フロリダナイトクラブ銃乱射事件から2年、その後を生きる人々の今を伝える写真

    家族や友人を亡くした人々のストーリーを写真家が記録

    2016年6月にフロリダ州オーランドで起きたナイトクラブ銃乱射事件。49人が犠牲になり、53人が負傷した。

    写真家キャシー・アレクサンドラにとって、は、国を揺るがす惨劇というだけでなく、個人的にも深い関わりのあるできごとだった。

    襲撃されたクラブ「パルス」はアレクサンドラが踊り、笑い、愛した場所だ。ここで生涯の友を見つけ、かけがえのない思い出ができた。2016年6月12日、ここで男が銃を乱射し、そこからこのプロジェクトが始まった。無意味な暴力にさらされたLGBTQコミュニティが感じている、幾重にも重なる悲しみを追い、写真に収め、探っていくことにした。

    プロジェクト「We Are Family」では、写真とストーリーを通じて、銃乱射事件後のオーランドのLGBTQコミュニティに静かに広がる愛と苦悩を探っていく。ここに写真数点を紹介するとともに、このプロジェクトが自身にとってどんな意味を持つのかをキャシー・アレクサンドラ本人に語ってもらった。

    フロリダでは、LGBTQのコミュニティで「ファミリー」と言えばそのメンバーを指し、互いに思いや愛情を共有する言葉として使われる。これはLGBTQを取り巻く環境から生まれたものだ。当事者の多くは生まれ育ったコミュニティで阻害される経験をしていて、自分にとっての「ファミリー」の定義をみずから選ぶことになった背景がある。

    このプロジェクトで力を入れているのは、私たちの社会に暴力が浸透している事実に光をあてることだ。憎悪(ヘイト)に転じる不安や恐れが常態化していて、他者や自分たち自身の中にも存在する。

    そこで私は自問する。人は、またはコミュニティは、どう立ち直るのだろう。人はどうやって悲しみを乗り越え、悲しみをもたらしたトラウマをどううまく対処するのだろう。これほどまでの不当な暴力のあとで、どうやってその傷を癒し、健全で生産的な日々の営みを続けていけるのだろう。

    私にとっての答えは、ストーリーを伝えることであり、聞くことであり、他者のストーリーに心を寄せることだった。思いを口に出して、ありのままの本当のあなたでいて、と人に伝えること。自分が打ちのめされてまだ立ち直れずにいるときでも、私はあなたと共にいる、と相手の手を取ること。心と心が通い合うハグを与え、受けること。外界のさまざまな声を封じて、自分の心の声に耳を傾けてみること。

    悲しみは不思議な、ときには目に見えない形で姿を現す。ストーリーテリングには、自分でも距離を置いている見えない闇を明らかにする力がある。ストーリーを語ること、聞くことの大きな意味を、そしてそれを日々の生活にどう取り込んでいくかを感じ取ってもらえればと思う。

    この写真をきっかけに、自分とは何者なのかを深く掘り下げ、他の誰でもない個としての自分自身に誇りをもってもらえればうれしい。恥じることなんて何もない。こんな思いを、こんな経験をしているのは自分ひとりだけだと思えても、絶対にそうじゃない。人生は自分の意志で生きてこそ。今の社会ではいとも簡単にそのことを忘れてしまう。不安を感じるのは構わない。でも、不安や恐れで立ちすくんで、よりすばらしい自分になれる機会を捨ててしまわないでほしい。

    アリアム・ゲレロ、マイラ・ゲレロ、ホアン・ラモン、セリア・ルイスの4人は、あの夜、両親にとっては一番下の息子であり、姉にとっては弟であるホアン・ゲレロを亡くした。

    「私の子どもたちはカトリックの学校へ行っています。娘は叔父にあたる私の弟がゲイなのは知っていましたが、特に問題はありませんでした。8歳の息子にはまだ話していません」と姉のセリアは言う。

    ホアンの死について話したあとで、さらにセクシュアリティについても話すのは負担が大きすぎると感じたからだという。

    「事件前も、この話をするにはまだ幼すぎると思っていました。カトリックのコミュニティは同性愛について以前よりオープンになってきているとは思います。今の教皇に代わってからは特に」

