あの日、死んだのはジョージ・フロイドだけではない。同日に警官に射殺された5人の黒人男性たち

    アメリカでは2015年以降、「警官が1人も射殺しなかった日」が2日以上続いたことがない。2020年5月25日、白人警官による拘束下で死亡したジョージ・フロイドの他に、5人の男性が警官に射殺された。彼らは、どのような人生を送り、どのような死を迎えたのか。時系列で追う。

    2020年5月25日。米ミネソタ州ミネアポリスで、ジョージ・フロイドが警官から首を押さえつけられて亡くなったその日、アメリカ各地では、少なくともほかに5人の男性が警官に撃たれて死亡している。

    亡くなった人には、勲章を受けた退役海兵隊員や、倉庫で働く男性2人などが含まれている。

    郊外にあるレンガ造りの家で子どもたちと暮らしていた男性もいれば、砂埃の舞う道路沿いの家で、母親と暮らす男性もいた。

    彼らは、黒人や白人、ラテン系、ポリネシア系で、南東部から太平洋岸北西部まで、さまざまな地域の出身者だった。

    アメリカでは2015年以降、「警官が誰ひとり射殺しなかった日」が2日以上続いたことが一度もない。

    ジョージ・フロイドが亡くなった、5月25日を振り返ってみよう。この日、警官が1人目を射殺したのは、日付が変わってからわずか2時間後のことだった。

    午前1時30分(中部標準時)テキサス州ヒューストン

    静まり返ったヒューストンの町にパトカーのけたたましいサイレンと風を切って走る音が響き渡る。そこは、フロイドが育った場所から約16kmの場所だ。911に通報したジョイランダ・カスティヤノスは、その音を何よりも耳にしたくなかった。

    夫のジョー・ルイス・カスティヤノスは、38歳の元海兵隊員だ。アフガニスタンとイラクでそれぞれ一期ずつ任務に就いたのち、心的外傷後ストレス障害(PTSD)を負った。

    何年にもわたってPTSDに苦しめられていたジョーはその夜、ひとりで街を歩いていた。妻ジョイランダは、ジョーが自傷行為に走るのではないかと不安に駆られていた。

    通信指令係には、彼を落ち着かせるためには助けが必要だから通報した、と説明した。

    ジョーとジョイランダ夫婦には、7歳と11歳になる2人の娘たちがいた。

    通報から数時間前の夕方、一家は親族の集まりに出かけ、バーベキューを楽しんでいた。ジョイランダは早く帰りたがったが、ジョーは嫌がった。

    「帰りましょうよ」と、ジョイランダは夫に訴えた。残っているのはもう彼らだけだった。

    ジョーには、帰りたくない理由があった。戦没将兵追悼記念日(メモリアル・デー。毎年5月の最終月曜日)を控え、どうしても振り払えない記憶に向かって、少しずつ近づくことを意味したからだ。

    精神科医に会う。薬を飲む。ハードな運動をする…。こうして過ごすと、普段ジョーの痛みは和らいだ。

    しかし、今年のメモリアル・デーはジョーにとって、いつにも増してつらい日だったようだ。

    この13年間、ヒューストン南西部のリッチモンドという荒っぽい町で、ジョーは郵便配達員として働いてきた。配達ルートに住む子どもたちとも仲良くなった。

    新学期を控えた毎年8月には、学用品を用意できない子がいるのではないかと心配し、特別にプレゼントもしていた。クリスマスには、自分の配達トラックをサンタクロースのそりに見立て、プレゼントを配って回った。

    また、配達ルートに住む老人のことも気にかけていた。配達ルートをうまく調整し、夕方5時の休憩時間には、彼と一緒に夕食をとるようにしていた。

    ジョイランダがジョーと出会ったのは、10代のときだった。そのえくぼに一目ぼれして以来、ジョイランダはジョーひと筋だった。

    彼女は、ジョーがどれほどの苦しみを抱いているのかを理解していた。

    「どうして自分は死ななかったんだろう」。任務を思い返し、ジョーはひたすら自分にそう問い続けていた。もうこれ以上悩むのはやめようと決心する、最後の日までずっと。

    バーベキューから帰宅すると、ジョーは娘たちを寝かしつけ、おでこにおやすみのキスをした。それから、13年共に過ごした妻に、自殺するつもりだと告げると、銃を手に取って玄関から出ていった。

