奈良市の近鉄大和西大寺駅前で7月8日、参院選の応援演説をしていた安倍晋三元首相が銃撃されて死亡した事件で、警察庁は8月25日、警護警備の検証と見直しに関する報告書を発表した。
同庁は事件後、「検証・見直しチーム」を立ち上げ、警護に当たっていた警察官から聞き取り調査を実施。現場や警護計画書の確認も進めてきた。
報告書では、山上徹也容疑者(殺人容疑で送検)の行動や、警護員の動き、警護計画の詳細が明らかになっており、BuzzFeed Newsはこの中身を精査。
・警護計画を作成してから山上容疑者が逮捕されるまで
と
の2つのテーマに分け、報告書を読み解く。
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警護の概要
そもそも警護体制は、どのような手順でつくられるのか。
報告書によると、警護対象者が選挙運動のために街頭演説をする場合、選挙関係者は演説場所を管轄する都道府県警に連絡する。
都道府県警は関係者と連絡を取り、警護の基本方針や体制、警護員の名前などを盛り込んだ警護計画を作成する。
奈良県警の場合、県警本部警備課から現場を管轄する警察署に「警護警備実施計画書」の作成を求めている。
警察署内で実施計画書をつくり、署長の決裁後、署は本部警備課に計画書を送る。本部警備課はこの内容を踏まえて「警護警備計画書」を作成。県警本部長の決裁を受ける。
この事件で引責辞職した奈良県警の鬼塚友章本部長は、警察庁から派遣されていたキャリア警察官僚で、警察庁警備局警備課で警護室長を務めた経験があった。
事件発生までの経緯
参院選公示(6月22日)以降、安倍元首相の警護はすでに20都道府県で行われていた。
今回、自民党奈良県連から奈良県警本部警備課に「安倍元首相が大和西大寺駅北口で街頭演説を行う」と連絡があったのが、事件前日の7月7日午後4時半頃。
その2時間半後(午後7時)、今回の事件が起きた現場、つまり「県道の導流帯(ゼブラゾーン)上のガードレールで囲まれた区画」で街頭演説をするという追加連絡があった。
しかし、奈良県連と本部警備課、管轄の奈良西署は「現地における事前の連絡調整」を行わなかった。
なぜか。
それは、自民党の茂木敏充幹事長が6月25日、同じ場所で演説をしていたことが影響している。
茂木幹事長向けの計画が「踏襲」されていた
事件の約2週間前、約50人の聴衆が詰めかける中、茂木幹事長は安倍元首相と同じ現場でマイクを握った。
この場所で警護対象者が街頭演説をするのは初めてで、当時は違法行為や混乱も起きなかった。
一方、警護警備計画は聴衆の飛び出しや車までの徒歩移動などに重きが置かれ、「南側方向への警戒の必要性」が具体的に考慮されていなかった。
しかし前述の通り、茂木氏の演説は平穏に終わった。
このため、安倍元首相の警護警備計画でも、警護員の配置は茂木幹事長の時のものが「踏襲」されたという。
問題点をあぶり出せないまま……
結果的に、南側方向から接近した山上容疑者に犯行のスキを与えてしまった。
そのほか、安倍元首相に危害を加える脅威情報が事前に確認できなかったことなどから、「銃器による攻撃」や「制服警官の配置」「交通規制」も十分に検討されていなかった。
このような安倍元首相の警護警備計画書は、こうした問題点をあぶり出せないまま午前9時頃に鬼塚本部長が決裁。
そして午前10時、グレーの半袖ポロシャツに作業用ズボンを着用した山上容疑者が近鉄大和西大寺駅前に姿を現した。
1秒ごとに変わった事件当日の動き
ここでは、1秒ごとに変わった事件当日の山上容疑者や警護員の動きを確認する。
現場には茂木幹事長の警護にも従事した身辺警護員A(奈良県警警備課・警部補)、B(同・警部)、C(同・巡査部長)や、県警本部警備課長(同・警視)らがいた。
午前11時18分、A、Bと、X(警視庁警護課・警部補)が安倍元首相と共に遊説場所(ガードレール内側)に着いた。