    ローマ法王の影響力と、子どもの個性を前向きにとらえて受け止める学校の姿勢があいまって、受容の空気は広がっているというが、受容は家庭から始まる。

    ブランドン・ウルフはオレゴン州ポートランド郊外で育ち、2008年からオーランドに住んでいる。あの日は3人の友人、エリック・ボレロ、クリストファー・ドリュー・レイノネン、ホアン・ゲレロと一緒にパルスにいた。

    「一番つらかったのは、ドリューとホアンが逃げ切れないとわかったときです。それまではすごく気丈でした。外へ出ようとみんなを先導して、とにかく逃げなくてはいけないので僕が判断して動きました」

    そこでブランドンは歩道につまづいて倒れた。もう前へ進めない。だがエリックがせき立てた。

    「だめだ、逃げるんだ。行かなきゃだめだ。行かなきゃ」

    クリスティーン・レイノネンが座っているのは、今は使っていない部屋だ。亡き息子クリストファー(ドリュー)の持ちものがしまってある。2年前の6月12日、一人息子を亡くした。

    「恐ろしい、本当におぞましいできごとでした。それに――今も理解しきれません。精神的に受け止められずにいます。事件はなかったことにしておかなきゃいけない、だってちゃんと向き合うと、現実には、そう、息子は殺されたわけですから」

    クリスティーンは不眠に悩まされ、夜中の3時に目が覚める日も多い。事件のあった夜、Facebookを開くと、息子の友人のブランドンがクラブで銃撃があったと投稿していた。

    「その瞬間からそんなはずはない、と言い聞かせていました。あの子がその場にいたなんてことはありえない、そう思ってメールを送りました。『クリス、大丈夫?』って。それからブランドンにもメッセージを送りました。『クリストファーと一緒だった?』と聞くと、一緒にいた、と」

    やがて詳細が明らかになり、息子が犠牲者の一人だとわかった。

    ホアン・ゲレロ、クリストファー・レイノネン、ブランドン・ウルフと一緒にパルスにいたもう一人の仲間、エリック・ボレロは、オーランドへ移ってきて間もなかった。当初、自分が乱射事件のあったクラブにいたことは「誰にも言いたくなかった」と言う。

    「両親に電話したのも3、4時間たってからでした。何もなかったふうに装っていたかったんです。自分は大丈夫だから、と。でも頭の中では起きてることを理解していたし、あのとき直面していた苦悶もわかっていました。あれだけ重大な状況に置かれたら、どうすればいいのか本当に正しい答えなどない気がします」

    JT(左、32歳)、ジェニカ・キャロル(34歳)は現在ジョージア州カミングスに暮らす。二人は2007年10月3日、パルスで出会った。それから9年後、JTの故郷フロリダ州北部のナバー・ビーチで結婚した。結婚式は2016年6月26日、銃乱射事件の2週間後だった。

    ジャマイカ出身のケイディ・エリス(左)、ジャマイカのセント・トーマス島出身のアニシャ・エリス・トーマスは、それぞれオーランドで暮らして15年以上になる。5年前に結婚したが、二人とも同性カップルが偏見の目で見られる文化で育った。

    「ジャマイカで育つと、カミングアウトなんてとてもできませんでした。今でもたぶん難しいでしょう」とアニシャ。

    「文化の中に組み込まれていますから。男性がいて女性がいる、それがあるべき形なんです。上に立つのは何につけても男です。女性は家にいて、子どもの世話をするものとされています」

    オーランドにある自宅のキッチンで、ネイ・バートン(29歳)の髪を切るレイリン・ディットリッヒ(25歳)。二人は2013年、スーパーで働いていて知り合った。事件のすぐあと、ネイが客の買ったものを袋に入れるのを手伝っていると、あなたは「ファミリー」かと客に聞かれた。

    ネイがそうだと答えると、男性客はハグしてきた。近くにいたレジ係が質問の意味を図りかねているのを見て、ネイは説明した。「ゲイコミュニティで『ファミリー』というと、お互いをつなぐ言葉として使われるの。私たちは同じ仲間ですよ、同じような経験をしてきていますよ、と共有するために」


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    この記事は英語から翻訳されました。翻訳:石垣賀子 / 編集:BuzzFeed Japan