終息の気配を見せない新型コロナウイルス。地方でも一度、流行が広がると一気に患者が増えて、医療機関が逼迫する。
福井県は4月初旬、あっという間に感染が広がり、10月1日正午時点で累計242人。一時、厚生労働省や自衛隊から要員の派遣も必要になったほどだ。
この危機をどう乗り越え、そこから得た教訓は何か?
「あの手この手を使って、みんなが危機感を共有できたことがもっとも力になりました」
インフルエンザが流行する冬に向けて、全国に先駆けた対策も準備している福井県医師会長の池端幸彦さんに、まるでドラマのような綱渡りの日々を振り返っていただいた。
ベッド数は足りているはずなのに ホテル療養の担当医を派遣要請
福井県の第1例目が明らかになったのは3月18日のことだ。東京出張帰りの地元有名企業の社長が発症し、自ら社名を公表した上で濃厚接触者の調査に応じていると報じられた。
その後1週間は他に新規感染者は出なかったが、2週目に2〜3人と増え始め、4月3日には1日12人を数えるほどまでに増えた。
ーーその頃は、まだそこまでの危機感はなかったそうですね。
感染者数としては1桁から2桁になったところだったので、医師会長という立場でも、県全体のマスコミの論調としてもそこまでの危機感はなかったと思います。
ただ、4月3日の夕方に、県の地域医療課長から突然、「宿泊施設に患者を入れたいので、その対応に当たる医師や看護師を至急派遣してほしい」と連絡がありました。
当時は感染者は原則すべて入院させており、東京でようやくホテル療養が始まるという時でした。まだ入院ベッドには余裕があるはずなのに、そんな要請があったのですごく違和感を覚えたのです。「病床がいっぱいなので」ということでした。
実は当時の感染者の入院先については、保健師が各病院にお願いしたり県の課長クラスが交渉したりして、1対1で当たっていました。医師ではないので、重症度の判断をあまりしないまま受け入れ先を探していたんです。
すると、いきなり重症者が来て受け入れた病院も慌ててしまって、「これ以上うちは無理だ」と警戒心が強まった。病床が空いていても無理だと断るようになっていました。
そして最初に患者を受け入れていた2つの感染症指定医療機関が、断るようになっていた。他の中小の感染症指定医療機関は全て入院受け入れはゼロ回答だったので、止むを得ず軽症者をホテルに入れようという話になって、その医師を医師会で派遣してくれないかということだったのです。
しかも、翌々日の「4月5日から搬送したい」とのことで、さすがの私も急過ぎると驚きました。ホテルの近くの郡市区医師会の会長たちに頭を下げて、県医師会役員にも連絡し、 県と郡市区医師会の役員を中心に当番制で医師を派遣することにしました。
看護師派遣は県看護協会にお願いして、 何とか数日で宿泊療養施設の開設にこぎ着けたんです。
ーーまだ入院ベッドには余裕があるはずなのにと訝しみながらも、全体像や背景はまだ見えていなかったのですね。
全く見えていませんでした。指定病院のベッドはまだ50床ほどあるはずなのに、人数からすれば半分も埋まっていないじゃないの?と不思議に思っていました。
重症者は4倍、5倍の手がかかるという認識が私もまだなかった。実態を聞けば聞くほど空恐ろしくなってきたのですが、「これは本当にやばい」と感じ出したのは、厚労省からの連絡が重なったからです。
厚労省医系技官トップから連絡「福井県はかなりまずい」
ーー厚労省からの連絡とは?
