的に感染が減ったのだと思います。感染者が減るのは感染経路が遮断されているからです。やはり行動変容があったのでしょう。

――日本でこれほど行動変容がうまくいったのはなぜでしょう。日本人は真面目だからでしょうか?

「空気」だと思います。日本人は真面目じゃないですよ、もちろん。検察幹部が賭けマージャンまでやっているんですから。真面目なわけないじゃないですか。

――同調圧力ですか。

同調圧力です。

みんなが外に出なければ、私も外に出ない。みんながマスクしていれば私もマスクをする。みんなが電車に乗らなければ私も乗らない。

逆もまた然りで、みんなが外に出れば当然外に出るし、みんなが赤信号を無視するなら無視するし、みんなが3密を作れば作ると思います。

同調圧力が強いので、パッと同じ方向に動いたのが今回は幸いしましたが、逆もまた真なりです。

密集するような行動が始まれば、みんな同じ行動をとる。単に方向性の問題だと思います。諸外国だとみんなバラバラに動く。

日本の同調圧力は、良い方に回っている時はいいのですが、まずい方に回れば全部ダメな方向にいくと思います。

――その意味では、宣言解除後の揺り戻しが怖いですね。

そうです。今一番危惧しているのは東京で、東京はまだ毎日感染者が見つかってます。つまり街からウイルスが消えているわけではない。

一方、神戸では全然見つからなくなっています。街でウイルスを持っている人はほとんど無視していいぐらい減っている。

東京ではいまだに、毎日4、5人の感染者が見つかっていて、検査の数を考えると感染者はもっといるはずです。それが見つかり続けている限り、感染者はいつだって増える。増える素地は残っているということです。

コロナの場合、一人が十数人に感染させたり、一人も感染させなかったりでこぼこがあります。ですから、数が少なくても、ちょっと油断するとすぐにクラスター(集団感染)が発生します。

そして、クラスターはウイルスというよりも人の動きに依存することが大きい。東京は揺り戻しのリスクが他の地域よりも大きいと思います。東京の人がよその地域に行ってよそでクラスターを作ることもあり得ると思います。

理想的には国からウイルスが1個もなくなって、何週間か全く見つからなくい状況になればおしまいとなるのですが、そこまで行かないと油断はできません。

無症状に検査はナンセンス

――検査問題についてずっと議論が続いています。検査をもっと増やせという人と、十分だという人との対立が続いています。先生は、その問題設定自体が間違っていると指摘されていました。

そうです。

――多い少ないではなく、その時々で、必要な人に必要なだけやればいいという考え方ですね。

はい。

――その中でも、無症状の人にも検査すべき、という意見がずっと残り続けています。無症状の人も感染させる可能性があるのだから、把握しないといけないという意見です。それに加え、新型コロナの症状がない、手術前の入院患者や妊婦の希望者の検査も保険が適用されることになりました。制度面でも無症状の人の一部は公的に検査が認められたわけですが、どう考えたらいいと思いますか?

個人的にはナンセンスだと思います。

まず、無症状の人が他の人に感染させることについてはデータが十分にありません。「させたかもしれない」というエピソードはあります。

しかし、少なくとも症状がある人や、発症直前(presymptomatic)の人に比べると感染リスクは低いであろうことが台湾などでのデータでわかっています。

こういう時には、ゼロイチで考えてはダメで、可能性があるかないかで考えてはいけません。可能性はもちろんあるに決まっていますが、少なくとも無症状ならリスクは低いであろうということは推察できます。

無症状の人をどれだけ怖がらないといけないかはよくわかっていないのですが、少なくとも、間違いなく症状がある人の方が怖いということはわかっています。

では、無症状の人をスクリーニング(ふるい分け検査)するとどういう利益が得られるか、ということは、よくわかっていません。

最近のメタ分析(複数の研究を総合的に分析すること)だと、無症状の人へのPCR検査は、陽性なのに陰性と出る「偽陰性率」が100%近いというデータもあります。

要するに無症状の人へのPCR検査では陽性者が捕まらない、少なくとも多くは捕まらない、ということです。

スクリーニングは感度(陽性の人を正しく陽性と判断する割合)が高いのが前提で、PCRではスクリーニングはできません。

感染管理をせずにPCR検査をするのもナンセンス

しかもPCRをやるからには、その人が感染させるかもしれないという前提でやるわけですから、検査をする時は感染管理もバッチリやらないといけません。

「感染管理はしないけどPCRだけやる」ということはナンセンスです。あり得ない。だって、感染させないために検査すると言っているのですから。

でもこのダブルスタンダードな態度をとっている人はいっぱいいます。

PCR論争はもう、今となってはバカバカしくて仕方ないので、僕は「やりたきゃやれば派」です。この種の検査は、どうしてもやりたいという人をいちいち説得するのは時間の無駄なので、僕が関与している病院では、PCRをやりたい人はどうぞ好きにやってくださいと止めません。

その代わり感染制御はきちんとやってください、と言っています。

無症状の人でも他人に感染させるかもしれないからPCRをやると言っているので、検査するなら感染制御をしっかりやってください、もし陽性になった場合はアフターケアも自分でやってくださいと伝えています。

これはまあ、科学的というよりも実利的な対応策ですね。幸い、この施策だと、無意味にPCRをやりまくる医師はいません。

――陰性という結果が出た場合は、対処なしですか?

