back to top

Ivan Pierre Aguirre for BuzzFeed News

「無数の死を受け入れる」麻薬戦争が終わり、平和に苦しむ記者たち

街中どこへ行ってもつきまとってくる亡霊

メキシコ。シウダー・フアレス。かつて、紛争地帯を除くと最も危険な都市と言われた街だ。地元新聞「エル・ディアリオ・デ・フアレス」のカメラマン、ルシオ・ソリアは、警察無線が耳障りな音をたてると、無線傍受装置をひっつかみ、耳に押し当てる。

「行け、行け、行け!」ソリアが言う。その数秒後には、階段を跳ぶように駆け降りる。駐車場に停めたフォード・レンジャーに乗りこみ、携帯電話を操作しながら、ノロノロ運転の車をジグザグ運転で追い越す。ハイウェイの信号が赤に変わると、大声で罵りながら急ブレーキをかける。

ソリアはこれまで、シウダー・フアレスの街で3500人以上の殺人事件の犠牲者を写真に収めてきた。誰よりも早く犯罪現場に到着し、被害者を独占し、ずたずたにされた死体に、できるだけレンズを近づけて撮影することで、生きていることを実感していた。2つの切断された頭部を、まだ生きていれば吐息を感じることができそうな近さから撮影した。誇りと渇望の入り混じる思いで回想した。

しかし、この日は違う。この日だけではない。実はここ数年、ずっと違っていた。シウダー・フアレスの街は、静かになったのだ。

行く手には、警察官たちが横転した無人のバンの近くを、とぼとぼと歩いている。ソリアはその周辺を歩きながら、ほとんど無傷の女性が、助手席でうなだれている車の中をこっそりのぞきこむ。「小さなネタだが、少なくとも仕事の数には入るからな」と言う。

4年前であれば、自動車事故の取材など考えられないことだった。 記者には取材する時間がなく、紙面にも掲載するスペースがなかった。当時は、週に60の殺人事件が発生し、ジャーナリストたちはカメラの設定を調整し、犯罪現場で被害者の名前を書きとめると、また別の現場に急行した。シウダー・フアレスの街は 殺人の都として世界中に知れ渡っていた。 ソリアの写真はその大量殺りくを、ありありと捉えていた。

自動車事故からはほとんど収穫がなく、記者たちはソリアをよく知る警察官たちに追い払われてしまった。肌に汗をしたたらせ、ソリアはバンに乗りこむと、記者たちはさらなる特ダネを求めて出発した。次から次へとかかってくる電話に対応しながらも、退屈していた。その中には、新聞社の同僚、ルズ・デル・カルメンからの電話もあった。最近、ローマ教皇フランシスコがメキシコを訪れた際に、心臓発作で死んだ49歳の男性の身元をつきとめてくれ、という。

「今じゃ素材が何もない、と冗談のように言ってるんだ」と言うのは、この街のデジタル紙 「ラ・ポラーカ」で記者を務めるダニエル・ドミンゲスだ。この街の記者たちには、家族のような強い絆がある。これほど多くの残虐行為を目撃するとは思っていなかった彼らは、ブラック・ユーモアのセンスを共有してきたのだ。

絆をつないでいるのは、単なる笑いではない。日常的な暴力がおさまり、街に平穏な暮らしが戻りつつある今、彼らが捉えてきた恐怖を、癒し始める時期がやってきたのだ。死を撮影し、記事にする。それが終わり始めた今、残された空虚さをどう埋め合わせていくのかを考えているのだ。

ソリアは64歳になる。用事を済ますため、車で元妻の家に向かう。その間、熟知していることについて語り始める。「死」だ。

道中、ソリアは右の方角に顔を向け、焼き殺された警官数人の写真を撮った場所だ、と説明する。左にあるホテルを見てごらん、あの青い建物だ。あそこは死体捨て場さ。あの空き地? あそこじゃ絞殺された17歳の若者の写真を撮ったな。目の前で死ぬ直前に血を吐きながら、助けを求めた男のことをソリアは思い出した。殺害された2人の同僚を撮らなければならかった時のことも。

