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「忖度」で成り立っていた日本の検閲制度。空気を読んでいた表現者たち

発禁処分だけじゃない、「見えない検閲」があった。

かつて日本に存在した検閲制度は、「忖度」で成り立っていた。発禁処分や、伏せ字だけではない「見えない検閲」と言われるものだ。

新聞社や出版社、表現者たちが権力側の空気を読むことこそが、そうした検閲を支えていた。もしかしたら、夏目漱石だってそうだったかもしれない。

いったい、どういうことなのか。

ブラック勤務に悩まされた検閲官

「権力には、表現を制限したいという欲求がつきものなんですよ」

そうBuzzFeed Newsの取材に語るのは、近現代史研究者の辻田真佐憲さんだ。

著書「空気の検閲〜大日本帝国の表現規制」では、昭和初期から戦中期までの検閲制度を資料からひも解いた。

当時内部向けに発行されていた「出版警察報」などを中心に、検閲官がどのような処分を下していたのか、どうメディア側と付き合っていたのかを丹念に分析している。

「日本の検閲制度が発展した明治初期から戦前期は、メディアが大きく発達する時期でもありました。本や雑誌の大量出版と消費、さらにラジオや映画なども出てきた。法や制度、さらに人員がこれに追いついていなかったんです」

辻田さんの著作では、人不足から「ブラック勤務」に悩む検閲官たちの姿も描かれている。

少ない人数で大量の出版物に目を通さなくてはいけなかったゆえ、メンタルを病み、病休者が相次ぐほど忙しい職場となっていたという。

「しかし、秩序を守るという名目から、検閲はする必要があった。だから、空気を読ませたんです。検閲官がパンクしないよう、新聞社や出版社、表現者側に自主規制や自己検閲をするようコミュニケーションしていった。これが、日本の検閲の特徴でした」

圧力になった言葉とは

こうしてできあがった日本の検閲システムは、実に巧妙だった。

辻田さんによると、日本の検閲制度が規制していたものは、国家を乱す危険思想などを取り締まる「安寧秩序紊乱」と性的なコンテンツなど公序良俗を取り締まる「風俗壊乱」にわけられる。

紙媒体は内務省警保局図書課などが検閲を担っていた。出版法と新聞紙法で定められていた罰則は発禁処分や司法処分があったが、実際は法的に定められていない注意処分や削除処分などが横行していたという。

さらに、事後検閲が基本とされていたが、検閲官側の業務を減らすべく、事前検閲がまかり通っていたのも特徴だ。

戦時下になると、検閲官は、電話や定例会で新聞社や出版社、表現者とコミュニケーションをとり、どのようなものがルールに抵触するのかを伝える「内面指導」にも励んでいた。

内部の手引書を共有したり、新聞社と検閲官の間で直通電話のホットラインが引かれたりしたケースもあるほどだ。

「検閲側は権力をちらつかせるだけでよかった。お願い、ご相談、確認という言葉がまさに圧力になったのです」

官僚たちによる実務の効率化

辻田さんは、こうした仕組みを「空気の検閲」と呼ぶ。そして、まさにフーコーのいう「パノプティコン」である、とも説明する。

「パノプティコン」とは、円形の刑務所の中央に監視所をおいた仕組みだ。

たとえそこに看守がいなくとも、囚人は「常に見られている」と感じることになる。フーコーはこれを権力による監視システムになぞらえているのだ。

まさに、忖度がなせる技だ。では、なぜ日本の検閲制度はそう発展して行ったのだろうか。

「誰か大ボスが旗振り役になったわけではないのも、やはり日本の特徴だと言えるでしょう。官僚たちが少ない人数で実務をまわしていく中で、より効率的な仕組みを求めた結果なのではないでしょうか」

「また、これは権力側の一方的な押し付けではありません。発禁処分を避けたい新聞社や出版社、表現者側にとっても有益な仕組みとなり得ました。処分を受けない方法が事前にわかるに、越したことはないのですから」

戦時に崩れたパワーバランス

こうしてパワーバランスが成り立っていた日本の検閲制度。平時であれば双方の均衡が保たれていたとしても、戦時下ではそれが一気に崩れることとなった。

「戦時は権力が一気に強くなる。“何も言えない”構造が、副作用として発露したのです」

自主規制、自己検閲の仕組みがすでに出来上がっていたことから、激しい弾圧と萎縮が成り立つのも容易だった。

「仕組みが明文化されていないということは、越えてはいけない一線が明確ではないということ。新聞紙や出版社、表現者側にはどこで規制されるかわからないので、無限に表現が後退していくことになってしまったのです」

戦時中は、禁止事項などが乱発され、システムは複雑化し、混乱することになる。それにより、自己規制や自主規制も強まっていったのだ。

「検証不可能」の恐ろしさ

こうした検閲制度の弊害は計り知れない。

「黒塗りや伏せ字をする以前に消してしまう、そもそも書かないという仕組みは、おそろしいものなのです」

発禁処分や削除処分となり、検閲された部分が書類に残っているものに関しては、あとから検証することも可能だ。しかし、「空気の検閲」の有無は、後世から読み取ることは不可能となる。

たとえば、編集者が自主規制の一環で文章を勝手に書き換えていたら。もしくは、記者や小説家がもとよりそれを忖度して、最初から危ないと思ったことを避けて書いていたならば……。

辻田さんはいう。

「日本の検閲制度は明治時代から時間をかけて確立されたものです。たとえば、私たちが普通に読んでいる夏目漱石の作品だって、“空気の検閲”を経ている可能性があります。そうしたものを検証しようにも、書類としては何も残っていないのだから、検証することはできないのです」

現代にもある「空気の検閲」

検閲当局はもとより、ジャーナリズムを含む書き手側に「表現の自由を守るという意識」が乏しかったことが、日本独自の検閲システムを生んでしまったと、辻田さんはみる。

「日本の検閲制度をめぐっては、“発禁”という言葉が一人歩きし、神話化しているようにも思えます。しかし実態としては、官民の双方が効率を求めてルーチンワークをしていった結果、こうなってしまった」

「歴史に学ぶということは重要なこと。単に“官”が検閲を強いていたという構図ではなく、“民”の忖度があり、平時では少なくともお互いにWin-Winの関係を築いていたということは、いまの私たちが知っておくべきことでしょう」

辻田さんは、「空気の検閲」は現代の日本にも存在する、ともいう。

「空気や忖度に基づく表現規制はたしかに、存在しています。それはたとえば、消費者からのクレームや回収をおそれた自主規制でしょうか。自由に好き放題やるわけにはいかかないのが実情でしょう。そこで表現の自由を守る意識があるかどうかが問われてきます」

いまは平時だからこそ、均衡は保たれている。しかし、いつ、なんどき“一線”を越えてしまうかはわからない。だからこそ、私たちは過去を顧みるのだ。


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