最初から疑っていませんから。神戸市はコロナウイルスはほとんどいないと思っています。

集団の中に陽性者がいそうな確率である「事前確率」が現在は低すぎるのです。

ということは、検査しても間違った結果が多くなり、無駄だと思っています。検査技師さんを無駄に働かせるのは一番許せないことです。

無症状の人にPCR検査をした時の副次的なダメージ、つまり、PPEの消費や技師さんの労力と、得られる利益を全て計算して検査を判断するのが筋だと思います。

でも今はどこの医療機関もパニックになっていて、PCR、PCRと言っているので、宗教論争に立ち入る気は全くありません。

検査、マスクを考えるのには流行具合を見るのが重要

――本来は疑いを持って検査するなら陰性の人も「偽陰性」を疑って、そのように対処しないといけない。

事前確率が高ければそうです。

神戸で感染者が増えている時は、僕らはPCRが陰性でも隔離を解除しないことはありました。

特に3月下旬から4月の頭は、典型的な肺の症状がある人はPCRが陰性でも隔離を継続していました。偽陰性を疑うからです。私たちの地域に感染者がたくさんいるかいないかで検査の考え方は全然変わるので、一概に検査をするのがいいとか悪いとかは言えません。

ちなみにマスクも同じです。周りに感染者がたくさんいるかいないかで考え方が変わります。マスクをすべきかすべきでないかという議論も全く不毛です。

一般論で言うと、事前確率がそこそこ高い時は検査の意味は大きいです。

また、事前確率がめちゃくちゃ高い時や、めちゃくちゃ低い時は間違った結果がたくさん出るのでやっても意味がない。これはPCRに限ったことではなくて、全ての病気の検査について同じことが言えます。

――先生は「予防のためのマスクは必要ないと言ったじゃないか」と責められるマスク論争にも巻き込まれていましたね。

あれも面倒臭いのでほとんど無視です。説明しても無駄ですもの。したい人はすればいいし、したくない人はしなくていい。

――先生は外では今もしていないのですか?

していますよ。コロナは怖くないですけれども、人間が怖いですから。「人間防御」のためです。

公共交通機関ではマスクをしています。でも、マスクをしていると人が近づいてくるんですよ。そっちの方が怖いです。

「マスクしていない人が近づくのが怖い」と言う人がいますが、している人が近づくのだって怖いです。間違った安心感を生んでいるのです。

人との距離については、僕は常に気を使っているのですが、マスクはジョギングの時はしていないですし、ただ路上を歩く時や家族といる時もマスクはしていません。でも周りの人間が怖い時はマスクをしています。

抗原検査、「現状では手間が増えるだけかも」

――検査については、抗原検査が新たに承認されました。先生はインフルエンザの迅速抗原検査でも、意味のないことが多いと否定的なことを書かれています。

そんなことはないですよ。使い方が間違っているだけです。一般論として、検査の罪というよりも、使っている人の罪なんです。

包丁が悪いとか大根おろし器が悪い、というわけではない。大根おろし器でご飯を食べるとか、包丁で納豆をかき混ぜるのがおかしいと言っているだけです。

――抗原検査はその場ですぐに検査結果が出ることがメリットとされていますが、精度はPCR検査よりも低いというマイナス面もあります。診療ではどのように活用すべきだと思いますか?

たぶんあまり使い道はないと思います。使いたければ使えばいいのです。手間が増えるだけで、そんなにメリットはないかなと個人的には思います。

ありそうな使い方としては、患者さんから検体をとって、抗原検査とPCR検査を両方同時にやる。検体を取るのが1回で済むからです。

そうすると、抗原検査で陽性か陰性が出た、PCRもあとで結果が出ます、ということで、結果的には同じです。感染を疑ってやるので既に隔離はしているはずです。

もし、まず抗原検査だけをやる場合、陰性でも感染を疑うので、もう1回検体を取ることになり、二度手間になります。同時にPCR検査をやって1アクションにするか、2アクションにするか、抗原検査の導入で手間が減るのか増えるのかは微妙です。

――抗原検査でまずやってみて、陽性なら終了、ということを期待するのでは?

その場合はそうです。でもそうでない場合が多い。現在のように感染者が減っていれば、事前確率が低くなり、さらに陰性が多くなります。

つまり抗原検査でいきなり陽性になるよりは、それを経て、もう一度PCR検査をする人が圧倒的に多くなる。全体の手間の数は、抗原検査が加わることでむしろ増える。これも事前確率に左右されます。

――もし再流行し始めて、事前確率が高くなれば、抗原検査はもしかしたら役にたつかもしれないということですか。

そうです。ただ、加わる価値は微々たるものです。いずれにしても今のように患者さんが減っている時に抗原検査を組み込むと、手間は増えるだけだと思います。

(続く)

【岩田健太郎(いわた・けんたろう)】神戸大学感染症内科教授

1971年、島根県生まれ。1997年、島根医科大学(現・島根大学医学部)卒業。沖縄県立中部病院研修医、コロンビア大学セントルークス・ルーズベルト病院内科研修医を経て、アルバートアインシュタイン大学ベスイスラエル・メディカルセンター感染症フェローとなる。2003年に中国へ渡り北京インターナショナルSOSクリニックで勤務。2004年に帰国、亀田総合病院で感染症科部長、同総合診療・感染症科部長歴任。2008年より現職。

『感染症パニックを防げ!〜リスク・コミュニケーション入門』『予防接種は「効く」のか』『ぼくが見つけたいじめを克服する方法 日本の空気、体質を変える』(以上、光文社新書)、『新型コロナウイルスの真実』(KKベストセラーズ)、『感染症は実在しない』(集英社インターナショナル)など著書多数。