アルマンド・ロドリゲスは「エル・ディアリオ・デ・フアレス」のベテラン記者だった。2008年のある早朝、自宅を出ようとしたとき、1人の男が車まで歩いてくると、弾倉が空になるまで、ロドリゲスの身体に弾を撃ち込んだ。2年後、同じ新聞社に勤める21歳のカメラマン、ルイス・カルロス・サンティアゴが、街のショッピングモールの外で殺された。ソリアは両方の事件を取材した。

元々、医者志望だったソリアは、学業を終える前に学費が底をついてしまった。記者たちが駐車場に停めた車にいる間、ソリアはGoogleで自分自身を検索し、画像を見る。数年前は、焼け焦げた死体やら、身の毛もよだつ殺人現場だらけだった。だが最近の仕事は、地元の大学の新学期初日に取材した交通渋滞だった。1993年以来、「エル・ディアリオ・デ・フアレス」 で働いているソリアは、自分の写真を指差す。

「なかなか魅力的だろう?」と、笑いながら言う。

シウダー・フアレスで暴力が爆発的に増えたのは 2008年のことだ。フアレス・カルテルとシナロア・カルテルという、2つの麻薬犯罪組織の間で、米国への麻薬輸送ルートの支配権をめぐる戦いが始まったのだ。シウダー・フアレスの街は紛争地帯となり、レストランや住宅、学校でさえも対立が生まれた。地域全体が見捨てられ、通りにはひと気がなくなり、ナイトクラブでは閑古鳥が鳴いた。医師によると、住民人口の4分の1が心的外傷後ストレス障害(PTSD)に悩まされるようになった

340万人が住む、エル・パソの国境近くの街、シウダー・フアレスに起こったことは、何十年も前からその火種が2600マイル南でくすぶっていた。

1970年代と80年代には、強力なコロンビアのカルテルが、ラテン・アメリカの麻薬取引を仕切っていた。コロンビアは、麻薬関連の暴力の矢面に立っており、違法商品の米国への輸送をメキシコ人グループに頼っていた。しかし、コロンビア当局が1990年代にこれらのカルテルの解体に乗り出すと、メキシコの犯罪組織の自主性と勢力が拡大した。シナロア・カルテルは、特にマンモス組織となり、メキシコの大部分を掌握し、大西洋沿岸と太太平洋沿岸にまでその触手を伸ばした。グループのリーダーで、エル・チャポとして知られるホアキン・グスマンは、最近、2回目の脱獄後に再逮捕されている。

2006年に、フェリペ・カルデロン元メキシコ大統領が麻薬カルテルの撲滅に着手し、複数の新興グループを弱体化させた。麻薬組織は、数百もの小規模でより凶暴なギャングに分裂し、統制が困難になった。それ以来、10万人以上が麻薬戦争で命を落としている。

シウダー・フアレスはその直後から、麻薬戦争の激戦地となった。死体安置所で検視解剖官を務めるイバン・ラモスは、手続きをしている間にも、街中から死体を回収しなければならなかった。救急車の運転手が、全ての犯罪現場に素早く到着することができなかったからだ。27歳のラモスは、2008年から2010年の間は、毎日、約30件の司法解剖に参加していたと振り返る。シフト勤務が終われば、「ただただ眠りたかった」とラモスは言う。眠ってしまえば常につきまとう死臭に、文句を言ってくる友人たちに、取り合わなくてもよいからだ。

2010年、麻薬戦争の真っただ中、「エル・ディアリオ・デ・フアレス」は一面に社説を掲載した。ライバル同士の2つのカルテルに対し停戦を求め、カルテルを事実上の権力者と呼んだ。その時までに、ロドリゲズとサンティアゴ、同僚たちは殺されていた。

これは戦争だ。だが、戦線がはっきりしておらず、兵士が誰だかもわからない。当局も、片方のカルテルから他方を保護する際に虐待を犯したと、この街の多くの人々は信じている。

「シリアに行けば、反乱軍がどこにいるか、敵がどこにいるかがわかる。ここではそうはいかない。彼らが自分の後ろにいても分からないんだ」と、 「エル・ディアリオ・デ・フアレス」のカメラマン、ルイス・トーレスは言った。