    ジョイランダは警察に通報し、ジョーの精神状態を説明した。その後娘たちを車に乗せて、夫を探しに出かけた。

    ヒューストン警察は、全米で最も進歩主義的な署長がトップにいることを誇っており、危機対応チームも全米屈指と目されている。にもかかわらず、2020年4月21日からメモリアル・デーの5月25日までのあいだに、ヒューストン警察は6の民間人を死なせていた。

    ジョイランダは、通りを歩いている夫を見つけた。車の窓を開け、家に帰ろうと呼びかけた。ちょうどそのとき、少なくとも2台のパトカーがその場に到着した。

    そのうちの1台から警官が飛び出してきて、ジョーに向かって銃を構えた。

    「銃を捨てろ」。警官はジョーに向かって言った。「銃を捨てろ。銃を捨てろ。銃を捨てるんだ。そんなことをしちゃだめだ」

    ジョーは警官のほうを向くと、その場から離れるように後ずさりし始めた。

    そこに、もう1台のパトカーから降りた別の警官がやって来た。

    そして、「銃を捨てろよ、お前」とジョーに向かって叫んだ。「お前を撃ちたくない」

    その瞬間、理由もなく、警官の口調が激しくなった。

    ひとりが「地面に伏せろ!」と叫ぶ。

    3人の警官が、銃を構えながらジョーに近づいていく。ジョーは、警官たちから離れようと後退した。横に下ろした手には、銃が握られていた。

    「撃たないで!」

    ジョイランダは叫んだ。警官たちが夫に詰め寄っていく様子を娘たちと見つめながら、もう一度言った。

    「撃たないで!」

    アメリカ全体が、警官による黒人殺害をめぐって怒りで打ち震えている。

    しかし、ラテン系の人たちも例外ではない。ラテン系が警察に殺される確率は、白人と比べると77%も高い。2020年5月25日からの1週間で、少なくとも4人のラテン系が警官とのトラブルで死亡した。

    同様に、退役軍人の死亡率も高い。退役軍人と現役兵士が警官とトラブルになって死亡する確率は一般市民の1.4倍であると、米疾病対策センター(CDC)が明らかにしている。

    「いい加減、銃を捨てろ」

    警官は最後にもう一度、ジョーに向かってそう叫んだ。

    ジョイランダと娘たちは耳元で、銃弾が空を切る音を聞いた。

    その直後、ジョーが地面に倒れた。

    カスティヤノス家の弁護士タニカ・J・ソロモンはのちに、警官はジョーの背中に向けて複数回、発砲したと話している。

    ヒューストン警察はジョーの事件について、元海兵隊員である彼がはじめに地面に向かって撃ったのち、警官に対して「銃を向けた」と主張している。

    BuzzFeed Newsは、カスティヤノス家の弁護士が提供した銃撃現場の映像を確認した。ジョーが警官に銃を向けている様子は、映っていなかった。

    警察が現場を封鎖してジョーの遺体の周りに集まっているとき、娘たちはジョイランダにこう言ったという。

    「ママが撃たないでって言ったのに」

    午前2時30分(中部標準時)テキサス州リーグ・シティ

    カスティヤノス家の自宅から30マイル(約48km)南東にあるリーグ・シティ。

    モーテル「スコティッシュ・イン」の外に、怪しげなトラックが停まっているとの通報を受けて、警官が確認していた。

    警官歴5年のマイケル・グズマンは、駐車場に停車している白いトラックのナンバープレートを見て、偽物ではないかと疑いを抱いた。トラック内には、ジャスティン・ミンク(33)がソフィア・トンプソン(27)と並んで座っていた。


    ジャスティンには以前、警察と関わった経験がある。

    2004年、当時恋人だったエイプリルと結婚し、1年後に息子を授かった。しかし、薬物とアルコールにのめり込んだせいで、妻や息子との関係にひびが入ってしまう。2007年に生後6カ月半の娘を亡くすと、ジャスティンは不幸のどん底に沈んだ。

    ジャスティンはエイプリルと別居した。酔っぱらって出勤し、化学プラントでの仕事も失った。コーヒーショップで働き始めたが、1週間と経たずに辞めさせられた。応募書類に嘘を書いたのが原因だった。

    かつて、昔の恋人やその母親と暮らしていた住宅に侵入しようとして、隣人に撃たれるという事件も起こした。ガラス張りの家具店のショールームに、芝刈り機で突っ込んだこともある。

