震災が襲い、どことなく暗い空気がこの国を覆う。そんな「嫌な雰囲気」にあらがう武器となるのは、「自主自立」と「自由」だーー。
そんなテーマが込められた映画がいま、公開されている。
かつて実在した女相撲興行の力士と、やはり実在し、死刑に処された無政府主義者(アナキスト)たちの交わりを描いた『菊とギロチン』だ。
周縁から日本を描く
「当時を通していまを見つめてもらう。そんな意図を込めてつくった映画なんです」
そうBuzzFeed Newsの取材に語るのは、「ヘヴンズストーリー」や「64-ロクヨン-」で知られる瀬々敬久監督だ。
30年来構想を温め続けてきたこの作品は「タイトルから思いつきましたよ」。ルース・ベネディクトが日本文化を「恥の文化」として描いた著作「菊と刀」をもじった。
「日本というのはこういうところだ、というのが『菊と刀』だと思うのですが、『菊とギロチン』は違う視点から描きたかった。中心から日本を描くのではなく、周縁で描くみたいな。だから、権威は描いていない」
映画の舞台は大正時代。夫からの暴力から逃げ出し、女相撲の世界に飛び込んだ「花菊」と、実在したアナキスト集団「ギロチン社」の青年たちが主人公だ。
「双方に共通しているのは、何かを変えようと思っているということ。女力士たちは貧しかったり虐げられたりしている世界から、抜け出そうとしている。自己変革を目指している」
「一方でアナキストたちは、自由な別の世界をつくりたいと思っている。何か変えたいという思いで戦っている。彼らは観念的なところがあるので、女相撲の持っている身体性と結びつくことで、ドラマが大きく動き出すと思ったんです」
ただの「歴史映画」ではない理由
冒頭にある通り、女相撲は戦前の日本に実在し、複数の興行があるほど人気を博していた。
当時の女性力士たちは相撲だけではなく、力芸や踊りを披露していたという。
30人ほどの一団となって、全国をまわった。普段の稽古では「男相撲」(大相撲)の元力士とぶつかることもあったそうだ。
一方、登場するアナキストたちもみな実在だ。
なかでもスポットが当てられている中濱鐡や古田大次郎は1922年にギロチン社を設立。古田は刺殺事件などで逮捕され、中濱も銀行襲撃事件などで逮捕。それぞれ死刑に処されている。
双方が偶然に出会い、そして恋に落ちていく様子を描いたストーリーは「8割つくられた話」だという。
「ベースが事実であって、そこから触発されて作った物語。事実を描こうとするのならば、彼らが死刑に処されるまで描くこともできたけれど、歴史映画ではなかった」
「事実から妄想してフィクションにして、こうもあったかもしれない歴史、こうもあってほしかった物語っていうのを考えて。いまの世の中に通じるものや響くものができるんではないかと思ったんです」
権力やシステムに翻弄される人々
舞台となる時代はちょうど、大正末期。関東大震災直後の日本だ。
社会は混乱し、国粋主義が蔓延していく世の中。第一次世界大戦でシベリア出兵した元兵士たちや、震災後の朝鮮人虐殺から逃れた在日女性も描かれている。
元兵士たちは決して恵まれた暮らしをしているわけではなく、畑仕事で糊口を凌ぎながら「自警団」を名乗る。そして、彼らが「悪いもの」であると盲信する在日の女性に対し、集団で暴行を振るう。「天皇陛下、万歳」と叫びながら。
ただ、彼らは「悪」の象徴として描かれているわけではない。
「彼らを一面的な悪とすることも可能だが、それは違うなと思ったんです。この映画の中で中濱鐡が言っているように、『隣にいるやつは敵じゃない、共闘しよう』と。この映画のテーマはそこに集約されている」
「それぞれの持つ事情や、矛盾を抱えて生きている人たちが一緒に戦うことで、ひとつになることで、世の中が変わっていくという希望や予感を込めたかった。一面的に悪を倒せばことが済む、ということではないという発想ですね」
「彼らを生み出した権力やシステムなど、もう一つ上のレイヤーにこそ、悪があるんです。人はやっぱり、そうしたものに流されやすい。時代に翻弄されている、というか。そういう部分を彼らが反映しているんです」
いまと当時はつながっている
ただ、そんな中で唯一実在する「権力者」が出てくる。当時、絶大な権力を誇った内務省の官僚として警視庁の警務部長を務めていた、正力松太郎だ。
別のアナキストが起こした「虎ノ門事件」の責任を問われ、官僚を辞めて読売新聞の社長に就任すことになる正力。政財界に強い影響力を持ち、のちに「テレビ放送の父」「原子力の父」とまで呼ばれるようになった。
戦前、権力に反抗し若くして死刑になった2人と、戦前戦中戦後と権力構造のトップにいた正力を対峙させたのも、やはりフィクションという。
「いまと当時がつながっているところを伝えようという、そういう目論見があるんですよ」
なぜ、いま映画化するのか
構想から30余年。自己資金を投入し、さらにクラウドファンディングをしてまで「菊とギロチン」を映画化にこぎつけた瀬々監督。
なぜ、そこまでして「いま」の映画化にこだわったのか。
「東日本大震災以降、秘密保護法や共謀罪改めテロ等準備罪など、抑圧的な法律がどんどん決まっていった動きがあるような気がするんです。これは日本だけではなく、世界的にも同じ」
「極右勢力が勃興しているような動きが、各地である。関東大震災を経て、戦争へ向かっていく状況と似ているのではないか、という発想もどこかにあって。できるだけ早く作るべきかな、と思ったところが大きいですね」
そんな危機感から「自主自立」と「自由」をテーマにした、この映画をつくったのだという。
「若い人は自由に憧れる。誰からも干渉されない、押さえ込まれないというところで生きていきたいという欲望が絶えずある。そういう思いをもう一回みんなが持たないと、『なんかいま、まずいんじゃない』と、感じています」
映画はプロパガンダではない
そのうえで、「これはある意味、青春エンタメ映画でもあるんです」とも言う。
「出会いがあって別れがあるという、なんとなく女性の方が強いみたいな。青春の王道はいつの時代も共通すると思うんです。それに、相撲自体も見ていて面白い。そういう部分に門戸の広がりがあると思うんですよね」
「血湧き肉躍るまでいいませんが、みんながアグレッシブで、登場人物の一生懸命さがお客さんにダイレクトに伝わると思う。多少歴史感が乏しくても、十分メッセージが伝わる映画になっているはずです」
では、映画を見た人には、どんなことを感じてもらいたいのか。
「直接行動せよ、というようなつもりはないです。映画はプロパガンダではない。感じたことを家に持って帰ったりして、そこで熟成して、新しい方向なりに向かってもらうこともありますよね。なにかのきっかけになればいい。映画はそういうところを担うものだと、思っているので」
映画『菊とギロチン』はテアトル新宿ほかにて、全国順次公開中だ。