テレビや舞台で活躍するイラン出身の女優、サヘル・ローズさん(32)は、その可憐な笑顔からは想像も付かない過酷な日々を送ってきた。
幼少時代より孤児院で育ち、養母となる女性に引き取られた。その後、養母と二人で来日したが、公園でのホームレス生活やクラスメートからのいじめを経験した。
異国・日本でたった一人で自分を育て、大人への階段を昇ることを支えてくれた母は、どんなに苦しくても、いつだって笑顔だった。
サヘルさんは母親を「神様のような人」と語り、今も二人で暮らしている。
お母さんはどんな人なのか。彼女に何を思うのか。サヘルさんはBuzzFeed Newsに語った。
真っ白な部屋で
養子にしてくれた母との出会いの場は、真っ白な一室だった。
それは孤児院の面会室。子どもたちが普段、勝手に入ることを許されない場所だった。
サヘルさんはその部屋を「憧れた夢の部屋」と表現する。
というのも当時、7歳だったサヘルさんは、施設内ではすでに年長にあたる年齢となっていた。
一般的に、養子を望んで施設を訪れる人は、幼い子を選ぼうとする。だから、すでに家族を失い心の傷を負っている子どもたちは、年齢を重ねるほど引き取られづらくなり、自分が「選ばれない」ことを知る。そして、さらに傷ついていくのだ。
あの日、サヘルさんと向き合った若い女性の笑顔は、とても優しかった。差し出された手も、とても柔らかかった。
サヘルさんが忘れていた、家族の温もりを思い出させてくれた手だった。
「その瞳に映るのは、私だけ」
初めて見た彼女にかけた言葉は、「お母さん」だったという。なぜ、初対面の人を自然に「お母さん」と呼んだのか。今振り返っても分からないままだ。
施設で年長の自分は、やりたいことを我慢してでも年下の子たちの面倒を見なければいけない。だけど、この人を見たとき、もう自分は我慢も背伸びもしなくて良いと思えた。抱きしめられ、本当の「お母さん」だ、と素直に思えた。
「私の目を見ているその瞳には私しか写っていない。なんて素敵なことなんだろう。ずっとこの人がいてくれたらって思いました」
ジャスミンはお母さんの香り
「それに、こんなに甘くて良い香りがする人っているんだと。彼女はジャスミンの香水をつけていました。誰にも母の匂いってあると思いますが、私にとっての母の匂いは、ジャスミンなんです」
女性のニックネームも同じく「ジャスミン」だったという。必死に「わたしのお母さんになって」とお願いしたものの、彼女はニコッと笑うだけで、何も返答せずに去っていった。
20代の若さでサヘルさんを養子にするという決断は、容易ではなかったはずだ。
嫌われてしまった。そう後悔しては泣いた。しかし、しばらく時が経って再び会ってくれた女性は「これからは、私があなたのお母さんだよ」と言ってくれた。
祖母に育てられた母
彼女も、幼い頃から複雑な環境で育っていた。
生まれてすぐ、祖母に引き取られ、育てられた。なので、祖母のことを「お母さん」だと思っていた。
親子であるには、必ずしも直接、血がつながっている必要はない。本当の愛情さえそこにあれば、親と子になれる。彼女は、そう感じながら大きくなった。
祖母は、慈善活動などに関心の深い人だった。そのため、幼い時から孤児院を訪れる機会があり、こう教わっていた。
「自分の子どもも素敵だけれど、これだけ親のいない子どもがいる。その子を救いなさい。血の繋がりは関係ないから」
そして出会ったのが、サヘルさんだったのだ。
苦しい暮らしで見た「フルコース」
こうして母子となった二人は1993年、知人を頼って来日した。サヘルさんは8歳だった。期待も抱きながらの暮らしがスタートしたが、頼りになるはずの知人との関係が悪化し、すぐに家から追い出されることになった。
行き着いた場所は、よく遊んでいた公園。そこで、ホームレス生活が始まった。
日本語は分からないし食べ物も違う。文化や制度にも慣れていない。
それでも、母の温かい胸の中で眠っては安心した。
朝起きると、水道の蛇口をひねって顔を洗い、通っていた地元の公立小学校に向かった。学校で給食を食べてお腹を膨らませ、公園に「帰宅」する。
お金はほとんどなく、スーパーの試食コーナーも巡った。コーナーにずらりと並ぶ惣菜に、「お母さんすごーい!フルコースだ」と声を上げることもあった。そんな日々が2週間ほど続いた。
日本でこんな生活が待っていたなんて、二人とも想像もしていなかった。それでも母は常に笑顔を絶やさなかった。その顔を見たら、不思議とつらさも消えた。
装い続けた「優等生」
貧しさには耐えられたサヘルさんを追い詰めたことが、一つあった。
学校でのいじめだ。
引っ越した先の東京の小学校高学年から中学時代、深刻ないじめを受けた。
でも、母には伝えられなかった。いつも「優等生のサヘルちゃん」を演じなければならないと思っていたから。
「お母さんの前では笑顔でいようと決めていた。だから、一生懸命笑っていたんです。架空の友だちの名前を何人か作って言ったり、『成績は”1”が一番良いんだよ。だから私、どこの高校も行けるよ』って嘘をついたりしました」
サヘルさんを引き取ると決めた母が、周囲に言われていたのが「施設の子どもは、ろくな子どもにならない。いつか後悔する」という言葉だった。
母は「そんなことはない。立派な子どもに育ててみせる」と返していたのを知っていた。だから、母の前では「立派な子」でいたいがために、優等生を演じていた。
