• okinawabfj badge
2018年9月26日

イチからわかる普天間基地の問題、こじれた経緯を10のポイントで整理(沖縄県知事選)

沖縄県知事選での「最大の争点」をおさえておこう。

9月30日投開票の沖縄県知事選。最大の争点は、米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古地区移設をめぐる、基地問題だ。

複雑な経緯をたどった、移設問題の歴史的経緯をふりかえってみよう。

1:1945年 普天間飛行場は、沖縄戦で生まれた

沖縄県公文書館所蔵

全国の米軍専用施設の約70%が集中する沖縄。その源流には、1945年の「沖縄戦」と、1950年代の米軍による土地接収がある。

1945年の沖縄戦のさなか、米軍は宜野湾村の一部集落を強制接収。日本本土攻撃用の基地を建設した。住民が避難したり、収容所に入れられたりしている間のことだった。

これが「普天間飛行場」の始まりだ。宜野湾市史によると、戦前にあった22集落のうち、元の土地に戻れたのは9集落だった。

戦後、日本はサンフランシスコ講和条約(1951)を締結。日本は主権を回復したが、沖縄はなおも米軍の統治下に置かれた。

当時は東西冷戦のまっ只中。本土から沖縄に移された米軍部隊もあり、沖縄では基地が拡張された。

米軍による強制的な接収をあらわす「銃剣とブルドーザー」という言葉も生まれた。

2:1995年 米兵少女暴行事件で基地反対運動高まる

米兵の少女暴行事件に対して開かれた「沖縄県民総決起大会」で地元高校生を代表して抗議する普天間高校3年の仲村清子さん(沖縄・宜野湾市海浜公園)=時事通信、1995年10月21日

1995年、米兵による少女暴行事件が起こると、県民の怒りの感情が爆発。

宜野湾海浜公園で開かれた「県民総決起大会」には、8万5000人が集まった(主催者発表)。

この事件をきっかけに、県内では米軍基地の返還・閉鎖を訴える運動が高まった。

3:1996年 普天間飛行場の移設、条件付き合意

時事通信

反基地運動の高まりを受けて、日米両政府は沖縄の基地を削減する方針で交渉。普天間飛行場の返還を柱とする案を策定した。

1996年、橋本龍太郎首相とウォルター・モンデール米駐日大使は、普天間飛行場を5〜7年以内に返還することで合意したと発表。

だが、この「返還」には「ある条件」がつけられていた。それは、代わりの基地を沖縄県内に建設するというものだった。

候補地として浮上したのが、米海兵隊基地キャンプ・シュワブ(名護市)がある辺野古地区。海上基地を建設する案が有力となった。

普天間飛行場の移設をめぐる問題は、ここからはじまった。

4:1999年 辺野古への移設を閣議決定

時事通信

辺野古地区への移設案をめぐっては、環境破壊を危惧する声や「県内でのたらい回しだ」といった反対意見があった。

1998年2月の名護市長選では、移設容認派の岸本健男氏が当選。同年11月の県知事選でも自民推薦の稲嶺恵一氏が勝った。

県は翌年、辺野古を移設候補地に決定。岸本市長が移設受け入れを表明し、日本政府も辺野古への移設を閣議決定した。

5:2004年 米軍ヘリが大学構内に墜落、炎上

時事通信

2004年8月、普天間基地の米軍ヘリが沖縄国際大学(宜野湾市)の構内に墜落した。

夏休み中で死傷者はいなかったが、周辺の住宅地には校舎の外壁や機体の破片が飛び散った。

市街地のど真ん中に位置し「世界一危険な飛行場」との異名もある普天間飛行場では、以前から重大事故の危険性が指摘されている。

事故後、基地の返還を求める声が高まり、2006年5月に日米両政府は「米軍再編ロードマップ」に合意した。

これで辺野古沿岸部を埋め立てて2本の滑走路を持つ新基地の建設と、米海兵隊員約8000人のグアム移転などが決まった。

6:2009年 鳩山首相「最低でも県外」

沖縄県の仲井真弘多知事(左)から要望書を受け取り、握手する鳩山由紀夫首相(東京・首相官邸)2009年11月=時事通信

2009年の総選挙で民主党が圧勝し、政権交代。鳩山由紀夫氏が首相となった。

民主党は政策集「沖縄ビジョン(2008)」で、普天間基地を含む米海兵隊基地の「県外への機能分散をまず模索」「国外への移転を目指す」と明記。

鳩山首相も総選挙で「最低でも県外」とアピールしたことで、沖縄では県外移転への期待が高まっていた。

2010年1月、名護市で市長選があった。当選したのは稲嶺進氏。基地反対派だった。

7:2010年 鳩山首相、「県外移設」を断念

米軍普天間飛行場移設問題で稲嶺名護市長を含む北部12市町村長との会談であいさつを終え、頭を下げる鳩山由紀夫首相,2010年05月23日=時事通信

鳩山首相は「最低でも県外」を進めようとしたが、すでに日米間で合意済みのロードマップを見直すことに、米国側は難色を示した。新たな移設候補先も見つからない。

移設計画の早期実施を求めるオバマ大統領に「トラストミー」と理解を求めたが、事態は鳩山首相の想定どおりには進まなかった。

2010年5月、鳩山首相は普天間飛行場を辺野古周辺に移設する方針を正式に表明。鳩山首相は、衆院選で約束した「県外移設」を断念した。

2012年12月の総選挙では民主党が敗北。自民党が政権与党に復帰し、普天間基地の辺野古移設計画が再び動き始めることになった。

8:2014年 基地反対派の翁長雄志氏が新知事に

時事通信

2012年12月に発足した第2次安倍政権の下、沖縄県の仲井真弘多知事は、辺野古沿岸部の埋め立てを承認した。

ところが2014年になると、沖縄の政治が大きく動いた。

1月の名護市長選で基地反対派の稲嶺市長が再選。さらに12月の県知事選で、新基地の建設阻止を掲げる「オール沖縄」の翁長雄志氏が、仲井真氏を破った。

翁長氏はかつて、辺野古への移設容認派だったが、県外移設派に転換。「あらゆる手法を使って辺野古新基地建設を阻止する」と訴えた。

9:翁長知事、辺野古の埋め立て承認を「取り消し」

時事通信

仲井真前知事が承認した辺野古の埋め立て工事。その承認を翁長知事が無効化するには、2つの方法がある。

審査に法的な問題があった場合の「取り消し」。そして、承認後の事業者の違反などを理由とする「撤回」だ。

翁長知事は、2015年10月に埋め立て承認の「取り消し」に踏み切った。

これに対し、国側は反発。国と県が法廷闘争を繰り広げる異例の事態となったが、2016年12月に最高裁で「取り消し処分は違法」とする判決が確定。県側が敗訴した。

10:2018年 翁長知事が急逝、沖縄県知事選へ

時事通信

2018年に入ると、沖縄の政治に動揺が広がった。

1月の名護市長選では、自民党などが支援した辺野古への移設容認派の渡具知武豊氏が勝った。

7月27日、翁長知事は、仲井真前知事が出した辺野古沿岸の埋め立て承認の「撤回」を表明した。

それから約2週間後の8月8日、翁長知事が急逝。これに伴い、今回の沖縄県知事選が実施されることになった

日米が返還に合意して22年。宜野湾市の4分の1を占める普天間飛行場は、今も市街地のど真ん中にある。

2009年、時事通信

UPDATE

「2013年12月の総選挙」と記した箇所を「2012年12月の総選挙」に改めました。

Contact Kei Yoshikawa at kei.yoshikawa@buzzfeed.com.

Got a confidential tip? Submit it here