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「政治に殺される」話題の宝島社“タケヤリ”広告、実は薙刀? 画像は「ネット上から探し当てた」

この広告で使われている写真が「竹槍」ではなく「薙刀」であるとの指摘があがっている。1941〜44年に撮影されたという説があるが、これは「竹槍訓練」ではなく国民学校における体練の授業の様子を撮影したものとみられる。

「ワクチンもない。クスリもない。タケヤリで戰えというのか。このままじゃ、政治に殺される」

そううたった、宝島社の新聞全面広告が話題を呼んでいる。今の日本の状況が太平洋戦争末期の「竹槍訓練」などの非科学的な戦術に重なり合うとして、「科学の力が必要」と呼びかける意図があるという。

一方で、この広告で使われている写真が「竹槍」ではなく「薙刀」(なぎなた)であるとの指摘があがっている。同社はこの写真について「インターネット上から探し当てた」としているが、何が起きているのか。

宝島社の広告は、5月11日付の朝日新聞、読売新聞、日本経済新聞の全国版で展開された。

「殺される」という強いキャッチフレーズを用いたこの広告には、以下のような意図があるという。

新型コロナウイルスの蔓延から、すでに一年以上。しかし、いまだに出口は見えません。マスク、手洗い、三密を避けるなど、市民の努力にも限界があります。自粛が続き、経済は大きな打撃を受け続けています。厳しい孤独と直面する人も増える一方です。そして、医療の現場は、危険と隣り合わせの状態が続いています。真面目に対応している一人ひとりが、先の見えない不安で押しつぶされそうになり、疲弊するばかりです。

今の日本の状況は、太平洋戦争末期、幼い女子まで竹槍訓練を強いられた、非科学的な戦術に重なり合うと感じる人も多いのではないでしょうか。

コロナウイルスに対抗するには、科学の力(ワクチンや治療薬)が必要です。そんな怒りの声をあげるべき時が、来ているのではないでしょうか。

この広告のメッセージにある通り、政府の新型コロナ対策に対する国民の視線は、実際に厳しい。

感染拡大に医療の逼迫。緊急事態宣言に伴う補償の問題。そして、ワクチン。山積する課題に、内閣支持率も低下傾向だ。

東京五輪開催を巡っても、世論の6割近くが中止を求める一方、担当大臣からは「絆を取り戻す」などという言葉が飛び出している。

そうした状況を背景に、Twitterでは一時「タケヤリ」がトレンド入りするなど、話題を呼んでいた。

一方で、この広告で使われている写真で少女が持っているのは「竹槍」ではなく、「木製薙刀」であるとの指摘も、専門家らからあがった。

宝島社「ネット上から探し当てた」

BuzzFeed Newsが画像の出所を聞いたところ、宝島社は「本写真素材は、インターネット上の画像から探し当てたものです」とコメントした。

戦時下に撮影したとみられるもののため、「1971年(昭和46年)の著作権法大改正の際の新法移行の措置規定から解釈して著作権は消滅していると判断し、使用いたしました」としている。

実はこの写真、宝島社がネット上で写真を「探し当てた」というように、ネット上で「竹槍訓練」の様子として広がっていたものだ。Googleでも複数の画像がヒットする。

さらに、毎日新聞デジタル版の記事(2018年7月30日、紙面は大阪地方版)でも「戦争になると女子も竹やり訓練に動員された」という説明とともに掲載されていた。

しかし、これは誤りのようだ。毎日新聞社の担当者によると、同じ写真は1971年8月12日の朝刊本紙(中部)の名古屋空襲に関する記事にも掲載されていたという。

1944年撮影の提供写真で、キャプションは「男子は剣道、女子は薙刀が国民学校の体育正課だった」。撮影場所は「愛知県名古屋市松ヶ枝国民学校」とされていた。

2018年の大阪地方版の記事では出典は「昭和史全記録」(毎日新聞社)となっていたが、BuzzFeed Newsが戦時下のページを確認したところ、同様の写真は見当たらなかった。

ふたつの記事でキャプションや出典が異なる理由は不明といい、「竹やり訓練」となっていたデジタル版からは、BuzzFeed Newsの問い合わせたあと、写真が削除された。

なお、同じくこの写真が引用されている「子どもたちの太平洋戦争」(岩波新書、山中恒、1986年)のキャプションは「薙刀の訓練(1941年)」となっている。

そもそも「薙刀」とは?