4月5日の夜に、私の携帯に旧知の厚労省の鈴木康裕医務技監(当時※)から電話があったんです。
※医務技監 医師の資格を持つ医系技官のトップ。事務次官級のポスト。
「福井県当局から、近隣県への感染者搬送について自衛隊の支援要請が出されています。福井県はかなりまずい状況にあるので、明日にでも本省から医系技官2名を派遣します」という内容で、私はすっかり驚いてしまいました。
福井県のこの現状で、自衛隊派遣、他県に入院要請というのはおかしいと鈴木さんも考えたのですね。
「福井県はうまくいっていないのではないか」ということで、地域医療計画課長が上に報告し、鈴木さんが「じゃあ福井県医師会長を知っているから電話してみるわ」とかけてきたようです。
ーーたまたまお知り合いで。
実は鈴木さんとは慶應大学医学部の先輩、後輩の関係で、それまでも懇意にしていました。鈴木さんは4級下なんです。個人の携帯にかかってきて、「心配だから医系技官二人を派遣する。先生、状況わかってますか?」と聞かれました。
「うちには全然情報が入ってこないんですよ」と答えたら、「福井県、このままだと大変なことになりそうだから」と言われました。この電話で、私もようやく危機感が強まり、県に自ら情報を取りに行くようになりました。
そうしたら県も徐々に情報を出してくれるようになり、腹を割って話し出して一気に連携が進んだのです。
ーーたまたま厚労省と大学で先輩後輩の関係もあっただけでなく、「日本慢性期医療協会」という全国組織の副会長であったことも役立ったそうですね。
その関係で厚労省の方々とも随分関係ができていました。福井県に派遣された二人のうち、お一人は老健局で一緒に介護報酬の改定等でお世話になった方でしたし、たまたま二人ともよく知っていたんです。向こうも私がいるなら少し安心、ということで言いたいことが言える関係が最初からありました。
薄かった県との連携
ーー厚労省からの連絡で危機意識が芽生えるとは、不自然ですね。なぜそこまで県当局から情報が入って来なかったのでしょう。
私自身が県の医師会長となったのは昨年の6月です。実は知事も、昨年4月に新しい知事に交代したばかりでした。総務省からの出向で副知事までやられた経験のある人で、選挙は現職との戦いだったんですね。
そして、実は私の前の県医師会長や県歯科医師会長は現職を推していました。
それで、新しい知事が現職に勝った時、新知事を取り巻く人たちへの手前もあってか、それからは新しい副知事が県内医療団体の窓口になることになりました。
1年間は、知事は医師会の全ての会議にも出席しないということになったんです。
ーーそれは不便なこともありそうですね。
ただ幸か不幸か、私を含め、県の医師会、歯科医師会、看護協会、薬剤師協会の医療関連4団体の会長が全て新人になったという時でした。この4団体の会長同士で定期的な会合を持つようになり、副知事を窓口にして徐々に関係を築いていたところでした。
杉本新知事自身は実務肌の方なので、そういう感覚は全くお持ちでなかったかもしれません。ただやはり、私も新知事との距離感を計りかねていた感は否めませんでした。
新型コロナでも、あるいは知事の周囲の方々はそんな空気を忖度して、県医師会に情報を流すことを躊躇していたところがあったのかもしれません。真偽の程はわかりませんが......。
ただ厚労省か派遣されたお二人を私が駅まで迎えに行って、知事がご挨拶したいからということでお二人を県庁にお連れしました。
そうしたら、「先生も一緒にどうぞ」と言われたのです。「知事、よろしいのですか?」ということで、私もその場に同席させて頂きました。
就任直後に一度ご挨拶はしていましたが、実はコロナのことでお会いするのはその時が初めてでした。その日の朝に県医師会として緊急事態宣言を出そうと決意し、説明のために知事に「5分間でいいから」とアポイントを取ろうとしましたが、その際は、残念ながら副知事での対応となっていた矢先の事でした。
でも結局そのすぐ後に、知事に会えてしまったんですよね(笑)。知事はそんなことは全く知らずに「どうぞどうぞ」と招き入れてくれました。おそらく、私のアポのお願いは知事まで届いていなかったんだろうと思うのですが......。
ともかく、その場で厚労省から派遣された方達から、「このまま何も対応しなければ、福井県でも最悪のケースでは感染者が1500人出ます」と説明され、知事も最初は、「流石にそれはないでしょう」という感じでした。
しかし、いろいろ説明するうちに知事も危機感を抱き、「先生、協力お願いしますね」と言っていただき、私も「精一杯頑張ります。宜しくお願いします」となった。
奇しくもそこから知事との関係は一気に良くなり、県庁の関係者もすごく動きやすくなったような印象ですね。それまでは、お互いどこまで情報を出していいのか、お願いしていいのか探り合いでした。
トップが同じ方向を向いているかどうかで、下は左右されます。事態を理解されたその後の知事の決断は非常に早く、私も感激しました。今、福井県庁の対策本部内外の関係性はすごくよく、スタッフも生き生きと働いています。
病院長会議 腰引け気味にスタートしたが...