    ついには、銀行強盗に手を出した。

    ジャスティンは、連邦刑務所で8年近く服役したあと、2019年8月に更生訓練施設に入所した。

    「ジャスティンは頑張っていました」とエイプリルは話す。

    「目標に向かって取り組んでいて、新しいことも学んでいたんです」

    ジャスティンは農場で働き始めた。その仕事を通じて、遺伝子組み換え技術に関心を持つと、仕事の合間にインターネットで関連記事を読むようになった。

    「変わろうとしていたんです」とエイプリル。

    「でも、何かが壊れてしまったんです」

    ジャスティンは不意に、息子の前から姿を消した。更生訓練施設から脱走したのは、4月29日。そのおよそ1カ月後、モーテルの駐車場に停車していた白いトラックに、パトカーが横付けした。


    警官たちは当初、ジャスティンにはあまり注意を払っていなかった。警官のグズマンは、ジャスティンと一緒にいた女性ソフィアに逮捕状が出ていることに気がつき、逮捕しようとした。

    警察の証言によるとちょうどその時、ジャスティンがナイフを取り出して、グズマンが身に着けていたシャツと防弾チョッキを切りつけた。

    グズマンは発砲した。

    こうしてジャスティンは、2018年以降、リーグ・シティで警官に殺された、5人目の人物となった。なお、2009年から2018年までで殉職した警官は、アメリカ全体で1582人に上り、そのうち11人が刺殺されている。

    ジャスティンは、少なくとも2度撃たれた。

    ジャスティンが死に至ったきっかけは、警察とのトラブルが死亡事件に発展した数多くの事例と似ている。発端となったのは、ささいな違反の取り締まりだ。

    2020年5月に発生した警察による殺害事件をBuzzFeed Newsが確認したところ、そのうちの15件は、テールランプが破損していたり、屋外でのバーベキューをやめさせるよう依頼する通報だったり、自分は飢えていて、誰かから攻撃されているという助けを求める通報があって警官が駆けつけたりしたことなど、ごくささいなことに端を発していた。

    エイプリルと息子は、ジャスティンが死亡したことを1週間以上も知らずにいた。彼らはジャスティンが、路上で暮らしているのだろうと考えていた。

    エイプリルがようやくジャスティンの死を知ったのは、警察がジャスティンの両親を探し出し、15歳の息子がいることを突き止めたからだ。

    「そんな電話がかかってくるんじゃないかと思っていたよ」

    ジャスティンの息子は、母親にそう言った。

    午前5時30分(太平洋標準時)/午前7時30分(中部標準時)アリゾナ州フェニックス

    警察と揉め事を起こしたときの対処法を息子ディオンと「話し合う」とき、エルマ・ジョンソンはほぼ必ずこう言って聞かせていた

    「警官との会話を録画しなさい」

    アリゾナ州公安局の警官が息子ディオン(28)の乗ったレンタカーに近づいたとき、息子はきっとぐっすり眠っていたに違いないとエルマは話す。

    ディオンは、やりとりを録画していなかった。

    警察の証言によると、警官は車内で眠っているディオンと、床に散らばったビールの缶を発見した。警官は、ディオンを起こさないようにしながら助手席にあった銃を没収し、それからディオンを起こした。

    すると、ディオンは警官が持っている銃に手を伸ばして、撃とうとしたのだという。エルマには腑に落ちない話だった。

    ディオンが撃たれてから10時間近く経ったころ、エルマは誰かが玄関をノックする音を聞いた。

    エルマは娘とともに、午前中ずっとディオンに連絡を取ろうとしていたため、息子が帰ってきたに違いないと思い、安堵のため息をついた。しかし、そこに立っていたのは、警官2人だった。息子の死の知らせだった。

