合計100キロの荷物を乗せ、旗を掲げ、自転車のみで日本列島を縦断…。そんな二人組がいる。
日本の旅で驚いたこと。地元の人が超アクティブ!
過酷な旅をしてまで二人が伝えたい、西サハラ問題とは?「アフリカ最後の植民地」と呼ばれる、世界最大の「帰属のない地帯」
サナ・ゴトゥビさん。自身の両親についての小説を書いている。自転車旅が終了後、スウェーデンで出版予定だ。
西サハラは、アフリカ大陸北西部に位置する地域。「アフリカ最後の植民地」と呼ばれている。
1884年にスペインの植民地となったが、戦後の1975年、隣国のモロッコが領有権を主張。スペインは西サハラの北半分をモロッコに割譲するという秘密協定を結び、撤退した。
一方、現地では1973年に住民主体の組織「ポリサリオ戦線」が結成される。人々は独立を求め、武装闘争が始まった。すぐにモロッコが西サハラを軍事占領したため、住民の多くは隣国のアルジェリアに逃れ、難民キャンプで暮らすこととなった。
1991年、国連の仲介により、モロッコとポリサリオ戦線は停戦に合意。住民は、独立かモロッコへの併合か、帰属を問う住民投票を約束されたが、今日に至るまで投票は実現されていない。
世界地図の「空白地帯」で起きている実態とは。
現在、モロッコ占領下の西サハラでは、住民に対し、モロッコ軍や警察による弾圧が続いている。モロッコの占領政策に異を唱えることは違法とされ、拷問などの深刻な人権弾圧が起きている。
「まずは知って」
ベンジャミン・ラドラさん。パレスチナ問題を伝えるため、スウェーデンからパレスチナまで歩いた経歴も。
西サハラ問題について、一人一人に知ってもらうことが何よりも大事だと、ベンジャミンさんは語る。
「大きな運動は政府を動かすけれど、その運動は、個人がその問題を気にかけることから始まる。個人は、知識を持つことで問題を気にかけるようになる。知識は、理解することから始まる」
そもそも自転車を選んだ理由は?
西サハラ問題を広めるために自転車旅を選んだ理由は、できるだけ多くの人の注意を引きたかったからだと二人は口をそろえる。
「飛行機なら、わりと楽ちんでしょ。でも私たちは、しんどい時間を過ごしている。雨の中でテントを張ることもあるし、お腹はすくし、家族と離れているし」
「2年半、自転車に乗り続ける大変さはみんなわかってくれる。だからこそ『なんでそんなことをやっているの?』『どうして?』と聞いてくれる」。こういった会話から、西サハラの問題を知るきっかけが広がっていく。
「そして、誰かが多大な犠牲を払っているからこそ、『大事な問題なんだ』と気づいてもらえる」
「アクティビストに勤務時間はない」
日本人には何ができる?
隣国アルジェリアにある難民キャンプ。アフリカでも特に気候条件が厳しい場所で、多くの西サハラ出身者が故郷に帰れずにいる。
モロッコは、西サハラ問題について国際的な注目を望んでいない。だからこそ活動に意味があるという。
西サハラに存在するリン鉱石や海産物などの資源は、モロッコに奪われ続けており、日本も無関係ではない。
特に現在、日本で流通するタコの約2割は「モロッコ産」とされているが、それらのタコはモロッコ沿岸ではなく、西サハラ沿岸で漁獲されたものだ。
「モロッコの経済は占領に依存していて、西サハラの生産物が占領を続けるための資金になっている」