トランスジェンダーの父親が妊娠するとき

    「LGBTの人たちの大多数が、『男性であること、トランスジェンダーであること、家族であることの意味を広げてくれてありがとう』と言ってくれるんです」

    「自分がビクビクするようなことはないだろうと思っていたんです。僕が妊娠している男だなんて誰が気にするの? そんなことどうでもいいよ! ってね。でも本当は、傷つけられたり襲われたりするのが恐くてたまりませんでした。いつもの僕の、過激でクィア的で向こう見ずなスタイルは、すっかり影を潜めていました。体の隅々がおなかのなかの赤ちゃんと自分自身を守ろうと全力を尽くしていたからです。それには本当に驚かされました」


    トリスタン・リースが、夫のビフ・チャプロウと2人の養子(チャプロウの実の甥と姪)といっしょにオレゴン州ポートランドで暮らすようになってから4年になる。彼らが送る日々の暮らしのほとんどは、平凡そのものだ。学校、仕事、遊びの約束、食料品の買い出し。その繰り返しだ。子どもたちはトリスタンを「ダディー」と呼び、ビフを「ダダ」と呼んでいる。

    トリスタンとビフが、3人目の子どもを持つことについて話し合うようになったのは、しばらく前のことだった。34歳のトランスジェンダー(FtoM、女性から男性への性転換者)であるトリスタンは、2人にとって初めての生物学上の子どもを身ごもる決意をした。そしてトリスタンの妊娠後、2人はここまでの道のりの一部をオンラインで公開することにした。もっとも、自分たちの物語がバイラル現象を巻き起こすことまでは計画していなかったが。

    トランスジェンダーの男性による妊娠は医学上の奇跡ではないし、トリスタン以前にそれを世間に発表した人もいる(トーマス・ビーティーが2008年にテレビ番組「オプラ・ウィンフリー・ショー」で公表した)。それでも、2人の物語は人々の注目を集めてきた。いい意味でも、悪い意味でも。

    ポートランドにある彼らの自宅を訪ねたとき、トリスタンは妊娠9カ月を過ぎていた(実は、その日は出産予定日だった)。なぜ自分たちの物語をオンラインで公開することにしたのか? 性転換者が親になるとはどういうことなのか? 彼らのようなクィアの家族にはどんな未来が待っているのか? BuzzFeed Newsはトリスタンとビフに話を聞いてみた。以下は、息子レオの誕生に先立って行われた対面・電話インタビューを集めたものだ。なお、内容を簡潔・明快にするため、回答には編集を加えている。

    トリスタン:ビフと出会ったのは2010年でした。2人ともLGBTコミュニティーに深く関わっていました。僕はどちらかというと政治運動側、ビフは社会経済的な公正を求める側で活動していました。出会ったのは、ある共通の友人が主催したトランスコミュニティーのブランチでした。そのブランチでは、性転換者じゃなかったのはビフだけでした。

    僕のトランスを感知するレーダーは精密なので、そうだと聞かされても驚きませんでした。会った瞬間、僕は彼に興味を持ちました。でも彼は最初、僕にはまったく興味を持っていなかったんです。理由のひとつは、あとからわかったことなんですが、僕の歯の間に食べものがはさまっていたからなんです。すべてうまくいったので、いまさら友人たちに腹を立てるつもりはないですが、教えてくれたっていいですよね。 

    それからずっと、出張を除くと、一晩たりとも離れて過ごしたことはないと思います。その必要がないんです。僕らは、お互いに過去の交際で多くの過ちを経験していました。だから今度は失敗したくなかったんです。

    1年待ってから同棲を始めたんですが、それから3カ月後に電話がかかってきました。ビフのきょうだいの子どもたちが、もし僕らが引き取らなかった場合、養護施設に入れられるという知らせでした。

