Facebookが友達の投稿を優先表示、それが裏目に出て友達をなくす事態に

    もしくは、Facebook友達のなくし方とインフルエンサーになる方法を教えます

    2月3日の土曜日、私はあるドン引きするようなビデオをFacebookでシェアした。その6分間のビデオでは、20代の白人女性が、当たり障りないコーディネートの施されたニューヨークのブルックリンにあるアパートの狭い自室を、自慢げに披露していた。セレブの豪邸を紹介するテレビ番組「MTV Cribs」のいけ好かない紛い物バージョンといったもので、無害だけどイライラさせられる内容だ。それ以来、このビデオが私の友人と家族を恐怖政治で支配するようになった。友人たちがFacebookにアクセスすると、フィード画面の一番上にビデオが毎日表示される、という状況が果てしなく続くのだ。みんなFacebookで私に苦情を書いている。どこかで会うと口頭で文句を言ってくる。この件について私に宛ててツイートし、メールを送ってくる。Facebookを開くたびこの呪われたビデオが現れるため、私に削除するよう懇願してくる。

    もちろん、友人たちは私がシェアしたビデオにコメントを書いた。そして、そうしたコメントに対してもコメントがさらに投稿された。コメントする人が増えれば増えるほど、ほかの人のフィードにもそのビデオが多く表示されるようになったのだ。私のシェアによる元投稿が炎上状態になり、コメントも荒れ気味になった。職場で隣に座っている同僚もコメントした。学生時代の友人もコメントした。幼稚園へ一緒に通った幼馴染みもコメントした。たちの悪いFacebookの表示アルゴリズムによる、やめられない止まらない無限ループに陥ってしまった。

    投稿から数日のあいだで、コメントは「この女のアパートは残念だ」といった内容から、「なぜこのビデオが、いつもFacebookのトップにあるの?」や「お願いだから、このビデオを削除してよ」というものへ変化し、ついに私の上司が「この件について説明してもらいたい」とコメントするに至った。

    2018年に入ってすぐFacebookは、有意義な交流の実現により本腰を入れる、と発表した。FacebookのCEOであるマーク・ザッカーバーグ氏は、Facebookで「良い時間を過ごしてもらえる」ように力を注いでいる、と何度も繰り返し書いた(もっとも、Facebookの社内には、過ごし方の善し悪しを測る基準について知っている人はほとんどいないらしい)。この発表以来、注目を集めるのにFacebookを利用しているジャーナリストのような人々は、この方針転換の意味を見極めようと神経をとがらせた。「有意義な交流」とは、単にコメントのことなのだろうか、と疑問を抱いた。そんなに気になるなら、私に聞いてくれればいいのに。だって、私は完全に理解したのだから。それに、私はFacebookのこの新アルゴリズムを利用して、友達に責め苦を与えているし。

    推測であるが、今回のアルゴリズム変更が、私のシェアしたビデオを友人らのフィードの上部に表示し続けた原因だろう。この変更が施された目的の一部には、ビデオをだらだら見たり、ミームと呼ばれる拡散性の高コンテンツを流し読みしたりするような、受け身のコンテンツ消費から人々を遠ざけようとする意図があったと考えられる。それなのに、私のシェアしたビデオは、Facebookが利用を抑えたがっている受け身コンテンツの好例そのものになってしまった。私の投稿には、怒りのコメントを書くよう友人らを刺激する力が備わっているため、いまだ勢いが衰えない。この貢献に対する私への見返りとして、Facebookは友人たちを怒らせてくれた。そして、コメントを渇望する新たなFacebookのアルゴリズムは、本心では嫌っているコンテンツが目に入る状況のループへと、私の友人を解放せず深く深く引きずり込んでいるようだ。


    ソーシャル・メディアにおいて、私たちは時系列表示でないフィードを受け入れてしまった。今も非時系列な表示に対する苦情が一番多いらしいInstagramでも、ユーザーは新しいフィード表示ルールを理解している。酷い内容の同じビデオが自分のFacebookページのトップに12日間も連続して表示されたタイミングで、フィード表示のほころびが見え始めた。これによって、私たちの友人関係がアルゴリズムに支配されている事実を思い出してしまったのだ。これはまるで、セクシーなアンドロイドのマスクを剥がすと鋼鉄製であることを思い出すSF映画や、カーテンの背後に置いた騒がしい機械を猛烈に動かすオズの魔法使いのようだ。Facebookのフィード制御アルゴリズムは、友人関係を理解しない。ただ、理解しているかのようには装える。しかし、私たちが4日後にInstagramでバレンタインデーに関する投稿を見たり、アルゴリズムが「交流」による怒りのコメントの嵐を誤って解釈したりすると、アルゴリズムは人間性の基本すら把握できていないことを思い出させてくれる。

