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大坂なおみ選手の問題提起 精神科医「アスリートのメンタルヘルスを議論するきっかけに」

大坂なおみ選手の発言で注目されるスポーツ選手のメンタルヘルス。アスリートのメンタルヘルスを啓発する対談動画を作ったばかりの精神科医、内田舞さんに選手たちはどんな重圧を抱えているのか聞きました。

スポーツ選手は常にメンタルヘルス(精神の健康)上の脅威にさらされている。

大坂なおみ選手は、全仏オープンで記者会見に応じないことを発表して、主催者側から罰金をかけられ、最終的に棄権するに至った。長い間、うつ状態だったことも告白している。

大坂選手だけではない。試合の重圧、スポンサーや大会主催者との関係性、体型管理など、トップアスリートが抱える重荷はその若さに比べてあまりにも過酷だ。

こうした選手たちの精神的な問題に気づき、対処してほしいと、米国で精神科医をしている内田舞さんが、フィギュアスケーターの長洲未来さんとアスリートのメンタルヘルスについて対談動画(日本語字幕付き)を作った。

今、日本ではコロナ禍での東京五輪の開催に反対の声も強まり、選手たちはつらい日々を過ごしているだろう。選手がどう精神的な健康を保つかは、これまでになく重要な課題となっている。

BuzzFeed Japan Medicalは、内田さんに、アスリートのメンタルヘルスについて聞いた。

大坂選手の会見拒否 「会見のあり方を問うためのメッセージ」

ーー大坂選手が記者会見に応じないと発表したことを、精神科医としてどう受け止めましたか?

私はとてもポジティブに受け止めました。今まで試合に向けて集中したいと思っている時に、記者から自分の能力を疑うような気持ちになる質問を受けることがあると、心がもろくなると語られていますね。

そういう場に自分をさらさなくていいと思ったのでしょう。集中し自信を持って試合に臨むために自分を守る努力だと思いますので、称賛したいと思いました。

昨年、彼女は「Black Lives Matter(黒人の命も大事、BLM)」の運動でも声を上げましたね。政治的なスタンスを表明するために全米オープンの試合に出ないと表明し、議論を社会に巻き起こしました。

その後、全米オープンが彼女のチームと交渉し、社会的メッセージを表現したものを身につけることを許可するなど、彼女にBLMに関して社会に発信する機会を与え、彼女は数日後に試合に戻ってきました。

そこからの試合で大坂選手は、無実であるにも関わらず警察に殺されてしまった黒人の被害者の名前が書かれた真っ黒のマスクで登場し、大会を勝ち進むにつれ、一試合ごとに違う人の名前が書かれたマスクを着用しました。

彼女のこの運動に全世界が注目し、普段はテニスを見ない人も全米オープンを見ることになり、大会にも注目が集まりましたし、彼女のメッセージも多くの人に届きました。


それと同じように、アスリートのメンタルヘルスを無視した会見の形やタイミング、心ない質問を許してはいけないと提言したかったのだろうと思います。自分が提言することで、記者会見のあり方について議論が巻き起こせればと思ったのでしょうし、また大会やテニス連盟と共に変化を作りだす目的だったと思います。


実際、そのような議論が始まっています。罰金に関しては、彼女はメンタルヘルスの基金に送ってほしいと言っており、メッセージ性が強いと思いました。


ーー誰に対するどんなメッセージですか?


メディアとテニス協会に対するメッセージですね。「私たちは人間なのだから、もっとリスペクトして扱ってください」というメッセージだと私は感じました。

記者会見、どうすべきか?

ーー日本の報道は当初、「メディア対応も仕事」「一方通行の意見」など批判的なトーンが多かった印象です。主催者の仏テニス連盟会長も「絶対的な誤り」と大坂選手を強く批判しました。これについてはどう思われますか?

そのような報道が日本で多いことに私はびっくりしました。

アメリカでは少なくとも称賛の声の方が多かった。彼女しかこういうことは言えないわけですから、彼女が声を上げたことによって他の多くのアスリートも救われるという評価です。

よく聞く批判は、「ファンがいての存在なので、ファンに声を届けるためにも記者会見は重要だ。記者会見に出ないことはファンを遮断してしまうことだ」という内容です。

実際は、大坂選手は23歳で、彼女のファンは若い世代が多い。記者会見のテレビ放送をほとんど見ない世代です。アスリートや芸能人の声は、ソーシャルメディアで届いています。彼女はTwitterやInstagramを通して、何を考えているかを常に発信しています。

記者会見がなくても彼女の声を聞く場はある。ファンとしては何かを失ったという感じでもないという印象です。

それでも記者会見を選手たちに義務付けるのであれば、選手を傷つけてしまわないような記者会見にする努力が大会側にもメディア側にも必要です。

そういう努力さえ見せてくれれば、大坂選手は「一生記者会見をしない」と言ったわけではありません。BLMの時もそうでが、アスリート、メディア側のどちら側にとっても良い会見の在り方を共に模索しようという投げかけだったと感じました。

ーー大会主催者の連盟は厳しい批判をし、当初はグランドスラムも出場停止を散らつかせました。この対応については、どう思われましたか?