    彼らの状況が安定していないことは、1年ほど前からわかっていました。子どものころのビフは「ママ・ジュニア」のような存在で、きょうだいたちの世話を手伝っていました。彼は、いまの独立した自由な生活を維持できるようにしたいと思っていました。でも、この電話がかかってきて、もし僕らが引き取らなかったら、彼のきょうだいは子どもたちを取り戻せなくなると知らされました。おそらく僕たちも、あの子たちに二度と会えなくなるだろうと。僕には答えははっきりしているように思えました。引き取ろうよ、と。

    これは僕らにとって、結婚よりも大きな決断でした。子どもたちの成人まで、18年を超える義務なのですから。あの子たちが来て5年が経ちました。9月で6年になります。毎年、僕らは「家族の日」を祝っているんです。

    あの子たちが僕らといっしょに暮らしはじめた日です。この家族の日には、子どもたちが僕らに質問できて、そうすることで家族の絆を深められるんです。子どもたちは毎年、家族ということについて違う質問をしてきます。彼らがちゃんと理解できるように、子どもたちに合わせて対話を進めるように心がけています。

    子どもたちは、僕らの生活、そして僕らの父親としてのアイデンティティーにすっかり溶け込んでいます。現在以外の生活は想像できません。個人的には疑いの気持ちを抱くこともありました。この決断を取り消すことはできるのだろうか? 父親ではなく、おもしろいおじさんでいるべきなのではないだろうか? そんな風に思うこともありました。けれども、ビフと僕は互いに補い合っています。僕の状態が不安定なときには、彼が僕を正しい軌道に連れ戻してくれるんです。もしこういう家族になっていなかったら、自分がこんなにもうまくパートナーを選べていたことがわかったかどうか、定かではありません。彼ほど僕にふさわしい人はいません。この道のりを僕といっしょに歩んでくれるのにふさわしい人は、彼以外にいないんです。

    僕は、片方の腕にピーター・パンの大きなタトゥーを入れています。「大人になんてなるもんか」がいつも僕のテーマだったんです。僕が性転換したのは、いまから14年前のことでした。

    男性ホルモン投与を開始したころの僕は、結婚なんて絶対にしたくありませんでした。家もほしくなかったし、クルマさえほしくなかったんです! 僕が常に望んでいたのは、勝手気ままな暮らしでした。そんな僕が、次のステップに進んで、誰かと関係を結ぶ準備ができている自分に気づいたのは何年か前のことでした。

    家庭とは無縁の人生を送ることになるんだろうな、とずっと思っていました。それを選択肢のひとつとさえ考えていなかったんです。僕は、血のつながった子どもを生むことを夢見たことがありませんでした。

    1つ目の理由は、それが可能だとは思っていなかったこと。2つ目の理由は、男としてのアイデンティティーを保ちながら、子どもを生めるだけの心の強さが身につくまでに長い時間がかかったということでした。

    それに、ただ生むだけだったら、そうしたいとは思わないでしょう。僕はビフの子どもが生みたいんです。ストレートの人たちが話していることの意味を僕がようやく理解したのは、彼に出会ってからでした。自分のきょうだいが出産したときも、僕は彼女をからかってばかりいました。どうして子どもなんか生みたいの? どうして自分のDNAがそんなに特別なの? でも、僕を見てください。特別なのは僕のDNAなんかではありません。彼のDNAなんです。

    ビフと出会ってからの僕は、「もし僕らに子どもができたら? もし僕が赤ちゃんを身ごもったら?」と思うようになっていました。でも、そのことについて話し合うより早く、あの子たちがやって来ました。しばらくはそのことで手一杯で、それが僕らの生活の中心になっていました。

    ようやく状況が落ち着いたように思えたのは、養子縁組の手続きが完了したときで、2年ほど前のことです。「これで、好きなように自分たちの人生を切り開いていけるぞ」と思いました。

    子どもを生むという考えに取り憑かれたようになっていた僕は、本気で考え、いろいろ調べてみました。出産を経験したトランスジェンダーの男性はたくさんいます。きちんとした医師の指示のもと、幸せで健康的な妊娠を経験した人が。僕は、そうした妊娠の医学的な側面をきちんと理解したいと思いました。これを実験にはしたくなかったんです。

