保育事故で失った息子の13回忌に。母親は遺品の写真展を開き、喪失と向き合った

    展示のタイトルは「20050810」。4歳で亡くなった息子の、命日だ。

    保育事故で亡くした最愛の息子の死と向き合うため。

    写真家になった母親が、その遺品やゆかりの場所をカメラに収め、初めての個展「20050810」を開く。

    展示のタイトルは、息子が亡くなった、まさにその日を表している。8月10日は、13回忌。母親は「喪失を経験した人たちに、このような対峙の仕方があるんだ、と知ってもらいたい」という。

    「息子の遺品を撮った写真たちだから、命日にやらないといけないな、と思っていた。必然ですよね」

    そうBuzzFeed Newsの取材に語るのは、榎本八千代さん(49)だ。

    会場に展示されているのは、ひとり息子・侑人くん(当時4)の遺品写真たちだ。最期の瞬間に着ていた服、ちいさな使い古された靴。そしておもちゃや、母子手帳、通っていた保育園の様子などが並ぶ。

    最愛の息子の喪失と向き合い、「解放」するために。苦しみを抱えながら、1年をかけてゆっくりと、撮影してきたものだ。

    「どうして私の息子だけが?という思いは、まだまだぬぐいきれていません。それでも、12年が経って、ようやく息子のことをまとめることができた」

    保育事故で失った最愛の息子

    侑人くんが、埼玉県の上尾保育所で亡くなったのは、2005年8月10日のことだ。

    園内で遊んでいるうちに、行方が分からなくなった侑人くん。約1時間後、ちいさな本棚の中で、ぐったりとした状態で見つかった。熱中症で病院に救急搬送されたが、ちいさな体は、耐えきることができなかった。

    「何が起きたかまったく、わかりませんでした」

    保育士たちが目を離している間に起きた事故。榎本さん夫妻は民事裁判を起こして真相を明らかにしようとしたが、「なぜ侑人が死んだのか」という疑問の答えは見つからないまま、裁判は終わった。

    長年の不妊治療の結果、ようやく授かったひとり息子だった。その死を、簡単に受け止めることはできなかった。

    高度不妊治療に挑戦したが、うまくいかなかった。数年間は家の中にこもりきりになり、心療内科で服用も受けた。

    何も手につかない、時間がただ流れるだけの毎日が続いた。

    本当に苦しかった作品づくり

    ようやく社会と関わりを持てるようになったのは、死から8年ほど後のことだ。

    「まったく違う人生を歩んでみたい」。そんな気持ちから、2014年の4月には、京都造形芸術大の通信教育部に入学。写真を専攻した。

    3年生になり、卒業制作で、侑人くんの死をテーマにしようと決めた。きっかけは、写真家・石内都さんの作品との出会いにある。写真集「Mother’s」「ひろしま」で自身の母親や被爆者たちの遺した「もの」の撮影している女性だ。

    「心の整理をする区切りにもなる。そういう時期がきたんだ」

    制作は、1年に及んだ。撮影のため、ひとつの被写体に対して何百回もシャッターを切ることもあった。

    そのたびに「元気な侑人の記憶」が蘇り、「本当に苦しかった」という。涙でファインダーが曇ることも、膝が崩れ、立てなくなることもあった。

    「いま、やらなければだめ。年をとったらもっと辛くなるかもしれない。いつまでもこのまま認めないんじゃなくって、侑人の死と対峙しないといけない」

    そう自分に言い聞かせながら、作品づくりに集中した。

    焼いた家族写真に込めた「悔しさ」

    遺品と侑人くんの通園路の写真を組み合わせ、ようやく完成した卒業制作。榎本さんは、自らの「対峙と解放」と表現する。

    これらの写真は、息子の事故から11年を経て

    それでも処分ができなかった「遺品」と亡くなった保育所を撮影したものです。

    これは私の「喪失」への対峙でありながら

    「遺品」の私からの解放でもあり

    「遺品」からの私の残りの人生の解放でもあります。

    「決して侑人のことを忘れるということではないんです。かわいそうな母親と、かわいそうな息子から解放したいという思い。いままで認めなかった死を認めるというのは、そういうことなんです」

    東京と京都で一部が展示されると、SNSなどを通じて話題を呼んだ。「見に行きたかった」「全部見てみたい」という声も耳に入ってきた。より、多くの人に見てもらいたい。そんな思いで、写真展を開くことを決めた。

    今回の展示には、卒業制作には含まれていない作品もある。それが、「焼いた家族写真」だ。

    「写真の先生から、卒業制作は、悲しみの綺麗な上澄みだけをすくったような作品だった、という声があったんです。私自身も、そう感じていました」

    「まだまだ、すべてを解放しきったわけじゃない。もっとドロッとした、侑人の死への悔しさ、悲しさ、キツさは抱えたまま。それを伝えたかった」

    家族写真は、喪失の象徴だという。「もう二度と家族写真が撮れない」という「悔しさ」を表現しようと、その写真を、焼いた。

    喪失を経験した人たちに向けて

    写真展には、「喪失を経験したまま、時間が止まっている人たち」に足を運んでもらいたい、と思っている。

    「ここに来ても、その悲しみはなくならないし、私が助けることもできません。でも、こういう方法で喪失と対峙している人がいると知ってもらえれば。自分のことを、ふと考えるきっかけにはなるはず」

    だからこそ、自らがカウンセリングを受けていた施設や、保育事故の被害者を支援する弁護士などを通じ、写真展の告知をしている。

    「これからは、自分の心の奥に向き合うだけではなく、外にもアプローチをしてみたいんです」

    そう語る榎本さんは今後、自らだけではなく、他者の喪失に対して、ファインダーを通じて向き合っていきたいという。

    それが、当人のポートレートなのか。遺品の撮影なのかはわからない。「遺品を撮影してほしい」という人もいるそうだ。これから、じっくり考えるつもりだ。

    大きく引き伸ばされた遺品たちが並んだ会場で、榎本さんはぐるりとあたりを見渡し、つぶやいた。

    「ようやく、次のステップに進む時がきたのかな」


    写真展「20050810」は、東京都中央区日本橋のギャラリー「Roonee 247 Fine Arts」で8月8日〜13日まで。正午〜午後7時(最終日午後4時まで)。

    榎本さんの在廊時間は 8日午後2時〜午後7時、9日未定、10日午後3時〜7時、11日〜13日は終日。

    UPDATE

    写真展「20050810」は2018年2月16日〜27日、大阪府豊中市のギャラリー「gallery176」でも開催されます。

    開廊時間は平日午後1〜7時、土曜午前11時〜午後7時、日曜は午前11時〜午後5時。休廊日は21、22日。

    初日の16日には、榎本さんと写真家・セイリー育緒さんとのレセプショントークが予定されている。在廊時間はそのほか17、18、24、25、26、27日の予定。



    卒業制作時の榎本さんに対するインタビューはこちらに掲載されています。