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「今日の一杯は特別だった」吉野家1号店が最後の営業 別れを惜しむ人々が、築地で最後の牛丼を噛み締めた

アタマの大盛り、美味しかったよ…!

「牛丼の聖地」が最後の日を迎えた

東京都の築地市場が10月6日正午、83年にわたる歴史に幕を下ろしました。これに伴って、市場内にある牛丼チェーン店吉野家の築地一号店も最後の営業日を迎えました。「牛丼の聖地」最後の朝を取材しました。
Kei Yoshikawa

東京都の築地市場が10月6日正午、83年にわたる歴史に幕を下ろしました。これに伴って、市場内にある牛丼チェーン店吉野家の築地一号店も最後の営業日を迎えました。

「牛丼の聖地」最後の朝を取材しました。

倒産、BSE問題…危機を乗り越え、牛丼を守った

1899年、中央区日本橋の魚河岸で1件の牛丼屋が生まれました。これが吉野家のはじまりです。関東大震災(1923年9月)で魚河岸が築地に移ると、吉野家も移転しました。戦時中には東京大空襲(1945年3月)で店を失いますが、すぐに屋台で営業を再開。戦後も築地市場内の一角に店舗を構え、1959年から現在の場所で営業をはじめました。資金繰りの悪化による倒産やアメリカで発生したBSE(牛海綿状脳症)問題で牛肉の輸入がストップするなど吉野家には何度も危機が訪れました。それでも築地1号店は、今日まで牛丼を守り続けてきました。
時事通信

1899年、中央区日本橋の魚河岸で1件の牛丼屋が生まれました。これが吉野家のはじまりです。関東大震災(1923年9月)で魚河岸が築地に移ると、吉野家も移転しました。

戦時中には東京大空襲(1945年3月)で店を失いますが、すぐに屋台で営業を再開。戦後も築地市場内の一角に店舗を構え、1959年から現在の場所で営業をはじめました。

資金繰りの悪化による倒産やアメリカで発生したBSE(牛海綿状脳症)問題で牛肉の輸入がストップするなど吉野家には何度も危機が訪れました。

それでも築地1号店は、今日まで牛丼を守り続けてきました。

午前4時50分、70人ほどが列

午前4時50分、営業開始まであと10分。日の出前にもかかわらず、この時点で70人ほどが列を成していました。暗闇のなか、ポツンと光る吉野家の灯り。なんとも言えない、安心感を与えてくれます。
Kei Yoshikawa

午前4時50分、営業開始まであと10分。日の出前にもかかわらず、この時点で70人ほどが列を成していました。

暗闇のなか、ポツンと光る吉野家の灯り。なんとも言えない、安心感を与えてくれます。

午前5時、店長が最後の挨拶 客からは拍手も

吉野家築地1号店、最後の日。 朝5時、最後の営業開始を告げる店長さんの挨拶に、集まった人々から万感の想いがこもった拍手が送られました。

Twitter

午前5時。店長の原田和樹さんが集まった人々を前に、最後の営業開始を告げます。

「ただいまより営業を開始しますので、よろしくお願いします!」

原田さんの威勢の良い挨拶に、列に並ぶお客さんたちから拍手が送られました。

列に並ぶこと30分、店内に案内されました。わずか15席しかないコの字型のカウンターは満員。食べ終わったお客さんが席を立つそばから、次のお客さんが席に座ります。新しいお客さんが席に座ると、店員さんはすかさずお水を提供。注文を取ります。「頭(アタマ)の大盛、ねぎだくで」そう伝えると、「アタマの大盛、ねぎだく一丁!」と店員さんの声が店内に響きます。注文からわずか10秒。目の前には、艷やか玉ねぎが載った牛丼が現れました。
Kei Yoshikawa

列に並ぶこと30分、店内に案内されました。

わずか15席しかないコの字型のカウンターは満員。食べ終わったお客さんが席を立つそばから、次のお客さんが席に座ります。

新しいお客さんが席に座ると、店員さんはすかさずお水を提供。注文を取ります。

「頭(アタマ)の大盛、ねぎだくで」

そう伝えると、「アタマの大盛、ねぎだく一丁!」と店員さんの声が店内に響きます。

注文からわずか10秒。目の前には、艷やか玉ねぎが載った牛丼が現れました。

これが「アタマの大盛り」だ!

ご飯の量は並ですが、肉が多いのが「アタマの大盛り」。力仕事の多い築地の人々の胃袋を満たしてきた、築地1号店の看板メニューです。甘辛いつゆが染み込んだ牛肉と玉ねぎ。それを白米とともに、一気にかきこむ。「あぁ、うまい。うまいぞ」。これこそが、吉野家の牛丼の真髄です。
Kei Yoshikawa

ご飯の量は並ですが、肉が多いのが「アタマの大盛り」。力仕事の多い築地の人々の胃袋を満たしてきた、築地1号店の看板メニューです。

甘辛いつゆが染み込んだ牛肉と玉ねぎ。それを白米とともに、一気にかきこむ。「あぁ、うまい。うまいぞ」。これこそが、吉野家の牛丼の真髄です。

緑の丼は「聖地」の証

ここでは「アタマの大盛」は専用の緑色の丼で出されます。これは、伝票ではなく器の色で会計を勘定するためです。他の店舗にはない、1号店だけの特別な丼。吉野家ファンにとっては「聖地の証」とも言えるものなのです。
Kei Yoshikawa

ここでは「アタマの大盛」は専用の緑色の丼で出されます。これは、伝票ではなく器の色で会計を勘定するためです。

他の店舗にはない、1号店だけの特別な丼。吉野家ファンにとっては「聖地の証」とも言えるものなのです。

5分ほどで完食し、ふとカウンターを見回すと、お客さんたちが黙々と牛丼をかきこんでいました。ある人は「つゆだく」で、ある人は「お新香」を追加。「ねぎ玉子」を牛丼にかける人もいます。一人ひとりが、自分のスタイルで牛丼と向き合い、別れの味を噛み締めていました。
Kei Yoshikawa

5分ほどで完食し、ふとカウンターを見回すと、お客さんたちが黙々と牛丼をかきこんでいました。ある人は「つゆだく」で、ある人は「お新香」を追加。「ねぎ玉子」を牛丼にかける人もいます。

一人ひとりが、自分のスタイルで牛丼と向き合い、別れの味を噛み締めていました。

「牛丼一杯で、こんなに感動するなんて…」

私と同じく「アタマの大盛」を食べに来ていた50代の男性会社員に話を聞きました。「若いころから、新橋で朝まで飲んだ帰りによく食べに来ていました。今日もそんな感じ。でも、今日の一杯は特別だった。昔の思い出が蘇ってきたんです。牛丼一杯で、こんなに感動するなんて思わなかったよ」
Kei Yoshikawa

私と同じく「アタマの大盛」を食べに来ていた50代の男性会社員に話を聞きました。

「若いころから、新橋で朝まで飲んだ帰りによく食べに来ていました。今日もそんな感じ。でも、今日の一杯は特別だった。昔の思い出が蘇ってきたんです。牛丼一杯で、こんなに感動するなんて思わなかったよ」

「うまい・やすい・はやい」で、築地の人々の胃袋を支えてきた吉野家1号店は6日午後1時で閉店しますが、その味は11日に開店する豊洲市場店に受け継がれます。

ありがとう、吉野家築地1号店。ごちそうさまでした!

Kei Yoshikawaに連絡する メールアドレス:kei.yoshikawa@buzzfeed.com.

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