    僕はビフに言いました。「僕らに子どもができたら、どう思う? 血のつながった子どもを僕が身ごもったら?」と。最初、彼はダメだと言っていました。そんなのは最高に馬鹿げた考えだと思ったんです。彼は僕の体を案じてくれていました。それに、子どもたちが成長してくれたおかげで、僕らはやっと、朝8時までぐっすり眠れる生活を送れるようになっていました。「それなのに、またゼロからやり直すの? 勘弁してくれよ!」という気持ちもあったんだと思います。

    僕らはそれぞれ、しばらく時間をかけて、このことについて考えてみました。数カ月経ったある日、彼が僕のところに来て、自分自身と向き合ってみたと打ち明けはじめました。そして、もし私がそうしたいなら、その可能性をいっしょに探ってみてもいいと言ってくれました。

    そんなわけで、ポートランドにあるクリニックに行ったんです。幸いにも診察費は保険でまかなえました。僕は医師たちと話し合い、自分の体を隅々まで超音波検査してもらいました。医師たちの結論では、女性ホルモン剤による避妊(経口避妊薬/ピル)で、何年ものあいだ生理を止めてきた女性たちと大きな違いはないだろうということでした。

    月経周期をしばらくのあいだ正常にするため、テストステロン(男性ホルモン)の投与はやめる必要がありました。そうすれば、僕のケースも、妊娠をこころみている女性のケースとほとんど変わらないはずでした。そんなわけで、僕は男性ホルモン投与をやめたんです。

    最初に妊娠したとき、僕は自分が排卵していることを知りませんでした。正常な生理周期を取り戻す前に、すぐに妊娠してしまったんです。こうしたケースは珍しくないようです。ひさしぶりの排卵では、「過剰排卵」が起こることがあるんです。そうやって、たとえまだ体に出産の準備が整っていなくても、その確率をあげるのです。結局、この最初の妊娠は数週間で終わってしまいました。

    医師や看護師が、妊娠の4分の1は流産に終わることを教えてくれました。だから、がっかりする必要はないと励ましてくれました。今日にも挑戦を再開しないと、と僕は強く思っていました。でも、ビフがすっかり怖じ気づいてしまったんです。男性ホルモン投与をやめるということは、僕にとって激しい感情の起伏と大きな困難を意味しました。

    そして、その舵取りをしなければならないのがビフでした。そのあいだもずっと、僕らは2人の子どもたちの親としての仕事がありました。子どもたちを迎えに行き、いい親であろうと努力しました。やるべきことがたくさんありました。ビフは「負担が大きすぎるし、1年待つべきだ」と言いました。

    それを聞いた僕はパニックになりましたが、彼の言葉を信じることにしました。彼が1年待ちたいのなら、そうすべきだと。僕たちにとって、赤ちゃんを生むことは、健全な関係を保つことに比べると重要ではなかったんです。

    いまの僕は、ホルモンが個性の一部を担っていることを知っています。でもそのときは、「僕は大人なんだ。自分の感情や反応をコントロールする方法もわかっているんだ」と思っていました。その影響を軽く見すぎていました。ホルモンと、その体内と脳内のバランスは、その人のパーソナリティーや世間との関わり合い方、反応の仕方に影響を及ぼします。

    ひどい状態でした――トランスジェンダーとしてではなく、人間として。自分のジェンダーからの解放感がありませんでしたし、それまでよりもずっと、ささいなことが気に触るようになったんです! 自分でも説明のつかない理由から、最悪な気分になっていました。本当に大変でした。私は良き親であり、良きパートナーである自分に誇りを思っています。でも、ホルモンのバランスが不安定なときには、この務めを果たすことがずっと困難に感じられました。

    それからの僕らは、妊娠しないように心がけました。けれども、男性ホルモン投与を1年間やめたり、やめてすぐ再開したりするのは僕にとっては大変だと、すぐに気づいたんです。

