ローマ教皇の核兵器廃絶メッセージ、日本も他人事ではない。

    強い言葉で核兵器の開発や軍備拡張を批判したメッセージ。その中には、アメリカの核の傘の下にある日本への問いかけも含まれていると専門家は読み解く。

    来日中のローマ・カトリック教会のフランシスコ教皇。東日本大震災の被災者との交流など精力的な活動を見せているが、特に注目を集めたのが11月24日の長崎での「核兵器に関するメッセージ」だ。

    強い言葉で核兵器の開発や軍備拡張を批判したメッセージ。その中には、国際社会への「危機感」と、アメリカの核の傘の下にある日本への「憤り」が見てとれると専門家は解説する。

    被爆地から教皇が発したメッセージを、どう読み解けばよいのか。『バチカンと国際政治』『バチカン近現代史』などの著作がある松本佐保・名古屋市立大教授(国際政治史)に話を聞いた。

    ――長崎での「核兵器に関するメッセージ」は、どう理解するべきでしょうか。

    長崎のメッセージは、具体性を持って核廃絶を訴えていた点が特徴と言えます。

    「核兵器は破壊をもたらす」「戦争はだめだ」という話にとどまらず、核兵器禁止条約に言及したり、「核軍縮と核不拡散に関する主要な国際的な法的原則に則り行動する」という言葉が盛り込まれていました。

    政治指導者にも努力を明確に求め、軍拡を「神に歯向かうテロリズム」と批判する強い言葉もありました。

    フランシスコ教皇としては、現在の国際情勢で後退している多国間主義の重要性を強調したかったのだと思います。

    特に、アメリカに見られるような一国主義、二国間外交への懸念です。トランプ政権は、環境問題ではパリ協定から、核問題ではイランの核合意から離脱しています。

    ――現在、冷戦末期以来の核不拡散体制が揺れているのは確かです。アメリカ・ロシア間の中距離核戦力(INF)全廃条約が失効し、新戦略兵器削減条約(新START)も2021年に失効します。核不拡散条約(NPT)では核保有国と非保有国の対立が続いています。

    アメリカとロシアだけでなく、インドやパキスタン、北朝鮮、イランなどの核開発も意識しているでしょう。

    そうした核兵器の廃絶とは逆行する情勢への危機感から、被爆地で多国間の協調の重要性をアピールしたと言えるでしょう。

    分断が進み、相互に不信感がある世界情勢下で、核兵器が存在することの危険性を訴えようとした。今回は、その姿勢が明確でした。

    さらに長崎のスピーチでは、1963年に当時の教皇ヨハネ23世が出した回勅『地上の平和(パーチェム・イン・テリス)』が引用されました。

    1963年に聖ヨハネ 23 世教皇は、回勅『地上の平和(パーチェム・イン・テリス)』で核兵器の禁止を世界に訴えていますが、そこではこう断言してもいます。


    「軍備の均衡が平和の条件であるという理解を、真の平和は相互の信頼の上にしか構築できないという原則に置き換える必要があります」


    ――フランシスコ教皇「核兵器に関するメッセージ」(2019年11月24日)

    核ミサイルをめぐる米・露間の衝突「キューバ危機」(1962年)の際に出された有名な回勅です。

    現在の国際情勢は、キューバ危機の時ほど深刻とはいかないまでも、バチカンとしては今後、核戦争の驚異が高まる危険性がある。

    ヨハネ23世の回勅を引用したのは、そのリアリティをアピールするためでしょう。

    ――では、広島でのメッセージについては。

    広島のメッセージは、長崎とは対称的です。

    長崎のメッセージは、リアリズム的な核の危機感からの訴えでした。

    一方、広島では、被爆者や宗教界の代表を前にしたメッセージだったため、クローズかつエモーショナルな内容でした。

    広島では被爆者の悲劇について具体的に触れる一方、核不拡散条約、現在の国際情勢的なことはそこまで触れなかった。

    もっと言えば、感情に訴えるような内容。暗闇の中で、静寂の中にあっても感情に訴えかけるような、エモーショナルな雰囲気が演出されていました。

    長崎と広島、どちらのメッセージでも核の廃絶を訴えていましたが、コントラストは意識していたと思います。

    2つのメッセージを対比させることで、両方とも際立たせる効果を狙ったとも考えられます。

    ――38年前に来日したヨハネ・パウロ2世と今回のフランシスコ教皇、メッセージにはどんな違いがあるでしょうか。

    ヨハネ・パウロ2世が核廃絶を訴えた「平和アピール」は、たしかに冷戦下でのメッセージでしたが、核兵器の脅威のリアリティを国際情勢を踏まえて話したというより、「被爆地ヒロシマ」に焦点を当てた内容でした。

