8月15日。72年目の「終戦の日」を迎えた。
「英霊」を祀る靖国神社と「無名戦没者の墓」である千鳥ヶ淵戦没者墓苑では、戦没者たちに追悼の祈りを捧げようと、多くの遺族らが集った。
2つの追悼の場は、東京都千代田区にあり、800メートルしか離れていない。
BuzzFeed Newsはこの日、それぞれの追悼の場を訪れた人たちに尋ねた。
「あなたにとって『終戦の日』とはなんですか?」と。
「英霊」を祀る靖国神社
靖国神社は、明治維新以降に「国のために命を捧げた」246万柱以上とされる軍人や軍属、警官などを「英霊」として祀る。戦後、東条英機元首相ら「A級戦犯」を合祀している。
A級戦犯らの合祀について意見が分かれている。「過去の戦争の肯定」とする否定的な考えがある一方、「英霊」に対して祈りを捧げるのは当たり前だ、とする肯定的な考えがある。
ここを訪れた人は、「終戦の日」をどう考えているのだろうか。
「終戦」ではない「敗戦の日」だ
約10年前から靖国神社に通うようになった菰原さん(78歳)は、この日を「終戦記念日」と呼ぶことには反対だといい、こう語る。
「戦争は終わらせたんじゃなくて、負けてしまったんです。そうして、私の兄を含め、どんなに多くの方々の命を奪ったことか。終戦という言葉は、どうしても理解できません」
英霊への感謝を捧げる日
関根さん(50歳)は20歳の頃からほぼ毎年、靖国神社に足を運んでいる。
「父方、母方で大東亜戦争で亡くなっている方がいます。なにより、私がここに存在するのは、戊辰戦争から国のために命を捧げられた方々のおかげだからです」
千鳥ヶ淵戦没者墓苑には行かない。その理由を尋ねるとこう返ってきた。
「平和や豊かさを享受できているのは、靖国神社に祀られている英霊たちの血と涙の結晶だと感じています。英霊が祀られており、感謝を捧げることができる場所は、私にとって靖国神社しかないと考えているからです」
英霊に感謝を捧げる日、決意を新たにする日
数年前、靖国神社への参拝をきっかけに知り合った永井さん、梶原さん、鈴木さんの3人。
永井さんは「靖国神社は『ありがとうございました』と感謝をする場所です」と言う。
「ここに祀られる英霊たちがこの国を守ってくれたから、今この場にいられるんですから」
それを聞いた鈴木さんは頷き、「英霊」たちの意志を引き継ぎたい、と語る。
「外敵から国を守る、という意味で英霊たちの後を継いでいきたいです。日本を日本らしく存続させるのは、私たちの責任でもあります」
一方、梶原さんは「決意を英霊たちに伝える日」でもあるとする。
「毎年、英霊たちに恥じない生き方をするんだと決意を新たにします。今日は世の中の役に立つ人になる、と伝えました」
「無名戦没者の墓」である千鳥ヶ淵戦没者墓苑
千鳥ヶ淵戦没者墓苑は、政府が設置。環境省が管理している。
海外の戦場から持ち帰られたが、身元がわからないなどのために遺族の元に戻れなかった軍人や軍属、民間人の遺骨36万7328柱(今年5月末現在)が眠る「無名戦没者の墓」となっている。また、全戦没者の慰霊追悼のための場でもある。
「あなたにとって『終戦の日』とはなんですか?」。ここでも同じ質問をした。
私は「記念日」にはしたくない
「硫黄島の戦い」で知られる硫黄島出身の奥山さん(84歳)は、2人の兄を亡くしている。奥山さんは、強制的に硫黄島から引き揚げさせられたが、軍部の手助けのために兄たちは島に留まった。そして、激戦によって命を失った。
毎年訪れるのは千鳥ヶ淵戦没者墓苑だけで、靖国神社に行ったことはない。
「2人を犠牲にした責任者が祀られているところに手を合わせるのは、遺族として申し訳ない」
8月15日を「終戦記念日」ではなく「終戦の日」と呼んでほしい、と訴えた。
「こんな酷いことがあったんですから。私は、記念日にしたくないんですよ」
忘れちゃいけない日。
20代の千葉さん夫婦は、初めて千鳥ヶ淵戦没者墓苑に来た。
「北朝鮮情勢が悪化する中、戦争や紛争がまた少し近い存在になっているように感じました。だからこそ、このような節目に儀式性のある場所に来ることが必要だと思ったんです」
「靖国神社には行きません」という2人。なぜなのか。
「太平洋戦争は侵略戦争だと思うし、戦犯が祀られているから。無残に殺されてしまった国民を祀るところに来ることに意味があると考えています」
なぜ戦争をしたの?
小学6年生のねりあさん(11歳)は、母親に連れられ初めて千鳥ヶ淵戦没者墓苑で手を合わせた。学校では、日本が関わった戦争について学ぶ機会は少ないという。
「お母さんから話を聞いたり、映画の『この世界の片隅に』を観たりして、『なぜ戦争をしたの?』と思うようになりました。戦争は人が死んじゃったり、街が壊されたりしちゃうから、もう起こしてほしくないです」