    明日、メディカルチームに会うことになっています。妊娠期間後どのぐらいで、男性ホルモン投与を再開できるようになるかを確認するためです。場合によっては、男性ホルモンが体の回復を速めてくれることもあるんです。帝王切開を受けない場合は、長く待つことになるでしょう。でも受ける場合は、それが男性ホルモン投与の再開を後押ししてくれるかもしれません。僕の目標は、なるべく早く男性ホルモン投与を再開することです。それを心待ちにしているんです。

    僕たちの物語をネットで公開するのは、大きな決断でした。でも、公にするつもりがないこともあります。僕らは、誰に語るのかを選んでもいます。ピアース・モーガン(イギリスのモーニングショー司会者)からインタビューのオファーがありましたが、断りました。自分たちの生存権を弁護する内容に終始することがわかっていたからです。僕らはそんなことに興味ないんです。

    僕らが関心があったのは、今日の文化におけるトランスジェンダームーブメントや受容の現状でした。

    自分たちの物語を伝えることは、対話を前進させる力になるだろうか? 今日のアメリカで、トランスジェンダーとして生きる意味を拡大するチャンスは僕らにあるのだろうか? 挑発的すぎて、トランスジェンダーの受容から人々を遠ざけることになりはしないか? 世間が僕たちを受け入れる準備はできているのだろうか?

    10年前にトーマス・ビーティーが(妊娠したトランスジェンダーの男性として)登場した当時、世間の側にはまだ準備が整っていなかったのではないでしょうか。彼の物語は有害無益だったと僕は思います。当時の僕は、まだ若いトランスジェンダーとして、彼に激しい怒りを感じたことを覚えています。「世間はまだ準備ができていないのに、どうしてこんなことをするのか?」と。

    いま、ラヴァーン・コックス(トランスジェンダーの女優)やライターのジャネット・モックなど、トランスジェンダーの受容と祝福を求めて本気で活動する人々を目にするようになりました。

    僕らにも、何か役に立つ行動を起こせるチャンスがあると確信しました。僕がもっとオープンにしたいと思った理由は、次のトランスジェンダーの物語に向けた準備が、自分のなかで整ったからなんです。

    「トランスジェンダーは自分の体をひどく嫌っている」「こんな体に生まれなければよかったのに、と思っている」「彼らは、トランスジェンダーでない人たちのようになりたがっている、自分が転換をこころみているジェンダーを持つ人々ようになりたがっている」──このような考えは、多くのトランスジェンダーには当てはまりません。僕たちは、いまの自分に満足しています。たしかに当てはまる人も一部いますが、全員というわけではありません。

    ショックなことに、僕たちへの反発の大半は、LGBTコミュニティーの内側で起こっています。ほとんどが極左系の人々によるものです。生まれてくる赤ちゃんのジェンダー化はやめるべきだと、僕らはずっと言われてきました(赤ちゃんに男女が明確でない名前をつけ、"boy"でも"girl"でもなく、"baby"や"child"と呼ぶこと)。

    でも、あえて言います。赤ちゃんは男の子です。なので、どちらかというと、昔からある男らしい名前をつけようと思っています。まあ、どうしたってケチをつけられるでしょうが。

    いったい僕らは、あとどれだけのリスクを負えばいいのでしょう? どれだけの危険にさらされればいいのでしょう? 僕はトランスジェンダーであり、妊娠している男です。僕はこのことをずっと考えてきました。僕らがジェンダーバイナリー(性別二元論)を信じているから、こうしているわけではないんです。

    でも統計的に見れば、僕らはたぶん、見れば男の子とわかる子どもを持つことになると思います。トランスジェンダーは、いまなお珍しい存在です。息子はおそらくトランスジェンダーにはならないでしょう。

    僕たちは、息子や僕ら自身の状況をさらに困難にしようとしているわけではありません。すでにこれだけのことが起こっているのですから。息子が、ジェンダーニュートラル(男女の性差のいずれにも偏らない考え方)という選択肢に対して、不満を抱く可能性もあります。息子にとって合わないジェンダーを僕らが選んだ場合よりも、不満を抱くかもしれないのです。

