2017年1月21日に初めて行われたウィメンズ・マーチでは、世界各地で何百万人もの人たちが、現在の政治をとりまく状況に対する批判や意見を表明する色とりどりのプラカードを持って、デモ行進を行った。
このところ行われている他のデモで見られるものも含め、最近の抗議プラカードは、その創造性とユーモアが高く評価されている。
内容には、政治指導者をからかったり、インターネットやミームカルチャーの用語を上手く使ったりしているものが多く、ソーシャルメディアを介してメッセージを共有するのに一役買っている。
昨今の抗議ポスターは、たしかに新しいメディアと共に進化しているが、大衆の不満がビジュアルで表現されたのは現代が初めてというわけではない。
過去の世代が、その思いをポスターでどのように表現してきたのかを明らかにするため、BuzzFeed Newsは、2019年ニューヨークにオープン予定の美術館「ポスター・ハウス」のチーフ・キュレーターであるアンジェリーナ・リッパートに、歴史的な抗議ポスターの中からいくつか象徴的な作品を挙げてもらい、そのデザインの文化的意義を聞いた。
1. 「Eat」(食べろ)1967年
著名なアーティストで作家のトミー・ウンゲラーは、ベトナム戦争に抗議するポスターを多数制作しており、その痛烈さと衝撃の度合いは、作品を重ねるごとに増していった。
このポスターには、アメリカ人の白い手が、自由の女神を、ベトナム人の喉に無理やり押し込もうとしている姿が描かれている。
2. 「Silence = Death」(沈黙は死)1987年
ニューヨークのゲイ男性6人が、エイズの危機への関心を高めようと1987年に制作したもの。
ピンク色の三角形は、ナチスが強制収容所で同性愛者を識別するために使っていた印を思い起こさせるものだ。この三角形は、1970年代からLGBTコミュニティが、誇りの象徴として再生させて使ってきたシンボルでもある。
このポスターは、エイズ患者の権利拡大を訴える団体「ACT UP(AIDS Coalition to Unleash Power/力を解き放つためのエイズ連合)」が設立された際に、元々のポスターを制作したメンバーの一部がこの団体に加わったために採用された。
今も、このムーブメントを象徴するイメージとなっている。
3. 「We Will Not Be Silenced」(私たちを沈黙させることはできない)2017年
ブランディングを専門とする広告代理店ThoughtMatter社は2017年11月、自分たちのグラフィックデザインのスキルを使ってポスターを制作し、2018年1月のウィメンズ・マーチに参加する抗議者たちがダウンロードして使えるように配布することを決めた。
同社は、全国15,000の組織にポスターを寄付したほか、銃規制を訴える「March for Our Lives(私たちの命のための行進)」のためにもポスターを制作した。
その作品は、ポスター・ハウスの「#HotPosterGossip」(ホットなポスターのウワサ)と題されたウィンドウ・ディスプレイにも飾られた。
4. 「An Attack Against One」(ひとりに対する攻撃)1970年頃
黒人民族主義を掲げるブラックパンサー党のあるメンバーが、同党の人気がピークに達していた1970年頃に制作したポスター。
ブラックパンサー党は革命による黒人解放を訴え、貧困層の児童に対する無料の食事配給や治療費が無料の病院の開設などを行った。
当時のポスターのなかでも特にこの作品が今に残っているのは、こうした不幸な文化的問題が今日まで続いているからでもある。
5. 「Nixon series」(ニクソン・シリーズ)1971年
キューバの団体「Continental Organization of Latin American Students」(ラテンアメリカ学生の大陸組織)が制作したポスターには「10月15日~21日は、ベトナム、カンボジア、ラオスを支援する大陸の日」と書かれている。
若いキューバ人たちと、他国の人々の連帯を呼びかけるシリーズのうちの1枚だ。他にも、人権支援をしよう、グローバリゼーションや帝国主義、植民地主義に立ち向かおう、と訴えるポスターなどが作られた。
この作品には、顔の見えない東南アジア人たちの死体を思い浮かべているニクソンが描かれている。
6. 「Frontieres = Repression」(最前線は抑圧)1968年
1968年5月に起こった五月革命は、フランスにおける文化の転換期だった。
学生運動に端を発したこの動きは、最終的には全国に拡大し、労働者たちのストライキによって、国は麻痺状態に陥った。
「最前線は抑圧」と書かれたこのポスターは、国立高等美術学校であるエコール・デ・ボザールの学生が制作したもの。当時は、同じようなポスターがパリの街に溢れかえっていた。
7. 「Come Together in Peace」(平和の下に団結しよう)1968年
1968年、アメリカのロードアイランド・スクール・オブ・デザインに学生たちが集まり、 ベトナム戦争に抗議するポスターを制作した。
黒と赤を使い、シルクスクリーンで急いで刷られたこのポスターは、同じ年にパリで制作された五月革命のポスターに大きな影響を受けている。
8. 「War Waste Energy」(戦争はエネルギーの無駄使い)1981年
日本のグラフィックデザイナー、青葉益輝は、1970~1980年代にかけて、非暴力や環境保護を訴えるポスターを数多く制作してきた。1981年に制作されたこちらの作品も、そのひとつ。
彼が一番に目指していたのは、人の気持ちをもっと思いやる社会を作ることだった。
こうした作品が好評を博し、1998年の冬季長野オリンピック公式ポスターの制作は青葉に依頼された。
9. 「End Bad Breath」(口臭を終わらせろ)1968年
グラフィックデザイナーでイラストレーターでもあるシーモア・クワストのもっとも有名なデザインであるこのポスターは、1968年にベトナム戦争への抗議の意を込めて制作された。
アメリカにおける愛国心の伝統的シンボルであるアンクル・サムの口が開いており、その中では、小さな村が飛行機から爆撃を受けている。
10. 「Brown Power Tone」(ブラウン・パワーの色合い)1965年
1965年8月11日、強盗容疑を受けて仮釈放中だった若い黒人男性、マルケット・フライが、無謀運転をしていたとして、ロサンゼルスで警察に停車を命じられた。
この事件がエスカレートし、近隣住民の注目を集め、最終的には「ワッツ暴動」と呼ばれる事態にまで発展した。
この暴動は、単に警察のやみくもな残虐行為に対する怒りの爆発というだけではなく、ロサンゼルスで高まっていた人種間の対立、黒人の権利が奪われていることへの反発でもあった。
デビッド・ウェイドマンによるこのポスターは、当時進行中だったこうした問題を皮肉って作られたものだ。
11. 「Le Capitalisme Sombre」(資本主義の闇)1968年
こちらも、1968年の五月革命にまつわる作品だ。
無名の抗議者がフランスで制作したこのポスターは、事態が警察と活動家たちとの市街戦へと激化していく中で、「資本主義の闇」に対する闘争を続けよう、と呼びかけている。
その後も事態は激化の一途を辿り、ついには当時の大統領、シャルル・ド・ゴールが密かにドイツに逃れてから議会の解散を発表し、デモを鎮圧する運びとなった。
スター・ハウスは2019年、ニューヨークにオープン予定。詳しくは、ウェブサイトposterhouse.orgをチェックするか、Instagramで@posterhousenycをフォローしよう。