天皇陛下の即位に伴う宮中祭祀「大嘗祭」が11月14日夜から15日早朝にかけて、皇居内に設営された大嘗宮で執り行われる。
大嘗祭は即位に伴う儀式ではあるが、宗教的要素があり、「国事行為」とされていない。しかし、皇室の公的活動とされ、費用は公費である「宮廷費」から支出される。
大嘗祭をめぐっては、2018年に秋篠宮さまが「宗教色が強いものを国費で賄うことが適当かどうか」と疑念を呈されたことが話題になった。
「奉祝」ムードの中ではあるが、大嘗祭と政教分離、公費の支出をめぐる議論を、いま一度振り返っておきたい。
そもそも大嘗祭とは?
宮中では毎年11月に「新嘗祭(にいなめさい)」という儀式がある。
その年に収穫された米などを、天皇が皇室の祖先とされる天照大神など神々に供え、自身もこれらを食し、五穀豊穣や国家安寧を祈る儀式だ。
「古事記」や「日本書紀」にも記述があることから、その起源は奈良時代以前にまでさかのぼる。
7世紀後半の天武天皇(位673~686年)、持統天皇(位690〜697年)の頃から、新天皇の即位後初めての「新嘗祭」は「大嘗祭」として区別され、天皇一代につき一度のみ実施される皇位継承の儀式となったという。
また、戦乱が相次いだことから、室町後期〜江戸時代にかけて大嘗祭がなかった時期が200年ほどあった。
明治に入って制定された旧皇室典範11条では「即位ノ礼及大嘗祭ハ京都ニ於テ之ヲ行フ」と定められた。天皇の践祚、即位などに関する規定「登極令」にもその細目が記され、皇位継承の儀式の一つとして明記された。
戦後、皇室典範から消えた「大嘗祭」
戦後、天皇の地位と皇室典範は大きく変わった。
明治憲法下で「神聖ニシテ侵スヘカラス」「国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬」する存在だった天皇は、現在の日本国憲法に規定される国民主権のもとでの「日本国の象徴」「日本国民統合の象徴」となった。
新たな皇室典範では「皇位の継承があつたときは、即位の礼を行う」(24条)とのみ記され、大嘗祭に関する記述は削除された。登極令も廃止された。
なぜ、戦後の皇室典範で大嘗祭に関する記述がなくなったのか。
終戦間もない1946年12月、憲法問題を担当した金森徳次郎国務大臣は、国会でこう述べている。
大嘗祭等のことを細かに書くことが一面の理がないわけではありませんが、これはやはり信仰に関する点を多分に含んでおりまするが故に、皇室典範の中に姿を現わすことは、或は不適当であろうと考えておるのであります。
(金森徳次郎国務大臣―1946年12月5日、衆議院本会議皇室典範案第一読会)
ポイントとなるのは「信仰に関する点を多分に含んでおります」という言葉だ。
天皇を神格化した戦前の反省から、憲法20条では政教分離が定められた。また、憲法89条では宗教団体への公金支出も禁じられている。
神道の形式で、宗教的な性格を持つ大嘗祭は、これら新憲法の原則に反するものと考えられたからだ。
平成の大嘗祭、法的な位置づけで議論
1990年、戦後初めての代替わりとなった平成の即位の礼では、大嘗祭の法的な位置づけをめぐって議論になった。
法的な位置づけ、つまりは一連の即位の礼の一つとして「国事行為」とするのか、憲法との関係や宗教的な要素が強いことを勘案し「皇室の私的行事」と位置づけるのか。
位置づけによって、その費用を公費である「宮廷費」から賄うのか、皇室の私費である「内廷費」で賄うのかも決まる。
護憲派の旧社会党のほか、憲法学者やキリスト教系の団体なども憲法違反ではないかと提起した。
一方で、保守派は即位の「奉祝」ムードに乗じ、大嘗祭を国家儀式として、伝統に即した形で執り行う空気の醸成に努めた。
保守系最大の団体「日本会議」の前身「日本を守る国民会議」の立ち上げメンバーだった作曲家・黛敏郎氏は、「大嘗祭の伝統を守る国民委員会」の発起人の一人だった。
黛氏は、国民委員会の設立総会で「一連の皇位継承儀礼が(新憲法による)積弊を改める唯一、永遠に訪れることのないチャンスだ」「一大運動を盛り上げよう」(朝日新聞1989年12月20日)と述べている。
