「ママとは話したくない!」急に冷たくなった思春期の娘。こんな状態で恥ずかしい「性の話」なんて無理なんですが…

    普段の会話すらまともにできないのに、性の話なんて!思春期の親子の「性教育」には高いハードルが…。『おうち性教育はじめます 思春期と家族編』著者のフクチマミさんに刊行までの試行錯誤を聞きました。

    3歳から10歳までの幼児期を対象にした、家庭で生かせる性教育の本として23万部を超える大ヒットとなった『おうち性教育はじめます』の続編『思春期と家族編』が刊行されました。

    ティーンに伝えたい“性”の話はたくさんある、内容は迷わず決まるのでは? と思っていたら…?

    著者のフクチさんは苦笑しながら、「正直、かなり苦労しました」と振り返ります。

    「思春期は、親子の普段の会話すらままならない時期。ましてやタブー視されがちな“性”についての話をどう伝えるか、言葉が届くのか……本当に悩みました」

    試行錯誤して行き着いたのは、親も一緒に学び変わること。

    そして、生殖に関する具体的な知識の前に、よりよい人間関係の築き方を伝えること。

    それのどこが「性教育」? 一体どういうことなのでしょうか?

    思春期の親子は「普通に話せない」

    ――2020年の刊行から3年近くが経ちました。続編を出されるまでにはどんな経緯があったのでしょうか。

    ひとえに、前回の『おうち性教育はじめます』を制作するなかで「やっぱり思春期編も必要だよね」と感じたからですね。2020年に本が出たすぐに、次巻の企画自体はスタートしていました。

    一般的には、性教育といえば「思春期にすべきもの」と認識されていることが多いと思うので、むしろ前作の幼児期をターゲットにしたのは新しいチャレンジではあったと思うんです。

    だから最初は、「内容的にも作りやすいはず」「幼児と違って言葉も通じるし、親からも伝えやすいよね。結構、楽勝じゃない?」なんて思っていたんです。でも全然違って……。

    ――何がハードルだったんですか?

    当時、私の娘がちょうど中学生になった頃だったんですけど、親子関係が急に変わったんですよね。距離感というか、態度というか……とにかくうまく話せなくなった。

    娘のお友達も「○○ちゃんのおかあさ〜ん!」としょっちゅう寄ってきてくれたのがよそよそしくなって、お友達と何をしているのか、どんな会話をしているのか、よく見えなくなって。

    周りの保護者の方にも「うちの子、別人みたいに変わっちゃった」って話はよく聞きました。

    ――自分のことを振り返っても、中学生くらいって確かにそうかもしれません。

    そうなんです、これが「思春期」なんだなぁって。親子で会話をすること自体が難しくなる時期なんですよね。

    小学生までは嫌々ながらも「お母さんの言うことは聞くもの」と思っているから、なんだかんだ聞いてくれていたけど、中学生になると、何言われても跳ね返す!無視!で返事もしてくれない。なんなの、撥水加工なの?みたいな(笑)

    そうなると「親として何かを教える」どころじゃないじゃないですか。かしこまってちゃんと話をする、しかもタブー視されがちな性に関することなんて、もはや不可能で。

    ――なるほど……。親や先生から偉そうに言われても素直に聞きたくない年齢ですしね。

    体はどんどん大人に向かって変化していて伝えたいことはたくさんあるのに、面と向かってコミュニケーションすることがまず難しい。

    例えば、妊娠や避妊に関しても、幼い頃は「いつか役立つ知識」として伝えていたのが、10代半ばになってくるとかなりリアルなもの、ありえるリスクになってくるわけですよね。

    それなのに、親からの言葉が届かないのはどうしたらいいんだろう、本で何を伝えたらいいんだろう……?と悩みに悩んで、かなり時間がかかってしまいました。

    前回の本には「親子の間で、こういう風に伝えたらいいですよ」という例文やケースをたくさん盛り込んでいて、それが好評でした。一人の親としても、生活の中で実用的な本がほしかった。

    だから、続刊を作るのであれば同じように「家庭で役に立つ」ものじゃないといけないという思いがありました。とはいえ「じゃあどうしたらいいんだ?」っていうのがなかなか見えませんでしたね。

    「教える」ではなく「育む」

    ――最終的にはどんな落とし所になったんでしょう?

    共著者の村瀬幸浩先生の一言が大きかったです。「教育は教えることと育てること。『教える』に偏りがちだけど、『育む』って視点も大事だよね」とおっしゃっていて。

    「そうか、直接言葉で伝えなくても、親子で一緒に育っていけばいいのかも」「親が変化する姿を見せるのもひとつの形かも」とストンと落ちて、そこから少しずつ固まっていきました。

    ――親から一方的に教えるのではなく、一緒に変化していく姿勢を見せる。

    そうです。回り道だし、「はい、教えたからこれで終わりね」で済ませるわけにもいかないし、伝わるまでに時間もかかるんですけどね……。

    だから、タイトルを今回「思春期と家族編」にしました。「家族」も主役、親も一緒に学ぶことが何よりも大事だよ!という意味を込めています。

    そう!「と家族」編なのが重要なのです〜😁 このタイミングで180度と言っていいくらい親が変わらなくてはいけない部分があるので、いまからの心づもりできるならばっちりだと感じます😊 ご感想嬉しいです✨ https://t.co/N2pXClYmT9

    Twitter: @fukuchi_mami

    子ども部屋に入る「同意」って?