    僕は、ある種のジェンダー規範で育てられ、それに自分を順応させなければならない環境を乗り越えて成長しました。でも、それが自分の身に起こりえた最悪な出来事だったとは思っていません。


    誰もが、自分の意見を持ち、それを僕らに表明する権利を持っていると考えています。憎悪が込められたメッセージは実にさまざまです。たとえばこんなのです。「批判するわけではないが、あなたは子どもを生むべきではない。もしあなたが、その子は将来、人と違っていることでからかわれることがわかっているのなら」。ショックでした。これはまさに、虐げられている人が耳にする言葉だからです。

    僕も、よくもこんな世界に子どもを生む気になったものです。でも、ほかのみんなが混乱しているからといって、僕は自分の生き方を改めるつもりはありません。それに、これなんかは、まだマシなほうです。

    なかには性的なメッセージもあります。「こいつはホットだ。ヌードを送ってくれよ」みたいな。まったく、やれやれです。これなんかは、何でもありの変態カテゴリーに入るメッセージで、僕は笑い飛ばしています。

    それから、こういうのもあります。「こんなの、レインボー(LGBTの象徴)のやつらが、自分たちの信念をゴリ押ししているだけ」。

    それから、超4chan的でネオナチ的な、本当に恐ろしくてゾッとするメッセージもあります。「サーカスの見世物みたいなやつだな」とか「おまえの赤ん坊なんか死ねよ」とか「おまえって、最低のクソ野郎だな」とか。

    そうしたメッセージを毎日受け取っているんです。

    ネット掲示板に行かず、こうしたコメントを読まないように、自分を訓練しなければなりません。毒以外の何物でもありませんし、読むとイヤな気分がするだけですから。まわりの人たちが選別を手伝ってくれています。僕は本当に幸運です。力になってくれるすばらしい仲間に恵まれているんですから。

    友人たちが、僕のFacebookページを監視してくれています。1日に何回か巡回して、悪意に満ちたコメントを削除したり、ユーザーをブロックしたりしてくれるんです。なので、こうしたコメントを目にすることはほとんどなくなりました。

    ポジティブなメッセージが届いたときには、それを転送してもらっています。ミシガン州にいる15歳のトランスジェンダーの子からのメッセージも送ってもらっています。

    僕がトランスジェンダーになって10年以上が経ちます。10年以上という時間は、トランスの世界では長い部類に入ります。いまでは僕も、トランス界の長老です。トランスジェンダーの寿命は決して長くはありません。他人の言葉に対する僕のレジリエンス(回復力)は、とても高いんです。

    僕は、出会い系アプリ「Grindr」を使って、トランスジェンダーの男として、ゲイ男性の世界をナビゲートしていました。人々は、悪意からあれこれ言うのではありません。普通は、無知や好奇心から言うのです。ヘイト的な発言で、僕がまだ聞いたことのないものはありません。早くから僕は、負け戦を避けて、自分のエネルギーをうまく使う術を身につけていました。

    ビフ:支持を示し、激励のメッセージを添えて僕らの物語を共有してくれる人が増えれば増えるほど、別の種類の人たちに対する、それを真剣に受け止めるように促すプレッシャーは大きくなります。何であろうと、それを見世物小屋のように扱おうとする集団がいるのです。

    トリスタン:私たちはそういう人たちのためにここにいわけじゃない。私は、トランスジェンダーのコミュニティーから、「あなたたちは私たちの足を引っ張っている。人々を混乱させている」みたいに言われるんだろうなと思っていました。そんなことばかり言われると思っていたんです。でも、そうではありませんでした。LGBTの人たちの大多数が、「男性であること、トランスジェンダーであること、家族であることの意味を広げてくれてありがとう」と言ってくれるんです。