    エルマは警官の証言について、「信じられません。ディオンは法律や警察に盾突くような人間じゃありませんでしたから」と語った。

    「ディオンは彼らに最大の敬意を払っていたんです。どんな時だって、いつも」

    エルマが警察の話を疑ってかかるのは、単に息子を愛していたからではない。疑惑の根本には、有色人種コミュニティと警察のあいだに横たわる、根深い不信感がある。

    これまで、全米各地で撮影された発砲事件の映像が明らかになり、警察側の主張が覆されることが、何度もあった。

    2015年にシカゴで、白人警官が黒人の少年を射殺した事件が発生した。パトカーの車載カメラ映像が公開され、警察側の主張が破綻した。

    警察はもともと、警官ジェイソン・バンダイクが17歳のラカン・マクドナルドに対して16発も発砲したのは、マクドナルドが飛びかかってきたからだと主張していた。

    ところが映像を見ると、マクドナルドはバンダイクを脅かすような行動を、一切起こしていなかったのだ。


    ディオンの死亡事件を報じたメディアは、彼のこれまでの犯罪歴にすぐさま言及した。

    2008年に武装強盗で逮捕されたときは、公訴事実を認めも否定もせずに争わなかったこと、2012年に別の武装強盗を起こしたときは罪状を認めたことなどを報じた。

    しかし、ディオンを逮捕しようとした警官はそうした事実を知りようがなかったはずだ。ディオンが乗っていた車は、レンタカーだったのだから。

    そうした報道は、警官の取った行動から目をそらし、死亡者の人となりへと焦点をすり替えることになりかねない。そうした人となりが、事件とまったく関係なくてもかまわずに。

    「死亡した人に前科があると必ず、暗黙のうちに、殺された(正当な)理由があると思われてしまいます」と話すのは、ジョンソン家の弁護士ジェイキーズ・ブラックウェルだ。

    「それは、黒人に課せられた税金のようなものです。ディオンはなぜ死ななくてはならなかったのでしょうか。彼に前科があろうがなかろうが、関係ありません」

    そうした報道は不公平であり、息子の人生を正しく理解していないと、母エルマは語気を強めた。

    「ディオンは、報道が作り上げたような人間じゃありません」

    息子のディオンは、年老いた隣人の買い物袋を持ってあげるような人間だったとエルマは振り返る。

    冬になると、毎週日曜に地元NFLチーム「アリゾナ・カージナルス」に声援を送り、夏に親族が集まると、自分の体をジャングルジム代わりにして子どもたちと遊んだ。

    ディオンはほぼ毎日、倉庫で働いた。夜はたいてい、何時間も部屋にこもってリリックの韻やビートを考えていた。学校に戻って音楽を勉強するつもりだったようだ。

    「いつか有名になるよ」。部屋から出て休憩するようエルマが声をかけると、ディオンはそう言ったという。


    黒人男性が、飲みに行った帰りに車で仮眠をとっていただけなのに、警官とのトラブルに発展してしまう――。

    こうした出来事は、ディオンが亡くなってから17日後、アトランタ警察の警官に射殺されたレイシャード・ブルックスの事件と重なる。

    ただし、ブルックスの事件では、彼を撃った警官は重罪謀殺に問われ、アトランタ市の警察本部長は辞任した。アトランタ市長は事件を機に、警察の武力行使を規制する措置を設ける決定をした。

    一方、ディオンの家族はいまだに、息子を撃った警官の名前さえ知らされていない。

    これらの事件は驚くほど似ているが、相違点がひとつある。ブルックスの射殺現場は動画で撮影されていたが、ディオンの現場は撮影されていなかったのだ。

    エルマは、息子の死を機に、警官全員のボディカメラ装着が義務化されることを望んでいる。

    アリゾナ公安局は、全警官にボディカメラを装着させてはいない。ディオンを撃った警官が乗っていたバイクには、車載カメラが取り付けられていなかった。

    アリゾナ州議会には、州公安局の警官にボディカメラを装着させるために400万ドル以上(4億2000万円以上)を拠出する法案が提出されている。ディオンの死が、法案採決を前進させる可能性があると、弁護士ブラックウェルは話す。

    ディオンの最期の姿を、一瞬だけとらえたビデオ映像が存在している。テレビ局が、市内に設置されている交通監視カメラから、映像を入手した。

    そこに映っていたのは発砲の瞬間ではなく、ディオンが路上でもだえ苦しむ姿だった。警官2人は、ディオンを地面に押さえつけているように見える。

    そのすぐ先には、救急車が停車していた。ディオンは、ほぼ6分にわたって血を流しながら路上に横たわっていた。それからようやく救急車が近くに寄り、救急隊員がディオンの処置にあたった。

