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知ってた? 三菱鉛筆は三菱グループではない。それなのに三菱マークを使える深い理由とは…

三菱グループと無関係なのに、「三菱」のマークを利用していた会社が、かつては複数あったのです。その経緯を調べてみました。

三菱鉛筆の商品パッケージに描かれたスリーダイヤのマーク(撮影:安藤健二)

三菱鉛筆(東京都品川区)は2月29日、ドイツの文房具メーカー「LAMY」を買収して完全子会社化したと発表しました。「LAMYは三菱鉛筆が三菱グループじゃないってご存知ならいいけど…」と心配する声もSNSで相次ぎました。

一部では有名な話ですが、実は三菱鉛筆と三菱グループは、名前こそ同じ「三菱」ですが、お互いにまったく無関係な別の会社。三菱鉛筆の公式サイトを見ても、三菱グループにもリンクも張った上で、「当社はこちらのグループ企業ではありません」と書かれています。

三菱鉛筆が、三菱グループと全く同じ「三菱」を社名に冠した上で、3つの菱形を組み合わせた同じマークを使っているのは、どういうことなのでしょうか。明治時代までさかのぼって、その歴史的経緯を調べてみました。

三菱鉛筆の商標登録は1903年。三菱グループよりも早かった

三菱鉛筆の前身の会社が1903年に登録した三菱マークの登録商標(当時の公報より)
眞崎家の家紋の「三鱗」と三菱マーク(三菱鉛筆公式サイトより)

財閥解体の中で例外的に「三菱マーク」の存続が認められたことも

ちなみに第二次大戦後の1950年には、GHQが進めた財閥解体により、三菱財閥の多くは三菱を使わない社名に変更。三菱マークも使えなくなりました。このとき、「三菱鉛筆」とその三菱マークも一緒に抹殺されそうになりました。

時代を書きすすむ三菱鉛筆100年」によると、当時の眞崎大和鉛筆では社長が先頭に立ってGHQに掛け合った結果、全製品に「非財閥」などと明記する形でブランドの存続が認められたそうです。

「三菱財閥とは人的にも、資本(金銭)的にも、そしてまた物的にも何ら関係のないことを説き、三菱のマークが座財閥の独占物ではないことを立証し、条件付きで、『三菱鉛筆』と『三菱マーク』の使用が認められ、事なきを得た」

1952年には鉛筆のブランド名にあわせて社名も「三菱鉛筆」と改名しています。

三菱グループの商標登録は三菱鉛筆の11年後。鋼鉄などの分野だった

三菱グループの源流である三菱合資会社が登録した三菱マーク商標(当時の公報より)

一発で分かる時系列がこちら

1903年(明治36年)
眞崎鉛筆製造所(現在の三菱鉛筆)が三菱マークを商標登録(鉛筆など)

1914年(大正3年)
三菱合資会社(現在の三菱グループ)が三菱マークを商標登録(鋼鉄など)

三菱鉛筆と三菱グループ、同じマークで問題ないの?

三菱商事の看板に描かれた三菱マーク(時事通信)

福神漬から名刺まで。かつては財閥とは無関係な複数の会社が三菱マークを商標登録していた

「第3者が登録している三菱商標の事例」

消滅した「三菱サイダー」とは?

三菱サイダー(2016年当時の弘乳舎の公式サイトより)

松田工業がサイダーなどで商標登録した三菱マーク。「三菱サイダー」に使われていたが三菱グループに譲渡済み

松田工業が1919年に商標登録した三菱マーク(当時の公報より)

内田商店が漬物缶詰で商標登録した三菱マーク。福神漬に使われていた模様