    同様のことは、以前にも体験したことがある。それどころか、私は同じ問題について記事を書いていた。2016年の夏、Facebookはニュースフィード機能に再調整を施し、友人や家族からの投稿をコンテンツ配信業者の投稿よりも優先させたのだ。多くの人にとっては、これでBuzzFeedのクイズや料理ビデオによる3年続いた暴政の終焉となった。私が変化に気付いたのは、この調整直後だ。オートミールを使うヘルシーフードのオーバーナイト・オーツ作りにトライした人を探す同僚によるFacebook投稿が、コメントを付けてもいいね!を押してもいないのに、5日連続で私のフィードのトップに「貼り付いたまま」になっていたからだ。そこで私は、この現象をオーバーナイト・オーツ問題と名付けた。

    友人や家族からの投稿へ向かうこの変化に気付いたとき、私は少し気味が悪いと感じた。その当時、配信業者発コンテンツの共有を軸に進めるコミュニケーションにすっかり慣れてしまって、シンプルなテキスト投稿をしていたことなど忘れていたからだ。ところが、テキスト投稿が珍しくなっていた状況で、誰かがオートミールのレシピを質問するような投稿をしたため、Facebookのアルゴリズムは非常に色めき立ってしまった。大ざっぱに例えると、Facebookは地球を訪れた宇宙人であり、「友人関係」のことを、中学時代の知人から伝わってきたミニオンズのミームに関心を抱く行為、と受け取ったようなものである。


    こうして、2016年夏に状況は一変した。私たちは、再びテキスト投稿に馴染んできた。その大きな要因は、背景色付きテキスト投稿に対する人気だ。背景に色を付けられるようになった当初は目障りだったが、今は慣れてしまった。おすすめ投稿を掲載するRecommendations Feed Pluginは今や便利な存在になったが、登場当時に風変わりと感じたことなど忘れてしまったのと同じだ。

    2016年夏以降、Facebookにはさらに多くの変化があった。フェイクニュースから始まり、ロシアによる大統領選挙への介入にFacebookが利用された件に対する議会への回答要求までの1年半は、Facebookにとって苦しい時期となった。今回実施された「有意義な交流」の実現を目指す最大規模のアルゴリズム変更は、Facebookが2017年末に自覚した危機を受けての、明確な対応と思われる。

    そして今、コメントがフィードを支配する王座に就き、Facebookの歴史における新たな時代に入った。しかし、この変化は新たなオーバーナイト・オーツ問題を引き起こした。友人から投稿されたコンテンツがたまたま多くのコメントを集めたからという理由で、古くなっても同じ内容のまま12日連続で表示され続ける、という事態になってしまった。私の同じ投稿を1日に何度も見たい人などいないのに、Facebookのアルゴリズムがユーザーの希望をまたもや見誤ったのだ。実際問題、友人たちは私のシェアしたビデオを嫌悪し、表示されなくなることを望んだ。ところが、Facebookはこうした願いを、もっと表示させた方がいい、というサインだと解釈した。こんな状況だと、ロシアの工作員たちに起こされた混乱を懐かしく感じてしまいそうだ。

    今回のようなFacebookの動作は、読者自身でも再現可能だ。たくさんのコメントを呼び寄せるコンテンツを投稿すれば、Facebookは簡単に操れる。質問をしたり、アドバイスを求めたりしてみよう。例えば、「お気に入りのシャンプーはある?」とか「一番恥ずかしい中学時代の体験は?」とかいった具合だ。

    間違いなく、返信コメントが押し寄せる。そして、その投稿が友人のフィードの一番上に何日も表示され続けるだろう。

    さらに、読者の友人が私の友達と似た考えをする人たちだったら、投稿の件で嫌われるだろう。幸運を祈る。

    この記事は英語から翻訳されました。翻訳:佐藤信彦 / 編集:BuzzFeed Japan