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軍人が議員に罵声を浴びせた「黙れ事件」 80年前の結末を知っていますか?

帝国議会で起きたこと。

防衛省統合幕僚監部の3等空佐が民進党議員に対し、国会議事堂前の路上で「国民の敵だ」などと暴言を繰り返したとして、批判を浴びた問題。

実は似たようなことがちょうど80年前、帝国議会で起きていたことをご存知だろうか。「黙れ事件」だ。

「黙れ事件」は、日本が徐々に戦時体制に入りつつある1938(昭和13)年3月3日の帝国議会で起きた。

当時の佐藤賢了・陸軍航空中佐が衆議院の「国家総動員法案委員会」の審議中、議員に対して「黙れ!」と怒鳴ったのだ。

これに、国会は騒然。中佐は発言を撤回したが収まらず、陸軍省の大臣が釈明に追い込まれることになった。

戦前と言えど、これは大きな批判を浴び、新聞各紙も報じている。

たとえば、翌日の東京朝日新聞は「総動員法案に大波乱 佐藤中佐”黙れ”の一言 委員会沸騰裏に散会」と2面で大きく伝えた。

いったい、何が起きていたのか

当時の議事録や報道から経緯を振り返る。まず、質問に立っていたのは、立憲政友会の板野友造(大阪選出)だ。

板野議員は、国民の全財産を戦争に向けて投じることのできるようになる「国家総動員法」に異論を持っており、この日の質疑でも政府側の答弁に納得していなかった。

質疑では、板野議員は「今では何にしたって戦争第一」「恐るべき法案である」などとし、国民の権利を政府が制限できる法律が憲法違反である、とも指摘。政府にこう求めたのだ。

「政府の言うことが分かりませぬ。どうぞ国民が、なるほど必要止むを得ざるものだと了解しうる程度の説明を願います。どなたでも説明の上手な人でよろしゅうございます」

そこで政府側のピンチヒッターとして説明にあがったのが、佐藤中佐だった。

30分も続いた説明に…

法案の利点を説明する佐藤中佐の答弁は、約30分、当時の議事録でも1ページ半に及ぶほど、長く続いた。

もはやそれは説明ではなく、板野議員と討論をしているかのようにも聞こえるほどだった。

「諸君、私は確信するのでありますが、かかる非常の場合におきまして、国民の頼みは何であるかということ、議会と政府、行政と立法との関係というような問題ではなくして、何か強力な力、強い力によって敏活機敏に処理さるということであります」

こうした「説明」には、議員からも「あれは誰なんですか」「討論は許されませぬ」などと野次が続々とあがり、議場は大きく混乱する。

そこにしびれを切らした佐藤中佐が、「黙れ!」と声をあげたのだ。

もちろんそうした発言は許されなかった。「黙れとはなんだ」などという野次も相次ぎ、板野議員や委員長から発言の取り下げを求められた。

佐藤中佐は撤回に応じ、そのまま議場を退出した。

本人の弁明は

戦後、A級戦犯となった佐藤氏は文藝春秋(1955年8月号)に「総動員法問答事件」を寄稿。

「黙れ」は、議員だった知り合いに向けたものだった、と弁明している。

「宮脇長吉議員がにわかに立って『委員長、この者にどこまで答弁を許すのですか』と食ってかかった」

「委員長が私に続けろと指示したので、私は説明を続けたところ、宮脇議員がまたガナり立てて私の説明を妨害したので、堪忍袋の緒を切って『黙れッ、長吉』とノドまで出てきたのだが、場所柄を考えて『黙れッ』だけいって、あとの『長吉』を飲み込んだ」

この宮脇議員は元陸軍大佐。退役後に政治家となり、立憲政友会に所属していた。

佐藤氏の先輩でもあったと、息子である作家・俊三氏が著書で振り返っている(「私の途中下車人生」)。

陸相は「遺憾の意」

先出の通り、発言については当時の杉山元・陸軍大臣が翌日にこう言及している。

「部下の言葉遣いに穏当を欠くものがありましたそうでありますが、この点は誠に遺憾に存じております。なお、今後において注意いたします」

陸軍では、年次と階級の上下は大きな意味を持っていた。軍の先輩で、しかも現役時代の階級が上だった国会議員に対する発言だったにもかかわらず、それ以上問題視されることはなかった。

また、佐藤中佐が処分を受けることもなかった。この事件の4ヶ月後には、大佐に昇進。宣伝広報活動や新聞検閲などを担う陸軍省新聞班長に就任している。

1938年7月16日の読売新聞には、佐藤氏の満面の笑みの写真が掲載されている。記事の見出しは、「『黙れ』から『話そう』へ」だ。

この事件の持つ意味とは

「黙れ事件」は、軍部が政治を軽視する体質を現した象徴として捉えられることが多い。

一部始終を目撃した国民新聞の木道茂久記者は戦後、自身の手記に「偶発的な失言ではない」と記しているという(読売新聞、1971年6月11日)。

「あれは決して偶発的な失言などではなく、傲慢無礼な佐藤の一言は、陸軍の政治上の態度を端的に表現したものであり、委員会の空気は当時における軍部ファシズムと、政党内部に残存した自由主義との対立相克の集中的表現であった」

一方で佐藤氏は、そうした見方をこう一蹴している。

「この事件を世間では大きく取り扱いすぎる感があった。まるで陸軍が議会を圧迫し、その勢力を衰退させたかのようにいったのである。実にばかげたことである」

果たして本当に、「ばかげたこと」だったのだろうか。

「黙れ事件」からひと月ほどして、国家総動員法は成立した。日本がその後、どんどんと戦時体制に入り込み、敗戦への道を突き進んだことは、言うまでもない。


BuzzFeed Newsでは、戦時中の検閲制度について【「忖度」は昔から日本にはびこっていた。空気を読んでいた表現者たち】という記事も掲載しています。