Aはガードレール内側で北西から北東を、Cはガードレール外側で南方向への警戒を開始。BとXは安倍元首相のそばで北西から北東の聴衆の動向を見ていた。
つまり、警護警備計画では聴衆の飛び出しに重きが置かれているので、この時点で聴衆の少なかった南側方向をチェックしていたのはCしかいない。
警備課長は遊説場所から南東の歩道上で、北から西方向をチェックしていたが、安倍元首相後方の南側には日傘をさすなどした人がおり、見通しが悪かったという。
南方向を見ていた警護員Cの配置が変更
午前11時26分、ガードレール外側で、南方向を警戒していたCの配置が変更される。
理由は、Aの指示だ。
Cが県道を通行する車両と接触する危険性や、北東から東に多くの聴衆が集まっていたことから、AはCに「ガードレール内側で、東側の聴衆の動向を警戒するように」と現場で直接伝えた。
Cはガードレールの外側から内側に入り、南方向にも目をやりながら北東から東の警戒を開始。現場指揮だった警備課長もCの立ち位置が変わったことを目で確認していた。
同28分、聴衆約300人が集まる中、安倍元首相が演台に立った。
同29分、AはCに安倍元首相の演台に近づくよう耳打ちし、Cは約1メートルほど演題に近づいた。そして北と東の聴衆に目を向けた。
この頃、山上容疑者は南側のバス・タクシーロータリー内で周囲を見渡していた。
山上容疑者の動きは?
ついに山上容疑者が行動に出る。
午前11時30分、持参したショルダーバッグの中を見ながら右手を入れた。
同31分2秒、県道(幅員7.7メートル)上を横断し始める。
同31分3秒、歩きながら右手で銃を取り出した。
同31分5秒、県道中央付近で銃口を演台に立つ安倍元首相に向けた。
この瞬間、Aは北西、Bは北東、Xは北を警戒しており、Cは東側から南側に顔を向けようとしていたところだった。
いずれの警護員も山上容疑者が南側から接近していたこと、銃口を向けたことに気づいていなかった。
警備課長も北西を警戒していたが、歩道上には日傘を差した複数人が立っており、見通しが悪かった。
1発目の銃を発砲
午前11時31分6秒、山上容疑者は安倍元首相まで約7メートルの位置で1発目を発砲。
発砲の1秒後、Aは山上容疑者が持つ筒状の物を認知し、BとXは山上容疑者を認知した。
Cも山上容疑者を認知し、ガードレールに左手をかけて乗り越えようとした。
1発目は安倍元首相に当たっていなかったが、周辺に爆発音のような大きな音が鳴り響いた。
2発目の銃を発砲
同31分7秒、山上容疑者が再び安倍元首相に銃口を向ける。このタイミングで安倍元首相は後方を振り返ろうとした。
同31分8秒、山上容疑者がさらに近づいた5.3メートルの位置から2発目を発砲。
近くにいたXは左手に携行していた「防護板」を掲げ、Bは射線に入る前。Cはガードレールを乗り越えた瞬間だった。
安倍元首相が演台から崩れ落ちた。
同31分10秒、ガードレールを乗り越えて山上容疑者に向かっていったCが容疑者の右腕をつかんだ。Aも確保に加わった。
同31分13秒、XとBは、倒れ込む安倍元首相に駆け寄って救護に当たったり、無線報告したりした。
警備課長はその3秒前、通行人と衝突して転倒させたことから、転倒させた通行人に声をかけていた。
安倍元首相はその後、現場で応急処置を受けた後にドクターヘリで搬送されたが、午後5時3分に死亡が確認された。
山上容疑者が使用したのは手製の銃で、は長さ約40センチ、高さ約20センチ。1回で6個の弾丸が詰まった弾薬が発射される仕組みだったとみられる。
県警の司法解剖では、安倍元首相の左上腕と首に1か所ずつ傷があることが確認された。死因は、左上腕から入った弾丸が鎖骨下の動脈を傷つけた失血死だったという。
山上容疑者の母親は宗教団体「世界平和統一家庭連合(旧統一教会)」に多額の献金をして破産。
逮捕後の調べに山上容疑者は「教会を恨んでいた。安倍元首相が教会と繋がりがあると思った」などと供述している。