「広島には、当たり前の日常があった」72年目の原爆の日に、子どもたちが誓ったこと

    小学6年生2人の言葉。

    1945年8月6日午前8時15分。人類史上初めて、原子力爆弾が落とされた街、広島。それから72年目のこの日、「平和記念式典」が開かれた。

    式典で地元小学校6年生2人の「こども代表」が語った、「平和への誓い」は以下の通り。


    原子爆弾が投下される前の広島には、美しい自然がありました。大好きな人の、優しい笑顔、温もりがありました。一緒に作るはずだった、未来がありました。

    広島には、当たり前の日常があったのです。

    昭和20年、1945年8月6日午前8時15分、広島の街は焼け野原となりました。

    広島の街を失ったのです。多くの命、多くの夢を失ったのです。

    当時、小学生だった語り部の方は、亡くなった母と姉を見ても、涙が出なかった、と語ります。 感情までも奪われた人がいたのです。

    大切なものを奪われ、心の中に深い傷を負った広島の人々。

    しかしいま、広島は、人々の笑顔が自然にあふれる街になりました。草や木で溢れ、緑いっぱいの街になりました。

    平和都市として、世界中の人に関心を持たれる街となりました。

    あのまま、人々が諦めてしまったら。復興への強い思いや、願いを捨てていたら。

    苦しい中、必死で生きてきた人がいなければ、いまの広島は、ありません。

    平和を考える場所、広島。平和を誓う場所、広島。未来を考えるスタートの場所、広島。

    未来の人に、戦争の体験は不要です。しかし、戦争の事実を正しく学ぶことは、必要です。

    一人ひとりの命の重みを知ること、互いを認め合うこと、まっすぐ世界の人々に届く言葉で、諦めず、粘り強く伝えていきます。

    広島の子どもの私たちが勇気を出し、心と心をつなぐ架け橋を築いていきます。

    (広島市立大芝小6年の竹舛直柔さん、市立中筋小6年の福永希実さん)


    広島市では、1945年中に14万人以上が亡くなったとされている。

    被爆者の平均年齢は81.41歳。2016年度だけで9581人が亡くなっており、記憶の継承が課題だ。


    BuzzFeed Newsでは、【被爆者がいない、被爆者団体へ。悲劇を語り継ぐのは、その子どもたち】という記事も掲載しています。