ソリアと同僚たちは、気がついてみると戦場にいた。訓練を受けず、武器も持たず、途方に暮れた。犯罪現場には集団で出向くことを約束した。例え、それが独占取材を見送ることを意味していても。身を寄せ合って、テイクアウトの食事を食べている場所から、血だまりが見えたこともあった。

ドミンゲスは、シウダー・フアレスで28年間取材してきた。多くの同僚たちと同様、麻薬戦争中には数えきれないほどの脅迫を受け取った。彼は、自分の身の周りを異様なほど警戒するようになり、毎日ルートを変更し、裏口からこっそり抜け出して、叔母や姉妹の家で眠ることもよくあった。もし、家族と映画館で会うとしたら、到着を遅らせて、別々に帰る。

ほんの数日間だけ、この街に派遣された多くの外国人特派員にとって、シウダー・フアレスは武功賞であり、履歴書を飾る経歴であり、帰国してからパーティーの席で会話を切り出す話の種となった。

しかし、ソリアと彼の同僚たちにとって、死は逃れられないものになった。死は、彼らの生活そのものだった。

あまりにも死に慣れ過ぎてしまった。

殺人が止んだ今、ショックを受けている。尋常ではない危険に直面しているにもかからず、筆者が話をしたジャーナリストたちは皆、口を揃えてこの仕事を辞めようと思ったことはない、と語り、ヒーローとして描かれことを思い浮かべて動揺した。「どうして自分がこのストーリーに登場するのかよくわからない」と、記者のソーサは言う。「私が嫌なのは、被害者のように見えること。私たちにはただ知らせる義務がある」

暴力によるダメージを長年受けてきたこの街は、2013年頃から、ゆるやかに平和を取り戻している。警察署長が一掃捜査し、若い男性を無差別に一斉検挙した。前政権は、政府、市民社会、そして実業家にわたって犯罪を撲滅するプログラムに着手した。コミュニティー・センターや奨学金を提供し、怠けがちな若者が無駄な時間を過ごさないようにした。そして、シナロア・カルテルがライバルに勝利すると、街は1つのグループの支配下に置かれた。結果として衝突の件数が減少したのだ。

暴力が急激に減少したのは議論の余地がない。昨年発生した殺人事件は312件。最多だった2010年は3057件から減っている。州検事当局によると、誘拐、自動車窃盗、銀行強盗といった他の犯罪も減少したという。

数字は、街の通りにも反映されている。今では、散歩を楽しむ人々の姿が見られるようになった。3年前とは大違いだ。景気も良くなってきている。多くの輸出向け製造業者たちが、求人広告を壁に貼り出している。

人口の20%近くが2007年から2010年の間に減少したこの街には、新たな帰属意識とプライドが芽生えてきている。「I Love NY」キャンペーンを彷彿とさせる地元・フアレスのブランドが、スウェットシャツ、マグカップ、そして公共の彫刻作品を発表し、赤いハート印のついた「J」が街中にあふれるようになった。街のイニシャルをとった、<3 JrzというFacebookグループには約5万人の登録メンバーがいて、街を巡って撮影した自分たちの写真を投稿したり、無料イベントの告知をしている。最近、ローマ教皇フランシスコがこの街を訪問した。「シウダー・フアレスは良いところ」と世界に向けて示すチャンスだと、ミサの参列者たちは話した。

街が安全になったとか、犯罪がなくなったということではない。筆者が同行取材した1週間で、ソリアは5人の殺人被害者を撮影したという。米国国務省は最近、シウダー・フアレスへの旅行延期勧告を再発行した。

しかし、それでもなお、この比較的穏やかな時期が、ソリアと同僚たちに報いをもたらしている。街に静寂が戻り、戦争のアドレナリンがなくなってしまった今、彼らはどうなってしまうのか?