彼女の発信の意図を理解していなかったのか、運営側が彼女世代の情報発信とコミュニケーションの仕方を肌感覚でわからなかったのかもしれませんね。

有名な選手が記者会見に応じなかったら自分たちの大会も人気が落ちると感じたのでしょう。でも、実際は去年の全米オープンのように、社会における重要なテーマを扱うことによって、大会にもアスリートにも利益があるような終わり方もできたのではないかと思います。

しかし、大坂選手は「では、棄権する」と宣言して、大会側は負けてしまった形です。選手を必要なのは大会や連盟側です。スター選手のわがままに応じろというわけではなく、選手が能力をフルに発揮できる環境を用意する必要はある。そのための提言をスター選手が発言した場合には、むしろ良い機会だと捉える考え方もあると思います。

この報道を受けて、「うつだからなんでも許される」という日本の報道も目にしました。

私は彼女のソーシャルメディアでの投稿を見て、「うつの告白」という印象は受けなかったので、日本語訳が少し違う捉え方をされてしまっているのかもしれないと思いました。

レフリーに感情的な反論をしたセリーナ・ウィリアムズ選手に勝利して、会場ブーイングの中で涙を流しながら優勝トロフィーを受け取ることになった2018年の全米オープン後に”Bouts of depression”を感じたと書かれています。

この表現は、深い落ち込み、自分に自信を持てなくなる、嫌な気分が続くといった抑うつ気分全体のことを意味し、特にうつ病の診断名を公表したという印象ではありませんでした。また、うつ病という病名を使って、わがままを通しているという印象は受けませんでした。

この件とは別に、「うつだから何でも許される」というカルチャーができてしまっているのであれば、それについては私は賛成できません。

病気とは関係ない自分の意見を通す道具として病名を使ったり、また人を傷つけてしまっても、あの人は病名があるからと、傷つけられた方が我慢をしなければならないという場面を他の問題で見たことがあります。

それは残念なことだと思います。病気の有無に関係なく、人間関係の中では敬意とマナーは重要だと思います。

しかし、大坂選手の場合は、自分のメンタルヘルスを守るために、「これまでのやり方ではできないから対応してください」という交渉のために議論を持ちかけました。それはいいことだと思います。これを大会側が「わがまま」と捉えたのが失敗だったのではないでしょうか?

対策として、私は大会の終わりの記者会見だけお願いして、質問も事前に主催者が確認して選ぶようにする、また、メンタルヘルスに関して選手が議論する場を与えるなどということをすればよかったのではないかと思いました。

ーー私はメディアの立場なので、取材相手が好む質問だけを投げかけるのでは、記者会見は意味をなさなくなると思います。時には斬り込む質問も選手の奥にあるものを引き出すために必要ではないでしょうか。会見のタイミングを考えたり、選手が能力を発揮できなくなるような質問はやめるよう、メディア側が自分たちを律することが必要なのではないかと思います。

まだ何試合も残っている中での記者会見で、終わった途端に選手がボロボロに泣き出すシーンが今までありました。それはきついことだと思います。

私も斬り込んだ質問は必要だと思います。称賛するだけではなく、意表をつき、本心を聞き出す質問もいいと思います。でも質問の仕方や回答に対する受け答えによってインタビューを受けている側の話しやすさは変わります。タイミングも関係しますね。

相手が自信を失わず、サポートしながらの質問はできるはずです。私の長洲選手との対談動画でも斬り込んだ質問はたくさんしています。話しにくいことも話していただいた。でも本人が話したことを後悔しないように意識的に言葉を選びました。

選手に優しさと敬意を

ーー記者はどういう意識を持ってアスリートの記者会見に臨むべきだと思われますか?