    トリスタン:状況を楽観視してしまう癖が僕にはあるんですが、ビフの視点はもっと現実的です。僕は7カ月に入るまで、見るからに妊娠しているといった様子ではありませんでした。おまけに冬だったので、セーターを着てマフラーをすれば、僕が妊娠しているなんて誰にもわかりませんでした。それに普通、男が妊娠するだなんて誰も思わないので、バレないようにするのは簡単でした。人々の反応が「ウソでしょ、男が妊娠してる!」に変わったのは最近のことです。

    妊娠期間が終わりに差しかかると、脳から「不安ホルモン」が大量に分泌されます。こうやって人類は、はるか昔のクロマニヨン人などの時代から、今日まで生き延びてきたんでしょう。

    僕はこれに完全に翻弄されてしまいました。この自分がビクビクするようなことはないだろうと思っていたんです。僕が妊娠している男だなんて誰が気にするの? そんなことどうでもいいよ! ってね。でも本当は、傷つけられたり襲われたりするのが恐くてたまりませんでした。

    いつもの僕の、過激でクィア的で向こう見ずなスタイルは、すっかり影を潜めていました。体の隅々がおなかのなかの赤ちゃんと自分自身を守ろうと全力を尽くしていたからです。それには本当に驚かされました。

    ビフ:2人で相談して、トリスタンが電車通勤するのをやめた時期がありました。この1カ月は、あまり気にせずに人前に出ています。でも、ここでの暮らしで身の危険を感じたことは、ほとんどと言っていいくらいありませんでした。幸運にも、人前で面と向かって否定的なことを言われた経験は一度もありません。

    もちろん、ネットは別です。そこでは、無視しなければならないこともあります。とても直視できない、読んでいられないコメントもあります。そういうものは無視するしかありません。それは心理的なワナのようなもので、はまってしまうと、誰にとっても害でしかないからです。

    トリスタン:妊娠期間の最後の数週間は、むちゃくちゃハードです。だから、電車には乗りたくありません。現在は家で仕事しています。とにかくいまは、まわりに溶け込んでしまいたいんです。人前に出て注目を集めたくありません。ですが、ゲイパレードには2人で出かけました。トランスマーチとプライドフェスティバルに行ったんです。本当にすばらしかった。たくさんのLGBTの仲間たちが、僕たちのところに来て、きみたちの物語を読んだ、公表してくれてありがとうって言ってくれたんですから。

    コーヒーを買うときも、バリスタが、Facebookで見たよって言ってくれます。それがポートランドなんです。妊娠した男を見ても、それがその日いちばんの奇妙な光景ではないんです。

    トリスタン:僕が「ダディー」で、ビフが「ダダ」です。子どもたちが「ダッド」という時もありますが、どっちのことを言っているのかは、話の流れでわかります。食べものについて質問しているときは、ビフの出番だなってわかります。「ダッド、アイスキャンディー食べていい?」のときはビフです。「ダッド、こっちに来てサッカーボール蹴ってくれる?」のときは僕です。そういうことは僕が担当なんです。

    子どもたちの生活のなかには、子どもを持つほかのトランスジェンダーの男性やクィアの人たちがいます。今度、子どもたちに、僕の友だちのジェイの写真を見せるつもりです。ジェイにも赤ちゃんが生まれるんです。いま我が家では、この話題で持ち切りなんです。

    ヘイリーは、僕らの家族としてのユニークさをとても誇りに思ってくれています。トランスジェンダーのダッドのことをクラスで話すのが大好きです。それがヘイリーのパーソナリティーなんです。

    ライリーのほうは、恥ずかしかったり、誤解されていると感じたり、肩身が狭かったりといったことに対してもっと敏感です。学校の友だちには言わないでよって、ライリーからは言われています。ライリーは誰が味方になってくれるのか、誰がそうでないのかを自分で判断したいんです。ライリーのほうが少しだけ年上ですからね。僕たちも、そんなあの子の考えをできる範囲で尊重しながら、あの子を支えていきたいと思っています。