    「最後の様子を見ると胸が張り裂けそうです」

    エルマは、救急隊員が傍観していたことについて、そう語った。数日前に息子を埋葬したばかりのエルマは、疲労困憊のあまり声がかすれていた。

    いつか有名になると約束していた息子の言葉を、エルマは思い返した。

    フェニックスではその週の後半、抗議デモが行われた。参加者たちはディオンの名前が書かれたプラカードを掲げ、繰り返しその名を叫びながら通りを歩いた。

    午後9時25分(中部標準時)ミネソタ州ミネアポリス

    ジョージ・フロイドを追悼して描かれた壁画。ミネソタ州ミネアポリスにて。

    警官デレク・ショービンに首を膝で押さえつけられたジョージ・フロイド(46)は、いまは亡き母親を呼んだ。

    フロイドが20ドルの偽造紙幣でタバコを購入しようとしたのではないかと、疑いを持たれたのがきっかけだった。新型コロナウイルスの感染拡大でロックダウン(都市封鎖)が実施されるなか、彼は職を失っていた。

    「息ができない(I can’t breathe)」とフロイドは訴えた。

    「全身が痛い」

    「ママ!」

    「ママ!」

    午後11時30分(東部標準時)/午後10時30分(中部標準時)テネシー州ジョーンズボロ

    テネシー州ワシントン郡の保安官事務所に大型ナイフを手にした男がいるという通報が入った。

    男は、自分や家族を傷つけると脅しているという。保安官補は、ジョーンズボロ市内の現場に駆け付けた。

    そこは、草地を突っ切る2車線道路の脇に立つ住宅で、ゲイリー・“パット”・ドートン(44)が、母親の家の玄関ポーチにいた。パットはすでに、母親をどこかに追い払っていた。


    町の友人や隣人が知るパットは、何でもできる便利屋だった。

    車がエンストして動かなくなったら、パットに頼めば直してもらえる。パットをドラムの前に座らせれば、聞いたことのないようなリズムを奏でてくれる。庭の土がカラカラに乾燥しているなら、造園大会で入賞したことのあるパットに相談すればいい。

    けれども親しい人たちは、パットに別の顔があることも知っていた。

    それは、幼いときに父親を亡くしたパット、メンタルヘルスの問題を抱えたパットだ。


    その夜の出来事を撮影したボディカメラ映像は公開されておらず、警察側の証言でしか、何が起きたのか知りえない。

    供述書には、パットがナイフで保安官補に襲いかかったあと、自らを傷つけようとしたと書かれている。保安官補はテーザー銃で対抗し、銃を発砲。パットはその場で死亡した。

    しかし、パットの追悼記事には別の死因が書かれていた。それは「生涯続いた失意」だった。

    パットの友人マイカ・ロバーツは、どうしてパットがその日に命を落とさざるを得なかったのかわからないと話す。

    「パットはメンタルヘルスの問題を抱えていて、症状がありました」とロバーツは言う。

    「だから腹が立つんです」

    専門家の推測では、警察に射殺された人の4人に1人がメンタルヘルスの問題を抱えていた。

    警察改革推進派はかねてから、たとえ通報があったとしても、パット・ドートンのような人たちに必要なのは武装警官ではなく、訓練を受けたメンタルヘルスの専門家であると訴えてきた。

    ワシントン郡保安官事務所ではそうした選択肢が用意されていない。

    ワシントン郡のような地方のコミュニティは、最先端のディエスカレーション・テクニック(コミュニケーションを通じて、相手の興奮や攻撃性を沈めて暴力への発展を未然に防ぐ手法)を学ぶためのトレーニング予算が足りていない。

    一方で、武器を所有している住民は有り余るほどいる。

    人口2万5000人未満の町を管轄する法執行機関が、2013年から2015年までの警官による死亡事件の27%を占めているのは、そういったことが理由なのかもしれない。

    テネシー州捜査局は、州内で発生した警官による射殺事件について、外部監査を行うことになっている。パットの死亡事件も調査対象となっているが、この件に関与した保安官たちの名前と調査結果はまだ公表されていない。

    州捜査局は、警官が関わった銃撃事件の調査を続行しているが、そうした事件の数は2020年だけでも19件に上っている。

    パットは、2020年にテネシー州で警察とトラブルを起こした末に命を落とした16人目の人物となった。彼を知る人たちは、スケートボードを乗りこなし、愛犬家で、カンフーの達人である友人を失った。

    パットの妹ケイティは、兄パットの追悼記事で、「私がバービーで遊んでいるときに、GIジョーのおもちゃのジープを貸してくれてありがとう」と書いた。

    「あなたのおかげで、パパが死んだ後も、私は子どもでいられました。あなたにも、私と同じように子どもでいてほしかった。そのことを、当時のあなたに知ってほしかった。―中略― 息子の最期を目撃せずに済むよう、ママを家から追い払って、守ってくれてありがとう。―中略― 愛してる」