しかし、優等生からほど遠いことは、自分が一番知っていた。
母の本音
中学3年生のある日、優等生を演じる重圧と、学校で続くいじめに耐えられなくなった。もう限界だった。このまま死んでしまおうと決め、学校を早退した。
家に帰ると、仕事に出ているはずの母がいた。部屋の角でしゃがみこみ、声を押し殺して泣いていた。
母の泣いている姿を見たのは、2回目。イランから日本への飛行機、そしてこの日だけだ。
「どうしたの?」と聞くと、母はぽつりと言った。
「疲れた」
初めて聞く母の本音だった。
無理をして頑張っていたのは、私だけじゃなかった。母も疲れていたんだ。それが分かると、サヘルさん自身もふと楽になれた気がした。
そして言った。「疲れたから楽になりたい。嫌だこんな人生」。すると、母は返した。
「楽になりたいの?いいよ。でも私も一緒に連れてって。お母さんが生きてきたのはサヘルちゃんのため。サヘルちゃんがいない世の中には、何の希望もないから」
どんな状況でも笑顔で、たとえ1週間の食費が500円しかないときでも「ほら500円もあるよ。ハッピーだね、私たち」と言い続けてきた母。その手がとても細くなり、白髪が生えていることに気づいた。
母を抱きしめると、あばら骨が驚くほど浮き出ていた。
「弱ったその姿を見たとき、今までお母さんの何を見てたんだろう、違ったんだねって思えました。母こそが私よりも孤立し、不安と戦って我慢していたんです」
「私を育てるために、安心させるために、誰よりも優等生を演じてくれていたのは母だった。私を施設に戻せば、もっと楽な暮らしができたのに」
見つけた生きる目標
そうやって母を見つめ直すと、「ちょっと待って。何か違うんじゃない。彼女に対して、これがあなたのお返しなの?」と自分に問いかける声が聞こえたという。
「その声を聞いて、この人を幸せにしたい。こんな女性がいて、こんな親子がいるんだって歴史に残したい。このまま終わってしまってはいけないと思いました」
お母さんを守れる存在になり、楽にさせること。それが母に対する恩返しになると思った。それが新たな目標となった。
「弱さを大切に」
目標を見つけたサヘルさんは、「生きる」という道を選んだ。そして今、これまでの人生を賭けて自分を表現する、女優という仕事に就いている。
出演するどの作品も、一番の理解者である母に必ず観てもらい、アドバイスをもらう。一番親身に観てくれるのも、突き放すような辛辣な意見をくれるのも、母だからだ。
どの役柄を演じようと「強くなる必要はない。弱さを大事にしなさい。今までの苦しみは財産だし、短所は長所に変わるから」との母の教えが生きている。
「この人生でなければ、今の表現はできていない」とサヘルさんは言う。
サヘルさんにとって母は「父でもあり、兄弟でもある。偉人すぎて、神様のような人」だという。
もしサヘルさんがお母さんの立場だったら、同じことができると思いますか。そう尋ねると「できないです」と即答した。
「お母さんを理想と言いたいけれど、自分は自分だから。理想はすでにどこかにあるものではなく、自分で作りあげるものだと思っています」
そして掲げる夢
サヘルさんは今も、自身が施設で育ち、母に引き取られたという原点を忘れないようにしている。それも、母との約束だからだ。
女優としての仕事のかたわら、日本やイランの児童養護施設や、難民への支援活動にも力を入れている。
夢はいつか『サヘルの家』という児童養護施設を建てることだ。
そこには、母から引き継いだ、弱い立場の人を助けたいという思いがある。「母が昔から変わらないから、私も変えられない。親の背中って大事なんです」と笑う。
「子どもたちが胸を張って社会に飛び込んでいける環境にしたいんです。そして、そこが帰れる家でもあってほしい」
「私には、母のように一人の子どもを引き取って親になるつもりはないけれど、施設を作って子どもたちみんなの親になりたいんです」
生きる目標としてきた「母を守れる存在になり、母を楽にさせること」。仕事の幅が広がり、日本中にその名を知られる存在となった今、どこまで達成できたのだろうか。
サヘルさんは「まだまだ」と言う。一方で、考え方に変化も出てきたという。
「私が夢に向かって笑顔で前に進むことで、『この子を育てて良かったな』って思ってもらうことも恩返しになる、と最近、思うんです。背中を見せてくれたお母さんに、私の背中を見せられるくらいの人になりたいと思っています」
母にいま、どんな言葉を贈りますか?そう聞くと、サヘルさんは「こうやってメッセージを言うのは、初めてかもしれないね」と語り始めました。
また、「生きづらさを感じるあなたへ」と題して、誰もが前向きになれる言葉をいただきました。
<サヘル・ローズ>1985年、イラン生まれ。高校時代から芸能活動を始め、J-WAVEでラジオデビュー。映画、ドラマ、舞台など活躍中。「探検バクモン」(NHK総合)などにレギュラー出演。舞台「恭しき娼婦」で主役を演じている(10月10〜14日、東京芸術劇場)。
BuzzFeed Japanは10月11日の国際ガールズ・デー(International Day of the Girl Child)にちなんで、2018年10月1日から12日まで、ジェンダーについて考え、自分らしく生きる人を応援する記事を集中的に発信します。「男らしさ」や「女らしさ」を超えて、誰もがなりたい自分をめざせるように、勇気づけるコンテンツを届けます。