    ビフ:子どもたちは、いま何が起きているのかをちゃんと全部わかっています。僕たちは彼らにいつも、トランスジェンダーの親やクィアの家族を持つということの意味を話して聞かせています。それが持つ否定的な側面については、あまり触れないようにしています。世間の人たちはこれを変わっていると思うかもしれないけど、変わっていてもいいんだよ、と教えています。変わっているから悪いわけではないんだよ、と。あの子たちもそれを理解してくれています。

    トリスタン:生まれてくる赤ちゃんも、きっとわかってくれると思います。自分たちがしてきたことや家族を、とても誇りに思っています。僕らの家族は、クィアの人々に手渡される透明なガラスのかけらから、自分たちの手でつくりあげたモザイクのようなものなんです。

    トリスタン:出産過程についての本を読んでいると、「女性」とか「母」とか「妻」とか、そういう言葉が使われています。だから、普通とは違うことをしているのが僕なんです。20歳のときに会場をあとにしたパーティーに、いままた押し掛けているのが僕なんです。

    ビフ:出産動画のほとんどは、赤ちゃんを生む女性が主役です。本に載っているのも、ほとんどがストレートの両親です。違ったかたちの家族を紹介する教材などを探し出して、それを子どもたちに見せるのが、親としての僕の仕事です。いろんな家族がいるということを子どもたちが理解できるように。

    ほとんどの人は、自分たちが思っている以上に、自分の性別というものに流動的です。男であること、女であること、あるいは男らしくあること、女らしくあることに伴う言外の意味はたくさんあります。

    誰もが何らかのかたちで、こうした規範からはずれていますし、その度合いがほかの人に比べて大きい人も、なかにはいます。男だから、あるいは女だから、これはきみがすべき仕事だ、というのではなく、いちばん得意なことや、さまざまな役割を、自分で選べたほうがいいことは事実です。それがクィアの家族のいいところです。家族のためにその役割を果たしたいかどうかを自分で決められるんです。

    僕は自分が、普通よりも良き親であり良きパートナーだと自負しています。それは、自分が得意なことを自分で選び、トリスタンが得意なことは彼にまかせているからなんです。

    トリスタン:妊娠はすごく大変だとみんな言っていました。とくに終盤が。いやもう、本当につらいです。背中は痛いわ、皮膚は引っぱられるわで。赤ちゃんが僕の体から出てくるときには、きっとすごく興奮すると思います。どんな顔をしているのか? どんな性格なのか? おなかのなかの居心地は悪くないか? 僕は、妊娠の科学については、ちょっとしたオタクなんです。赤ちゃんの脳はどんなことを想像できるのか? 赤ちゃんに意識はあるのか? といったような。彼に会うのが待ちきれません。僕らの人生のなかにいる彼を見るのが待ちきれません。

    妊娠中、自分の体にジェンダー・ディスフォリア(性別違和)は感じませんでした。僕は科学的な部分にもっと興味があるんです。自分の体に何ができるのかにね! 僕には、妊娠が、女性であることや女性らしさと関係があるようには思えません。

    子どもを生むトランスジェンダーの男性はこれらかも稀だろうと思います。でも、ないことではありませんし、僕たちが第一号でもありません。妊娠とはいまなお、女性らしさに根づいていると感じられる行為です。ほとんどのトランスジェンダーの男性は、自分の体とのあいだに、こうした行為が許せるような関係を築いていません。彼らにとって妊娠とは、母親がしたことであり、彼らの姉妹がしたことなのです。

    でも、そうした感覚の一部は社会的に形成されたものであり、トランスジェンダーであることに固有の要素ではないことを願っています。僕は、まわりのサポートのおかげで、ある場所に到達できたわけですが、そうした場所を目指す人が、これからもっと出てきてほしいですね。それをめぐるネガティブな烙印が小さくなることを願います。人々が「えっ、だったら男じゃないじゃない」と言わなくなることを。

    この記事は英語から翻訳されました。翻訳:阪本博希/ガリレオ、編集:BuzzFeed Japan