国民委員会の設立メンバーには、経団連会長や日本商工会議所会頭、ソニー名誉会長だった井深大氏などの財界トップをはじめ、神社本庁総長など宗教界の大物が名を連ねた。
このときは芸能界からは「東京五輪音頭」などで知られた大御所の歌手、三波春夫も参加していた。
保守派と政財界が連携して、新天皇の即位を「奉祝」するという動きは、令和の時代にも重なる。
異例の「エンドレス万歳」で話題になった、2019年11月10日の「国民祭典」。
主催は「天皇陛下御即位奉祝委員会」と超党派の議員連盟だったが、奉祝委員会は「経団連」「日本商工会議所」「日本会議」の3団体を中心とする組織だった。
「国事行為」ではないが「公的性格」
登極令の廃止後、初めて迎えた平成の大嘗祭。当時の海部俊樹内閣は、これを法的にどう位置づけたのか。
まず、大嘗祭については宗教性を否定できないとして国事行為とはしなかった。
宗教上の儀式としての性格を有すると見られることは否定することができず、また、その態様においても、国がその内容に立ち入ることにはなじまない性格の儀式であるから、大嘗祭を国事行為として行うことは困難であると考える。
(1989年12月21日 閣議口頭了解「即位の礼」・大嘗祭の挙行等について[別紙])
一方で、「皇位の世襲制をとる我が国の憲法の下においては、その儀式について国としても深い関心を持ち、その挙行を可能にする手だてを講ずることは当然」として、その「公的性格」を強調した。
大嘗祭を皇室の行事として行う場合、大嘗祭は、前記のとおり、皇位が世襲であることに伴う、一世に一度の極めて重要な伝統的皇位継承儀式であるから、皇位の世襲制をとる我が国の憲法の下においては、その儀式について国としても深い関心を持ち、その挙行を可能にする手だてを講ずることは当然と考えられる。
その意味において、大嘗祭は、公的性格があり、大嘗祭の費用を宮廷費から支出することが相当であると考える。
(1989年12月21日 閣議口頭了解「即位の礼」・大嘗祭の挙行等について[別紙])
大嘗祭の宗教的な性格は認めつつも、その費用は公費から出す。当時の海部内閣は、政教分離上の問題については触れず「公的性格」という言葉を用いて説明した。
つまり、皇室の公的な活動費のための公費「宮廷費」から支出するために、「皇室の公的行事」であると位置づけたことになる。
平成で敷かれたレールの上での「奉祝」ムード
当時の海部内閣の政府見解は、戦後日本が直面した「伝統」と「新憲法」の矛盾、そのバランスをとろうとして編み出された苦肉の策と言えるものだった。
そして、平成から令和への改元。大嘗祭が政教分離に抵触するのではないかという問題提起は、皇室の中から持ち上がった。
2018年11月、53歳の誕生日を前に記者会見した秋篠宮さまは、「大嘗祭自体は私は絶対にすべきものだと思います」とする一方で、以下のように述べられた。
「大嘗祭については、これは皇室の行事として行われるものですし、ある意味の宗教色が強いものになります」
「宗教色が強いものについて、それを国費で賄うことが適当かどうか、これは平成のときの大嘗祭のときにもそうするべきではないという立場だった」
「宗教行事と憲法との関係はどうなのかというときに,それは,私はやはり内廷会計で行うべきだと思っています」
「宮内庁長官などにはかなり私も言っているんですね。ただ、残念ながらそこを考えること、言ってみれば話を聞く耳を持たなかった。そのことは私は非常に残念なことだったなと思っています」
皇室行事の宮中祭祀と憲法との関係を、どう考えるか。皇位継承順位1位の「皇嗣」の秋篠宮さまによる、皇室側からの異例の問いかけだった。
ただ、安倍晋三内閣は「平成の踏襲」を早々と方針として決めた。今回の大嘗祭の費用は27億1900万円。平成のときは、22億5000万円だった。
「令和」の奉祝ムードは、「平成」で敷かれたレールの上に成り立ったものだった。