ーー医師会が「医療提供体制緊急事態宣言」を出した4月6日夜に、コロナの治療に当たる福井市内の4つの基幹病院、感染症指定病院 14 病院の病院長や看護部長と県、県医師会、県看護協会が集まった「新型コロナウイルス感染症関連病院長 会議」が開かれましたね。
厚労省から派遣された医系技官の方々が6日の午後3時頃に福井県庁内で、「とにかく病院長を集めましょう」と私達に言ったのです。それから急遽連絡して午後7時半から開いたのですが、8つある感染症指定医療機関全てと指定以外で基幹病院の福井県済生会病院と福井大学病院の病院長、看護部長が全員集まりました。
その時、実際に感染者を受け入れていたのは3病院だけでした。他の指定病院は、「まだ準備が整わない」「陰圧室がない」とかいろんな理由を並べて受け入れを断っていました。
その初めての会議の際も、最初は県は司会進行を厚労省の方にやってもらおうとしていたようですが、厚労省側は、「違います。これは県がやるべきです」と言いました。
最初は厚労省の人をひな壇に並べて、県庁は一番後ろに下がって事務方のような形式でした。真ん中の島に病院長たちが集まり、医師会も後ろにいたんです。それはダメだと厚労省の方がやりかえて、県の事務方に前に出てもらったんです。
ーー当初はリーダーシップが薄かったのですね。
県の課長クラスだと、どうしても病院の院長クラスには遠慮があるようですね。確かに専門職ですし、難しいところもあると思います。
最初に現状を説明した後、厚労省から「このまま何もしなければ1500人の感染者が出る。低く見積もっても500床は確保してほしい」と言われ、患者の命の選別を迫られる「医療崩壊」が現実的になりつつあるとみんなに伝わり始めました。
その後、逼迫しながら受け入れていた福井赤十字病院と福井県立病院の院長、看護部長から「もうこれ以上は無理です」という話がありました。私も、まだ受入をしていない他の病院の方々も、そこで初めて「ああ本当に大変なんだ」と理解したと思います。だって皆さん、顔色がなかったですから。
「このままあと何人受け入れますなんて言ったら、私は病院に帰れません。職員がこのままでは倒れてしまう。交代もままならない状況が続いているんです」と声を震わせながら訴えていました。
一方で、感染症指定医療機関ではないところは、「まずは、指定病院が受けるべきでしょう」という建前論を語っていました。
「みんなが少しずつ無理をして」 口火を切る
ーーみんな逃げたまま、深夜になった。県担当者が、「今日のところは、まず顔合わせと情報提供ということで、このぐらいでお開きに......」という雰囲気になったところで、先生が思い切って問いかけたのですね。
「ちょっと待ってください!」と。ここで帰ったら今日は一体何のために集まったんだということになると、話し始めました。
「できない理由を皆でいくら挙げてもしょうがない!ここは一致団結して、皆がちょっとずつ無理をしてできることを広げながら、少しずつ対策を講じるしかないのではありませんか?」
「このまま終わってしまったら、解決の糸口さえも見つからないままでは?」
「明日、自分の家族が、自分の病院の職員が感染したらどうなるのか?と考えみて下さい!」
そう呼びかけました。私も切羽詰まって、顔色がなかったと思います。本当に心配で。
私の専門は外科で、うちの病院は療養病床を中心とした在宅支援の小さな病院なので高度急性期医療とは縁がないのですが、その時は既に県医師会長として医療提供体制がかなり厳しいということは強く感じていました。
しかも患者数が毎日2桁ずつ増えているのはわかっていて、明日のベッドがないということがあり得るという状態でした。どうしても、「じゃあ、今日のところはお開きで」というわけにはいかなかったのです。
ある公立病院では、医療機関の再編計画「地域医療構想」で統廃合の対象になっていて十分空いている病床があるはずなのに、一切手を挙げようとしなかった。
「今こそ提供しないで、いつ出すんだ」といういらだちも正直ありました。もちろん、当時は十分な情報もない未知のウイルス感染症に対する不安や恐怖から受け入れのゴーサインが出せなかった気持ちもわからないわけではないのですが......。
一方、県立病院の院長は「うちは発熱外来もPCR検査もやりつつ、新型コロナの軽症患者も重症患者も受けている。他でも何か一つでも二つでもその機能を受けてもらわないと、とてもじゃないけれどもこれ以上広げられません」と言いました。
そこで私は、思わず「じゃあPCR検査は、医師会で引き受けます」と切り出したのです。
ーー「見切り発車」ということでしたが、検査を受けるという医師会内でのコンセンサスはあったんですか?