毎日新聞と岩波新書で、年代が食い違う理由ははっきりしない。

いずれにせよ、この写真が「竹槍訓練」ではなく、国民学校における「薙刀」の授業の様子を撮影した写真であることに相違はない。

戦時中、女子は「薙刀」が体練(体育)の授業で必修になっていた。1941(昭和16)年2月の国民学校令で小学校が「国民学校」に変わった際の施行規則(同年3月)で「女児ニ対シテハ薙刀ヲ課スルコトヲ得」と定められたのだ。

この背景には日中戦争(1937年)から太平洋戦争(1941年12月)に突き進もうとするなか、「少国民」である子どもたちを鍛え、将来的に国力発展、国防のために強く育てようとするねらいがあった。

実際、施行規則の体錬科の項目にも「強靱ナル体力ト旺盛ナル精神力トガ国力発展ノ根基ニシテ特ニ国防ニ必要ナル所以ヲ自覚セシムベシ」と記されている。

とはいえ当の子ども達には「薙刀」の授業は不評だったようで、前述の「子どもたちの太平洋戦争」にもこう記されている。

薙刀では、礼法、体の運用、五行の構(上中下段・八相・脇)、三方(振拳・車返・突)などを形で学習させた。そんなふうであるから、これはやっていて、面白くもなんともないものであった。

「竹槍事件」も起きていた

一方、いわゆる「竹槍訓練」は戦争末期に本土決戦に備える目的ではじまった。竹槍を武器とした市民が、上陸もしくはパラシュートで降下した米兵と戦うことを想定としていた。

特に銃後の女性たちを対象にして実施されていたが、学校や疎開先などで子どもが動員されていたという記録もある。

竹槍訓練は、総務省の年表では1944年8月の「国民総武装」の閣議決定を受け始まったとされているが、それ以前にもあったようで、小説家・永井荷風の1943年2月の日記に関連描写がある。

戦争末期には、「銃なくば竹槍で “本土戦場”心構え説く」(読売新聞、1945年3月2日)などと見出しが新聞に躍ったように、いまでは精神論、非合理的な政策として語り継がれている。

なお、竹槍をめぐっては、当時の毎日新聞(1944年2月23日)が「竹槍では間に合わぬ、飛行機だ、海洋飛行機だ」と東條内閣を批判。

これに反発した陸軍が、記事を書いた同紙の海軍記者クラブ担当記者を懲罰的に召集した言論弾圧事件「竹槍事件」が起きている。

宝島社の意図は?

宝島社は今回の写真を利用した理由について、「『同じ失敗を繰り返してはならない』という強いメッセージを込めて、当時、必死に訓練に励む少女たちの姿が非常に印象的な、こちらの写真を起用させていただきました」と述べた。

そのうえで、「薙刀」であるとの指摘については次のようにコメントした。

「戦前、多くの婦女子の方々は薙刀の訓練に励んでいましたが、戦局の悪化にともない竹槍をもって敵を攻撃する竹槍訓練なる教育指導が軍部より発せられ、薙刀の訓練も竹槍をつかっておこなわれたとの史実があるようです。総じて竹槍訓練と呼んでいたようで、そのような意図で使用しております」

「薙刀」も「竹槍」も、悲惨な結果をもたらした「精神論」としての側面には通ずるところがある。

とはいえ前述の通り、写真は1941〜44年ごろの国民学校における体練の授業の様子を撮影したものだ。これは軍部による教育指導ではなく、文部省が定めた国民学校令の施行規則に基づいており、本土決戦に向けた「竹槍訓練」とは異なる。

「薙刀の練習が竹槍訓練に変わった」という証言は実際に確認することもできるが、BuzzFeed Newsは「史実」について改めて出典などを宝島社に確認している。回答があり次第、追記する。

なお、戦時中の写真をめぐっては、朝日新聞社が昨年末、自社フォトアーカイブのTwitterアカウントに掲載した戦時中の写真について、合成されたものだったとして、謝罪したことがあった。

戦時中の写真は、政府によるプロパガンダに使われていたことが少なくない。また、上記のような合成写真もあるほか、出典がはっきりしなかったり、キャプションが異なることがのちに判明したりすることもある。著作権の問題だけではなく、史実の点からも、取り扱いには十分な注意が必要だと言える。

UPDATE

宝島社は「史実」の出典について、「竹槍でB29を落とせ!修養が実戦兵器になるまで(探検コム)」と「アジア・太平洋戦争最末期の学校体育政策に関する一考察:文部省による通牒を手掛かりとして(体育学研究、2016年)」の2つのリンクを提示した。


参考文献:『薙刀(長刀)』から『なぎなた』へ」(神戸女学院大学論集、前畠ひろみ、2006年)/ 「子どもたちの太平洋戦争」(岩波新書、山中恒、1986年)/「『この世界の片隅に』で主人公が振るっていた竹槍が意味するもの」(現代ビジネス、一ノ瀬俊也、2020年)/ 「昭和史全記録」(毎日新聞社、1989年)/ 「『戦争』を忘れない」(LIBRA、東京弁護士会、2015年)/ 「太平洋戦争の年表」(総務省)/ 「知ってるかな? 戦中のくらし」(昭和館)

UPDATE

一部表現を修正しました。

UPDATE

宝島社の回答を追記しました。