    広島を考えることは、核戦争を拒否することです。


    広島を考えることは、平和に対しての責任をとることです。


    この町の人々の苦しみを思い返すことは、人間への信頼の回復、人間の善の行為の能力、人間の正義に関する自由な選択、廃虚を新たな出発点に転換する人間の決意を信じることにつながります。


    ――ヨハネ・パウロ2世「平和アピール」(1981年2月25日)

    一方、今回のフランシスコ教皇の核兵器廃絶のメッセージの焦点は、長崎で発されました。

    被爆地の悲劇に加えて、核の問題を自然環境の問題とリンクさせていた点が印象的です。「持続可能な開発目標(SDGs)2030アジェンダ」にも触れていました。

    今の地球の状態から見ると、その資源がどのように使われるのかを真剣に考察することが必要です。


    複雑で困難な持続可能な開発のための2030アジェンダの達成、すなわち人類の全人的発展という目的を達成するためにも、真剣に考察しなくてはなりません。



    ――フランシスコ教皇「核兵器に関するメッセージ」(2019年11月24日)

    また、東日本大震災の被災者との交流会では、自身の回勅『ラウダート・シ』にも触れ、原子力や化石燃料の環境への影響についても想起させています。

    多文化共生は、フランシスコ教皇のメッセージの重要な要素です。

    長崎のミサでは、共同祈願の場で『ラウダート・シ』から引用した言葉を信徒たちが読み上げていました。それはタガログ語、ベトナム語、韓国語という、日本に多く在住している外国人労働者たちの多言語によるものでした。

    核廃絶、多文化共生、環境問題、そして人間の尊厳。フランシスコ教皇のメッセージの特徴は、そこにあったと思います。

    ――日本政府は核兵器禁止条約には批准していません。フランシスコ教皇のメッセージは、アメリカの核の傘に入る日本を暗に批判したものと考えられますか。

    核兵器は、今日の国際的また国家の安全保障への脅威に関してわたしたちを守ってくれるものではない、そう心に刻んでください。



    ――フランシスコ教皇「核兵器に関するメッセージ」(2019年11月24日)

    日本は唯一の被爆国ですが、核兵器禁止条約に批准していない。教皇としては、そこに憤りを感じているのかもしれません。それも来日の背景にはあると思います。

    核兵器禁止条約の重要性を被爆地でアピールすることで、日本の世論を喚起し、やがて政府の政策に反映されることを、心の中では望んでいるのでしょう。

    広島と長崎でメッセージを出すインパクトは国際的にも大きいです。

    2017年にノーベル平和賞を受賞した「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN)は、今回の教皇来日に合わせて、ベアトリス・フィン事務局長がバチカンで教皇に謁見するなど、来日時に禁止条約に言及するよう働きかけてきました。

    教皇としても、かなり入念な準備があって来日している。国際的な文脈で、核兵器廃絶をめぐり日本に圧力をかけるという狙いはあるのではないでしょうか。

    *:ローマ教皇のメッセージについて、菅義偉・官房長官は25日の記者会見で「日本の防衛力を強化しながら、日米安保体制のもとで、核抑止力を含めた米国の抑止力を維持、強化することは日本の防衛にとって現実的で適切」と述べた。

    ――ローマ教皇は、ヨーロッパ各国やキリスト教徒が多い国では崇敬を集めます。一方で、アメリカはプロテスタント、ロシアはギリシア正教が多く、日本はキリスト教国ではありません。教皇のメッセージ力にも限界があるのでは。

    確かに、ローマ教皇のメッセージには、どうしても「理想主義だ」「リアリティが無い」という批判はついてまわります。

    ただ、例えばバチカンとイランは強いパイプがあると言われます。どちらも宗教国家でもありますから。

    1979年のイラン革命で発生したアメリカ大使館人質事件では、事件解決のためにバチカンが尽力した過去があります。

    こうした実績を踏まえると、多国間の協調を取り持っていくのが、今後の教皇の役割になるのではないかと考えます。

    多国間協調の重要性を訴えつつ、それがうまく行かないときは、バチカンが持っている独自の二国間ネットワークを活かし、イランなどと直接やり取りをすることも考えられると思います。