「あと10年は描いてほしかったなぁ」故・谷口ジローとの思い出を夢枕獏&寺田克也が語る

    2017年にこの世を去ったマンガ家・谷口ジロー。代表作の1つ『神々の山嶺』がフランスでアニメ映画化された。原作小説の夢枕獏と、マンガ家の寺田克也が谷口氏のすごさ、映画の魅力を語った。

    作家・夢枕獏のベストセラー小説を 、谷口ジローが圧倒的な画力で漫画化した『神々の山嶺』。

    7年の歳月をかけてフランスでアニメ化された作品が、7月8日に公開される。

    公開後から評判は高く、同国のアカデミー賞に当たるセザール賞で、見事アニメーション映画賞を受章した。

    「登山家ジョージ・マロリーはエベレスト初登頂に成功したのか?」

    世界最高峰のエベレストの初登頂は1953年とされているが、その29年前の1924年に、イギリス人の登山家、ジョージ・マロリーとアンドリュー・アーヴィンが初登頂に成功したのではないか?という議論がある。

    『神々の山嶺』は、この登山史上最大の謎をベースにした物語だ。

    真実をつかむ鍵となる1台のカメラと、孤高のクライマー・羽生丈二。

    そして彼の生き様に魅せられた雑誌カメラマンの深町が、前人未到の「冬季エベレスト南西壁無酸素単独登頂」に挑む。

    凱旋上映を記念し、原作小説『神々の山嶺』の作者・夢枕獏と、谷口ジローを師と仰ぐ漫画家・寺田克也による特別対談が公開された。

    アニメ化に原作者も驚いた「日本ではありえない」

    寺田:アニメ版『神々の山嶺』を観たオレの第一印象は、山が主役の究極の山アニメだ、ということでした。

    オレは、山とは縁遠い人間なんです。登山歴と言っても、高尾山くらい(笑)。そんなオレにも、高いところまで登るとこんな感じなのか、という空気感がひしひしと伝わってきました。

    夢枕:原作者として僕が驚いたのは、そもそもアニメの原作に『神々の山嶺』をチョイスしたということです。

    日本ではありえないことですよ。フランスだから成立したんだろうなあ。一番大きいのは「神々の山嶺」をマンガ化した谷口ジローさんが、フランスでものすごく有名なマンガ家だからですよね。

    もうひとつは、フランスにはヨーロッパ・アルプスで一番標高が高いモンブランがあって、登山文化が国民の中に根付いていることだと思います。

    寺田:マンガと登山の愛好者がいるということですね。

    夢枕:そうです。もうひとつ驚いたのは、このアニメの中にフランス人がひとりも出てこないのです。普通なら自国人をひとりくらいは入れたくなるものなんですけどね。

    しかも、日本の風景描写が完璧でした。よくあそこまで取材したなあ。谷口さんの原作へのリスペクトが強かったんだろうなあ。

    寺田:実は、岡山から東京に出てきてオレが最初に知り合ったマンガ家が谷口さんでした。描いたものを持っていったら真剣に見てくれて、なんの実績もない若造をひとりの同業者として扱ってくださった。

    なんと懐の深い人なんだろう、と感激しました。それ以来、勝手に弟子と称してずっとお付き合いさせてもらっていました。

    「谷口さんは優しい」マンガ版で変わったラストシーン

    夢枕:僕はマンガ化に関しては非常に恵まれた作家だと思うんです。『神々の山嶺』を谷口さんにお願いしてよかったのは、(漫画版の)ラストシーンでマロリーがエベレストの山頂で見せるいい笑顔を描いてくれたことです。

    僕は、登頂に成功したのかどうかを最後までぼかして書いたのだけど、谷口さんは「ラストを変えて、マロリーが登頂に成功した場面を描きたい」と言ってくれた。心の中のモヤモヤが晴れたような気分でした。

    僕の中にも登頂を成功させてあげたかった、という思いがありましたから。

    
寺田:そこが谷口さんの人間性ですよね。優しい。

    そして、作品に向き合う時は芯が強い。妥協がないのですね。原画を見ると、一見繊細な絵だけど線は強い。作品と真摯に向き 合って描き抜くというか......。

    だからこそ、海外でも受け入れられたと思います。とてもオレには真似できないですね。

    あと10年は描いてほしかった…

    夢枕:小説でも力を抜くところはあるんです。だけど、谷口さんはどのシーンでも力を抜かない。力を抜く場合でも全力で力を抜く。

    寺田:ご本人はずいぶん前から、私は描きすぎるから、とおっしゃって、ひとりで描ける作品世界をつくろうとされていました。

    晩年には薄墨を使った絵も描いていた。ずっと自分の絵を模索してきていた人ですよね。一人のファンとして、もう少し長生きしてもらって完成形を見たかったです。

    夢枕:あと10年は描いてほしかったなあ。

    寺田:同感です。アニメを観た方が、まだ原作を読んでいないのなら、獏さんの小説と谷口さんのマンガの両方を読んで、おふたりの世界に触れてほしいと思います。

    夢枕:僕は、このアニメが成功して、日本のアニメ関係者の考えが変わるといいなと考えています。

    小説でもマンガでも、ほかにもいっぱい原作になるいいものがあるじゃないですか。そこに気づいてもらえたら、日本のアニメの裾野も広がると思うんですよ。

    

2022年5月26日収録 取材・構成:中野晴行(漫画評論家)

    対談のロングバージョンは、劇場版パンフレットに収録されている。


    寺田克也(てらだ・かつや)

    1963年、岡山県出身。漫画家、イラストレーター。マンガ、小説挿絵、 ゲーム、アニメのキャラクターデザインなど幅広い分野で活動する。代 表作に漫画「西遊奇伝大猿王」、「ラクダが笑う」、画集「寺田克也全 部」などがあるほか、「バーチャファイター」シリーズ、「BUSIN」のゲー ムキャラクターデザイン、「ヤッターマン」のメカニックデザイン、「仮面ライダーW」のクリーチャーデザインなどを担当

    夢枕獏(ゆめまくら・ばく)

    1951年、神奈川県出身 1977年に作家デビュー。以後、「キマイラ」「サイコダイバー」「闇狩り 師」「餓狼伝」「大帝の剣」「陰陽師」などのシリーズ作品を発表。1989 年「上弦の月を喰べる獅子」で日本SF大賞、1998年「神々の山嶺」で 柴田錬三郎賞を受賞。2011年「大江戸釣客伝」で泉鏡花文学賞と舟橋聖一文 学賞を受賞。同作で2012年に吉川英治文学賞を受賞。2017年菊池寛賞受賞、2018年紫綬褒章受章。