私はフィギュアスケートのファンなので、試合をよく見ますが、自分が失敗した後に、ジャッジに反応している姿もみんなに見られています。

その直後に、記者のインタビューを受けます。失敗したことについてもコメントしなければならない。自分の感情を整理できず、ショックな状況で、言葉にしなければならないのは相当なストレスだと思います。

それでも、会見に応じてくれる選手への感謝の念が必要です。

その環境で言えること、言えないこと、整理できていること、できていないことがあるのをメディア側も理解すべきです。うっかり失言してしまう場面ももちろんあるでしょう。批判もあるでしょうけれど、言葉尻を捉えるのではなく、ある程度優しい目で見てほしいです。

ーー確かに、ギリギリの精神状態で試合に挑む選手たちに敬意を払うべきだと思います。

そうです。敬意です。会見に応じてくれてありがとうという感謝の気持ちと、敬意が必要です。

求められる年齢相応でない責任感と成熟

ーーそもそも一流アスリートが抱える精神的な問題にはどういうものがあるのでしょうか?

まず、アスリートは体力面も考えると若い選手が多いです。

大坂選手もたった23歳です。一般人からすると大学を卒業したばかりの年頃なのです。それぐらいの年齢の人に一般社会ではどれぐらいの精神的な成熟を求めますか?

アスリートは年齢相応ではない責任感と成熟を求められている状況です。彼女たちは若い、ということを私たちは思い出さなければいけません。

人間の脳の発達は20代後半までは成熟に達しません。スポーツでは10代や20代が一番活躍する時です。脳の発達途上にもかかわらず、成熟した人に求めるようなことを求めているところがあります。メディアもファンもそうです。

それと同時に、アスリートが背負っている責任がスポーツだけではないことが多い。大坂選手の場合はスポンサーがたくさんいて、スポンサーの看板を背負うという責任も負わされています。

連盟からもサポートを受けてその意向を考え、金銭的な投資も受けている立場です。トレーナーやコーチなどいろんな人が自分の評判を大坂選手の成果に賭けています。自分たちよりもずっと年上の人たちから様々な形で投資を受けているわけです。

でも、最終的に成果を実現しなければいけないのは彼女1人です。

コートの上では誰1人助けてはくれなくて、彼女の判断能力やアスリートとしての技術、体力、瞬発力のみで戦わなければいけない。そのプレッシャーはすごく大きいものだと思います。

様々な人にかけられる期待、重圧を肩に乗せながら、個人の思いと葛藤している。どれだけその重圧の中で自分を出していいのか、どれだけ周囲の言葉を聞かなければいけないのか。いろんなことを常に判断しなければいけないのがアスリートです。

40代、50代の大人であっても難しいことです。そんな難しいことを10代、20代の人たちがやっているのです。プレッシャーや重荷という言葉では片付けられないような複雑なものだと思います。

大坂選手は自分のチームをしっかりリードしている印象ですが、若い選手は自分を取り巻くチームに助言され、従わなければならない場面もたくさんあります。

本当に選手のためを思って助言する人もたくさんいるでしょうけれども、それ以上に、自分の評判、自分の事業、自分の利益を考えて介入する大人がたくさんいる。「アスリートが幸せになること」が目的ではいない人も多いです。

若い選手が自分の幸せを優先していいと思えない環境があるし、そんなことを思ってはいけないと考える場面もあるでしょう。それに気づかない場面もあると思います。

そういう背景に加えて、試合でのプレッシャー自体もある。あんなに世界中に見られる中で1人で戦わなければならないのです。

スポーツの世界に限られた視野

ーースポーツ以外で気分転換できればいいですが、トップアスリートではそれも難しそうですね。

本気でアスリートとして世界のトップレベルで戦うためには、スポーツ1本に集中しなければならないことが多いですね。

一般の人は別の部活動をやってみたり、学校の勉強があったり、スポーツとは関係ない学校の友達がいたり、習い事があったり、親戚の人がいたりします。いろんな人と関わりながら、色々な分野のことをちょこちょこやりながら、自分のやりたいことを決めていくのが普通の人生です。

しかし、アスリートはかなり若い時点で「これが自分の生きる道なのだ」と決めます。最初は楽しんでやっていると思いますし、スポーツへの愛は変わらないし、さらに深まると思いますが、それ以外の世界を知らずに引退まで過ごす人が多い。

そのスポーツの世界の中だけでの価値観に常にさらされていると、「グランドスラムで優勝しなければ幸せになれない」とか、「オリンピックで出場することが最終目標でそれができなかったら自分は失敗だ」とか、一つの目標、一つの価値観に押し込められていきます。

失敗した場合、「世界が終わってしまった」という感覚を感じる方は多いです。

普通の人は大学受験に失敗しても「もう1年浪人して頑張ろう」と思えます。方向転換も考えることもできる。落胆や挫折の場面は人間誰しもありますが、一般の人は、第2の選択、第3の選択ができることが多い。

しかし、トップアスリートの場合、オリンピックは4年に1回しかありません。1回失敗したらやり直しが効かない。どんなに準備していても、その場面でミスをしたら終わりになります。

スポーツ以外で幸せになる方法が心の中にない方が多いのです。それがメンタルヘルスを侵す重大なリスク要因だなと思います。

難しいことだと思いますが、集中しながらも他の世界に少しでも触れるような機会を作ったり、スポーツ以外の幸せの方法があるということが少しでも見えたりしていれば、落胆の時の気持ちは変わってくると思います。

女性アスリート、黒人、アジア系であること

ーー大坂選手の場合、女性アスリートであること、人種の問題、国籍の問題も常に関心の対象になってきました。スポーツ以外で注目されることのストレスも大きいと思われますが、その要素はどうでしょうか?