    午後9時39分(太平洋標準時)午後11時39分(中部標準時)カリフォルニア州モデスト

    テネシー州から2500マイル(約4000km)離れた、カリフォルニア州中央部セントラル・バレー。

    新米警官のライアン・オーウェンは、呼び出しを受けて、ひとけのほとんどない通りをパトカーで走っていたとき、何かに目を留めた。

    「銃を所持していると思われる男がいます」

    8カ月前に警官になったばかりのオーウェンは、助手席に座る指導役警官のジョン・キャリコにそう言った。

    オーウェンはパトカーをUターンさせ、男のところに向かった。その男性の名前はレイマー・ガガーリン(35)だった。


    レイマーはグアムの高校を中退したあと、10年以上前にモデストに移り住んだ。母親のそばで暮らすためだった。

    2007年、自動車修理を学ぶための職業訓練プログラムに参加した。

    同プログラムの取材をしていた新聞記者に対し、レイマーはこう語っていた。「もっといい生活がしたい」

    学んだ技術を活かして、そこそこの給料をもらえるカーディーラーの自動車修理工になろうと考えていた。けれども結局は、ウォルマートでの品出しや、アマゾンでの受注処理業務の仕事についた。休日には、息抜きのためにレゴランドに出かけた。


    警察は、レイマーが友人に対し、警察をカーチェイスに誘い出して挑発し、自分を撃たせるつもりだと話していたと主張する。警察の声明には、警官のオーウェンとキャリコが近づいてきたときに、レイマーが偽物の銃をちらつかせたと書かれていた。銃撃直後に警察が公開したボディカメラ映像を見ると、キャリコがレイマーに向かって発砲する様子が映っており、警察による自殺を図ったように見える。

    警察を挑発して自らを殺すよう仕向けた「警察による自殺(suicide by cop)」の件数を集計した全米データは存在しない。しかし、ノースカロライナ大学シャーロット校のビビアン・ロード教授によると、2004年から2008年までのあいだに警察とのトラブルで死亡した人のおよそ29%が、警察による自殺であることが判明している。

    ロードら研究者チームによると、警察による自殺を試みる人の大半は男性で、過去に自殺未遂を起こしたり、薬物乱用歴があったり、ほかにメンタルヘルスの問題を抱えていたりする人が多い。研究チームはさらに、警察による自殺を試みる人はたいてい、信仰心がきわめて強いと指摘する。「自殺は罪」という信念が、「警察の手にかかって死ねば赦しが得られる」と考える、思いがけない二次的結果を招いているのだ。

    レイマーが撃たれた場面の動画には、道路の中央に横たわるレイマーが映っている。レイマーは起き上がろうとしているように見えた。

    「動くな」。キャリコはレイマーに向かって叫んだ。「動くな」

    2020年5月26日、テキサス州ヒューストン

    ジョージ・フロイドの葬儀を前に、棺を用意する葬儀会社フォートベンド・メモリアルプランニングセンターの係員。2020年6月4日、ミネソタ州ミネアポリスにて。

    ジョー・カスティヤノスが亡くなった翌日、未亡人となったジョイランダは、テキサス州ロシャロンの葬儀会社フォートベンド・メモリアルプランニングセンターで夫の葬儀を手配した。

    偶然にも、フロイドの家族が利用した葬儀会社と同じだった。

    同じ日に警察に殺された2人の男性の遺体が、同じ場所に安置された。

    けれども、ジョイランダは不満を抱かずにはいられなかった。

    1人の男性の死は、運動を巻き起こした。一方で、彼女の夫の死は、新聞紙面に数行ほど掲載されたにすぎない。ジョイランダは、退役軍人だった夫に、軍から弔意を表してもらうにはどうすればいいのかさえわからなかった。

    フロイドが注目されていることを妬ましく思っているわけではなかった。ラテン系男性と結婚した黒人女性として、抗議デモの参加者を応援しているし、その目的も支持している。

    その気持ちは、日々の報道を見るたびに悲しみが募る一方だとしても変わることはない。ただ、愛する夫は人知れず命を落としまったというだけだ。

    ほかにも大勢の人が、同じように、誰にも知られず世を去っている。

    ジョーが亡くなった翌日、1日が終わるまでに、警察はさらに9人を射殺した。

    この記事は英語から翻訳・編集しました。翻訳:遠藤康子/ガリレオ、編集:BuzzFeed Japan