「俺は何にも影響されたことはない。完全に正常だ」と、ソリアは言う。ローマ教皇の滞在中に、警備を担当した警察官たちの式典で同僚たちとテーブルに着いていた時のこと。他の仲間たちと同じように、ソリアは1日で撮影した死体の最多記録を明かす。20人だ。聞かれてもいないのに、自分の子供の数を明かすかのように。 写真スタジオで清掃員の仕事に就いた後、彼がカメラマンになったのはほんの偶然だった。

死が当たり前になっていたので、「自分の家族が死んだ時でさえ、私たちは泣けなかった」と、Canal 44のビデオグラファー、 エドゥアルド・ウルティアは言う。

テーブルの反対側で熱心に耳を傾けていたソーサが、「そう思わない。みんな、実は傷つきやすい人間だ。ただ、あまりにも多くのことを経験してきたから、ダメージを受けないように、必死で自分自身を護ろうとしているだけだ」と、筆者に言う。地面に散乱した死体を映像におさめながら食事をしたものだ、とウルティアが言うと「自分の仕事に罪悪感を持つ必要はない」と彼女は続けた。

ソーサは、カメラマンやビデオグラファーに、心の底から敬意を表している。なぜなら、彼らは「誰よりもそばに寄らないといけないから」だ。同僚たちの人格が変わっていくのを、彼女は目の当たりにしている。怒りっぽくなったり、イライラするようになった同僚もいれば、チックや、どもりといった症状が現れた同僚も数人いた。PTSDの治療を受けている同僚も、少なくとも1人はいる。

「とげとげしい、という言葉は使いたくないけれど、彼は前よりも確実にとげとげしくなってきていると思う」とソリアについて、ソーサは言う。ソリアが腹を立てて車のハンドルを叩き始めると、なだめなければならない。ソーサの隣で聞いていたソリアは、何も言わない。他の同僚たちも黙っている。

あまりにも多くの死や暴力を取材してきたことが、記者たちにダメージをもたらす、と語るのは、メキシコ防衛大学のPTSDの権威、ルズ・マリア・ゴンザレス・サラザールだ。極度の残虐行為にさらされ、常に「闘争・逃走モード」のスイッチが入ると、人々は通常の生活に戻っても同じような状況や感覚を求めるようになる。

「自分の命をよりコントロールできるようにする方法として、アドレナリンを大量にチャージできることを探し求めるのです」と、ゴンザレスは言う。それは無意識のプロセスだが、アドレナリンラッシュにより、より機敏になり、脅威を感じたときに、素早く反応することができるという。

長期的には、この種のトラウマにさらされることが、薬物依存や暴力的行動につながるのだ、とゴンザレスは語る。

「エル・ディアリオ・デ・フアレス」の給料は、街のジャーナリストの中でも、有数の高さを誇る。カメラマンの月給は、440から650ドル。記者は660から 1650ドルだとソーサは説明する。それでも、仕事で心に深く傷が残り、その傷が完全に癒えることはない人たちにとって、まだ少ないくらいの金額だ。ではなぜ、その仕事を続けるのか。

「麻薬の売人たちに、報道を定義させるわけにはいかないでしょう?」とソーサが答えた。彼女の青白い眉間には、永遠に消えない皺が刻み込まれている。「同僚たちは、とても勇敢だ」と付け加えた。

「それにクレイジーだ。ね?」と笑顔でソリアがたずねた。冗談半分、真面目半分の自己評価にその場の大勢が同調した。「俺たちがイカれてるってことは、とっくにわかっているよ」と、全国ネットのテレビ局「テレビザ」のカメラマンを務めるウォルター・ガルシアが言った。

セラピーを受けた犯罪記者はほとんどいない。その代り、癒しの儀式をする人はいる。「ラ・ポラカ」の記者、ダニエル・ドミンゲス(最多記録は1日に34死体だった)は、子供部屋を「減圧室」に改造したという。「子供たちは『パパが泣く部屋』と呼んでいるんだ」と、彼は言った。そこで音楽を聴く。バリー・マニロウがお気に入りだ。しかし、殺人事件が減ってからは、この部屋で過ごす時間も短くなった。「交通の専門家になりつつありますよ」と、ドミンゲスは笑いながら言う。 現在、仕事のほとんどが、交通事故と火事の取材だ。