まず、そのスポーツに合う体型が必要であることはもちろんですが、女性アスリートは男子と比べて容姿について触れられることが何百倍も多いです。

何を着ているか、髪型はどうか、きれいかきれいでないかについて、称賛と同時に、批判も浴びます。とても不公平なことです。

「アスリートなのだからアスリートらしくしろ」「政治的な発言をするな」という声はアメリカでも上がりました。だったらアスリートにスポーツだけに集中させてあげてくださいよ、と思います。

女性アスリートは容姿について悩む人は多いです。テニスのような見た目の印象が関係ない競技でさえ容姿が取り沙汰されるわけですから、メンタルヘルス上、負担なのではないかと思います。

テニスは世界的に見ても白人のスポーツです。どんなにセリーナ・ウイリアムズやビーナス・ウイリアムズが活躍しても、白人のスポーツという体制は変わらない。連盟のトップや大きな大会を主催する人たちはほとんど白人です。

そのような環境で白人以外の人種的なマイノリティが入るには、既に大きなハードルがあります。

ウイリアムズ姉妹も発言してきましたが、大坂選手もそうでしょう。アジア人であることでも、黒人だということでも大きなハードルがあった。

人種のミックスによって両方の国からサポートされることはプラスである一方、「この人は日本人だから」と言われたり、日本では「国籍だけ日本人」と言われたり、ミックスであることでスポーツと関係ない批判も受けています。

どの国を代表したとしても、大坂選手は1人の人間です。彼女個人の活躍を祝えればいいのではないかと私は思います。

ただ、私もなぜかフィギュアスケートを観戦する時に日本の選手に気持ちを入れて応援してしまいます。長洲未来選手もアメリカ人でアメリカ代表なのですが、日系アメリカ人ということで気持ちを入れてしまう。

そういう感情が自然に浮かぶのが人間なのでしょう。しかし、それが理由であれこれ言われるのはかわいそうだと思います。

選手たちも支持 大会、メディアは応えよう

ーーセリーナ・ウイリアムズやジョコビッチなど同じテニスプレイヤーからも大坂選手を応援する声が続々と表明されています。グランドスラムも「私たちは、選手、ツアー、メディア、そしてテニス界全体と協力して、意義のある改善を目指す」という声明を連名で出しました。彼女の問題提起に対して、応える声が強まってきています。

特にアスリートからはテニスだけではなく、競技を超えて多くの人が称賛の声をあげています。「自分も同じことを感じていた」という人が多いからだと思います。

大会を棄権してまでアスリートのメンタルヘルスに関する問題を提起できるのは、彼女のポジションがあるからです。

世界ランキングが低い人が「自分のメンタルヘルスを守るために棄権します」と言っても、誰も何も思わないでしょう。連盟からのサポートも受けられなくなる。そのアスリートにはネガティブな影響しかないでしょう。

みんながそのプレーを見たいと思っている大坂選手だからこそできたことです。今までBLMでも問題を提起し、社会問題に声をあげられる人だというキャラクターもできています。

経済的にも安定した位置にいて、スポンサーも大坂選手を支持することでさらに人気を得られる選手です。

ーー彼女とスポンサー契約を結ぶNIKEも支持を表明しましたね。

このことでスポンサーが逃げることはないでしょう。むしろ彼女がアスリートのメンタルヘルスに関して考えてほしいと発信しているところをサポートすることで、スポンサーのイメージも良くなると思います。

そういう選手だからこそできた発言です。競技を超えて、全てのレベルにあるアスリートが感じてきたことを言葉にしてくれてありがとうと支援しているのだと思います。

ーーそれを受けて、我々メディアも連盟も、変わることを考えなければいけない。彼女の勇気ある提言に応えなければいけないですね。

そうですね。本当にそう思います。

(続く)

【内田舞(うちだ・まい)】ハーバード大学医学部マサチューセッツ総合病院小児うつ病センター長、小児精神科医

1982年、東京生まれ。北海道大学医学部在学中に米国の医師免許を取得。同大学卒業後に渡米し、ハーバード大学とイェール大学で研修。2013年より、現職。