在日コリアンが集住する京都・ウトロ地区や、名古屋市の韓国学校などで連続放火事件を起こしたとして、非現住建造物等放火などの罪で問われている無職有本匠吾被告(22)。
被告はこれまでの取材に在日コリアンに嫌悪感を抱いていることを認め、「恐怖を感じるほどの事件」を起こそうとしたと動機を述べている。
さらに「ヤフコメ民にヒートアップした言動」を取らせる狙いがあったとも語り、犯行後にその反応を確認していたことが明らかになっている。
その裁判が始まったいま、専門家はどう事件を捉えているのか。その動機にせまる「被告人質問」が6月7日に予定されているのを前に、インターネットとヘイトの問題に詳しい大阪公立大准教授の明戸隆浩さん(社会学)に話を聞いた。
ーー今回のウトロ放火事件は、被告のこれまでの発言などからも、明確なヘイトクライムであると言えます。率直にどう感じられましたか?
ネット上にあったヘイトスピーチに煽られ、誰かの命に関わるような犯罪行為に及ぶという、ヘイトクライムの定義通りのような事件が起きてしまったのだと感じました。
彼は饒舌に自らの犯行動機などを語っているわけですが、実際に今回の事件が司法の場でヘイトクライムとして認定されるかどうかについて、注視しています。
ここまであからさまに差別的な動機が語られてなお、通常の犯行の範囲内のものだと判断されるのなら、それは日本の法制度の深刻な限界を示すものだと言えます。
その一方で、彼の主張がある種わかりやすいストーリーになりすぎていることに、「気持ち悪さ」も覚えています。
彼は、相手を攻撃することそのものではなく、その行為を通じて、「ヤフコメ」などで自らが称賛されることを予期していた。自分が事件を起こしたあとになされる「評価」を求めていたということです。
ヘイトクライムのことをどこまで理解をしているかはともかく、社会的に自分の行為がどう理解されるかをわかった上でなされた犯罪だということに、とても複雑な気持ちを抱いています。
障がい者だけを狙った大量殺人事件を起こした、相模原事件に近いものを感じています。
「同じような事件」への危機感
ーー自らの考えを、犯行を通して社会に発信し、共感を得たり、賛同者を増やしたりしたいという、ある種の「思想犯」的な側面があるともいえるわけですね。一方で、被告は経済的に不安定だった境遇などから「不平等感」を覚えたとも述べていました。
裁判は彼にとって自説を開陳する場にもなり得ますし、当事者である在日コリアンの人たちを傷つけたり、差別的な考えを持つ誰かを刺激したりすることへの懸念も覚えています。
私は直接的な動機だけではなく、彼がどのような社会的背景をもとに犯行を起こしたのかを知りたいと思っています。
これまでの差別やヘイトスピーチをめぐる状況が、どう影響を及ぼしたのか。なぜ、「わかりやすいストーリー」を語り得るようになったのか。その先に何があるのか。
そこにこそ、社会やネットのヘイトをめぐる問題の特徴が凝縮されているのではないかと思っているからです。
残念ながら、彼と同じような考え方をしている人はおそらくたくさんいて、同じような事件が今後起きないとは言えないと考えざるを得ません。
第2、第3の彼を生み出さないために何ができるのかということを、社会として考えていかなければならない。ヘイトクライムを生み出してしまった以上、何もしないということは不作為になってしまう。
「ヘイトクライム」の法整備を
ーー「不作為」にならないためにも、社会としてどのようなことを議論していく必要があるとお考えでしょうか?
2010年代以降に排外主義的団体が活発化すると関連する報道やカウンターの動きも広がり、ヘイトスピーチの問題が可視化され、結果として「ヘイトスピーチ対策法」の制定につながりました。ちょうど6年前の6月のことです。
しかし、現状はその対策のみではもう対応できないところまで来ている。
ヘイトスピーチを放置すればどうなってしまうのかということを社会が認識できたいま、国レベルで、ヘイトクライムについての法整備をすることが必要になってくるでしょう。
また、ネット上のヘイトスピーチについても、議論が求められることになるのではないでしょうか。
プロレスラー・木村花さんの事件を契機にネット全体の誹謗中傷の問題の議論は進み、侮辱罪の厳罰化など、刑法改正の議論も国会ではじまりました。
しかし、今回の事件は名指しで誰かを攻撃する書き込みが原因になったものではありません。属性や集団、出自に対する憎悪を掻き立てるような表現、すなわちヘイトスピーチが犯罪に結びついたのです。
実際にこうした事件が起きた以上、誹謗中傷だけでなくヘイトスピーチの観点からも、ネットの言論空間をめぐる問題をあらためて話し合う必要があると思います。
「ヤフコメ」の問題点とは
ーー前者については、包括的な「差別禁止法」の必要性を訴える声も専門家らからあがっています。後者については、今回被告が動機で「ヤフコメ民」の反応を求めていたことに触れたように、プラットフォームなどの責任なども問われる状況になっています。
今回の事件が起きたのは昨年8月で、実はヤフーが具体的な対策に乗り出したのは10月のことでした。つまり被告は、改善される前のヤフコメ欄に強く影響を受けていた、ということになります。
ヤフーが打ち出したのは、ポリシー違反のコメントの割合が一定の割合を超えるようなことがあれば、それをAIが自動的に判断してコメント欄を閉鎖するという仕組みでした。この制度について、僕は一定の評価をしています。効果が出るかどうかは、今後も注視が必要ですが。
ただ、今回の事件に対して具体的なコメントを発表しないなどのヤフーの対応は、責任逃れと批判されても仕方ないのではないでしょうか。
また、単純なアルゴリズムだけでヘイトかどうかをすべて判断できるかというとそうではありません。
個別の書き込みでは差別的ではなくても、行間や文脈で「ヘイトの空気」が生み出されることもある。同様のコメントが並ぶことによって場が形成される。
そういうものを判断するためには、人の手がある程度は求められるはずです。ヤフー側も、記事をコメント付きで出しているメディア側も、重点的な対応をより真剣に考える必要があるのかもしれません。
(*注:ヤフーはこのほか、5月末から週刊誌とスポーツ紙3媒体のエンタメ記事などのコメント欄を閉鎖。誹謗中傷などの抑止が目的と報じられている)
いま、求められている対策とは
ーー「ヤフコメ」に限らず、ネット上ではほかのSNSや言論空間にも「ヘイトの空気」が蔓延しているように感じます。実際、「朝鮮奨学会」が実施し明戸さんが分析に参加した調査では、差別的な記事や書き込みが当事者に深刻な影響を及ぼしていることも明らかになりました。深刻なヘイトクライムが起きてしまったいま、いったいどのような対策が必要なのでしょうか。
ヤフコメで個別の対応をとることも大切ですが、ネット上で起きている人権問題に対して、国としてどういうスタンスを取るのかという包括的な対策がより必要だと感じています。
日本のネット上のサービスはアメリカ発のプラットフォームが中心になっているので、できることは限られるかもしれませんが、EUではネット全体のガバナンスを考えながら、そこに人権問題を位置付け、ヘイトに対しても強い姿勢が示されています。日本ではそういう全体的な視点が不足しているように思います。
それぞれのプラットフォームなどが個別に「ガイドライン」を設けることは当然ですが、それだけではなく、政府としてその大きな方向性を示す「ガイドラインのガイドライン」のような、共通の「コード」をつくる必要があるのではないでしょうか。
もちろん、簡単にいく作業ではありません。有識者と議論を交わしていく必要もあるでしょう。しかし、そうした国として姿勢を示すだけでも、ネット上のヘイトをめぐる状況は大きく変わっていくのではないかと感じています。