他の人たちは、家庭に目を向けることだった。

検視解剖官のラモスは、1日に3つのシフトをこなさなくてもよくなった。今はそんな日があったとしても、ほとんどが自然死だ。以前は、手術台で見た恐怖を眠って忘れようとしていたが、今では代わりに妻と4歳の息子と過ごすようになった。

46歳のソーサには孫がいる。自己負担ではあったが、心理学者と話すことができた。幸運な方だ。極度の心配性になり、「子供たちは、結果的に高い代償を支払うことになった」という。子供たちは自分の居場所を、ソーサに報告しなければならなかった。前向きな話に集中することが、ソーサにとっての癒しのプロセスだった。

ソーサやソリア、そして同僚たち、誰もが振り払えないことがある。街中どこへ行ってもつきまとってくる亡霊たちだ。これまで取材した犯罪現場を、心に思い描かずにはいられなくなる。仕事に行く途中、子供たちを学校に迎えに行くとき、夜の外出から帰宅中に、襲ってくる。

今、この穏やかな時期が明らかにしたのだ。戦争中に何が起こったか、被害者は誰だったか。そして暴力による死が繰り返された年月で、街中の家庭にぽっかりと穴が開いてしまったことを。

「今こそ、こうしたストーリーを救う時。その傷は残り続けるのだから」と、「エル・ディアリオ・デ・フアレス」のもう一人のカメラマン、トーレスは言う。「15年経っても、残り続けるだろう」

2010年、ホームパーティーをしていた15人の若者を武装集団が殺害した。ライバルのカルテルのメンバーと間違えたのだ。葬式の取材も、親族に話を聞くこともできないとソーサは編集長に伝えた。 痛ましい大虐殺だったため、カルデロン大統領は、被害者が無実であると発表した。組織犯罪集団に殺害された者はほとんどが有罪と人から思われるメキシコでは、めったにないことだ。被害者の多くは学生で、アスリートもいた。

ソーサは、被害者と自分の子供たちが当時、同年代だったため、悲しみにくれる親の取材がどうしてもできなかった。そのかわり、弾道検査や、捜査事実の詳細を記事にした。その後、ソーサは被害者の親族についても記事にした。長年にわたり、殺人の取材を続け、前より優れた記者になったと彼女は言う。ソーサは、被害者のストーリーを紹介するだけではなく、雑然とした犯罪現場で手がかりを見つけたいと思っている。

ソーサは、麻薬戦争中に記録した人間ドラマは、自動車の死亡事故と何ら変わらないと言う。殺人事件の取材で体内を駆けめぐるアドレナリンが恋しいと多くのジャーナリストが認めている。凶悪な事件を取材したいという欲望が、潜伏した中毒のように潜んでいるのだ。

ソリアが道端の馴染みの屋台でブリトーを食べに車を停めると、電話が鳴った。「18-30だ」。銃撃戦だ。やっとだ。「奴らは、もう死んでるのか?」ソリアが電話口でどなる。まだ情報は何もない。

「死んでいればいいんだがな。怪我だけじゃ到着が間に合わない」とソリアは言うと、ハンドルを握りしめた。朝のシフトが終わるまで残り1時間。スピードを上げていくつかの赤信号を通り過ぎた。「ただそこに行きたい。アドレナリンのせいだ」と、右手で急速に拍動する心臓を真似ながら言う。「いつも、どんな事件にも、一番乗りさ」

道を封鎖する警察の黄色いテープのところで車を停め、野次馬の群衆に尋ねてまわる。いや、死んでいない。ソリアは携帯電話で写真を何枚か撮ると、編集長に送った。意気消沈して車に戻る。孫娘を車で迎えに行って、ハンバーガーを食べるのが楽しみだ。犯罪現場で同僚たちにすれ違うと、ソリアは窓を開け、指を使ったローマ教皇のジェスチャーを真似てみせる。

笑顔で彼は言う。

「私のために祈りなさい」



Every. Tasty. Video. EVER. The new Tasty app is here!

Dismiss