全くない(笑)。啖呵を切っちゃったんです。
ーー自分から何か手を挙げないと、どこも手を挙げないと考えたんですね。
いくら医師会長という立場でも、「あなたあれやりなさい」「あなたはこれやりなさい」ばかり言えば、「じゃあ医師会は何してくれるの?」となりますよね。「一般のかかりつけ医は、高みの見物か!」という話になる。
ただ見切り発車とは言え、県医師会の役員5、6人には事前に少し話をして、「検査を受けたいけどいいですか? 場合によっては我々役員だけ回さなくちゃならないかもしれない」と相談はしていました。ありがたいことに、みんな「会長が決めた通りにやればいい」と協力的だったんです。
実際に、PCR検査センターを4月14日から県からの委託という形で県医師会で立ち上げ、最初に担当医師として検査をしたのは、私と安川繁博副会長でしたから(笑)。
まず、感染症専門看護師にPPE(個人用防護具)の着脱や検体採取方法等を改めて教えてもらって......。会長、副会長が最初に行けば、さすがに次は誰か出てくれるだろうと思ったんです。
21日には2か所目のドライブスルー方式検査センターを立ち上げ、第1波のピーク時には、県内検体数の約半数にあたる累計約1000 件の検体採取をしました。多くの一般会員も、本当に快く協力してくれました。
大学病院長を医師会に 思わぬ形で活きた人事
ーー外科医でいらしたら、感染管理は身についていらっしゃるでしょうしね。
感染症の専門家ではないですけれども、感染対策ということで言えば、外科医の基礎知識としてもある程度持ち合わせていました。
ちなみに、一緒に出てきてくれた安川副会長も外科医です。恐れ過ぎることはないし、いざとなると外科っぽい「何とかなるさ」という性格が幸いしました(笑)。
もう一つ、種明かしをすると、県医師会の新たな副会長の一人は、福井大学附属病院の病院長だったことが幸いしました。
私は昨年6月に会長になった時、たまたま副会長のポストが空いていたんです。
その時私は、という大学病院の現職病院長の腰地孝昭先生に副会長に就任頂くことをお願いしました。最終的に、医学部出身の福井大学の上田孝典学長にもお願いして、何とかご了解いただいたのです。
おそらく現職の大学病院長が医師会の副会長になるのは全国でも珍しいのではないでしょうか? 普通、トップはならないです。
ーーなぜそんな人事を考えたのですか?
これから先、地域医療構想とか働き方改革とか、医師の偏在問題など解決すべき問題が地方でも山積しています。福井県の場合、福井大学が唯一の大学で医師養成機関です。そこを抱き込まないことには、これらの改革は絶対に進まないと思いました。
実は、新たに福井市医師会の新会長に就いた柏原謙悟会長が、市医師会副会長に県立病院の現職病院長を抜擢されていたことも参考になりました。
そんな事もあり、半ば強引に入っていただいたんですけれも、まさかこんな新型コロナのようなことが起きるとは思っていませんでした。
その最初の病院長会議で、医師会副会長の腰地病院長も、福井大学附属病院長として参加してくれたんです。
私の呼びかけに、意気に感じてくれたのか、「それならば、うちは感染症指定病院ではないけれども」と前置きした上で、「とりあえず一般病棟の診療体制を70%までに制限して、1病棟20床を確保します」と言ってくださった。
「うちは感染症指定病院ではないけれども、病棟を提供する」と言われたら、指定病院も動かざるを得なくなりますよね。
みんな「コロナ専門病院をどこかに一つ作ればいいじゃないか」という言い方をし始めていたんですね。じゃあ誰がやるのか? 誰もやりたくないでしょう。
ーーババ抜きのにらみ合いですね。
福井のように小さい県で、医療機関もそれほど多くないところでは、コロナ専門病院といってもまず進まない。
「腰地先生も大学病院として入院受入を表明してくれたので、とにかく2〜3日後にもう1回やりましょう。その代わりゼロ回答はダメ。何か一つでもいいから、前向きな提案をしてください。お土産を持ってきて下さい!」と言って、その日は終えました。
2回目に集まったのが3日後です。その時はみんな、2床なら3床ならと少しずつ提供してくれると言ってくれました。正直、もう少し多くできないかとは思ったんですけれども、0と1の違いは大きいですから。連携が少しずつ動き始めた瞬間でした。
ーー思わぬ布石が活きていった。
本当に良かったです。偶然が偶然を呼んで、幸運が重なっていった感じです。
(続く)
【池端幸彦(いけばた・ゆきひこ)】福井県医師会長、日本慢性期医療協会副会長
1955年、福井県越前市生まれ。1980年、慶應義塾大学医学部卒業後、同大学病院一般消化器外科勤務を経て、1989年より医療法人池慶会池端病院理事長、社会福祉法人雛岳園理事長。
中央社会保険医療協議会(中医協)委員、社会保障審議会医療保険部会構成員、日本医師会地域包括ケア推進委員会委員長、福井大学医学部臨床教授 等を兼任している。