    ――性教育として聞いて連想しがちな身体や生殖に対する知識だけでなく、人間関係の作り方、コミュニケーションのとり方について詳しく書いていますよね。前作もそうでしたが、より深く踏み込んでいるように感じました。

    これは正直どこまで書くかはかなり悩みました。いわゆる「子育て本」ぽい内容に寄ってしまうと、読者の方の期待に反するかなという気持ちもあって。

    でも、私自身が性教育についてずっと学んで、考えてきて強く思ったのは、知識だけあっても意味がないということなんです。

    自分と他者を大切にする、意見の違う相手を尊重する、そういう根っこがあって初めて知識がつながってくる。

    最近よく聞く「性的同意」という言葉がありますが、そもそも「性的じゃない同意」だって大事なわけです。なんですが、自分を省みても、どうしても親子関係は本来すべき同意をないがしろにしがちですよね。

    ――書籍の中では「親戚に子どもの写真を送る前に、本人に同意をとって」なんて例もあがっていました。

    そうです。「それの何が性教育なの?」と感じる人も多いと思うのですが、つながっているんです。

    対等な関係だからこそノーを言えるし、相手を尊重しているからこそ、そのノーを受け入れられる。

    性教育の根幹にあるのは、「他者とよりよい人間関係を築くため」なんです。

    ――私は「勝手に子供の部屋に入って掃除をするのはよくない」という話にドキッとしました。よかれと思ってやったことでも、相手が「嫌」だったらそれはだめだよな、と反省しました……。

    難しいですよね。私も娘たちと向き合いながら、試行錯誤の連続です。

    人間関係の築き方を考えるという意味で、「相手のノーを受け入れる」「バウンダリー(境界線)を築く」の章は、この本の中で特に描きたかった章でした。

    親子であってもノーと言えない関係は不健全。「嫌な時はノーと言っていい」と知るのは、性犯罪やハラスメントの被害に合わないためにも重要なことです。

    そのうえで、「ここから先は入らないで」と自分と他者のバウンダリーを意識するのは、相手の存在を尊重する第一歩。きちんとノーを言える対等な関係になって初めて、「同意」の意味が出てくるんですよね。

    尊重するからこそ、諦めたこと

    ……と口で言うのは簡単ですが、いざ「子どものノーを尊重する」を実践するのは、どんな親でも簡単ではないと思います。

    私もこの数年意識してきましたが、そのなかで正直、諦めたこともいろいろありました。

    ――諦めたこと?

    やっぱり、子どもがやりたくないことって、親にとっては不都合なことが多いんですよ……(苦笑)勉強するとかしないとか、進路とか……。

    改めて言葉にすると自分のエゴを感じるのですが、「この子はこういう人生を送るのかな」「こうなってほしいな」というぼんやりした理想や予想のようなものがあるじゃないですか。

    その道を選ばないことに「それでいいの?」「こっちにしたら?」「勉強しといたほうがいいよ」って口を出したくなっちゃうんですよね……。親としては子どもの将来が心配だから。

    ――「お母さんは長く生きてきたから、あなたよりわかるけど…」なんてつい言いたくなっちゃう。

    そうなんです。でも、対等な相手だったら、絶対そんなに頭ごなしに否定しないですよね?

    否定したくなる、説得したくなる、ノーをイエスに変えたくなるけど、それをぐっと飲み込んで、子どもの意思や思いを尊重することは心がけていました。

    正直モヤモヤすることも多いし、「本当にこれでいいのかな?」と勇気が必要でもあったんですけど、今はそうしていてよかったなと思うことが多いです。

    ――親子関係だけじゃなくて、フクチさんご自身の中でも変化があったんですね。

    一番大きいのは、自分と子どもが別の人間であるということを、ちゃんとわかることができたことです。

    もちろん今までもわかっているつもりだったけど、どこかで娘と自分を同一視していたかもしれないな、彼女の成果を自分の成果と勘違いしていたな、と気付かされました。

    生まれたときからずっと側にいるわけですから、どうしても癒着しちゃうし、入れ込んじゃう。

    ことさらべったりしていたつもりはないですが、それでもかなり強く意識しないと他者として受け入れるのは難しい――と振り返って今は感じます。

    この子のノーを受け止める、大人の事情で説得しない、と意識するのは、私にとっても大事なことでした。

    ――娘さん側の変化は感じますか?

    昔はシャットダウン感が強かったですけど、最近は私に対してドアを開けてくれている感じはしますね。

    自分の意見を頭ごなしに否定されない、最終的には受け止めてくれる、という信頼がちょっとずつ積み重なっているのかなとは思います。「結論はあなたにまかせるよ、でもどんな時も応援はするよ」と。

    娘もこの本を読んでくれたんですが、「うん、ママがいつも気をつけてることが書いてあるね」ってクールに言われましたね(笑)

    私なりに学んで向き合っていることは、言葉にはしなくてもちゃんと伝わっていたんだなと思いました。

    ――この本で伝えたい「一緒に変わっていく」形ですね。

    そうですね、変化は感じます。本当に少しずつですが……。

    でも、こうやって一番近い他者である親子間で、他者との適切な距離のとり方を意識して“練習”しておくのは、親密な相手が増えていく10代にとって大事なことだと思うんですよね。

    友人や恋人といい関係を築くために。大事な一線を意図せず踏み越えないために。

    性教育はそういう意味で、10代の彼らのこれからの人生を支えていく学問なんだと思います。

    👉『おうち性教育はじめます 思春期と家族編』の試し読みはこちら

    (3月21日公開の後編に続く)